トップへ

『スマスマ』はなぜ20年も愛され続ける? 太田省一がSMAP流エンタメの特性を読み解く

2015年10月06日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)タナカケンイチ

 20年目に入った『SMAP×SMAP』(『スマスマ』)が始まったのが1996年4月15日のこと。同じフジテレビで奇しくも同じ日に木村拓哉主演のドラマ『ロングバケーション』(『ロンバケ』)が「月9」枠で始まったことは、おそらく知る人ぞ知る話だろう。


 この1996年には、『ウッチャンナンチャンのウリナリ』(日本テレビ系)(『ウリナリ』)や『めちゃ²イケてるッ!-What A COOL we are!-』(フジテレビ系)(『めちゃイケ』)といったバラエティ番組も始まっている。ともに当初はコントのパートも多かったが、『ウリナリ』は「社交ダンス部」、『めちゃイケ』は「オファーシリーズ」が人気企画になるとともに、ドキュメンタリー的な要素を強めていった。この二番組に限らず、1990年代は、『進め!電波少年』(日本テレビ系)などバラエティのドキュメンタリー的演出が主流になり始めた時期でもあった。


 それに対し、『スマスマ』の基本は、開始当初からずっと変わっていない。「BISTRO SMAP」と歌のコーナー、それに各メンバーがさまざまなキャラクターに扮するコント、という構成だ。つまり、トークに音楽、そして作りこまれた笑いである。


 こうした多彩なエンターテインメントが次々と展開されていく構成は、まだテレビの草創期に出来上がった伝統的なバラエティのスタイルだ。そのスタイルは、1960年代初頭の『夢であいましょう』(NHK)や『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系)などによって定着した。それから50年余りが経つわけだが、『スマスマ』は、そんなバラエティの王道スタイルを継承する今やほとんど唯一の番組と言ってもいい。コントなど笑いの部分だけでなく、歌のコーナーでの音楽番組に劣らないくらいに力の入ったセットや演出、そしてパフォーマンスをとってみても、そのことはよくわかるだろう。


 『シャボン玉ホリデー』のメインは、ハナ肇とクレージーキャッツであった。メンバーの植木等や谷啓が「お呼びでない?」「ガチョーン」などのギャグを流行らせ、一世を風靡したことでも有名だ。そしてジャニーズ事務所は、SMAPをバラエティに本格進出させるにあたって、このクレージーキャッツをモデルに考えていたとされる(佐藤義和「私のテレビ史31」https://www.facebook.com/photo.php?fbid=656123384430533)。ともに音楽の世界から笑いの分野に進出するという共通点が、ジャニーズのそうした構想を生んだのかもしれない。


 だが『スマスマ』には、忘れてはならないもう一つの側面がある。SMAPがアイドルだということである。クレージーキャッツは、すぐれたミュージシャン、才能あふれるタレントの集まりだったが、今で言うアイドルではなかった。


 アイドルとは何か? ここで私が思い浮かべるのは、かつて『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK)で「プロフェッショナルとは」と問われた際に中居正広が答えた「一流の素人」という言葉である。それを“常に発展途上にある未完の存在”と解釈することもできるだろう。そして『スマスマ』は、バラエティの王道を行く番組であるだけでなく、番組開始当初から今まで、SMAPという未完のストーリーが私たちの眼前で繰り広げられる場所でもあった。


 そのストーリーの始まりは、冒頭にも書いた『スマスマ』と『ロンバケ』の同日スタートである。木村拓哉はその時すでに注目を集める存在ではあったが、連ドラ初主演となったこの『ロンバケ』の成功によってその人気は不動のものになった。この二つの番組が同時進行していくさまは、個々のメンバーそれぞれの活躍がグループにも相乗効果をもたらすという、SMAPの現在のあり方を予告するような出来事だった。


 ところが番組開始わずか1カ月、大きな衝撃がSMAPを襲う。メンバーのひとり森且行が、かねての念願であったオートレースの選手になるためにグループを脱退、芸能界からも引退したのである。森の『スマスマ』最後の出演は、1996年5月27日。その日の歌のコーナーは、森選曲によるSMAPメドレーであった。


 その後のSMAPの道のりも、決して平坦ではなかった。2001年には稲垣吾郎が、2009年には草なぎ剛がそれぞれ事件を起こして芸能活動をかなりの期間自粛するに至った。だがその際にも、復帰して自らの口から謝罪の弁を最初に述べたのは、『スマスマ』という場所だった。


 また、SMAPが社会に向けて何かを発信する場も『スマスマ』である。東日本大震災発生直後の2011年3月21日の緊急生放送では、まだ震災の深いショックがさめやらぬなか、視聴者から寄せられたメッセージとともに考え悩み、そして歌うSMAPの姿があった。


 そして2013年4月8日には、グループ結成25周年を受けて、SMAP5人で一泊旅行に出かけるという「SMAPはじめての5人旅スペシャル!!」が放送された。大阪の旅を満喫した5人が宿泊先の旅館でカラオケを楽しむ場面では、『BEST FRIEND』(1992)がかかった時、中居正広が思わず号泣する場面があった。それを見て、この曲の発売当時のSMAPがまだ軌道に乗れず苦しんでいたこと、そして『スマスマ』では森且行の最後の出演回や稲垣吾郎の復帰回でこの歌が歌われたことなどを思い出したファンも多かっただろう。


 こう振り返ってみると、『スマスマ』には、バラエティの演出とはまた違ったリアルなドキュメンタリー性がある。すべては今も進行中であり、物語は完結しない。高揚感、寂しさ、心配、そして希望とさまざまな思いを抱きながら、私たちはその未完のストーリーを見守り続ける。王道が醸し出す安心感と未完のストーリーだけが持つスリリングさ。この一見相反するような二つの面が共存するところに『スマスマ』ならではの魅力があるのだろう。


 番組が20年目に入った今年、「シャッフルBISTRO」が始まった。メンバーのひとりがゲストになり、オーナー役も毎回変わるという企画だ。これまでゲスト草なぎ剛にオーナー中居正広、ゲスト香取慎吾にオーナー草なぎ剛という組み合わせがあった。そのやり取りに、仕事のことはもちろん、他のメンバーも知らない私生活や人生観、メンバー間の関係性が垣間見える。そうして、『スマスマ』の王道的部分を象徴する「BISTRO SMAP」のなかで、SMAPという未完のストーリーがそれぞれのメンバーの視点から改めて掘り下げられ、別の光を当てられる。今私たちは、いったん原点に戻ったSMAPが、また新たなストーリーを紡ぎ出そうとする瞬間に立ち会っているのかもしれない。(太田省一)