トップへ

失われつつある「邦題ワールド」の愉悦 市川哲史が洋楽全盛期の名作・珍作を振り返る

2015年10月01日 18:21  リアルサウンド

リアルサウンド

市川哲史『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)

 12年も前にどこかに書いた原稿が、ファイルの片隅から見つかった。懐かしいので全文掲載してみる。


 日本人にしか味わえない洋楽の愉しみ方、それが〈邦題〉である。80年代後半頃からすっかり衰退し、今や原題のカタカナ表記に落ち着いてしまった観があるが、担当ディレクター氏の感性が問われる「一番大切な仕事」だったのだ。


とにかく原題の直訳モノの方が却って珍しく、バンド名やジャケの絵柄からの安直な発想もあれば、やたら文学的な妄想物もあり、更には全く自由奔放な売れ線狙いなど、下手すりゃ中身を聴かなくても邦題だけで充分堪能できた。


 キッスの『地獄の~』やディープ・パープルの『紫の~』、スコーピオンズの『~の蠍団』といったシリーズ作品は多かったな。また『原子心母』や『さかしま』や『こわれもの』といったヨーロッパ映画タイプは、評判良かったはずだ。


個人的に抱腹絶倒だったのは、エアロスミスの2ndアルバム『GET YOUR WINGS』――だって『飛べ!エアロスミス』だよ? 飛べないよスティーヴン・タイラーは。ダムドの『地獄に堕ちた野郎ども』も、よくわかんないけど不死身っぽいし。


 ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』の邦題をいちいちチェックしていたのは有名な話だが、洋楽アーティストからもクレームが殺到したため、せっかくの日本独自の邦題文化も消滅してしまったようだ。レディオヘッドのアルバムなら『脳に毒電波がやってきたヤァ!ヤァ!ヤァ!』とか、ブリトニー・スピアーズなら『腿と乳の谷間で』とか、怒られるの覚悟でもう一度やってみませんか皆の衆。


 たぶん『オリコン』用だろう、〈愛すべき邦題ワールド〉初心者に向けて書いたと思われる。担当者の妄想全開の超訳日本語タイトルは、現題から遠ければ遠いほどその妄想力に惹かれるから不思議だった。その反面、『THE RIZE AND FALL OF ZIGGY STARDUST AND THE SPIDERS FROM MARS』――架空のロックバンド〈ジギー・スターダスト&ザ・スパイダース・フロム・マーズ〉の伝説、のはずが脇目も振らず直訳してしまった『屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群』の、肩肘張った文学性もまた妙に恰好よかったりするからやめられない。


 そんな素敵な邦題たちも21世紀を迎えるあたりから一切に姿を消し、どんなに長くなろうが原題のカタカナ表記に新作は統一され、それどころか旧作まで改題されていった。当時、時代はワールドスタンダードってやつだったのだ。ださ。


 しかし、首都圏の大手レコード店チェーン〈ディスクユニオン〉が紙ジャケCDセット買いのオリジナル特典として、国内初発売時の帯をミニチュアで復刻。ネットオークションで高値取引されるほど昭和世代に好評を博したため、同一タイトルの再紙ジャケ化以降はレコード各社が最初から復刻帯仕様でリリースするようになる。


 すると、あの独特のポップ感を醸し出してる、発売当時はきっと最先端だったであろうフォントで大書されたイカレた邦題が、再び陽の目を見たのだから愉しいじゃないか。昨年だったか、テイラー・スウィフトの新曲「We Are Never Ever Getting Back Together」が久々の直球邦題「私たちは絶対に絶対にヨリを戻したりしない」でリリースされたのも、画期的な出来事ではあった。


 さて70年代のプログレこそ、そんなアカデミックかつストレンジな邦題の宝庫だったことに異を唱える者はいないだろう。というか邦題が似合う。もっと言えばア-ティスト本人以上に、作品を海よりも深く哲学的に好意的に解釈してしまう日本人プログレッシャー(=プログレ信者)だけに、気合いの入った妄想邦題が要求されるのだ。


 たとえばキング・クリムゾン1969年の第1号楽曲にしてプログレを代表する歴史的名曲「21st Century Schizoid Man」には、やはり「21世紀の精神異常者」という意味不明な邦題がやたら似合うのである。ところがレコ倫の自主規制とやらで、いつの間にか邦題が変更されていたのだ。


「21世紀のスキッツォイド・マン」。


ウルトラの星のゆるキャラか、超人トーナメント予選落ちか。やむ終えない仕儀なのだろうが、長年培ってきた世界観が木っ端微塵だ。ちょうどその頃――1996年に編成別ライヴ・ヴァージョン3種など、収録曲は「この曲×5」だけミニアルバム『SCHIZOID MAN』が英国でリリースされるに至り、私はどこかの雑誌で「21st Century Schizoid Man」の新邦題を勝手に命名した。


「21馬鹿」と。


当時、数多くのプログレッシャーの皆様の御賛同を得て、その後も実際に活用いただいていることは私の誉れである。わははは。


 今回、なぜ手垢にまみれた邦題話を書いてるのかというと、9月にリリースされたばかりのデヴィッド・ギルモア9年ぶりの新作が気に入らなかったことに端を発する。


 なんと《PINK FLOYD’S DAVID GILMOUR》やら《THE VOICE & GUITAR OF PINK FLOYD》といった広告の尊大すぎるコピーも嫌だが、カヴァーデザインが致命的にダサい。湖畔に広がる広大な草原に転がる鳥籠から黒い猛禽類たちが大挙して曇天に翔び立ってるのだが、安いCGと合成が感性と技量の貧しさを物語る。


 ピンク・フロイド作品の秀逸なアートデザインが英国のデザイナー集団〈ヒプノシス〉によるのは犬でも知ってるが、今回のデザインはオーブリー・パウエル。一応こいつもヒプノシスのカメラ担当ではあったが、アイディア担当の故ストーム・トーガソンとはレェェェェェェベルが違いすぎた。(※1)


 昨年末にリリースされたピンク・フロイド20年ぶりの〈ラストアルバムもどき〉『永遠(TOWA)』のデザインも、そういえばパウエルだった。雲海に漕ぎ出した一艘の小舟の図はもうどっかの葬儀屋の広告写真で、見る度に虚しくなる。南無。


 まあ『永遠』は故リック・ライト参加の93年録音のフロイド未発表音源集だったわけで、原題も『THE ENDLESS RIVER』だからこれでいいのだろうけども。となれば邦題は、『黄泉』でも『三途』でも『水葬』でも『賽(SAI)』でもよかったのではないか。


 と大人の対応をしてみたものの、ギルモアの新作『RATTLE THAT LOCK』の邦題は明らかに手抜きではないか。『飛翔』って見たままやないかい。


 これまでもギルモアの作品の邦題は、我々プログレッシャーをナメていた。2006年のライブDVD『REMENBER THAT NIGHT』は『覇響』、08年のオーケストラ共演ライヴCD『LIVE IN GDANSK』に至っては『狂気の祭典』ときたもんだ。まあ、思い起こせば1984年発表の2ndソロアルバム『ABOUT FACE』が『狂気のプロフィール』だったことを思えば、「狂気」繋がりできっといいのだろう――よくないよくない。


 にしてもピンク・フロイドの邦題には、波瀾万丈の人間模様が見える。


 『夜明けの口笛吹き』『神秘』『原子心母』『おせっかい』『雲の影』『狂気』『ピンク・フロイドの道』の東芝時代は、担当のアイ氏の美意識が全開だった。ヨーロピアン・ダンディズムを大和魂で凌駕しようとしてた人で、「鎌倉の若武者こそ日本のデカダンス」との自論も印象的だ。彼の作風によって以降、〈ピンク・フロイドの邦題は文学的かつ観念的であるべし〉なる不文律が業界で囁かれる。


 ちなみにアイ氏の自信作は『原子心母』『雲の影』『狂気』で、後悔しているのは『おせっかい』らしい。最初はカヴァー写真まんまの『耳の穴』にしようとしたものの、あまりのアヴァンギャルドさに負け『MEDDLE』の直訳にした自分の弱さを悔やんでいた。なおシド・バレットのソロ『帽子が笑う…不気味に』『その名はバレット』は、問答無用の失敗作なのだそうだ。


 CBSソニー移籍第1弾『WISH YOU WERE HERE』は、言うまでもなく表1で燃えてる男の写真から直球の『炎』。実は東芝時代の奔放過ぎる邦題を憂えたバンドから「意訳するな」と『あなたがここにいてほしい』と指定されたものの、サブタイトルでお茶を濁したソニーはなかなかしぶとい。


 しかしその後は『アニマルズ』『ザ・ウォール』『ファイナル・カット』と、素直にカタカナ邦題に。『鳥獣戯画』『壁』『致命傷』でもいいのに。それでも『ファイナル~』担当ケイ氏の意地なのかなんなのか、81年発表のベスト盤『A COLLECTION OF GREAT DANCE SONGS』には久々の邦題がつく。


 リリース当時はMTVやらニューロマやらの登場で、猫も杓子も「レッツ・ダンス」とダンスフロアで群れてた時代。それだけに明らかにダンスとは無縁の、フロイドならではの皮肉が原題で炸裂している。ヒプノシスも「踊れるもんなら踊ってみんかい!」と、カヴァー・アートでダンサーを大地に紐で縛りつけた。なので『時空の舞踏』……惜しいような全然惜しくないような。だはは。


 それでもロジャー・ウォーターズ脱退を経てフロイドが再始動すると、ソニーも日本語タイトル路線に舵を切った。


 飄々とした新担当・ユー氏は復活第1弾『A MOMENTARY LASPE OF REASON』に、一時的な理性喪失状態を指す原題ママの直訳邦題で『理性喪失』を思いつく。


「直訳にして観念性も内包してるし、東芝時代の流儀の80年代解釈でよくないですか」


 そんな自画自賛の自信作も、「やっぱ1文字だろぉピンク・フロイドはさー」との上司・エヌ氏の一言であえなくボツに。やむなく、海岸の砂浜に700台以上ものベッドを実際に並べたカヴァーデザインの気持ち悪さを踏まえて、『鬱』に落ち着いた。収録曲も「現実との差異」「抹消神経の凍結」など面倒な邦題が並ぶ中で、「Sorrow」は「時のない世界」と綴られている。(※2)


「僕が大学時代に組んでたアマチュアバンドの、オリジナル曲のタイトルをそのまま付けてやりました(爆復讐笑)」


 その後も歴代担当者は1文字の呪縛に苛まれ、エス氏はジャケの電球男からライヴ盤『DELICATE SOUND OF THUNDER』を『光~PERFECT LIVE!』(←エグザイルかよ)、エスⅡ氏(※3)はあの一対の巨大な彫刻から『THE DIVISION BELL』を『対/TSUI』としたようだ。


なんかこういう馬鹿馬鹿しいまでの血脈を、素敵だと思う自分が愛おしい。


 一緒に地方観戦にまで何度も出かけてた私のプロレス仲間のエム氏が1992年、ロジャー・ウォーターズの担当Dになった。彼が愛するのはストーンズや猪木であって、ピンク・フロイドのピの字にすら反応しない。だが仕事だ。ウォーターズ入魂の3rdアルバム『AMUSED TO DEATH』を、彼はこう命名した。


 『死滅遊戯』。


 ブルース・リーかよ。


※1:画像検索して、ピンク・フロイドのジャケ写を眺めながらお読みください。


※2:2009年以降、『A MOMENTARY LASPE OF REASON』の邦題も『鬱』から『モメンタリー・ラプス・オブ・リーズン』に変更されてるそうです。うーん。


※3:実在する人物のプライバシーを鑑み、カタカナでイニシャル表記をしたところ星新一になってしまいました(失笑)。(市川哲史)