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『PAN ネバーランド、夢のはじまり』に見る、ジョー・ライト監督の映画作りのルーツ

2015年11月07日 17:52  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)2015 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC

 幼少期、誰もが多少なりとも「ピーター・パン」の物語に心踊らせた記憶があるだろう。『PAN ネバーランド、夢のはじまり』は、この“永遠の少年”がネバーランドのヒーローになる前日譚を描いた物語。といっても、そもそも作家J・M・バリーが「ピーター・パン」の戯曲を執筆したのが1904年。本作はバリーの手からはふわりと離れて、その数々の著書から「ヒントを得る」形で創造性を膨らませたストーリーなので、そこに独自の面白さを見出せるかどうかはまさに観客の感じ方次第ということになる。


 正直言って『PAN』の評価は割れている。それに現時点でアメリカでの興収は3200万ドル程度(世界興収だと1億800万ドル)。製作費が1億5千万ドルと伝えられているので、これは相当頑張らないと回収しきれないレベルだ。しかし、だからといって筆者にはこの映画が駄作だなんて決して思えない。もしもこれまでに一度でもジョー・ライト監督作品に心を奪われた経験のある人ならば、絶対に見逃さないでほしい作品だ。というのも、ライトの作品としてはもっとも、彼の映画作りのルーツというか、原初的なところが自ずと表出していると感じたからだ。


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■retellingによって生まれる新たな光


 まずひとつ目に挙げたいのはジョー・ライトの持つ「retelling」の才能だ。たとえば彼の名を一躍世界中に知らしめた『プライドと偏見』は序盤から思いがけない長回しショットをぶちかまし、観客の心を一気に目の覚めるような感覚で充たしたものだった。つまり、伝えるべき物語をそのままに、ではなく、フレッシュに再構築して伝える術に長けているのだ。もちろん『アンナ・カレーニナ』もこれに含まれる。


 『つぐない』ではフィクションの構造そのものに「retelling」と相通ずるものを感じさせられた。それに現代劇『路上のソリスト』やアクション映画『ハンナ』においても、ありふれたジャンルや題材をそのまま伝えるのではなく、あえて彼流の特殊なギミックを炸裂させることで別の角度から降り注ぐ光を見出している。それらの妙味を見つけ出すのが非常に楽しいし、恐らくジョー・ライト作品の面白さはそこに集約されるのだろう。


 『PAN』はその意味でも「retelling」路線を引き継ぐものとなろう。観客の心をフレッシュな気持ちで古典ファンタジーへと真向かわせるのは彼のお家芸。本作では孤児院で暮らす少年の「お母さんに逢いたい!」という願いに呼応するかのように、ふわりとファンタジー世界が起動してネバーランドへ通じていく。とりわけこの冒頭部分の、現実とファンタジーをつなぐ整合性の描き方には捨てがたいものがある。


 そしていつしか、映画にはとめどなく色彩が溢れ出す。現実世界ではモノクロに近いほど色が乏しかったのに対し、ネバーランドではその奥地へ足を踏み入れれば入れるほど、目の覚めるような極彩色に包まれて行く。こういった部分、『アメリ』で名を馳せたアリーヌ・ボネットが美術を担い、ライト監督の期待に存分に応えているのも注目すべき点だろう。


 ちなみに、意識的か無意識か、ジョー・ライトがその創造性を「ワーナー」の庭で無邪気に遊ばせているのも印象的だ。というのも、黒ひげ(ヒュー・ジャックマン)の登場シーンは『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のイモータン・ジョーの降臨を彷彿させるし、海賊船が無重力へと突入し身体がふわりと浮かび上がるシーンは『ゼロ・グラビティ』を思い起こさずにいられない。さらに、主人公のパン少年が空を飛ぶ場面は『スーパーマン』や『マン・オブ・スティール』、孤児院での生活には同じ学園モノとしての『ハリー・ポッター』のエキスが落とさている…と言うのは言い過ぎだろうか。


■パペッティア一家で育まれたライトの創造性


 ふたつ目に挙げたいのが、もともとジョー・ライトが“パペッティア(操り人形師)”の一家に生まれ育ったという事実である。ロンドンのイズリントンにあるリトル・エンジェル・シアターはジョーの両親が1961年に創立し、数々の公演のみならずワークショップや教育などにも力を入れている劇場だ。つまりライトが生まれた時から、アートやファンタジーは、日常として彼の目前に広がっていたと言っていい。彼のretellingの才能も、数々の既存の名作を人形劇へと翻案していく両親およびスタッフのプロフェッショナルなワザを受けて、自ずと育まれていったことは想像に難くない。


 きっとその頃の影響なのだろう。彼が映画製作においてもまるで一座の巡業のように、気心の知れたスタッフを起用し続ける傾向にあるのは有名だ。何よりも現場の空気感を大切にし、リハーサルにたっぷりと時間をかけてキャラクターや場面を練り上げる。そして撮影現場では必ず、これから取り組むシーンのイメージを掻き立てるために、場面や感情にふさわしい音楽を流してスタッフやキャストの感情を導いていくのだとか。ちなみに本作に登場する“ネバーバード”の造形デザインには実の姉でありパペッティアのサラ・ライトを起用。こういったところにも何かジョー・ライトの原初的な想いが結実しているのを感じる。


 こうやって彼の経歴から考えると、本作におけるピーター・パン特有のあの“飛ぶ”“跳ねる”といった浮遊性さえ、まるで操り人形の糸によって巧みに表現された所作のように思えてくる。たとえばふわりと身体が着地する時のあの優しいタッチにも、彼にしか表現し得ない、ふわりと重力操作されたみたいなマジカルな瞬間が刻み込められているというか。


 『PAN』はジョー・ライトにとって初のファンタジー。それもかつてないほどのビッグ・プロジェクトとなった。でもしかし、その規模とは反比例して、ライト監督の心はむしろ、彼の生まれ育った我が家=劇場に回帰していたのではないだろうか。本作はそういった監督自身の純真さ、無邪気さが感じられ、どことなく温かな、優しい気持ちにさせてくれるところがある。


 彼にとってのヒーローはすぐ近くにいた。いつも驚きの手法でファンタジーの世界を紡ぎ出していた両親の姿。そして素敵で愉快な仲間達。こういった記憶、思い出こそ、彼の心の中にいつまでも留まり続ける永遠のネバーランドなのかもしれない。(牛津厚信)