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ジェフ・リンの武器は〈世界一の無垢さ〉だーー市川哲史がELO14年ぶりの新作を機に再分析

2015年10月16日 19:31  リアルサウンド

リアルサウンド

市川哲史『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)

 インターネットの多大なる恩恵に与っている若い連中が、心の底から羨ましい。


 冒頭からおっさん全開で申し訳ないが、検索すれば古今東西どんなロック/ポップミュージックでも「ひとまず」聴けちゃう、「下手すりゃ」動画まで視られちゃうのだから、なんと幸せなことか。あ、違法行為はやめようね(ハート)(←棒読み)。


 私なんぞは70年代中後期が中高生時代なだけに、まずレコードを買う資金力が乏しい。しかも地方在住だから安価の輸入盤店もないし、当時はまだレンタルレコード店は存在すらしていない。そもそも洋楽好きは少数民族だから、レコードの貸し借りにすら事欠く始末だ。いくらFMでニューアルバム丸々エアチェックし放題だったとはいえ、旧譜名盤から新作まで、全方位的にロックのカタログを聴くなんて物理的に不可能だった。


 すると当然、聴くべきアーティストに優先順位がもれなく付くわけだ。英国産優先で米国産は後回しとか、ヒットチャート物はラジオで聴くだけか後輩に「買わせる」とか、どのアーティストも基本的にまずライヴ盤優先とか、いろんな不文律で自らを戒めてた気がする。


 また、資料性に著しく欠ける当時の音専誌やLPのライナーを参照していろんなアーティストのディスコグラフィーを自作することで、あたかも聴いたかのような気分に浸ってみたり――ああ、涙ぐましいぞあの頃の私たち。


 だから優先順位をクリアしてとりあえず一回りするのに、『ロッキング・オン』に書きながらの大学・社会人時代通して、最低10年は懸かったはずだ。あ、それでも足りなかったか。それでも天文学的なアイテム数にもおよぶ旧譜CD化バブルに、音楽評論家として立ち会えたことで、過去のロックの空白部を漸次埋められたのは幸運だった、とつくづく思う。


 なのでエレクトリック・ライト・オーケストラを〈ちゃんと聴いた〉のも、1990年にまとめて初CDリイシューされた機会になってしまう。たぶん。


 デビューアルバムの衝撃の邦題『踊るヴァイオリン群とエレクトリック・ロックそしてヴォーカルは如何に(THE ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA)』が示すように、当初は〈安直なオーケストラとの共演ではなくバンド内に弦&管楽器担当メンバーを配することで、クラシック的なサウンドと当時の最先端だったロックの融合〉がコンセプトの、多人数プログレ・バンドのはずだった。


 ところがいざ「ロックとハーモニーとストリングスの合体(ジェフ・リン談)」を実践してみたらば、「エリナー・リグビー」やら「アイ・アム・ザ・ウォルラス」やら『サージャント・ペパーズ~』やらぽかったりと、その実験的だけど確信的でポップなサウンドは、言うまでもなくビートルズを思い起こさせた。その傾向は作品を重ねる毎に強まり、ELOのキャッチーで豪勢なニュー・オールディーズ・ポップソング群が、70年代半ばには全米チャートを圧倒するに至った。


 そのストリングスによるキラキラしたサウンドが、『サタデー・ナイト・フィーバー』的なディスコ・ブームに似合ってたし、ELOのエンブレム的存在のジュークボックスの電飾を模したUFOが、『未知との遭遇』や『スター・ウォーズ』人気が沸騰したSF映画ブームにも合致したといえる。


 なのでアルバムなら『オーロラの救世主』『アウト・オブ・ザ・ブルー』『ディスカバリー』、シングルなら「見果てぬ夢」「イーヴィル・ウーマン」「テレフォン・ライン」「ターン・トゥ・ストーン」「スウィート・トーキング・ウーマン」「ドント・ブリング・ミー・ダウン」「ザナドゥ」と、代表作をざっと挙げるだけでもキリがない。70年代当時地球上のどこかで棲息していた者なら、誰でも一度は聴いたことがあるはずだ。事実、〈70年代に最も全米トップ40ヒット曲を量産したバンド〉のギネス記録を保持している。14曲だったかしらん。全世界で5000万枚ものアルバムも売ったらしい。


 よしんばELOを知らずとも90年代後期なら、奥田民生が好き者の本領を発揮したPuffyの「アジアの純真」を聴いて、知らぬ間にELOサウンドを疑似体験していたはずだ。また00年代には日本で「トワイライト」が、月面兎兵器ミーナが翔びまわる2005年放映のドラマ版『電車男』のOPを飾る主題歌として、24年ぶりに再ヒット。そして放送終了後もなお、ニュースやバラエティ番組ではまるでオタクや秋葉原のテーマソングかのごとく、最近まで流され続けていたし。


 おそるべし〈ELOサブリミナル〉。


 それほど、ほっときゃラジオから勝手に流れてきてくれたわけで、当時の貧乏高校生がELOを後回しにしたって責められないだろう。だってとにかく聴かなきゃいけないロックが、他にいっぱいあったんだもの。


 しかし落ち着いて聴く余裕がようやく生まれたら、ELOはとにかく強烈だった。


「ELOを聴いたとき思ったよ、『サージェント・ペパーズ』に似てるって。あのチェロにバイオリン――僕らがビートルズでハマった力強いリフのストリングスだね。だから第一印象は『僕はオリジナルを知ってるぞ』。でも無視できない傑作だからね、僕らも先にやってりゃよかったと思ったさ(愉笑)。ストリングスはバッチリ、ヴォーカルも最高、ギターだって抜群だ。やっぱり僕はヒット曲が好きな性分なんだよ。だからELOは格別だな。皆と同じ音楽を聴くのは、たしかにダサいかもしれない。でも実際にいい曲なんだから、しかたない」


 とのポール・マッカートニーの言葉を待つまでもなく、ヒット曲は問答無用で素晴らしい。そしてELOの楽曲は、〈ロック界の大林宣彦〉ジェフ・リンの脳内空間で鳴る〈ビートルズとそのルーツである1940~50年代の米国ポップス/ロックンロール/映画音楽〉たちが、リリース当時の流行音楽を「やや」先行するアプローチで解釈されてたからこそ新しかったし、見事に大ヒットした。


 ちょっとだけ音楽評論家っぽく書けば、(1)アコギのカッティング、(2)多重録音で太くしたドラムのグルーヴ、(3)ストリングスもしくはシンセのエコーを効かせたリフ、によるジェフ・リン版ウォール・オブ・サウンドのキラキラ感もまた、魅力的だったのだ。安直なシンセ依存型キラキラとは、モノが違うのである。


いくら再評価しても再評価し足りない――と思っていたのはどうやら英国も同様なようで、昨年2014年9月、BBC RADIO 2主催の《Festival In A Day》に、13年ぶりに復活したELOがヘッドライナーとして出演すると、会場のハイド・パークは5万人もの大観衆で埋め尽くされていたのだ。先日リリースされたばかりのBD/DVD『ジェフ・リンズELO ライヴ・イン・ハイド・パーク2014』にその模様が収録されてるのだけれど、世代を超えた5万人が全曲盛り上がりまくる様子に、なんだかとても嬉しくなってしまった。


 とはいえELO時代のジェフ・リン節はあまりに見事で巧みすぎたため、「こういうメロやサウンド好きでしょ?」と背中で言われてるような違和感があったのも事実だ。狙ってるんだろうな、と。


 ところがELO以降の彼は選手兼任監督というか、「唄って弾けて作曲編曲もできる」名プレイング・プロデューサーとして立派な実績を積み重ねてきた。


 80年オリヴィア・ニュートン・ジョン。84年デイヴ・エドモンズとエヴァリー・ブラザーズ。87年ジョージ・ハリスンにロイ・オービソン。88年ブライアン・ウィルソンやランディ・ニューマン。89年トム・ペティ。91年デル・シャノンとトム・ペティ&ザ・ハーロブレイカーズ。92年リンゴ・スターにジョー・コッカー。94年トム・ジョーンズ。97年ポール・マッカートニー。12年ジョー・ウォルシュ。


 やたら大物クライアント揃いではないか。しかも彼がプロデュースした作品のほとんどが、「久々の復帰作」だったり「長年の試行錯誤からの脱出作」だったり「心機一転再出発作」だったり結果的に「遺作」だったりと、ワケあり物件揃いだから面白い。


 彼がプロデュースしたサウンドは事前に知らずとも大抵わかってしまうほど、リンの手癖はアクが強い。なので古くからのクライアントのファンから「オーバープロデュース」と嫌われることも、少なくはない。


 しかし前述したBD/DVD収録の長編ドキュメンタリーには、リンへの感謝を語るクライアントおよび関係者が勢揃いなのだ。


「俺は再起を図って久しぶりにアルバム作りを始めてた。『ちゃんと生きよう』と頑張ることにしたんだ。で早速ジェフに依頼したら、見事に数曲をプロデュースしてくれた。それを契機に俺は軌道修正できたんだから」(リンゴ・スター)


「ジェフこそロイ(・オービソン)をスタジオに復帰させた張本人さ。それでロイは完全に返り咲いた。ジェフ抜きトラヴェリング・ウィルベリーズだってあり得なかったし――ウィルベリーズでのジェフは過小評価されてる、すごく貢献してたのに」(トム・ペティ)


「ジェフに誘われて、ロスのスタジオにロイと私は曲を聴きに行ったの。ジェフが最初に披露してくれた“A Love So Beautiful”を聴いたロイが泣き出した。結婚して20年、あんな夫を初めて見たわ。ジェフも戸惑っちゃってね、だってロイが座ったまま涙を流してるんですもの」(バーバラ・オービソン)


「ジョージ(・ハリスン)はニューアルバムのプロデューサーを探してたの、8~9年ぶりのレコーディングだったし。誰かの力が必要だったそんな時に、本人に会う前からジェフの音楽が常にジュークボックスから流れてたわ。“テレフォン・ライン”よ(笑)。だから初対面の気がしなかった。ジェフとジョージはとにかく似てたのよ。笑いのツボも同じで北部育ちで年齢も近くて、ジョージが兄って感じかしら。しかもお互いの音楽が大好きだったの、意気投合とはこのことだわ」(オリヴィア・ハリスン)


 ジェフ・リンとはおそろしく優秀な〈再生人〉なのだ。


 そして彼の行動原理は、かつて黄金の輝きを放っていた頃のロック/ポップ・ミュージックのサウンドを後世に伝えたいだけ、のように映る。そこにはありがちな私利私欲も自己顕示欲も一切ないのだから、まさに奇跡のような話だ。


 たとえばジョージ・ハリスンの『クラウド・ナイン』は全編、まるで〈ビートルズあるある〉を片っ端から実現させたようなリンのプロデュースが、世界中の潜在的ビートルズ・ファンをくすぐった。


たとえば〈夢のスーパー・ルーツ・ミュージック・グループ〉トラヴェリング・ウィルベリーズは、ジョージとボブ・ディランとトム・ペティとロイ・オービソンとデル・シャノンの音楽が元々好きなリンが制作の実務を担ったからこそ、アルバムを2枚も世の中に送り出すことができた。


 そんな極めて人畜無害な〈デキるオタク〉だからこそ90年代前期、ジョン・レノンが生前カセットテープに遺したデモ音源に他の3人ビートルズが新たな演奏とヴァースを加えて〈ビートルズ四半世紀ぶりの新曲〉を完成させるという、世紀の《ビートルズ・アンソロジー・プロジェクト》の現場監督を任されたジェフ・リンなのだ。


 結局このプロジェクトは「フリー・アズ・ア・バード」と「リアル・ラヴ」の2曲を、新たにビートルズのレパートリーに加えた。にしてもプロトゥールスもない時代にレノンのカセット音源のぐだぐだピッチを揃えるなど、リンの几帳面な性格による圧倒的な献身なしでは陽の目を見なかっただろう。それは誰もが認めている。


 まあELOが過去にあれだけ売れ、しかも音楽以外に趣味がないばかりか金の懸かる道楽とは一切無縁なのだから、死ぬまで金には困るまい。それでも彼の〈世界一の無垢さ〉は、煩悩の河を死ぬまで泳ぎ続ける運命の我々からすればやはり、信じ難い。


 前述のドキュメンタリーによればリンは故郷バーミンガムで、まだ暗い朝7時半から煙草で煙たい不健康なバスに揺られて通う工場で8時間労働の毎日。だからこそ音楽にすがるしかないのは、ロック者の定番コースだ。


 しかしながらリンの述懐を聴いてると、正体不明の違和感を覚える。


「子供の頃、父親からクラシックのウンチクを日常的に聞かされてた。曲の構成から楽器の編成からね。でも不思議だったよ、彼はそんな男じゃないんだ。バーミンガムの道路工事をしてた人で――舗道の整備をするような奴がそんな博識だとは思わないだろ? だが本当は賢かった。ラジオから流れる曲に合わせてハモれたしさ、ピアノも指1本で弾いてたよ。そんな親父の影響は受けていると思う」


「この仕事に就けて何が嬉しかったかって、母親を黙らせたことだね。階段をドタドタ上がってくるなり、『起きて!』と怒鳴るんだよ――まだ朝の8時前にだぜ? でもある朝言ったんさ、『母さん待って、僕もう起きないよ、プロのミュージシャンだから』。その言葉を聞いた瞬間のお袋ったら(嬉愉笑)」


 サザエさんちかジェフ・リン一家は。両親を大切に想う厨二って、無敵な気がする。


 そりゃポップ・ミュージックの無限の可能性を一貫して信じ、常に完璧を期して昔気質の音の再現に励み続けられるだろう。純情無垢はクリエイティヴだ。


 ポール・マッカートニーは、リンをこう評している。


「とても謙虚で、ある意味純粋。おまけに極めて熟練しているのがジェフだ」


 リンはリンで、「フリー・アズ・ア・バード」が完成した瞬間をこう述懐する。


「完成したときは忘れもしない、ポールが僕を抱きしめて『よくやった』と褒めてくれてね。嬉しかったぁ……そんなとこかな(遠目笑)」


 ただしマッカートニーは、こうも述べていた。例の《ビートルズ・アンソロジー・プロジェクト》における「新曲」候補は、実は3曲あったらしい。


「『フリー・アズ・ア・バード』と『リアル・ラヴ』は完成させたよね? さらにもう1曲、いじってみたけどジョージが反対した曲があった。『ゴミだ』とか言っちゃってさ(呆笑)。僕らがいくら『これぞジョンだ』と説得しても譲らないんで、こっちが折れた。あはは。その音源がまだどこかにあるはずだよ。ま、いずれこっそりジェフと仕上げてやるさ(悪人笑)」


 ジェフ・リンには申し訳ないが、マッカートニーはきみを便利屋程度にしか思ってないぞ。事実、彼の97年発表の名盤『フレミング・パイ』の半分をプロデュースさせてもらったものの、結局求められていたのは〈ビートルズ職人〉としての腕だけだった。それ以上は「さしでがましい」とばかり無言の圧力に完封されたのか、リンのプロデュース作品にしては珍しく彼の色がほとんど出ていないのが可笑しい。


 わははは。ポール・マッカートニー、さすがの貫禄である。というかXTCのアンディ・パートリッジもそうなのだが、こうしたアクの強さというか性格の悪さというか屈折した性根もまた、リンの私心の無さ同様、優秀なポップ・ミュージックを生む重要なファクターだったりするから、まったくもってストレンジな話だ。


 ポップ道とはいまなお険し――。


 偶然とは恐ろしいもので、ジェフ・リンズELO14年ぶりの新作『アローン・イン・ザ・ユニヴァース』が来月リリースされる。


 先行プロモ配信中の新曲「When I Was A Boy」からは、例のUFOが全く似合わないほど素朴なポップ・ミュージックが、現代の機材に頼らぬ昔気質のサウンドで聴こえてくる。しかも唄われる言葉は、〈When I was a boy,I had a dream〉で〈And radio waves keep company〉ときたもんだ。


 ジェフ・リンはこんなにも純情なままで、大丈夫なのだろうか。ま、だからこそずーっと目が離せないのだけれども。(市川哲史)