福山雅治とリリー・フランキーがゲスト出演した回の『ヨルタモリ』を観た。正確にいえば、聴いた。料理をしながらの“ながら視聴”だった。
常連客に扮するタモリが、バーのマスターとしてゲストをもてなしつつ、ゆったりと展開するしょうもないトーク、大友良英、U-zhaanといったメンバーが脇を固めるからこそ可能となるハイクオリティなセッションは映像なしでも充分楽しめた。まるで深夜ラジオのようだ。
『ヨルタモリ』を“聴き”ながら、松本人志と高須光聖による伝説のラジオ番組『松本人志放送室』や、ふかわりょうがパーソナリティを務めていた『ROCKETMAN SHOW』のことを思い出した。また、タモリ自身がラジオ番組『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めていたことも (偶然だが、上述した回のゲスト、福山もリリーもラジオに縁が深い)。
録画しておいた他の回もいくつか“聴いて”みると、ますます深夜ラジオのよう思えてくる。斎藤工の回では「大人のしりとり」が聴け、篠原涼子の回では、フラメンコ・ギタリストの沖仁とタブラ奏者のU-zhaanによるインスト・セッションで『恋しさとせつなさと心強さと』が聴ける。そしてタモリと甲本ヒロトとの真空管アンプに関するマニア・トークを聴ける未公開スペシャルの回では、同番組レギュラーの能町みね子が「専門家のラジオを聴いている気分になる」と漏らしてもいる。
なぜ、この番組はこんなにも深夜ラジオのように“聴こえる”のだろう。
『タモリ伝 森田一義も知らない「何者にもなりたくなかった男」タモリの実像』(片田直久/著、コアマガジン/刊)を読むと、そのヒントのようなものがつかめる。本書では、タモリとラジオとのつながりの深さを物語るエピソードが紹介されているからだ。
『だんとつタモリ おもしろ大放送!』(のちに『タモリの週刊ダイナマイク』と改名)で25年にわたって共演してきたフリーアナウンサー、堂尾弘子による『いいとも』が始まって約3年が経過たした1985年ごろのタモリについての証言を引用しよう。
===
一方、タモリ自身は「笑っていいとも!」をどう捉えてきたのだろうか。堂尾弘子は85年ごろ、本人が「もう飽きた」と口にする場に何度か居合わせている。
「それはね、本心かどうか分かりませんけれども」(堂尾)
「いいとも」が軌道に乗り始めたころのことだ。ニッポン放送のスタジオでタモリは思わぬアドバイスを受けた。助言の主は堂尾である。
「もっとタモリさんのカラーを出した方がいいんじゃないですか」
タモリはしばらく考え、こう答えた。「出せないよ」。
「本当はもっとラジオのようにやりたいけど。制約がたくさんあるし、やらなきゃいけないこともあるので。自分なりにいろいろ考えてはいるんだけど、まあ、あれが精いっぱいだなあ」(P155-156より引用)
===
このエピソードから、当時のタモリがラジオでいかに伸び伸びと話していたのかが伝わってくる。本書には、担当の放送作家を号泣させる等、「やりたい放題」としか言いようのない、タモリの武勇伝の数々が紹介されているので、ぜひチェックしてみてほしい。
話を戻し、なぜ『ヨルタモリ』はこんなにも深夜ラジオ感が漂うのか?
冒頭で『ヨルタモリ』と雰囲気の似ている深夜ラジオをいくつか挙げたが、少し強引にこれらの番組のおもしろさをまとめてしまうと、演者の「本気」と「素」を感じ取れるという点が挙げられるように思う。
『松本人志放送室』での松本は、テレビの3倍増しくらい辛辣なトークを展開するかと思えば、逆にポロッと弱音を吐いたりもする。これは松本と高須が仕事仲間であり幼名馴染みであるという関係性があるからこそ、なのではないか。また、『ROCKETMAN SHOW』でのふかわは、テレビでのイジられっぷりからは想像がつかないほどシリアスな一面を見せてくれたし、DJとして高評価を受けていることが頷ける絶品な選曲をしていた。
『ヨルタモリ』はどうか。トークやコントの最中に器用に声色を変えるところは、タモリ真骨頂の声芸「4カ国語麻雀」や「7カ国語バスガイド」を彷彿とさせ、先述した甲本との真空管トークでは彼のマニアっぷりを遺憾なく発揮している。篠山紀信の回では聴き役に徹して、宮沢りえの写真集『Santa Fe』の撮影をめぐって、篠山と宮沢の本音を見事に引き出している。
このように『ヨルタモリ』と深夜ラジオには何かと共通点が多いように思えるのだ。
9月20日で最終回を迎える同番組。以前から気になっていたのが「この番組は毎回、どれくらいの時間をかけて収録しているんだろう?」ということ。カットされている部分がかなりあるのではないか。だとすれば、ぜひ未公開映像をふくんだディレクターズカット版のDVDを発売してほしい。
(千葉流太/新刊JP編集部)