2015年10月19日 10:21 リアルサウンド
新しいNHK連続テレビ小説(以下、朝ドラ)がはじまった。
タイトルは『あさが来た』。
女性実業家がほとんどいなかった時代に探鉱事業や銀行経営に関わり、後に日本女子大を設立の発起人の一人となった広岡朝子の生涯をモデルとした物語だ。舞台は江戸時代の幕末からはじまり明治、大正と時代が進んでいく。
まだはじまったばかりだが、現時点での注目は、あさとはつという、二人のヒロインだろう。
主人公のあさは明るくで行動的。おっちょこちょいで抜けたところもあるが、理不尽なことに対しては異論を唱え、自分の意思で生きようとする女性だ。
一方、はつは、おとなしく引っ込み思案の性格。あさと違い、家のために嫁ぐという運命を幼い頃から受け入れている。
近年の朝ドラは『ひらり』や『ふたりっ子』といった過去作で培った正反対のヒロインを登場させるWヒロイン制度を自覚的に取り入れている。
あさとあつはその典型で、二人の対比で物語を見せる方向で進んでいる。
この二人の対比は演じる女優にも当てはまる。
主演を演じるのはオーディションで合格した波瑠。過去の朝ドラがそうであるように、半年という長丁場の間、一人の人物を演じることで、女優として成長する姿が楽しみである。
一方、はつを演じる宮崎あおいは、年齢こそ29歳だが、06年のドラマ『純情きらり』で主演を務め、映画、アニメなど様々なジャンルで演技力は絶賛されている。
そのため二人が並ぶと、あさ以上に圧倒的な存在感が出てしまい、現時点では主演の波瑠を食いかねない勢いである。
朝ドラは現在、一番勢いのあるドラマ枠だが、常に問題となるのはヒロインの難しさについてだ。
毎回、朝ドラのヒロインには古い時代に新しい価値観を生きた女性像が求められる。本作のあさもそうで、それは多くの場合、仕事による自己実現という形で描かれる。
一方で朝ドラが想定している視聴者は家にいる主婦や高齢者である。時代が変わったといはいえ、お茶の間で家族という不特定多数の世代の人々に見られる以上、「仕事と恋愛だけに生きよ」というメッセージを発することは朝ドラでは難しい。
そのため、「自分の意思で行動して仕事を持って自立しながら、結婚して家庭を持ち子どもも育てる母としてもおろそかにできない」という、仕事と家庭の両立が求められる。
それはそのまま、戦後、家から解放され自由になった女性が社会でどう生きていくべきか? という難題でもあるのだが、近年では、「家族制度」と「私らしく生きる」ということを安易に対立させるのではなく、違う形で両立できるのではないかという模索がドラマでも見られる。おそらく朝ドラの強さはそこにある。
時々、はつの方が魅力的に見えてしまうのは、宮崎あおいの演技もさることながら、彼女の持つ「運命を受け入れる強さ」が、見直されつつあるからだろう。
本作のエグゼクティブ・プロデューサー・佐野元彦は、宮崎あおい主演の大河ドラマ『篤姫』を手掛けている。『篤姫』が当時、盛り上がったのは、家の呪縛という運命を受け入れながら成長していくという保守性の中にある自己実現に、多くの視聴者がひかれたからだろう。
それはアイドルでいえばAKB48の強さとも似ている。
『あさが来た』の主題歌は、山本彩がセンターで歌うAKB48の「365日の紙飛行機」だ。
はじめに朝ドラの主題歌がAKB48だと知った時は、近年のパーティーチューンを想像して、騒がしすぎないかと不安だったのだが、「365日の紙飛行機」は「あの素晴らしい愛をもう一度」などのフォークソングを連想させるメロディと歌詞がスーと体に入ってくる一曲となっている。
前回、乃木坂46について書いた時に、秋元康には作詞家としての顔と放送作家としての顔があり、作家と企画屋の顔を使い分けていると書いた。(参考:乃木坂46に秋元康が託したものは? ドラマ『初森ベマーズ』と楽曲「太陽ノック」に共通する“青春”)
「365日の紙飛行機」に関していうと、“朝ドラというお題”に対して、放送作家の秋元が見事に打ち返した仕事だと言えるが、同時に近年では乃木坂46で発揮されていた、秋元の作家性も感じられる。
何といってもサビの<人生は紙飛行機 願い乗せて飛んでゆくよ 風の中を力の限り ただ進むだけ>というフレーズが素晴らしい。だが、それ以上に気になるのは<ずっと見てる夢は 私がもう一人いて やりたいこと 好きなように 自由にできる夢>という歌詞。
さりげなく歌われているが「自由にやりたいことができない私の現実と、夢の中で自由に生きられる私」という対比は、あさとはつの対比にも聞こえるし、朝ドラという物語と番組を見ている視聴者の対比にも思える。
AKBというシステム込みのアイドルグループを立ち上げた秋元康が凄いのは、「私らしく生きる」という個人の力による自己実現を信じていないことだ。
「人生は紙飛行機」という歌詞から伝わるのは、人生は思い通りにならないからこそ、時代の流れという風を読み、乗りこなさなければならない。という諦念を受け入れた人間だけが持つ強さである。(成馬零一)