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『アクトレス~女たちの舞台~』が描く“時間”と“老い” オリヴィエ・アサイヤスの作家性を読み解く

2015年10月30日 19:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(c) 2014 CG CINÉMA – PALLAS FILM – CAB PRODUCTIONS– VORTEX SUTRA – ARTE France Cinéma – ZDF/ARTE – ORANGE STUDIO – RTS RADIO TELEVISION SUISSE – SRG SSR

 今年6月に開催されたフランス映画祭2015。一般公開前に先駆け上映された、フランソワ・オゾン監督の『彼は秘密の女ともだち』やミア・ハンセン=ラヴ監督の『EDEN エデン』、女優としても活躍するブリジット・シィの監督第2作『夜、アルベルティーヌ』など、例年に比べても今年のラインナップは特に粒ぞろいという印象だったが、その中でも一際印象に残る傑作だったのが、10月24日に日本公開となったオリヴィエ・アサイヤスの『アクトレス~女たちの舞台~』だ。


参考:近年の「フランス映画」で異彩放つフランソワ・オゾン 『彼は秘密の女ともだち』の哲学的含意とは?


 ジュリエット・ビノシュ、クリステン・スチュワート、クロエ・グレース・モレッツという、世代を超えた3人の人気女優の共演ということでも話題になっている本作は、“過ぎ行く時間”や“若さ”をテーマに、大女優が抱える心の葛藤を描いている。


 大女優マリア・エンダース(ジュリエット・ビノシュ)は、マネージャーのヴァレンティン(クリステン・スチュワート)とともに、チューリッヒへ向かっていた。マリアが新人女優だった18歳の頃に、「マローヤのヘビ」という舞台に起用してくれた劇作家ヴィルヘルム・メルヒオールの代わりに、彼の功績を讃える賞を受け取るためだ。しかし、その道中で、メルヒオールが亡くなったという知らせが届く。その悲しみを胸に抱え、授賞式に出席したマリアは、授賞式後のレセプションで新進演出家のクラウスからある作品の出演オファーを受ける。それは、『マローヤのヘビ』のリメイク作品だった。しかし、その役柄は、20年前に自身が演じた主役のジグリットではなく、ジグリットに翻弄され自殺に追い込まれる相手役のヘレナだった。ジグリット役には、19歳の人気ハリウッド女優ジョアン・エリス(クロエ・グレース・モレッツ)が決まっているという。マリアはこの役を引き受けることに決めたが、ヴァレンティンと読み合わせの稽古を行なっていく中で、ヘレナという役の理解に苦しみ、ヴァレンティンとも衝突していく…。


 これまでも女性を主人公にした作品を多く手がけてきたアサイヤス。『クリーン』では、主人公のエミリー(マギー・チャン)が歌手だったり、ビノシュとタッグを組んだ『夏時間の庭』では、名画家だった大叔父のアトリエが舞台だったりと、その中でも、“芸術”と深く関わりのある題材を描いてきた。『アクトレス』も、主人公が女優で“演劇”という芸術を描いているのだが、この題材で真っ先に頭をよぎるのが、『イルマ・ヴェップ』だ。往年の犯罪活劇映画のリメイク作の主演女優に抜擢された香港人女優と、彼女を取り巻く製作スタッフたちが織りなす人間模様を描いた『イルマ・ヴェップ』は、マギー・チャンが本人役で出演し、彼女の出演を条件にリメイク作を手がける監督レネを、ジャン=ピエール・レオが演じている。現実のチャンが映画の中でのチャンを演じ、映画の中のチャンが映画の中の映画でイルマ・ヴェップを演じるというこの構造は、『アクトレス』で、現実のビノシュが映画の中でマリアを演じ、映画の中のマリアが映画の中の舞台でヘレナを演じるのと同じく、現実と映画がオーバーラップするような、二重にも三重にも受け取れる構造なのだ。


 しかし、『イルマ・ヴェップ』と『アクトレス』には、大きく異なる点がある。『イルマ・ヴェップ』では、リメイク作の監督を務めたレネは、紆余曲折がありながらも、映画の中で映画を完成させ、その映画が映画の中で上映されて幕を閉じる。つまり、『イルマ・ヴェップ』では、マギー・チャンよりも、ジャン=ピエール・レオの心情に作品の主題が置かれていたのである。それは、チャンを主役に映画を撮りたいという、『イルマ・ヴェップ』を監督したアサイヤスの心情がそのままレオに反映されていたと言っても過言ではない。本作をきっかけに、アサイヤスとチャンは結婚まで果たしている(のちに離婚)。
 
 一方、『アクトレス』では、リメイク版の舞台は映画の中では披露されずに、本番直前のマリアの表情を捉えて幕が閉じるのだ。もちろん、アサイヤスが監督・脚本を務めている以上、彼の想いが映画の中に描かれているのは当然ではあるが、『アクトレス』は、アサイヤスがビノシュのために脚本を書いたという、彼女の存在が大きく反映されている。アサイヤスとビノシュの関係は深く、アンドレ・テシネが監督を手がけた『ランデヴー』で、アサイヤスは共同脚本家として、ビノシュは女優として、同時期にデビューを果たしたとも言える。その2人の関係性が、作品の中でリメイクされることになった『マローヤのヘビ』と同じく、20年の時を経て、再び蘇るのである。


 『アクトレス』で一際存在感を放つのが、クリステン・スチュワート演じるマリアのマネージャー、ヴァレンティンだ。ビノシュやモレッツと違い、マネージャーという役柄の彼女は、一見この構造の輪の外側にいるように見えるが、実はそうではない。マリアとの台本の読み合わせで、シグリッドの役割を担うからだ。さらに、彼女はヘレナという役柄の理解に苦しむマリアに対して、その過程で幾度となくマリアに対して助言を与える。それは、本作の冒頭で亡くなったメルヒオールやリメイク作を手がけるクラウスの代弁者としての機能も果たしているのだ。


 そして、ヴァレンティンは、『マローヤのヘビ』でのマリアとの役作りでの衝突により、ストーリーの終盤に突如として、劇中から姿を消す。『マローヤのヘビ』という題名の由来にもなり、本作の原題でもあるシルス・マリアの雲ーースイス東南部に位置する小さな集落「シルス・マリア」で初秋の早朝に発生する、山の谷間をヘビのようにうねりながら進む雲ーーとともに。そして、彼女が消えたことによって生まれる“不在による存在感”が漂いながら、舞台直前のリハーサルでジョアンに提案した助言を一蹴されたマリアが、ラストに見せる表情にも繋がっていくのである。


 映画の構造としての面白さ、女優たちの名演技、そして、シルス・マリアの絶景。アサイヤス作品の中で最高傑作といっても過言ではない本作。誰しもがいつか直面するであろう“過ぎ行く時間や“老い”について、是非思いを巡らせてほしい。エンドロールが終わる頃、心の中に必ず何かが残るだろう。


 なお、アサイヤスは次作『Personal Shopper』で再びスチュワートとタッグを組む。『アクトレス~女たちの舞台~』で、女優として目覚ましい成長を遂げたクリステン・スチュワートの今後の動きにも注目したい。(宮川翔)