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黒沢清、『岸辺の旅』インタビュー ジャンル映画から解放された、新境地を語る

2015年09月29日 13:01  リアルサウンド

リアルサウンド

黒沢清

 あの黒沢清がラブストーリーを撮ると、こんなにもスリリングで怖い作品になる! 今年のカンヌ映画祭ある視点部門で日本人初の監督賞を受賞した『岸辺の旅』は、「夫婦の愛」を描いた普遍的な感動作でありながら、黒沢作品でしかあり得ない目が眩むような映画的興奮に満ちた作品となっている。なにしろ、その夫婦の片方である夫があっけなくこんな告白をするところから、物語は始まるのだ。「俺、死んだよ」。


 『岸辺の旅』は幽霊の夫と、夫が幽霊であることを受け入れた妻、その二人の文字通り「旅」の映画だ。しかし、黒沢監督は「ロードムービーというほどおこがましいものではない」と言う。その真意はどこにあるのか? そして、『岸辺の旅』を特別な作品としている最も重要なファクターとは何だったのか? (宇野維正) 


参考:タナダユキ監督が語る、オリジナル作品を作る困難さと、過去の日本映画への一途な想い


■「自分はロードムービーを撮るにはまだまだ未熟」


——今回の『岸辺の旅』という作品は、これまでの黒沢清作品のエッセンスが濃密に入っていながら、これまでの黒沢清作品とはまったく異なる新たな感覚に満ちている、非常に興味深い作品でした。ご自身としては、自分のこれまでのフィルモグラフィーの流れの中で今作をどのように位置付けているのでしょう?


黒沢清(以下、黒沢):客観的にそれを自分で説明するのは難しいのですが、一にも二にもこの原作に出会えたことが大きかったと思います。かなりの部分、原作に沿って撮影した作品で。もしそこにこれまで自分がやってきたことのエッセンスが入っているとしたら、自分の作品の延長上に表現できる要素がこの原作にあったのだと思いますし、これまでとは異なる新しい要素があったとしたら、それもこの原作にあったものだと思います。それが、ちょうど均等に混じっていたのかもしれませんね。もっとも、そんなことを思ってこの原作を映画にしようと思ったわけではないですけど、撮影をしていくうちに、多分そういうことなんだろうとわかってきました。今回、不思議なくらいやりやすかったんですよ。やりやすかったのに、「こんなシーンを撮るのは初めてだな」「こんなセリフが自分の作品に出てくるのは初めてだな」と、気づかされることが多かったですね。


——確かにベッドシーンとか、これまでの黒沢さんの作品でほとんど記憶にありません。


黒沢:そうなんですよ(笑)。


——初めてという意味で、最も強く意識したのはどういう部分ですか?


黒沢:撮影に入る前からわかっていて、一番ビクビクしていたのは「旅」の映画だということです。ロードムービーというほどおこがましいものではないにせよ、場所が次々と移り変わっていく。主人公の2人は変わらないんですけど、ある時がくると2人は突然他の場所に移動して、風景も登場人物もガラッと入れ替わる。「果たして、これが『旅』に見えるのだろうか?」という不安がありました。でも、普通だったら大変なことになるような状況でも、毎回都合のいいところで舞台が移動して、またゼロから語り始めることができる。そういう意味で、「旅」という形式はとても都合がいいということに、撮影に入ってから気がつきました。「旅」だったらいろんなことが許されるんだって。それは、とても新鮮な体験でしたね。


——「ロードムービーというほどおこがましいものではない」とおっしゃったように、この作品では移動の過程をカメラに収めることにはあまり執着してませんよね。


黒沢:それは試行錯誤したところだったんですよ。移動中の2人もちょっと撮ってみたりもしたんですけど、移動の過程というのが一番撮るのが難しく、また作品全体の中でどう扱えばいいのかという点でも難しかったんです。というのも、日本国内ですからね。移動といっても、その距離も時間も風景の変化も知れているわけですよ。


——なるほど。砂漠の真ん中をオープンカーで走るわけではない(笑)。


黒沢:そうです。まぁ、沖縄から北海道に行くとかだったら、まだ描きようもあったのかもしれませんが、この作品では電車やバスで本州のそんなに離れてないところを移動するだけなので。それなりに撮ってはみたんですけど、本編で使っているのはごく僅かなシーンだけです。そういう意味では、自分はロードムービーを撮るにはまだまだ未熟なんでしょう。どうやったら登場人物たちの移動をおもしろく、印象的に撮れるのかというのが、まだよくわかってないのかもしれません。


——そもそも、日本でロードムービーを撮るのは難しい?


黒沢:特に、交通網がこれだけ発達して、どこに行くのもあっという間に行けてしまう現代が舞台の場合は難しいのかもしれませんね。


■「『岸辺の旅』はジャンルから解放された作品」


——これまでの作品との違いで自分が最も興味深かったのは、黒沢作品における役者の存在感でした。過去の作品においては、もちろん大変素晴らしい役者の方々が出演されてきたわけですが、どこか、役者が作品の一つの部品のような印象があったんですね。でも、浅野忠信さんは今回が初めての黒沢作品ではないですが、『岸辺の旅』では浅野さんも深津絵里さんも、これまでになく自然に、自律性をもってスクリーンの中に存在していて、それに驚かされました。


黒沢:そこに関して自分で何か特別なことを意識した記憶はないのですが、そう指摘されて思い当たることがあるとしたら、この作品がジャンルから解放された作品だったからだと思います。やっぱり僕は、ホラー映画を撮る時はホラー映画の型のようなものを、サスペンス映画を撮る時はサスペンス映画の型のようなものを、どうしても最初に意識してしまうんですね。「悪いけど、この型に合わせてほしい」と。それがちょっとでも合わないと、全部が崩れてしまう。だから、俳優の方にはなるべくそれに合わせてもらうようにお願いしてきました。でも、今回の『岸辺の旅』は特にジャンルのない話なので、俳優の方が自分で考えてカメラの前で自由に演技をされている部分についても、僕が何の抵抗もなく受け入れることができたからだと思います。


——『トウキョウソナタ』(2008年)や『ニンゲン合格』(1998年)も、ある意味ではノンジャンルと言えるような作品でしたよね? それらの作品との違いはどこにあったのでしょう?


黒沢:そうですね。そうやって、時々はノンジャンルの作品を撮って、ちょっとホッとしたいという気持ちがあるんですよね。その中でも、今回は特にうまくいったんじゃないでしょうか。今回は主演の2人が最初から最後まで出ずっぱりで、それだけ演技をするという意味でも2人にとって集中できる下地ができていたからかもしれません。何よりも、浅野さんと深津さんの演技が素晴らしかった。それに尽きると思います。


——傍目からは、ある時期までの黒沢監督はオリジナル脚本に非常にこだわっているように見えました。でも、最近は原作ものが続いてますよね。


黒沢:『トウキョウソナタ』から『贖罪』(2011年)まで、制作期間でいうと約5年間、ほとんど作品が撮れない時期がありました。いろいろと企画を進めてはいたんですけど、どれもうまく実現までたどり着かなかった。『贖罪』を撮ったことで「あぁ、こいつは原作ものもやるんだな」って思ってもらえたのか、それからようやく、原作の映画化の話がいくつか来るようになりました。自分としては、正直言っておもしろきゃなんでもいいんですよ。ただ、小説を読んで「これは映画にしたらおもしろそうだ」というものにあまり出会えてこなかった。というよりも、そんなにマメに小説を読んでこなかった(笑)。映画のネタを考えるために小説を一生懸命読み漁るよりは、自分で話を考える方が手っ取り早いやとずっと思ってきたんです。だから、オリジナルにこだわってきたというよりは、それが自分にとっては自然なことだっただけです。


——映画監督が、必ずしも読書家とは限りませんからね(笑)。


黒沢:はい。僕はまったく読書家じゃないので。むしろ、つまらない小説を読むのは苦痛で。映画だったら寝ているうちに終わるのに、小説は自分で読み続けなくては終わらない。それを考えただけでゾッとしますね(笑)。


——自分は今回の『岸辺の旅』を観て、これは黒沢監督が脚本を書いた『回路』(2000年)の続編のような作品だと思ったんです。『回路』が「人間はいつでもあっちの世界に消えてしまう可能性があるんだ」ということを描いた作品だとしたら、今回の『岸辺の旅』は「人間はいつでもあっちの世界からふっと戻ってくる可能性があるんだ」ということを描いた作品のような気がしていて。


黒沢:はい(笑)。


——もちろん作品のテイストはかなり異なりますが、そういう意味でも、原作ものでありながら、『岸辺の旅』はどこからどう観ても極めて黒沢監督的な作品だなって思ったんです。


黒沢:いや、間違いなく、『回路』があったから今回の作品があったとも思いますし、『回路』だけでなく、いわゆるホラー映画というジャンルでこれまで自分がやってきたこと、生身の俳優を使って死者、幽霊をいろんなかたちで表現してきたからこそ、この原作を読んだ時に、何のためらいもなく「これはいける」と思うことができたんだと思います。多分、ホラー映画を作ったことがなかったら、この原作をどう映像化していいのかわからなかったと思いますね。幽霊がごく当たり前にそこにいるって、どういうことなんだって。「半透明にするのか?」だとか、「足はあるのか?」だとか、バカなことに引っかかってなかなか進めなかったんじゃないかって。普通の俳優が普通に演じていて、それで十分通じるということを、確信を持って描くことができたのは、これまでのホラー作品での経験があったからできたわけです。


■「隙あらば、またホラー映画を撮ってみたい」


——この映画はホラー映画ではないですけど、怖いか怖くないかで言ったら、やはり怖いんですよね。自分は二回観たんですけど、不思議なことに二回目の方がそれを強く感じました。


黒沢:そうですね。そこはごく自然にそうしました。生きている方の主人公である深津さん演じる瑞希にとっては、いくら旦那が幽霊であることを受け入れられたとしても、死そのものを克服することは大変な作業なわけです。目の前に死者が現れたら、それは怖いだろうと。ホラー映画ではないので、幽霊を特別に怖いものとして表現することはしませんでしたが、主人公にとってはショックなものでもあり得るはずで、そこはなるべく自然に表現しました。


——ホラー映画の場合、死を描いたとしても作り手の死生観や宗教観って、やろうと思ったらある意味全部チャラにできるじゃないですか。でも、『岸辺の旅』のようなヒューマンドラマ、ストレートドラマの場合、特に海外の観客からそこの部分を深読みされるんじゃないかとか、そういう不安はなかったですか?


黒沢:舞台が日本ですから、日本以外のなにものでもないわけですが、日本古来の宗教観であったりとか、風習のようなものは、可能な限り排除しようとは思いました。そこは、実はかなり苦労したところで。きっと、日本の土着的な死生観にもっと根付いたような作品の方が、海外の観客は喜ぶし、それを必死で探そうとするんですよ。だから、意地でもそういうものにはしたくなかった(笑)。それと、ささやかながらこれまで自分が撮ってきたホラー作品を観ている観客も海外にはいるので、そういう点でも今回の作品は想像以上に素直に受け止められたように思います。


——最近のハリウッドやヨーロッパのホラー映画を観ていて気づかされるのは、黒沢監督をはじめとする日本の監督が90年代から00年代にかけて撮ってきたいわゆるジャパニーズホラー作品の数々は、同時代においても海外の観客から支持されていましたが、ここにきて改めて、世界中の若い監督たちにかなり強い影響を及ぼしているなってことで。


黒沢:そうですね。ずっと「ささやかながら」とは思ってはきましたけど、本当に一つの表現として定着していることに自分も気づかされています。それはホラー映画だけじゃなく、それこそ最近のフランスのまじめな映画を観ていても、普通に幽霊が出てきたりして、おそらく10年前だったら失笑を買うだけだったんでしょうけど、それが今では普通のものとして観客から受け止められるようになっている。それは、あの時代のジャパニーズホラーの力だったと自負しています。まぁ、何よりも、ハリウッドまで行った中田秀夫さんと清水崇さんの力が大きいんですけど(笑)。自分も、隙あらばじゃないですけど、またホラー映画を撮ってみたいという思いはあります。


——ほぉ!


黒沢:ただ、もういろいろやっちゃっているんでね(笑)。どうやって新しいものを見せることができるのかというのは悩みどころではあるんですけど。今ではホラー映画の主流にもなった、これも日本の鶴田法男が先駆者だったわけですが、POV作品とかは、まだ自分は一回もやってないので、チャンスがあればこっそり挑戦してみるのもおもしろいかな、なんて思ってます(笑)。(宇野維正/下屋敷和文)