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SANABAGUN.高岩遼と岩間俊樹がめざす、音楽による革命 「リスナーの耳の鮮度を上げたい」

2015年10月22日 09:31  リアルサウンド

リアルサウンド

SANABAGUN.

「俺らがレペゼンゆとり教育 平成生まれのヒップホップチーム こ、れ、が! SANABAGUNだ、味わえー!」
 しばしの沈黙のあとに咆哮するアジテート。漆黒の闇をたっぷり吸い込み、ただならぬ緊張感を放ちながら、8人の男たちが鋭利で、ぶっとく、徹頭徹尾グルーヴィーな、すごみというすごみに満ちた生音のヒップホップを響かせる。
 それが、平成生まれの総勢8人の男たちから成るジャズ/生ヒップホップチーム、SANABAGUN.だ。
 結成以来、そこが渋谷のど真ん中だろうが、ライブハウスだろうが、クラブだろうが、マイクと楽器を武器に携えた8人は目の前にいる聴衆を片っ端から撃ち抜いてきた。聴衆は気圧されながら、SANABAGUN.に心酔していく。
 そして、SANABAGUN.は満を持してメジャーデビューアルバム、その名も『メジャー』を完成させた。あくまでインディーズやストリートでリリースしてきたアルバムの延長戦上にあるという本作。これまでどおりのファイティングポーズをメジャー一作目で示すことが彼らの狙いでもある。
 2人のフロントマン、高岩遼と岩間俊樹にその音楽的なルーツを語ってもらいつつ、SANABAGUN.の譲れない信念を紐解いた。(三宅正一)


・「俺はおまえらよりジャズだし、ブルースだし、ヒップホップなんで、よろしく」(高岩遼)


ーー高岩くんをはじめジャズをルーツにしているメンバーと、日本語ラップをルーツにし王道的なMCの存在感を発揮する岩間くんが固い握手を交わしたからこそ、SANABAGUN.には刺激的な化学反応が起こっていると思っていて。まず2人の音楽的な原風景から聞かせてもらえますか。


高岩遼(以下、高岩):小学校2年までは横浜にいて、それから上京するまでは岩手県宮古市にいました。親の意向で小1からピアノを習いまして。だから、最初はクラシックでしたね。うちは片親なので、俺が荒れないためにママがピアノを習わせてくれたと思うんですよね。2歳上の姉がいるんですけど、姉もピアノをやっていて。結局、姉は荒れちゃったんですけど、今は更生して素晴らしい人です。で、俺が小3のときに親の運転するクルマに乗ってるときにスティーヴィー・ワンダーの「涙を届けて」が流れてきて。俺、それを聴いて泣いちゃったんですね。


ーー感受性が豊かな少年だったんですね。


高岩:はい。感受性“も”豊かな少年でした(笑)。それで、ママに「早くこの曲を歌えるようになりたいから」と言って、英詞をカタカナに直してもらって。それが歌に対して興味を持った始まりですね。


ーーお母さんはブラックミュージックが好きだったんですか?


高岩:いや、うちのママはどちらかというと、クィーンの超ファンで。スコーピオンズとかも好きでしたね。ママはそこまでハイカラな感じではないです。普通に謙虚な人で。親父のほうがマイケル・ジャクソンとかソウルミュージックをよく聴いてたみたいですね。で、ママの兄貴が趣味の域を超えてPAとかやっちゃう人で。その人にBSでやってたスーパースターたちのMVが4夜連続で流れる番組を観せてもらって。その最終日に「USAフォー・アフリカ(の「ウィ・アー・ザ・ワールド」)」が流れたんですね。そこで初めてレイ・チャールズの声を聴いて「なんだこれは!?」って衝撃を覚えて。その衝撃の元がジャズでありブルースだったんですね。それが小6のときです。当時からハードボイルドな映画とかも超好きで。渋いものに憧れる傾向があったんでしょうね。


ーー学校生活でもヤンチャだったんですか?


高岩:ジャイアンっぽいキャラではありましたが、象のぬいぐるみと寝るようなガキでしたね(笑)。小学校は野球と合気道をやっていてヤンチャな感じもありつつ、家に帰ればブラックミュージックを聴いてる、みたいな。周りの同級生はJ-POPばかり聴いてたので、音楽の話が合うやつなんていなかったですけどね。で、中学生になって「もうクラシックはやりたくねえ!」となり、独学でブルースピアノとジャズピアノをやり始めて。地元の宮古市はジャズが盛んで、よくジャズジャイアンツたちが訪れる街なんですよ。僕のなかでジャズ=レイ・チャールズだったし、歌の世界だったので、インストルゥメンタルのジャズに対しては徐々に目覚めていった感じです。中学のときの部活は柔道部で、中2からヒップホップにハマってダンスもやってました。


ーー硬派な面とカルチャーに対して好奇心旺盛な面がずっと同居してますよね。


高岩:そのころからそうですね。「好きなことはなんでもやっちゃえ!」みたいな意識が強くて。DJ・ジャジー・ジェフ&フレッシュ・プリンスを聴いてヤベえってなって。僕のなかでは自然な流れだったんですよ。最初はソウルで、そこから逆行してブルースとジャズにいって、R&Bやロックンロールも通って、ヒップホップにたどり着いたのは。チャリに“thug life”と書いて走ってました(笑)。横浜にいたときからずっとスケボーで遊んでたりしていたガキだったから、ストリートカルチャーに対する憧れもずっと持ってましたね。


ーーフランク・シナトラとの出会いも大きいんですよね。


高岩:デカいですね。俺がフランク・シナトラを初めて聴いたのが「アラウンド・ザ・ワールド」という曲で。またその歌声を聴いて号泣したんですね。そしたらシナトラが黒人じゃなくて白人だということを知ってショックを受けたんですよ。でも、イタリア系のアメリカ人が移民の差別を受けながらも成り上がったというシナトラのバックグラウンドを知ってカッケえなと思ったんです。シナトラのマフィアとの関係性もちょうど『ゴッド・ファーザー』や『グッドフェローズ』の映画作品とも結びついて熱くなって。で、高校卒業後に上京して音楽大学に入るんですけど、俺はずっと坊主頭だったんですね。自分は黒人だと思ってたから。


ーー本気で思ってたの?


高岩:本気で思ってました。めっちゃ肌を焼いてたし、高校時代はラグビー部でそういう規則はなかったんですけど、ずっと3ミリの坊主頭にしてました。普段は頭にバンダナを巻いて。でも、大学に入ってから、ある日自分の姿を鏡で見てリアルに気づいちゃったんですね。「あ、俺は日本人なんだ」って。


ーー遅っ!(笑)。


高岩:薄々気づいてはいたんですけどね(笑)。でも、自分が黒人じゃないと悟ったときは超ショックでした。それで髪を生やし始めたんです。そこから日本人としてのプライドを背負って、黒人音楽に勝ちたいと思うようになったんです。「俺はおまえらよりジャズだし、ブルースだし、ヒップホップなんで、よろしく」っていう意識に切り替わった。19歳のときに初めて刺青を入れたんですね。大好きなおじいちゃんとおばあちゃんの名前を入れて。2人を背負って生きていこうと決めて。


ーー大学ではジャズボーカルを学んだんですか?


高岩:ジャズボーカルとジャズのカルチャーを学びました。ジャズの歴史に日本人が全然出てこないことに「ふざけんな!」とか思いながら。


・「キングキドラの『最終兵器』のライブDVDを観て『うわっ、何これカッケえ』と思って」(岩間俊樹)


ーー一方、岩間くんは日本語ラップに興味を覚えることから始まったんですよね?


岩間俊樹(以下、岩間):そうですね。地元は青森の三沢市で、米軍基地がある影響もあって、中学生くらいになると男の子は自然とみんなB-BOYの格好をし始めるんですよ。うちの兄貴がもともとDJをやっていて。兄貴がバックDJをやっていたKEN-RYWというラッパーの1stアルバムが1万枚以上売れてたりして。それが、俺が中1くらいのときですね。KEN-RYWさんは兄貴の幼なじみなので、俺も小さいころから知ってたんです。たまに兄貴と一緒に遊んでくれる人みたいな関係でした。俺は最初DJをやろうと思ったんですけど、やってみたらあんまりおもしろくなくて、ラップをやり始めて、中2くらいからリリックを書き始めました。兄貴の部屋からエロビデオを拝借しようと思ったら、キングキドラの『最終兵器』のライブDVDが混ざっていて、うわっ、何これカッケえと思って、そこから日本語ラップを掘っていくようになりました。


ーー周りの友だちも同じようにラップしてる子はいたんですか?


岩間:いや、誰もいなかったですね。格好はB-BOYなんだけど、実際にラップまでしてるやつは全然いなかったです。なぜか俺が最初に書いたリリックは恋愛モノだったんですね(笑)。片想いの切なさみたいなことを書いたリリックを兄貴に見せて「おまえな、ここは“あなた”って書いてるけど、その子への思いが強いんだったら“おまえ”って書け」とかアドバイスをもらったりして(笑)。


ーーいい話ですね(笑)。


岩間:中学3年くらいから地元のクラブで遊ぶようになりました。兄貴はそのときすでに上京していたんですけど、兄貴の名前を出すとみんな知ってるのでかわいがってもらって。


ーー初めてのライブは?


岩間:高校2年のときだったと思います。宮古の、あそこなんだっけ? スターライトだっけ?


高岩:そう、スターライト。キャバレーとクラブの中間みたいな店で。


ーー岩間くん、高校は宮古の学校に行ったんですよね。


岩間:そうなんですよ。


高岩:高校時代はインマイフッドにいたんだよね。そこで出会ったんです。


ーー運命的な出会いですよね。


岩間:俺が宮古の高校に行ってなかったら絶対に遼とは出会ってないと思います。それも別に親の事情とかではなくて。将来何をやろうか考えたときに、俺はすげえ頭が悪かったので。地元のバカ高校に行ってもつまんないし、何か人と違うことをやりたくて。それで調べたら宮古に商船の船員を育成している国立の高校があって。授業料もめっちゃ安いし、裕福な家庭ではなかったので、ここに行こうと決めて。国立って響きも自慢できそうだなと思ったし(笑)。


高岩:だから、こいつ小型船舶の免許持ってるんですよ。イケイケですよね(笑)。


岩間:クルーザーとか運転できます(笑)。親も安定した職業に就いてほしいと思ってたので、当時は仕事やりながらラップできたらいいなと思っていて。結局、一度就職したんですけど、やっぱりラップがやりたいと思って4ヶ月で辞めて、上京して。


ーーそんな2人が出会ったタイミングは?


岩間:宮古の秋祭りだよね。


高岩:そうそう。


岩間:どこかでラップしたいといろいろ探ってるうちに地元のヒップホップカルチャーに通じてる人たちと出会って。それで秋祭りでラップさせてもらったんです。そしたら遼がダンサーとして飛び入りで入ってくる、みたいな(笑)。


高岩:俺のママからラップしてる男の子がいるという情報を聞きつけて。「は? 宮古でヒップホップが好きな男の子なんて俺しかいねーし」と思ってたんですけど、祭りでこいつと会って。「お前か! よろしく!」って(笑)。


岩間:そのときはそこまで仲良くなると思ってなかった。でも、お互い上京してからたまに会ったりもしていたし、音楽をやってることも知ってました。


高岩:俊樹が新宿のクラブでライブをやってるのを俺が観に行ったり、俊樹も俺がビッグバンド編成でやってるライブを観に来てくれたり。


岩間:そのときもまだ一緒に何かやりたいとは思ってなかったんですけど、俺のなかでは同世代の友だちでイケてる音楽をやってるのは遼だけという認識はありましたね。俺がクラブでラップしてるときに代官山LOOPでワンマンをやって、ちゃんと集客もしてたのですげえなと思って。


高岩:ハタチのときですね。いろんなところに借金をしてビッグバンド編成のライブをしたんです。そのときに何人かのSANABAGUN.メンバーと出会って。


・「俺らはメンバー全員が主人公」(岩間俊樹)


ーーそして、高岩遼のヒップホップサイドのアプローチとして、代官山LOOPで椎名純平さんのオープニングアクトを務めたのがSANABAGUN.の前身になったとか。


高岩:そうです。そのとき誰かフィーチャリングでラッパーに客演してもらいたいと思って、俊樹に連絡したんです。


岩間:そのときいたSANABAGUN.のメンバーは遼、(澤村)一平、(髙橋)鉱一、(谷本)大河ですね。それからいろんな繋がりでメンバーが増えて今の編成になっていったんですけど、俺が最初に客演してできた曲が「M・S」なんです。


ーー初期の代表曲と言える楽曲ですね。岩間くんのそのときの感触は?


岩間:遼から「こういう題材で、こういうラップしてほしい」というリクエストがあって。それを受けてリリックを書いて、軽く合わせて本番みたいな感じだったんですけど、俺はバンド演奏でラップすること自体が初めてだったので。率直にこいつらレベル高いことやってんなって思いました。


高岩:俺は俊樹と一緒にやったライブの感触がよくて。このメンバーで何かやりたいなと思いましたね。


岩間:ライブの1週間後くらいに「正式にメンバーになってほしい」という連絡がきて。でも、今でこそラッパーがクラブから抜け出さないことに違和感を覚えてるんですけど、当時は俺自身の視野が狭かったから。クラブでツーターンテーブルをバックにライブをして成り上がらなきゃ意味ないという固定観念が強かったんです。だから、どこかでバンドでラップすることに抵抗があって。でも、自分が一目置いてる遼がいるならいいかなという軽い気持ちで入ったんです。ソロ半分、バンド半分で活動しようかな、くらいの感覚で。それからほどなくしてSANABAGUN.というバンド名が付いて、その名義で初めてやった横浜のKing’s Barのライブでみんな「あ、これすげえイケてるんじゃない?」ってムードになったんですよね。(小杉)隼太もその日が俺らと一緒にやる最初のステージで。


高岩:そのライブを観に来たのが(櫻打)泰平だったり。それが2013年の2月か3月ですね。


ーー渋谷でストリートライブを始めたのは?


岩間:そのライブの1ヶ月後くらいですね。あのころはトゲしかなかったよね。


高岩:そうだね。


ーーそれは日本の音楽シーンの現状に対して向けられたトゲとか?


高岩:いや、そういうことではないですね。日本の音楽シーンはダサいとはずっと思ってますけど、奢らないことが俺らの信念でもあるんです。だから、尖る相手も他のミュージシャン相手じゃなくて、ライブハウスでノルマを払ってライブをするシステムにふざけんじゃねえよって思いながらストリートに出て。ストリートでやってると音楽をなめてくる社会の縮図みたいなものを感じるんですよね。だから、街の雑踏に対しても尖ってたし。「俺らがこんだけカッコいい音楽鳴らしてるんだから、聴けよ」みたいなマインドで。初日から150人くらい集まってましたけどね。それに対しては「やっぱりいけんな、俺ら」とも思いつつ。


ーーでも、聴いて何かを感じたからには対価としての金を落としていけよ、っていう。


岩間:そう、そういう尖り方でした。自分らが鳴らしてる音楽は間違いなくカッコいいし、このままやっていけば少しずつ環境が変わっていくことは薄々メンバーの頭にあったと思うんです。だからこそ、周りのミュージシャンがどうこうよりも、自分たちだけのことを考えてましたね。自分らの音楽を煮詰めていくことが先決で。


ーーメジャーレーベルとサインを交わすことも想定内の未来でしたか?


高岩:そうですね。メンバー各々がプレイヤー思考で、俊樹だったらジャパニーズヒップホップにおけるクラブシーンの狭さに違和感を覚えたり、俺だったら女性ジャズボーカリストが金持ちの変なオヤジと寝てなんちゃらかんちゃらみたいな状況が超ダセえなと思っていて。集客は全然できないけどピアノが超上手くて、リスペクトはされてるのに金にならない人がいたりとか。そんなんじゃいつまで経っても高級車には乗れねえじゃねえかって思うので。だからこそ、俺らがメジャーと契約して、その先にしっかりメイクマネーしてるビジョンは持ってましたね。そのビジョンはSANABAGUN.が始まる前から持ってたメンバーも多いと思います。


ーーこれはまさにストリートで養われた求心力でもあると思うんですけど、SANABAGUN.はどんなイベントに出演しても一見のお客さんを全部もっていくじゃないですか。絶対的な音楽力があるうえで、ハードボイルドなすごみとユーモアが成す緩急がその肝だと思ってるんですけど。自分たちではその求心力の核をどう思ってますか?


岩間:俺らはメンバー全員が主人公だと思っていて。


高岩:そう。泥くせえ「ワンピース」みたいな。それプラス、まさにユーモアじゃないですかね。ジョークというか。自分らの音楽もお客さんのことも客観的に見て遊んでる。あと、みんな粋な面構えとか素振りがなんたるかはわかってると思います。それがダンディズムに繋がってるのかもしれないですね。


ーーあと、ちゃんとストリートカルチャーを体感した者だけが発せられる威圧感というかね。人を殴る痛みも、殴られる痛みも知ってる人たちの音楽だなと思う。


高岩:ありがとうございます。他のバンドマンやミュージシャンが俺らのことをどう思ってるかは知らないですけど、何か文句あるなら面を出して直接言いにこいよとは思いますね(ニッコリ)。そういうバンドではありたいと思ってます。だから、俺らが“平成生まれのレペゼンゆとり教育”って謳ってるのもそこなんですよ。


ーーというと?


高岩:ゆとり世代って、協調性がないとか、自己啓発能力に欠けてるって言われがちじゃないですか。けど、俺らはそれとは真逆だと思うんですよね。団塊の世代のおっさんたちが、俺らの世代のことをゆとり世代と名付けたとしたら、俺らは真逆のベクトルにあるゆとり世代だと思うんですよね。それもまたユーモアになるというか。だからこそ、ゆとり世代を背負ってやろうと思って。


・「俺らの音楽が問答無用にカッコいいっていうことをティーンにもおじいちゃんおばあちゃんにも伝えたい」(高岩遼)


ーーあらためて、メジャーデビューしてどんなことを成し遂げてやろうと思ってますか。


岩間:個人的にはヒップホップって、「金持ってるぜ」っていうことを見せるカルチャーでもあると思うので。遼もよく言ってますけど、20代のうちに自分が乗りたいクルマに乗って、かわいいお姉ちゃんをそこにエスコートすることを実現させたいですね。路上で成り上がった俺らがこういうふうになれるんだって憧れの存在になったら、下の世代が絶対についてくると思うし。あとは、ラッパーの仕事としては、みんなナヨナヨしたリリックを書きすぎだから、バッシングを浴びてでも言いたいことをラップしたいと思います。俺みたいなアホなやつがメジャーで規制とかも気にせず言いたいことをラップするのってすごく意味があると思うので。SANABAGUN.としては、まずは日本をいち早く制覇して、海外に行きたいですね。


高岩:本気でNFLのハーフタイムショーに出たいと思ってるので。俺らの音楽が問答無用にカッコいいっていうことをティーンにもおじいちゃんおばあちゃんにも伝えたいですよね。今だったら、アイドルの音楽がそういうふうに伝わってるのかなと思うんですけど、ミーハーなリスナーの耳の鮮度を上げたいです、マジで。それがつまり、革命ということだと思うんですよね。ただ、その前に、今は自分たちの音楽をいかによりカッコいいものにするかというのが大事なので。


ーー自分たちの音楽性を一切漂白せずに、J-POPの土俵に乗ることもなく、ポピュラーミュージックになろうと思ってるという。そこですよね。そもそも日本ではジャズやヒップホップがポピュラーミュージックになれないという発想自体がSANABAGUN.にはないわけで。


高岩:そうです。だって、超ダサいじゃないですか、みんなに自分たちが本気でカッコいいと思ってる音楽を愛してもらって有名にならないと。俺らが聴いて育ってきたジャズやヒップホップをはじめとするブラックミュージックはちゃんとポピュラーなものでしたから。今はまだ牙を剥いたカウンター的な存在でもいいと思うけど、最終的には超メジャーになりたいですね。で、ビクターさんにはどんどん給料を上げてもらって。


岩間:今回、この『メジャー』をリリースするにあたって、より多くの人に聴かれることを想定して歌詞のトピックをわかりやすくしようという意識はあったんですけど、それ以外は今までリリースしてきたインディーズ盤やストリート盤の延長戦上にあって。今の俺らの現在進行形としての作品をそのままメジャーでリリースすることに意味があると思ってます。そういう意味では、全然気張ってないですね。


高岩:ジャズネタの引用も、なるべくパブリックドメインになってるものから俺らが好きなフレーズを選んで、SANABAGUN.の曲として昇華していきたいと思ってます。そこもちゃんとぶっ込んでいきます。


ーー期待してます、ホントに。


高岩:ひとつ言っておきたいのは、今日はいろいろ赤裸々に語らせてもらいましたけど、こういうインタビュー記事とかで偉そうにしゃべってるやつらがいちばんムカつくんで。「僕らの音楽性は~」みたいな。そういうのはダルいので、とにかく音源を聴いてもらって、ライブを観てもらえたらと思います。


ーーしっかり載せておきます。


高岩:ありがとうございます。よろしくお願いします。


(取材・文=三宅正一/写真=石川真魚)