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結成から33年ーー筋肉少女帯・大槻ケンヂが語る“異能のヴォーカル”の矜持と、バンドの現在地

2015年10月08日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

筋肉少女帯・大槻ケンヂ

 結成から33年、インディーデビューから31年、メジャーデビューから25年、活動凍結から17年、再始動から9年ーー今の筋肉少女帯は、とても楽しそうに見える。インディーズ・ブームもバンドブームもバンドバブル崩壊もその後の時代も、もう大変に紆余曲折ありつつ活動を続けてきた、休んだりもした、そして復活もした、バンドに限らず作家やマンガ家やアイドルや芸人などなど後続のありとあらゆる表現者たちに影響を与えまくってきたこの偉大なる超ベテランバンドに対して「楽しそう」ってなんじゃそりゃ。と言われそうだが、しかし。活動休止や解散の後に再結成や再始動したバンドが、「今は大人だから」「それぞれバンドに対して客観的になれたから」と、かつてよりもはるかに健全にバンドを運営している例は、筋少以外にもいくつもある。が、その健全さがバンドそのものの音楽性や演奏そのものにダイレクトに跳ね返っていて、アルバムごとに新しい世界を見せてくれる筋少のような例、実は少ないのではないだろうか。「我々のよく知っている筋少」「我々が全然知らなかった筋少」「我々は知ってるつもりだったけど実は知らなかった筋少」の3つが絶妙に交じり合った、バラエティ色豊かで1曲1曲がやたら際立っているニューアルバム『おまけのいちにち(闘いの日々)』を聴けば、今のその筋少の充実ぶりが伝わると思う。以下、大槻ケンヂに、今の筋少、今のオーケンについて訊いた。(兵庫慎司)


・「僕がやっていることは、詞を書くことと、曲を書くことと、タイトルとジャケットと曲順を決めること」


ーー筋肉少女帯、再始動されてから9年でしたっけ?


大槻ケンヂ(以下、大槻):それくらいかな。なんか来年で、今のメンバーになってからの活動の長さが再始動以前を超えるんじゃないかなあ? 数えてないけど(笑)。


ーー復活以降、とてもスムーズに活動が続いているように見えるんですけども。休止以前とはバンドの運営のしかたは違いますか?


大槻:あ、違いますね。やっぱりもう大人なので、各自が役割分担をわかっているので。そういう部分では、とてもシンプルにアルバムを作れていますね。僕はレコーディングは、ほぼ行かないです。歌入れしか行かないです。


ーーそれ、最近よくおっしゃってますけども。再始動以降はそうしようと決めたと?


大槻:いや、最初はちょっと行ったりしてたんだけども……みんなしっかりしてるから、まあ俺はいいか、って(笑)。その間、俺は詞を書いていようと。トラックダウンも行ってないし、それが終わってーー僕の場合はまだCD-Rなんだけどーー送られてきて。それを聴いて、「あの歌のここ、もっとこうしたほうがいいじゃないですか?」とかメールを送ると「了解です」って返事がきて。それで、「直しました。今夜中にこのミックスを聴いてください」ってデータが送られてくるんだけど、僕、ガラケーなのでどうしようもなくて(笑)、結局聴かないまま、「信頼しております」みたいな感じで。で、忘れた頃にマスタリングされたアルバムが届いて、初めて完成版を聴く、バッチリ!みたいな感じですかね。僕がやっていることは、詞を書くことと、曲を書くことと、タイトルとジャケットと曲順を決める、これだけです。あとはメンバーを信頼して……それほど音楽の得意でない人間は、タッチしないようにしています。


ーーそれは、過去のいろんな経験や失敗を経た上で?


大槻:うん。若い頃はスタジオに行ってああだこうだ言ってたけど、大人になると……誰かが「こうした方がいい」って言って「ええっ、そうかなあ?」と思っても、「うん、まあいいんじゃない?」って思うようになりますね。今、筋少のサウンドリーダーは橘高(文彦/g)くんだと思うんだけど、彼が本当に不眠不休でいろいろやってくれるんですよ。彼は4~5年前にお酒をやめてから、ハタから見るとちょっと心配になるくらいのワーカホリックになっていて。「俺はゼロか100かなんだ」って言って……あんだけの酒飲みが一滴も飲まなくなるっていうのはスゴい。……あんなに速弾きのできる人は常人じゃないんだな、やっぱり天才っていうのは違うんだな、と、彼の断酒で思いましたね。


・「僕は音楽がわからない、ということがわかったんです」


大槻:あと、僕は音楽がわからない、ということがわかったんですよ、40代になって、まさに筋少が復活したぐらいから。一応自分はミュージシャンだ、ってなことを言ってたんだけど……特に最近、ギターの弾き語りをするようになって、コードくらいはわかるようになったら、「あ、音楽って自分が思ってたものと違う」って気づいちゃったのね。つまり、中2みたいなことを言うと、自分はエモーションで曲を作ってたわけです。自分の怒りや悲しみやせつなさを詞やメロディにしていた、ロックっていうのはそういうものだと思っていたんです。ところがギターを始めたら、どんなに思いをこめても、それはコードで言うとEmだったりするんですよね。Em以上の何ものでもない。これはねえ、人生的なショックでしたよね。


 ちょっとギターを習いに行ったんです。しかも、「簡単な弾き語りができるようになりたいんです」って言ったら、「わかりました」って、いきなり“フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン”のボサノバ・バージョンを教えてくれた、「そこから!?」って話しなんですけど(笑)。理論派の先生で、まずコード理論の解説から始まったんですよ。そしたらもうとにかく数式の話なので、「先生、音楽って数学みたいですね」って言ったら、「音楽は数学以外の何ものでもありません。まずそこからです。全部理論でできていて、そこにどうエモーションを感じるかです」っておっしゃって。それで「ガーン!」ってなって。でも、どうもそれ以来、メンバーとかの会話をきくようになったら、「この曲のここで9thが入って」って、みんな理論で会話してたのね。「……そうだったのか」っていうね。


・「自分は才能は持っていない、しかし、異能の多大な持ち主だと思ってるんです」


大槻:たぶん、自分は才能は持っていないと思うんです。しかし、他人と異なる能力……それは才能とは言わないけど、異能、その多大な持ち主だと自分でわかってるんです。その異能を使って曲を書いたり詞を書いたり小説を書いたりしてるんだけども、異能のあるヴォーカルを、才能のあるミュージシャンはほしいんですよ。異能っていうのは人を呼ぶから。「あいつ、なんだかわかんないけど変なことを言う」とか「あいつの発想はデタラメだけどおもしろい」っていう人のところには、人が寄ってくる。アレです、「フール・オン・ザ・ヒル」みたいなもんですかねぇ。でも、才能と異能は別だから、才能はあるけど人を呼ぶ異能を持ってない場合もある。そういう人からすると、才能はないけど異能を持っている人を、ヴォーカルとしてほしいんですよ。とにかく人を呼んできてくれて、盛り上げてくれて、音楽的なことはわかっちゃいない。こんなに使い勝手のいい奴はいないですよ(笑)。


 で、才能だけあるヴォーカルってつまんないし、異能も才能もあるヴォーカルっていうのは、メンバーからしてみるとやっかいだと思うなあ。やっぱりワンマンバンドになっちゃうんじゃないかな。それはもう……名前は出さないけど、見ててわかるもん。その悲しみすらわかる、「ああ、この人は異能も才能もあるがゆえに着地点が見出だせないんだなあ」とかね。あと異能しかない奴とか、見ていて「おお、仲間よ!」って思うし(笑)。才能しかない人は、あまり大成しないかな。


・「やっぱりステージに立ってる時がね、いちばん生きてる充実感があるんです」


ーーニューアルバム『おまけのいちにち(闘いの日々)』を作るにあたって、事前のコンセプトや、「こんなアルバムにしたい」というビジョンはありました?


大槻:前作の『THE SHOW MUST GO ON』というアルバムは……再結成以降の筋肉少女帯というのは、「ゴージャス・エンタテインメント・ハードロック」っていう感じがあったと思うんですね。で、『THE SHOW MUST GO ON』は、それをつきつめられるところまでつきつめたアルバムで、僕はぶっちゃけ、ちょっともはや「アメリカンだよなぁ。昔で言う産業ロックの香りすらするな」と思ったんです。それでもいいんだけど、でも逆に、今回はちょっとアングラでナゴムな感じを出そうと思って、選曲会議の時……橘高くんがテキパキ進めるんですよ。「これだけ曲が集まったんだけど、大槻、どの曲にする?」って、それは僕の分担だから。で、「あ、この曲は歌詞が浮かぶ」とか言って、どんどん選んでいったんですけど。今回、内田(雄一郎/b)くんの曲が3曲あるんです。これは、最近めずらしいことで。内田くんの曲は独創性が強くて、「ゴージャス・エンタテインメント・ハードロック」では決してないんですよ。逆に今回は内田くんの曲を3曲入れて、これまでの再結成以降と違う方向に行こう、というのが僕の中にあって、そういう選曲にしたんです。


ーーあの、再始動された時に大槻さん、その動機として「ファンの青春を終わらせてはいけないから」とおっしゃっていたんですね。今はその活動の動機って、どのようなものになっていますか?


大槻:今の僕の活動の動機は、ライブにおけるリア充感ですね。本当にそう。ライブにおけるリアルな「生きている」という充実感、それがほしいんです。プロレスラーの藤原喜明さんも大仁田厚さんも、同様のことを言ってましたね。「なんでこの歳になってプロレスやってるか? やっぱり『生きてる』って感じがするじゃない!」って大仁田さんも週刊プロレスで言ってましたけども、まったくそうなんですよ。僕、ほかにも弾き語りやったり、特撮ってバンドをやったり、『のほほん学校』ってイベントをやったりもしてるんですけど、緊張しつつ人前に出て……お客さんが入る日入らない日、ウケる日ウケない日ありながら、やっぱりステージに立ってる時がね、いちばん自分が生きてる充実感があるんです。というか、それ以外の時、あんまり生きてる感じがないんですよね。


 で、筋肉少女帯というバンドは……バンドというのは魔法が使えるもので、筋肉少女帯でないと得られない……もちろん特撮でもお客さんは盛り上がるんですけど、筋肉少女帯特有の場の盛り上がりっていうのがあるんですよ、やっぱり。それはねえ、どうやっても筋肉少女帯でしか出せないということが、もう長いことやってきて、わかってるので。特撮には特撮にしか出せない盛り上がりもある。その筋肉少女帯の魔法が使われている状態のステージのリア充感を得られるならば……どんなことでも、人が集まってやいのやいの言いながら作業してひとつのものを作れば、そこには当然葛藤があり、人付き合いがあり、めんどくさいことは山ほどありますけれども、それを超えてでも、筋肉少女帯におけるライブの高揚感という魔法がほしいんですよ。僕の場合はね。メンバーはまた違うと思うけれど。


・「今年の『WORLD HAPINESS』でいちばん盛り上がったのは筋肉少女帯の“ライディーン”(笑)」


大槻:この夏、高橋幸宏さんが中心となるフェス『WORLD HAPINESS』に出たんですけど……ほかは、カジ(ヒデキ)くんとかスチャダラパー、野宮真貴さん、っていう渋谷系なラインナップで、そこになぜか筋肉少女帯が呼ばれて。かつて僕は、内田雄一郎くんとケラさんと3人で、YMOの“ライディーン”に勝手に詞を載せて、あまつさえそれをレコード化する、という信じられないことをしていて(笑)。若気の至りにも程がある。


ーー空手バカボンですね。


大槻:はい。で、「幸宏さんのイベントに呼ばれたっていうことは、その曲をやれっていうフリかな?」と思って(笑)。「いや、ステージで幸宏さんにぶん殴られたらどうしよう? でも、幸宏さんにステージでぶん殴られるってそれ最高においしいな(笑)」とかいろいろ葛藤があったんですけど、リハーサルの音源をフェスの事務局と幸宏さんの事務所に送って、許可をいただいて、それでライブでやったんですよ。そしたら異様な盛り上がりで。ぶっちゃけ言ってしまいますけど、僕、あの日いちばん盛り上がったと思う(笑)、筋肉少女帯の“ライディーン”が。ほんとにお客さんが楽しんでくれて。終わったら幸宏さんが目の前にいて、「はっ!」と思って頭を下げて両手を出して、握手をして……幸宏さん、さすがに苦笑いでしたけど(笑)、楽しんでくださったみたいで。


 メンバーに「“ライディーン”どうかな?」って言ったら、「おもしろいじゃない!」ってみんなのってくれてね。「じゃあもうバリバリのヘヴィメタルでやろう」って……サポートの長谷川(浩二/ds)さんもツーバスでドコドコ踏んで、橘高くんも弾きまくって、サポートのエディ(三柴理/key)は手弾きであのリフを弾いて、「それ、テクノじゃないだろう」っていう(笑)。でもそれが、とてつもなくうまいヘヴィメタル版“ライディーン”になってね、「なるほどなあ」と。こういう卓越した天才的演奏力と、僕の考える“ライディーン”に詞を付けて歌うみたいな、ちょっとどうかしてる異能の発想が合致した時に、そこに魔法が生まれてお客さんが盛り上がる、筋肉少女帯ってそういうことなんだろうなあ、と。『WORLD HAPINESS』の“ライディーン”で、筋肉少女帯というバンドが、改めて見えた気がしますね。まさか“ライディーン”でそれが見えるとは思いませんでしたけれども(笑)。


ーー昔、大槻さんが“とん平のヘイ・ユウ・ブルース”(左とん平)をやろうと提案したら、橘高さんが「俺はできない!」と拒否して、最終的に数年後に大槻さんのソロに入った、ということがありましたよね。「大槻のソロならギター弾いてもいいよ」っていう。


大槻:(笑)うんうん、ありましたね。


ーーでも今なら橘高さんも「いいんじゃない?」っておもしろがるんじゃないかなと思って、今のお話をきいていて。


大槻:ああ、それで言うとね、この『おまけのいちにち(戦いの日々)』っていうアルバムで重要だなと思うのは……「大都会のテーマ」もそうだし、「夕焼け原風景」もそうだけど、ちょっとブルージーな曲なんですよ。昔「ヘイ・ユー・ブルース」を絶対弾かないと言った橘高くんが、このブルージーなギターを弾いたというのがね、筋少の歴史において画期的なことじゃないかな、と今回僕は思ってるんです。彼なりの着地点があるんでしょうけどね。ブルージーだけどブルースではない、これはちゃんとニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタルの流れに沿ってやってるんだ、っていうのがあるんでしょう、彼の中の落とし所として。


ーーだから、昔はきっと大槻さんも橘高さんも「俺のバンドだ」と思っていたのが、今は「俺のバンドだけど俺のバンドじゃない」と思っているんじゃないかなあと。


大槻:ああ、若かったからね。おいちゃん(本城聡章/g)も内田君もね。確かに昔は、「俺のバンドだ」っていう大槻ケンヂと、「大槻のバンドじゃない」っていうメンバーとの軋轢があったかもしれませんね。まあ、若い時ってそういうもんでしょう、誰もが。今はメンバーそれぞれバンドを持っていたりするので、そこはなんか……日本人的なよさが出てきたというか、お互いに譲りあう心が出てきましたね。


 おいちゃん(本城聡章/g)も……このアルバムの 「LIVE HOUSE」って曲なんて、彼が10代の時に作った曲で。こんなストレートでピュアな曲、50歳では作れないですよ。当時彼は確かエッグレイヤーっていうバンドをやっていて、彼がヴォーカルで歌ってたんじゃないかな?……「ギターケースに今夜は君を詰め込んで Oh Baby Oh Baby」って歌詞の曲で、当時から僕ら、茶化してたの。「いくらなんでもベタだろう」「楽器ケースに女を入れるって、それは横溝正史の『蝶々殺人事件』ですか」って(笑)。


 でも、あれ、ケラさんが50歳になった時かな、初期有頂天が新宿ロフトでライブやって、おいちゃんがギター弾いてこの曲を歌ってて。それを聴いて「いい曲だなあ!」って心の底から思ってね。そのピュアさとかを感じてね。で、今回おいちゃんに「あの曲やろうよ、俺らが50になった今だからこそ、これをやるのが生きるんだよ!」って言ったら、「ええっ? 本当に?」って。


・「僕の生まれ育った幼少期の東京って異常だった」


ーーちなみに「大都会のテーマ」と「私だけの十字架」をカバーしたのは?


大槻:これは懐古趣味じゃないんです。昭和40年代、50年代っていう……“S5040”ですね。僕の生まれ育った幼少期の東京の風景っていうのを、昭和回顧をする番組なんかで観ることが多くて。で、いろいろ資料とかを見ているうちに、どうもあの世界は異常だった、どう考えてもおかしいだろうと思うようになって。で、そこから地続きに今があるんだけれども、どうも我々は単に歳をとったというよりも、“S5040”という別の次元から来て今ここにいるんだ、という意識が必要なんじゃないかと。


 我々もまだアラフィフとはいえ、まあ、もうそんなに若くはない、っていう時に、そこでネガティヴな気持ちになるよりも、自分の生まれ育ったあの奇妙な世界からタイムトリップして今ここにいる別世界の人間なんだ、空間移動してきたんだ、というふうに思えば……別に歳をとることなんてなんでもない、と思って。でもそれは、過去現在未来という時系列があっての空間移動なんだ……という、よくわからないSF小説的な、自分なりの発想がありまして。そういうふうにしようかなと思って、あの曲を入れたんですけども。


ーー昭和40年代・50年代は異常だったというのは、どんなところでそう思われるわけですか?


大槻:まずビジュアル。僕は東京の中野だから、西武新宿線が近くて、新宿で電車を下りるとすぐ歌舞伎町だったんですけど。もう電車を下りた瞬間に駅のホームから見えるのが、旧新宿東急の裏の洋ピン映画館の『セックス魔』なんていうでかい看板で。で、街へ出るとまだヒッピーが全然いて、で……言葉を選んでホームレスなんて言えないです、乞食がいっぱいいて。酔っぱらいがいて、ヤクザが肩で風切って、シメサバみたいなスーツで歩いてて(笑)。
もう街中、ポルノ映画とオカルト映画とパニック映画のポスターだらけなんですよ。サメが人を食ってて血まみれのポスターとか、女の人がモロパイ出して『犯す! 犯して! 犯されて! 』っていう3本立てのポスターとか。あと、高田馬場のスズヤって質屋の屋上で、貴ノ花とマリリン・モンローの像が向かい合って「見合って見合って」の形でくるくる回ってたんですよ(笑)。もう頭がおかしいんですよ。子供心に「大人、おかしい!」って思ってたんです。でもそれがどんどんマイルドになって、今は新宿コマ劇場もなくなって、もう映画の看板もないですからね。新宿はそういう街だったし、それが僕の東京だったんです。原風景です。


 で、学校が終わって家に帰ってテレビをつけると、『大都会』の再放送をやってるんです。『大都会 戦いの日々』っていうシリーズのパート1で、渡哲也主演で、そのテーマ曲がこのアルバムに入ってる「大都会のテーマ」なんだけど、非常に暗あい、後味の悪いドラマなんですね。それが始まる前に、『特捜最前線』っていう刑事ドラマの再放送があって、最後に「私だけの十字架」っていう、誰もが自殺したくなる暗あい曲が流れて(笑)。その2本を観終わると日が暮れてくるんですよ。それが俺の中学時代だったんです。帰宅部だったし。あの感覚……異次元、魔都・東京、僕の育った“S5040”、そして過去・現在・未来っていうものをテーマにするんだったらば、「大都会のテーマ」のカバーを入れたいなと思って。「私だけの十字架」は……「私だけの十字架」と、「恋人よ逃げよう、世界は壊れたオモチャだから」っていう、昔僕が山瀬まみさんに書いた曲のどっちをカバーする?ってメンバーにメールしたら、みんなが「私だけの十字架」をやりたい、って言いました。


・「再結成以降の筋肉少女帯は、『西部警察』だったと思うのね」


大槻:筋少はかつてはアングラ・パンクだったけれども、再結成して「ゴージャス・エンタテインメント・ハードロック」路線になって、それで人気を得た。だけれども、さっき言ったように、アングラ・ナゴム・パンクだった頃の筋少の雰囲気も出したいなと思って、内田くんの曲を3曲選んだんですけども……こじつけるわけじゃないんですけれども、再結成以降の筋肉少女帯は、『西部警察』だったと思うのね。赤と黒のすごいスカイラインに乗って、最後に渡哲也がライフルをバーンと撃って終わるという。「ゴージャスエンタテインメントハードアクション」ですよ。


 で、『西部警察』の前に『大都会2』っていうのがあって、それはもうちょっとマイルドな、「アクションハードサスペンス」だったんですよ。松田優作が出てて。で、その前の『大都会』っていうのが、本当にアンダーグラウンド・パンクだったんです。観るとほんとにみんなイヤな気持ちになるような。「大人、おかしいよ」と思ったんだけど、すごい不思議な魅力があって。だから、再結成以降『西部警察』路線になった筋肉少女帯が、『大都会 戦いの日々』の頃にちょっと戻ったような感じかなあ。


ーーこのアルバムの『おまけのいちにち(闘いの日々)』というタイトル、少し前に出たエッセイ集『おまけのいちにち(その連続)』とつながっていますよね。


大槻:ええ。その、若さみなぎる時代を過ぎると、人生ってもしかしたらおまけの一日、その連続かもしれないと思うことがあるんですけれども。でも、そのおまけの一日が意外にハードだ、闘いの日々だっていう意味合いで、付けましたね。


ーーあのエッセイ集、「これが最後のエッセイ集」と銘打っておられましたよね。で、このアルバムのジャケットはーー。


大槻:はい、かつて僕が書いた『新興宗教オモイデ教』という小説の表紙絵なんですけど。こういうふうに、自分の小説や音楽をミクスチャーさせることが多いんですね。これはね、僕が永井豪先生のファンであることと、角川映画世代だったからだと思うんですね。まずその、自分の書いた本と自分のバンドが出すアルバムのタイトルが一部同じっていうのは、80年代の角川映画がやったメディアミックスです。それと、永井豪先生は、たとえば『バイオレンス・ジャック』のキャラが『デビルマン』に出てきたりとか、その逆があったりとか、自分の中のキャラクターや世界観をクロスオーバーさせるんですよね。手塚治虫先生のランプってキャラがどのマンガにも出てくる、あそこから来てるんだと思うんですけど。僕もそのオールスター・キャスト制が好きで、わざと試みてるんですよね。


 ちなみに『おまけのいちにち』っていうのは……僕は映画少年だったんで、ぴあのフィルム・フェスティバルとかも観に行っていて、すっかり忘れてたんだけど、その中に『おまけのいちにち』っていう映画があったんだよね。しかもそれを撮ったのが、僕と多少面識のある人……加藤賢崇さんと東京タワーズをやっていた岸野雄一さんが撮った映画です。僕はそれを観てるかもしれないんだけど、さすがに昔のことなので記憶がなくて。だから、もしかしたら無意識のうちに『おまけのいちにち』という言葉を拝借してしまったかもしれないんですね。


・「『これはきつかった!』っていうもののナンバーワンが小説なんですよ」


ーーエッセイはこれで最後と宣言されて、小説もしばらく書いておられないですよね。作詞以外のものを書くということに関しては、ちょっと一段落させたい感じなんですね。


大槻:まあ、ひとつだけまだ『散歩の達人』で月イチで連載があるんですけどね。ただまあ、先日芥川賞をいただいたので、もういいかなと思ったんですけどね(笑)。


ーーはははは。


大槻:あ、それは又吉さんだ(笑)。えーと、そうですね、僕、いろんなお仕事をしてきたんですけど、ほんとに「これはきつかった!」っていうもののナンバーワンが小説なんですよ。具体的に言うと、小説を書くのをやめたら、偏頭痛と胃痛と腰痛と不眠症が治ったんです。そのぐらいほんとに……あれは大変だったなあ。辻村深月さんなんて、ガンガン書いていくじゃないですか? 「すごいなあ、どんな努力と能力だ!?」と、リスペクトしてますけど。筋肉少女帯を再結成した年に、僕、小説を書くのをほぼ一度やめたんですよ。そしたらマラソンと一緒でね、もう一回走りだす最初の一歩が出ない……出ない……出ないなあ。いつか、おもしろいものを書いてみたい気持ちはあるんですけどね。そういう気持ちはちょっと残ってるんだけど。


ーーわかりました。ありがとうございました。


大槻:はい……あ、そうそう、ちょっと待ってください。最近いつも言うんですけど……とにかく僕は自己心理分析的なところがあって、取材でむしろアルバムのプロモーションにならないことを言うクセがあって、それを筋肉少女帯のメンバーにずっと怒られてきたんですよ。だから本当にもうそれをやめようと思って。あのー、今回のアルバムは、最強です!


ーー(笑)。とってつけましたねえ。


大槻:違う、これだけは言わせてください。今回のアルバムは、本当に最っ強です!! 「おまけのいちにち(闘いの日々)」最強!!(取材・文=兵庫慎司/写真=下屋敷和文)