FIA世界耐久選手権(WEC)富士ラウンド開催まで、あと1ヵ月を切った。日本のファンの多くが注目するのは、地元レースとなるトヨタが、どれだけ活躍するのかということではないだろうか。
トヨタが耐久レースの世界戦に参戦を開始したのは1982年。デビュー戦は、同年富士スピードウェイで開催されたWEC JAPANである。このレースにトヨタは、トムスと童夢が共同開発した82Cと呼ばれるマシンを投入。ここからWSPC(世界スポーツプロトタイプカー選手権)、SWC(スポーツカー世界選手権)、そしてル・マン24時間レースへの挑戦を続けていた。1992年にル・マンで2位になったり、予選で速さを見せることはあったが、タイトルを獲得するまでには至らなかった。
ル・マンで最も勝利に近づいたのは、1999年のことである。6月13日、第67回ル・マン24時間レースは、チェッカーフラッグまであと1時間という頃。BMW V12 LMRが先頭を走っているが、後方からは片山右京がドライブするトヨタTS020が、もの凄い速さで飛んできていた。両者の差は20秒強。ペースはTS020の方が7秒以上速く、あと数周もすれば、首位が逆転するのは明らかだった。
しかしユノディエールを328km/hを超える速度で走行中、TS020の左後輪が突然バースト。ピットインを強いられることになってしまい、万事休す。チームはマシンを修復して再びコースに戻したものの手負いの状態であり、さらに作業の間にBMWが差を広げ……悲願のル・マン24時間制覇は、寸前で成し遂げることができなかった。
このトヨタTS020は、TMG(トヨタ・モータースポーツGmbH)が開発し、1998年のル・マン24時間レースでデビューした、“LM-GTP”クラスにカテゴライズされるマシンである。LM-GTPクラスに参戦するクルマは、ロードカーをベースに作られたマシンでなければならなかったが、トヨタはそのレギュレーションの隙間を突き、1台のみ市販バージョンのTS020を作製して対応(当然、他のメーカーも同様の策を採った)。その形状や、とても一般道を走るようなマシンには見えない。
TS020は98年のル・マンでも速さを見せたものの、信頼性不足により9位が精一杯。翌年のル・マンに照準を合わせ、改良を進めていく。そして、前述のような衝撃的なシーンを演じることが出来るマシンに仕上がったのである。
99年のル・マンで片山がドライブしたTS020の3号車は、外国人ドライバーがドライブする1号車、2号車と比べて“バックアップ”的意味合いが強く、モノコックも98年仕様であった。そのため“勝ち”よりも“完走”を目指し周回を重ねた。しかし、1号車と2号車が揃ってリタイアしたことで一躍主役を担うこととなり、優勝を目指してスパート。結果的に優勝を果たすことはできなかったものの、日本中のファンを沸かせた。TS020はその後、99年11月に行われたル・マン富士1000kmレースにも参加したがまたしても2位に終わり、TS020のプロジェクトを終了させている。
TS020の開発で培われた技術は、2002年~2009年のF1活動に活かされ、その後現在のWECを戦うTS030、そしてTS040に受け継がれている。昨年、WECのチャンピオンには輝いたり、中嶋一貴が日本人として初めてポールポジションを獲得するなどしたが、ル・マン制覇はまだ。新車TS050を投入すると言われる2016年シーズンに、果たすことができるだろうか?
ル・マンではなかなか勝てないトヨタだが、逆に新生WEC施行後の富士でのレースでは、無類の強さを誇っている。初年度の2012年は、新生WECでの2勝目を挙げるとともに、中嶋一貴がWEC初優勝。2013年は、他のレースではアウディ相手に太刀打ちできなかったものの、雨によりセーフティカースタートとなったレースで、3番手スタート、しかもその全てがセーフティカー先導だったにも関わらず、上位2台が揃って脱落して優勝……そんな神懸かり的なレースを見せた。2014年はシーズンを通しての強さと速さそのままに富士に凱旋。同年のチャンピオン獲得に大きく貢献する勝利を収めた。
さて、2015年の富士を、トヨタTS040はどう攻略するのだろうか? その戦いに注目である。