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菊地成孔がアルトマン映画のトークショーに登壇「どの作品を観ても、エロい気分になる」

2015年10月23日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

菊地成孔

 現在公開中のドキュメンタリー映画『ロバート・アルトマン/ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』。その公開記念スペシャル・イベント第3弾となるトーク・イベントが、去る10月21日(水)、YEBISU GARDEN CINEMAで開催された。今回ゲストとして登壇したのは、リアルサウンド映画部でも連載記事を執筆している菊地成孔氏。「アルトマン初のドキュメントを語る」と題された、当日の模様を以下レポートする。


参考:『ロバート・アルトマン』ドキュメンタリーが描き出す“アルトマンらしさ”とは?


 満席となった最終回の上映後、舞台に登場した菊地氏。まずは、本作に寄せた「容貌も仕事ぶりもO.ウェルズをトレースしたかのようなアルトマンの、人情味溢れまくりの天才ぶり。我々は斜に構えるのはもう止めるべきだ」という自身のコメントについて解説。「『アルトマンという人は、すごい斜に構えているんだろうな。俺はそういうアルトマンの映画が好き!』っていう人が、20世紀にはいっぱいいて……その人たちは全員、斜に構えていたんですよ(笑)」と、従来の“アルトマン像”について語りながら、「だけど、この映画を観れば分かるように、アルトマン自身はものすごいストレートな人で、全然ツイストしていない。それどころか、結構脇がガラ空きの人だった。これはもう、斜に構えるわけにもいかないなと。(中略)本人の素顔は、こんなにもホーム・ムービーを撮りまくっていた人だったんですね(笑)」と、本作を観終えたあとに変化するであろう“アルトマン像”について語った。


 続いて、21世紀のドキュメンタリー映画の全般的な質の高さについて言及した菊地氏は、その理由として、アーカイブの豊富さを指摘する。「一世紀ズラして考えると分かりやすいと思うんですけど、20世紀に19世紀の偉人の映画を撮るというのは、すごい大変なことで……それは資料が少ないからなんです。ところが20世紀というのは、やはりモノが残っていますから、21世紀に20世紀の偉人のものを作ろうとすると、すごくマニアックで精密な資料が多い。だから、優秀なドキュメンタリーや伝記映画が量産されているんですよね」と、現在の状況を分析。それは本作についても同様であるという。なかでも、菊地氏が最も驚いたのは、劇中何度も登場する、アルトマンのプライベート・フィルム……先述した“ホーム・ムービー”の存在だったようだ。「そこに20世紀の偉人を21世紀にドキュメンタリー映画で撮るということの意味が表れています。このホーム・ムービーの存在を知っている人は、これまでほとんどいなかったんじゃないかな?」と、その稀少性を強調した。アルトマン夫人であるキャスリン・リード・アルトマンが提供した、貴重な“ホーム・ムービー”の数々。アルトマン自身がカメラを回したものから、その息子たちが回したものまで、撮影現場やプライベートなパーティなど、さまざまな場所で撮られたそれらの映像は、間違いなく今回のドキュメンタリー映画の見どころのひとつである。


 さらに菊地氏は、アルトマンがホーム・ムービーを撮っていたことの意味と意義について、独自の考えをめぐらせる。「本作のなかで、アルトマンの息子が、『収穫祭とクリスマス以外は(映画の仕事が忙しくて)、ほとんど父親と会うことがなかった』というようなことを言っています。そして、パパが年に2回帰ってくる日は、必ずホーム・ムービーを回していたと。これは、一見泣ける話のようで、実はちょっと微妙な話で……『実家に帰ったときくらい、カメラ回すのよしなよ』っていう(笑)。だけど、やっぱりアルトマンは、家庭をカメラに収めていくわけです」。それにしても、なぜアルトマンは家庭でもカメラを回し続けたのだろうか? その理由について、菊地氏は次のように推測する。「アルトマンは、相当マッチョな人だったと思うんですよね。そういう人が、“家長”でありたいと思って、(撮影現場のみならず)年に2回しか帰らない実家でも、映画を撮り続けていて……さらに、その実家に映画のスタッフも呼んで、ほとんど家族のように接している。もはや、家族が映画化しているのか、映画が家族化しているのか分からないわけです(笑)。“家族”と“映画”が一緒になっているから。そういう意味でも、アルトマンは本当に“群像劇”の人ですよね」。


 しかし、アルトマンは“家長”としてマッチョな人物であると同時に、フェミニンな視点も持っていたと菊地氏は指摘する。「『ロング・グッドバイ』というのは、私がいちばん好きなアルトマン映画ですけど、あれはアルトマンよりもさらにマッチョなレイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説を、かなりフェミニンに描いたものなんですよね。ともすれば深刻になりそうな物語のトーンを……(主人公である)フィリップ・マーロウのとなりに、女性だけのヨガの集団が住んでいるのですが、彼女たちのシーンが映画の通奏低音のように流れることによって、映画がエロく、しかも面白くなっている(笑)。それは、単に彼女たちが裸だからというのではなく、斬新なフェミニスティックな視線で描かれているからなんです。そうやって、たまにアルトマンが抜く“フェミニズムの刀”みたいなものに、ちょっと痺れるんですよね」。さらに菊地氏は、アルトマン映画に共通する、ある独特な雰囲気についても自説を展開。「これは、私の個人的な“見立て”ですけど、アルトマンの映画というのは、どこか“乱交的”というか……もちろん、セックスによる乱交は一度も描いていませんが、アルトマンの映画は常に群像劇なので、なんとなく乱交の雰囲気というか、あちこちでフリーセックスが行われているような“乱交のエロティシズム”が、常にうっすらと漂っているんですよね。だから、アルトマンの映画は、どの作品を観ても、エロい気分になるんです(笑)」と、アルトマン映画の新たな見方を提示した。


 続いて菊地氏は、今回のドキュメンタリー映画のテーマ曲となった「Let's Begin Again」という楽曲についても解説。「映画の最初と最後に「Let's Begin Again」というジャズのスタンダードみたいな曲が流れますけど、それがまるでアルトマンの人生をトレースしているかのような、とても気の利いた歌詞なんです。“もう一回やり直しましょう”っていう。この曲の作詞作曲をアルトマンがやっているというのは知っていたんですけど、死ぬ直前に作ったんだと思っていたんです。自分の人生を振り返って、こういう歌詞ができたんだと。だけど、これがなんと、死ぬ直前どころか、40年代に作っていて、すでに自作のなかで何回も繰り返し歌われている曲だということで。だから、逆に言うと40年代に先に歌を作ってしまって、その歌のように人生を生きたという言い方もできなくもない。そこにびっくりしたんです」。ちなみに菊地氏曰く、劇中で流れる同曲は、「90年代のジャム・バンド・ブームのときに活躍していた“メデスキ、マーティン・アンド・ウッド”のジョン・メデスキがピアノを弾いて、レイチェル・ヤマガタさんという日系クオーターの歌手の方が歌っていて……非常に優れたトラックですよね」とのこと。今回のヴァージョンは、本作のために新録されたものであるという。


 そして最後、「今、アルトマン映画のビギナーであることは、すごく幸せなこと」、「20世紀の決定的な評価というものを一回ロンダリングして、新鮮な目でアルトマン映画を観ることができるから」と語った菊地氏は、今回のドキュメンタリーを観て、さらに興味を持った“アルトマン初心者”に向けて、アルトマンが調子の良かったディケイドである70年代の『M★A★S★H マッシュ』、『ロング・グッドバイ』、『ナッシュビル』という3本、そして90年代に撮られた『ザ・プレイヤー』、『ショート・カッツ』、『プレタポルテ』の3本を推薦。「今回のドキュメンタリーを観たあとなら、きっといろいろな感想があるはずです」としながら、約30分間のトークを終了した。(麦倉正樹)