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Netflixオリジナルフィルム、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』の衝撃

2015年10月20日 12:11  リアルサウンド

リアルサウンド

Netflix『ビースト・オブ・ノー・ネーション』

 2009年の長編デビュー作『闇の列車、光の旅』が、サンダンス映画祭劇映画部門で監督賞を獲得するなど、世界中で熱狂的な賞賛を受けたキャリー・ジョージ・フクナガ監督。続く2011年には、シャーロット・ブロンテの原作『ジェーン・エア』を映画化。マイケル・ファスベンダーとミア・ワシコウスカを一躍トップスターへと押し上げることとなる。


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 そんなフクナガ監督がTVドラマを手掛けると聞いた時、驚いた方は多いだろう。だが、先輩の映画監督であるデヴィッド・フィンチャーの『ハウス・オブ・カード』やスティーブン・ソダーバーグの"The Knick"に続き、フクナガ監督が生み出した『TRUE DETECTIVE/二人の刑事』は、TVドラマ史を塗りかえる作品と激賞を受けた。マシュー・マコノヒー&ウディ・ハレルソンの熱演、ニック・ピゾラットの巧みな脚本もさることながら、例えば4話ラストの長回しなど、フクナガ監督の卓越した演出自体も大いに話題となった。


 次の動向に注目が集まる中、フクナガ監督が選んだ舞台はネット配信だった。彼はNetflixとタッグを組み、10月16日、最新作を世界同時配信することを決定する。『ビースト・オブ・ノー・ネーション』、それがフクナガ監督の新作の名であり、劇場でも同じタイミングで上映される初のNetflixオリジナル長編作品の名であり、今までのシステムをぶっ壊す映画の名だ。


 耳に届くのはサッカーで遊ぶ子供たちの楽しそうな声、この物語はそんな日常から幕を開ける。主人公は少年アグー(エイブラハム・アタ)。彼は友達と遊びつづける日々を送っている。というのも、紛争の影響で村の学校が閉鎖されているからだ。だが、そんな日々もアグーには楽しい。だって、ずっと遊んでいられるんだから! 家に帰れば、元教師で今は難民の救済に忙しくしている父、髪型と筋肉にこだわる思春期真っ盛りの兄、生まれたばかりの小さな妹、いつも家族を優しさで包み込んでくれる母が待っている。確かに紛争を身近に感じてはいる、だけど……フクナガ監督は何気ない日常の描写にも手抜かりはない。この日常がいかに大切なものか分かっているからだ。笑いと喜びに溢れた日々、かけがえのない輝き、しかし崩れ去るのは余りに容易い。


 紛争が激化するごとに、中間地帯であるはずの村にも戦いの魔の手が迫ってくる。そして、その時は訪れる。政府の軍隊は村を蹂躙し、銃による虐殺を繰り広げる。一瞬にして奪われていく人々の命。アグーは涙をこらえながら村を逃げ出し、密林へと身を隠す。アグーの中に政府軍への憎しみが芽生える頃、彼の前に現れたのが"指揮官"(『パシフィック・リム』のイドリス・エルバ)率いる少年兵部隊だった。


 "指揮官"はアグーに語る。自分をこんな目に合わせた連中に怒りを感じはしないか。復讐を遂げたくはないか。彼の言葉は禍々しいリズムを伴いながらアグーの憎しみを煽る。そして少年兵たちは忠誠の轟音を響かせる。「最高なるは! 指揮官!」「最高なるは! 指揮官!」。そんな轟音の中で腕を振り上げる“指揮官”。イドリス・エルバが圧倒的な存在感でもってカリスマ性を発露させるその姿は、"指揮官"でありながら"指揮者"のようであり、そして暴力という名のコロスを従えた軍神のようでもある。ここにおいて洗脳とは音の熱狂だ。音楽がアグーを暴力の道へと引きずりこんでいく。


 アグーが同じく捕虜となった子供たちと共に少年兵に仕立てあげられる過程には、飢えと銃器、"指揮官"の大いなる権威と歪んだ仲間意識、様々な要素が絡みあっている。脱落はそのまま死に直結する状況で、アグーは少年兵として"完成"していく。フクナガ監督はナイジェリア人作家ウゾディンマ・イワエラの同名原作を元に脚本を書くため徹底的なリサーチを行い、執筆には約10年もの時間をかけたのだという。その年月こそが、吐き気を催すほどの細密なディテールとして結実しているのだ。


 だが、フクナガ監督の覚悟が伺えるのはそこだけではない。今回、彼は撮影監督も兼任しているのだ。彼が映し出すのは偽りなき戦争の風景だ。ただ逃げることしか出来ない人々、ナタを振り上げながら敵陣へ突っ込んでいく少年兵たち。バズーカ砲はフロントガラスを突き破り車を爆散させ、銃に撃ち抜かれた者たちは自分の血を浴びながら次々と道に倒れていく。フクナガ監督は絶え間なき暴力から目を背けない。アグーが行うこととなるおぞましき通過儀礼の時もそうだ。苦悩に揺れるアグーの顔だけではなく、彼が暴力を振り下ろしたその先に広がる血と死の光景を監督は見据える。さらに彼は『TRUE DETECTIVE』で見せた長回しと同等、いやそれ以上に巧みな長回しを使い、観る者の心を打ちひしぐ。


 こうして戦争の原風景を目の当たりにするうちに私たちが気づくのは、少年兵になるというのはただ単純に殺戮マシーンのなる訳ではないという事実だ。戦いの合間アグーたちはサッカーを楽しみ、友人とじゃれあい、そして戦場では"指揮官"の命令のまま殺戮を繰り広げる。つまり人間性を失うというのは正確ではない。笑うだとか泣くだとか、そういった子供が、ひいては人間そのものが持つ当たり前のパーソナリティに“人を殺す”という概念が付け加わるという事実。フクナガ監督はそれを明らかにしていく。


 この作品で最も重要な存在は、アグーを演じたエイブラハム・アタの他にはいないだろう。無邪気な少年だったアグーが残酷な少年兵へと変貌を遂げる様を熱演し、私たちの生きる世界で確かに起こっている悲劇を体現する。人を殺し、人を殺し続けるうち彼の顔に浮かぶのは深い諦念だ。アグーは心のなかで独り呟く。


太陽はどうして輝くのだろう
あの光を全て搾り取ってやりたい
世界が闇に包まれれば
目の前に広がるもの何もかもを
ぼくは見てなくて済むのだから


 『ビースト・オブ・ノー・ネーション』は、いかにして戦争が個々の人間の人生を捻じ曲げていくかを、一切の妥協なく描き出していく。目にするだろう現実は残酷すぎるかもしれないが、フクナガ監督が目を背けなかったように、私たちもこの現実を目に焼きつけ、語り継いでいかなければならない。


 今作について、現時点での2016年アカデミー賞予想ではイドリス・エルバが助演男優賞ノミネート確実では?との下馬評に加え、作品賞では『スティーブ・ジョブス』や『デニッシュ・ガール』と並び最有力候補の1つとの噂も。日本ではオスカー候補作は授賞式後にしか観られないことも多いが、この作品はNetflixに登録すれば今すぐ観られるのだ。これを逃す手はない。


 つい先日、今作が劇場とネットで同時公開されることに米国の大手映画館チェーン各社が反発とのニュースが流れた。だが、私は「映画は映画館で観るべき」といった言葉に「日本では地方で上映してない。そもそも映画館が周りにない」という諦めの声が返るのを何度も見てきた。Netflixはその現状を変えてくれるのだ。ネットさえ繋げば何処でも同じ映画が楽しめる、フクナガ監督も今作について語っているように「映画鑑賞の民主的な時代」が実現したのだ。今はもう映画館だけで映画を観る時代ではない。映画館で、TVで、ネット配信で、自分の好きな方法で、映画を観る時代なのだ。(済藤鉄腸)