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『ヴィジット』に仕組まれた重層的なトリック 奇才・シャマラン監督の試みを読む

2015年10月22日 18:41  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)Universal Pictures.

 あまり多くのことを語りすぎると、せっかくのM.ナイト・シャマランの作家性を損なってしまいかねないのが難しいところである。とはいえ、やや躊躇しながらも、この『ヴィジット』という奇特な映画についての話を進めるにあたり、どうしても物語の核心に触れてしまうところが出てしまうかもしれないので、まっさらな状態でこの映画に臨もうとしている人には、ここで引き返すことをお勧めしたい。


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 とはいえ、仮にネタバレを聞いてしまったとしても、映画の本質は損なわれないはずであるし、ある程度知っているとディテールに目が届くというメリットはある。それでもシャマランの映画はラストのサプライズを売りにしているだけに、できるだけ予備知識なしで一度目を観て、大筋を掴んだ上でもう一度観るのが良いだろう。売りであるラストよりも、それに至るまでのプロセスが驚くほど緻密に作られているのだから、もはやラストのドッキリのほうが、伏線のような役割を果たしているともいえよう。彼は近2作で箸にも棒にもかからない映画を作って世界中を失望させただけに、映画において、いやむしろシャマラン映画にとってのラストの重要性を再考させる良い機会を与えてくれたように思える。彼がスリラー映画のフィールドに還ってきたことは非常に嬉しい。


 例によって、「あなたはすでに騙されている」や「ラストは誰にも話さないでください」といった煽り文句で観客を刺激してくるあたり、ついつい身構えてしまうが、彼の作品を観るにあたっては、どのような伏線が張られ、どのような結末を迎えるのかを勘繰りながら観ることは、もはや当然の作法でもある。これまでの彼の作品に出てきたような、結末に繋がるヒントを探すために、ひたすらスクリーンを見渡し、瞬きひとつすることさえも勿体なく思えてしまう。しかし、今回のシャマランは、一見すると我々のそんな緊張を嘲笑うかのように、恐ろしく正直に向き合ってきたのではないだろうか。今までのような革新的なスリラー映画を構築することを敢えて避けているかのように、人里離れた家で起こる数日間の出来事を、オーソドックスなB級ホラー映画のようなルックで見せつけてくるのである。


 思い返してみると、映画ファンを虜にした『シックス・センス』が日本で紹介されてから、ちょうど10月末で16年が経つ。それからも不死身の男を描いた『アンブレイカブル』をはじめとした奇天烈な想像力と、徹底した秘密主義、そしてヒッチコックへのオマージュを込めた作品の数々に、〝シャマラニスタ〟と呼ばれる固定ファンを獲得するまでに至った。わずか29歳で『シックス・センス』を作り出しオスカー候補に上がり、時代の寵児になったのも束の間、それからちょうど10年が経った2009年に発表した『エアベンダー』でメジャー系のハイバジェット映画に転身したと思いきや、次作『アフター・アース』と続けてラジー賞に挙がるなど、一般の映画ファンには不安な監督という印象を残してしまったのである。それでも、久しぶりの新作がメジャー系ではないと聞いたときは、これまでの鬱憤を晴らすかのような作品が登場することを期待したものである。もちろん、彼はローバジェットならではのアイデアに満ち溢れた構成力で、期待に応えてくれたのだ。


 この映画で用いられるPOVという撮影方式は、近年の低予算スリラーでここぞとばかりに使われ、定番となるどころか、その当初の斬新さはすでに廃れてしまった印象がある。流行りの先駆けとなった『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や、先日公開された『死霊高校』のように、意図的に撮影されたものと、『クローバーフィールド』のような意図せず記録されたものなど、様々な形に分類することができるが、多くの場合、その不安定なカメラワークを利用した“素人が撮るドキュメンタリー映画”という前提で成立した擬似ドキュメンタリー(モキュメンタリー)である場合が多く、本作もティーンエイジャーの姉弟が好奇心でカメラを回し続ける擬似ドキュメンタリーの形を呈している。


 序盤から母親のインタビュー映像で始まり、不安定なショットや、セルフショット、驚愕してカメラが落下したり、寝室や部屋の様子を監視するために据えていたりと、これまでのPOV映画でやり尽くされた方法論をほぼすべて(『クロニクル』のような自在性はないにしても)出し尽くしているのである。しかし、観ているうちに妙なことに気が付き始めることであろう。意外なほど丁寧に、カッティングが為されているのである。祖母が料理を始めるときの工程や、2台のカメラを使って向かい合わせでインタビューをするシーンなど、普通の映画と同じように編集がされているということに、逆に違和感を覚えてしまうのである。


 それがどういうことなのか、もちろん劇中にオーストラリア出身の新進女優オリビア・デヨング演じる姉のベッカがノートパソコンを使って素材を編集しているシーンが登場する。この映画監督志望の少女は映画作りに熱中しているシャマラン自身の姿が投影されているのだと、シャマラン自身が語っていた。そう考えると、そんなシャマランの化身である彼女が、正直なドキュメンタリーを撮るのだろうか。一見すると、シャマラン監督による最表層の『ヴィジット』という映画の中で、ベッカという少女が撮ったドキュメンタリー映画を観せられているというのがこの映画の構造に関する通説であろう。だが、このベッカが撮ったドキュメンタリー映画こそが、擬似ドキュメンタリーであるという重層のトリックになっているのではないかとも観ることができる。終盤にふと訪れるデジャブと、油断させるようなエンドロールで気付く、ちょっとした違和感を整理するためには、16年前と同じように何度も何度も劇場に足を運ぶ必要が出てくる。


 やはりM.ナイト・シャマランという男は一筋縄ではいかない。このジャンルでこそ輝くべき存在であると言って間違いない。早くも次回作が2本準備されており、そのどちらもがスリラー映画であるというのだから、これは期待せずにはいられない。(久保田和馬)