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つんく♂『だから、生きる。』が語るものーー愛すべき人柄と音楽家としての矜持を読む

2015年09月28日 18:21  リアルサウンド

リアルサウンド

つんく♂『だから、生きる』(新潮社)

 つんく♂の手記『だから、生きる』が発売された。本人が「自分で読み返しても胸が詰まって先にすすめないページもありますが、」と語るように、喉の不調からの喉頭癌の発見、闘病、声帯摘出に至る日々の心情や葛藤が、飾らない言葉で赤裸々に書きつづられている。反面、手がける楽曲から常々感じられた「小さな出来事でも大きな幸せに変える」ような前向きさも、それ以上に書かれている。最大の理解者であり人生のパートナーでもある、よくでき過ぎる素敵な妻と3人の子供たち。守るべき家族に支えられ、どれだけ愛しているのかが熱く語られる生の言葉から、歌手、アーティスト、プロデューサーという“音楽家”以前に、ひとりの人間であるということを感じ取ることの出来る本である。失礼な言い方かも知れないが、独り身の自分としては「つんく♂って幸せ者だな」と羨ましく思えるほど、愛に溢れているのである。


参考:Berryz工房、ファンと過ごした最後の4日間ーー幸福のスパイラルを生んだ終演に寄せて


 「彼女をコンサートに連れてくるバンドマンはダメ、彼女のために仕事を犠牲にしてプライベートを優先させるなんてもってのほか」という考えを持っていたつんく♂だが、「ジョン・レノンとオノ・ヨーコ」のような、家族で二人三脚で歩いていく考えに変わっていった様が書かれている。丸くなったとか、守りに入ったとか、そういう感じではないところも、“らしい”と思えるところだ。実績を見れば、大成功したロックバンドのフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても大ヒットし、数多くの楽曲を生み出し続けている。だが、“孤高のボーカリスト”だとか“名プロデューサー”というようなイメージはあまり似合わない。お米にハマっているときは、ごはんの歌を作り、子供が生まれた時は家族の歌が増える……そうした彼の趣向は、プロデューサーとしてはどこかビジネスライクに徹しきれていないようにも見えるが、逆に人間味溢れるというか、愛すべき人柄、親近感を覚えるところでもある。


 つんく♂の魅力の本質はそうした人間性にこそあると思う。その人間性が音楽や歌にも表れているのだ。シャ乱Qのブレイクも、楽曲だけではなく、関西人的なトークとノリ、そこから生まれる“ダサかっこよさ”と“チャラさ”が、音楽とバンドイメージにうまく絡んでいたからこそだろう。ちゃんと自分たちの魅せ方を解っていた、つまり、セルフ・プロデュース力もあったのだ。ハロー!プロジェクトのプロデューサーとしても、メンバーがときに「つんく♂パパ」と慕っていたように、師弟関係ともいうべき信頼関係を築いていた。田中れいなが「明日、モーニング娘。を辞めて福岡に帰る」と言い出したときに、時間をかけて説得して引き止め、バンド結成を奨めたというエピソードからは、その強い関係性を垣間見ることができるし、田中本人もことあるごとに感謝の意を言葉にしている。


 よく、とあるシンガー・ソングライターの楽曲を編曲家が分析すると、「ありえないコード進行だった」と評することがあるが、作った当人からすれば、意識せずに赴くままに作っていた、ということが多い。それは、専門知識がないからこそ成せた業でもある。つんく♂はボーカリストだ。作曲のみならずアレンジ、演奏、トラック制作に至るまで一人でこなすクリエイター気質のプロデュース・スタイルが目立つ昨今、どちらかといえば、シンガー・ソングライター・スタイルの感性や、ニュアンスを自在に操る稀代の音楽プロデューサーでもある。


 モーニング娘。の1998年デビュー曲「モーニングコーヒー」から2ndシングル「サマーナイトタウン」や、翌99年の6th「ふるさと」から7th「LOVEマシーン」といった流れは、グループとしてのコンセプトとは別に、音楽における一貫性は正直まったく感じられない。かといって、ジャンルの多様性や路線変更というのも違う。もっと感覚的なもの、“アーティストとしての勘”で動いているとしか思えないのだ。当時のシーンを見れば、ドラマやCMのタイアップの流れがまだ大きく影響していた時代だった。そしてその才覚は、マーケティングの流行に頼ることなく、後年次々と誕生していくグループによる、ジャンル無双な表現によって炸裂していく。「僕の頭の中でイメージされた音楽を、僕のイメージ通りに表現してくれる、ただ曲や詞を提供するのとは違う」。だから、つんく♂プロデューサーの仕事ぶりは面白いのである。


■ハロプロ総合プロデューサーからの卒業


 本書の発売と同時に飛び込んできたのは「ハロー!プロジェクトの総合プロデューサーからの卒業」というニュースである。ファンにとっては薄々感じていたことでもあったが、実際にこうした事実を現実として突きつけられるのは非常に寂しいことである。オフィシャルとしての発表も本人からのコメントがあったわけでもなく、事後報告として本書に書かれている。「ハロプロ=つんく♂」というイメージはファンのみならず、世間からもあっただろう。それほどのことなのにあっさりとした卒業に戸惑ったファンも多いのではないだろうか。だが、声帯摘出の報告だって、自分の母校の入学式を選ぶ人なのだから、いかにも“らしい”勇退劇ではないか。


 「東京の父親」と慕うアップフロントグループの会長から、休養を奨められたというのが2013年の秋だという。思えば、2013年5月19日に日比谷野外音楽堂で行われた<Hello! Project 野音プレミアムLIVE ~外フェス~>において、ステージに現れたつんく♂が、各グループへのダメ出しをしながら、「そして俺!今日も喉ガラガラになってます」と、自分にもダメ出ししていた姿を思い出す。


 「2014年8月2日 Berryz工房プロデューサー つんく♂」と記された、Berryz工房無期限活動停止発表におけるコメントが、実質的に、“ハロプロ総合プロデューサー”としての最後のオフィシャルコメントになった。そして、翌2015年1月21日リリースの『完熟 Berryz工房 The Final Completion Box』がジャケットに「Produced by つんく♂」表記のある最後の作品である。Berryz工房は誕生から活動停止まで、“ハロプロ総合プロデューサー・つんく♂”とともにできたグループだった。そう思うと、2014年11月12日リリースのラストシングル『永久の歌』に込められた意も感慨深い。


■つんく♂の作家性


 今まで手がけてきた楽曲は1700曲以上にのぼるという。その数は、古賀政男や筒美京平など、日本歌謡を造ってきた巨匠たちに匹敵する。もっとも、ハロプロのプロデューサーという前提があるので、通常の作家とは単純な比較が出来ないわけだが、楽曲郡にみる多岐に渡るジャンルの幅広さと、質と量の両立という意味では褪色ないといっても言い過ぎではないだろう。


 日本の音楽は古くから「マイナー(短調)が多い」と言われている。ただ、それは西洋音楽の理論上に当て嵌めたものだけのものであって、「キィ(調)」や「スケール(音階)」といった尺度では計り知ることが出来ないものがある。単に「マイナー=暗い」というものではない、“哀愁”や“抒情”といった表現もあり、演歌や歌謡曲、四畳半フォーク、古くは童謡に至るまで、“和”を感じる土着化した文化である。


 たとえば、シャ乱Q「ズルい女」、モーニング娘。「サマーナイトタウン」は“マイナー”の楽曲だ。日本の伝統的な歌謡メロディーを感じるとは思うが、「暗い」とは誰も思わないだろう。むしろ「ノリの良い楽曲」と感じるのではないだろうか。メロディーやコード進行だけではない、リズムやテンポ感から起因する音楽要素である。悲しいメロディーに明るめのアレンジを施したり、楽しい歌詞を乗せることは、日本人独特の感性とも言われ、海外から見た“邦楽”の面白さのひとつでもある。ピアノやギターといった西洋楽器と違い、三味線や琴などの和楽器はコード(和音)を奏でるために作られていないことも起因しているはずだ。民俗的な本能として、伴奏やアレンジの捉え方が少し違うのかもしれない。


 「サマーナイトタウン」には、ラテンの要素が盛り込まれている。アレンジやサウンドといった表面的なものではなく、リズムとノリとして。つんく♂がリズムにとことんこだわるのは、あくまで歌で成立させるところだろう。ボーカリストならではの武器である。


 ラテン音楽やタンゴといった海外の音楽は、古くから日本でも愛されてきた背景がある。特に戦後は“ムード歌謡”といったブームも起こり、ロックやポピュラー音楽よりも古く馴染みが深い。洋楽というわけではなく、海外音楽の邦楽化という昇華である。現代でももちろん、アレンジの手法としてそうしたジャンルが用いられることも多いが、つんく♂楽曲を紐解いてみるに、表面的要素ではなく、歌詞、符割り、リズムをメロディーラインに落とし込み、歌だけでラテンやタンゴを成立させている楽曲も多く存在しているのである。


 演歌の世界ではビブラートとは別に「こぶし(小節)をきかせる」という独特の歌唱法(1つの音節を何小節にも引き伸ばし、拍節感を曖昧にする)が用いられるが、そういった譜面上では説明できないニュアンスを、音楽理論とは別の解釈で示唆しているのが、いわゆる“つんく歌唱”であり、独自の“リズム論”でもある。ハロプロにおいては自らを手本として実際に歌い、継承してきた。今となってはそれは難しいことになってしまったが、つんく♂自らが企画提案した任天堂のゲームソフト『リズム天国』という新たな形で提唱している。現に病気発覚後に取り組んだ『リズム天国 ザ・ベスト+』を今年6月に完成させており、リトミックなどの音楽教育と並び、音楽理論や譜面とは別の新しい音楽解釈の形として、今後ますます注目すべきところであるだろう。


 振り返れば、つんく♂は常に自分のスタンスを変えなかった。時流に流されることなく、むしろ切り開いてきた。アイドルブームが訪れ、その価値観が大きく変わろうと、自分を貫いてきた。今でもなお、ハロプロがアイドルシーンにおいて一目置かれているのも、そうしたつんく♂の信念と矜持があったからこそだ。それはこの先もずっと変わらないだろう。


 「僕にしかできないこと」として今後の活動を見据えている。前向きに考えれば“ハロプロ総合プロデューサー”という、ある種の“縛り”がなくなったことにより、作家としての幅は拡がるとも考えられる。最近では、テレビアニメ『ルパン三世』のエンディングテーマである石川さゆり「ちゃんと言わなきゃ愛さない」の作詞をはじめ、Kis-My-Ft2の11月発売のニューシングル「最後もやっぱり君」、そして、いち作家として関わることになったハロプロにおいても、モーニング娘。’15「One and Only」の作詞作曲を全編英語詞で手掛けたことが先日発表された。“一回生”として新たな音楽家としてのスタートは始まっている。


 先日放送されたNHK番組『NEXT 未来のために「“一回生”つんく♂ 絶望からの再出発」』で手術後初めてインタビューに応じた。「どもー、つんく♂でーす」とあの軽快な声が存在しない、“声のないインタビュー”。その姿とどこか堅い表情に、改めてなんとも言えない気持ちになったが、肝心なところで筆談の文字を打ち間違えたり、食道発声法を「ロックな感じがしないから」と断る姿に、相変わらずの“らしさ”を感じた。そう、何も変わっちゃいないのだ。(文=冬将軍)