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Mr.Childrenが見せた「4人のロックバンド」としての覚悟 鹿野 淳が日産スタジアム公演をレポート

2015年09月17日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

撮影=石渡憲一

 リリースをする前に、ファンクラブツアーで10曲以上の新曲を突然披露し話題となり、その後久し振りのシングル“足音 ~Be Strong”のリリースを経て3月には25万人を動員する全国アリーナツアーを回るが、そこでもセットリストの多くは未だ作品化されていない新曲が大半を占めるという大胆な作戦に打って出たMr.Children。


 その後アリーナツアーのファイナルの日に2年7ヶ月ぶりのアルバム『REFLECTION』をドロップするが、それは{Neked}(23曲ヴァージョン)と{Drip}(14曲ヴァージョン)の二つがあり、ハイレゾ音源によるUSBでのリリースなど、音楽リスニング環境が過渡期を迎えている中で、国民的バンドが自ら音楽リスナーや音楽業界や音楽シーンに揺さぶりをかけたのは記憶に新しい。


 そのMr.Childrenが全10カ所16公演による「Mr.Children Stadium Tour 2015 未完」を現在行っている。筆者はその75万人を動員する予定のツアーの11公演目にあたり、一度に69000人ものファンを集めた、9月5日日産スタジアムでのライヴを魅せて、いや、見せて頂いた。このレポートはその素晴らしきライヴと、今のMr.Childrenが如何に新しい「再出発」を遂げているのか? を読み解くものである。


 ちなみに彼らのツアーは9月20日の大阪まで続くので、アルバム『REFLECTION』収録曲と、他に2曲以外の掲載は不可となっているが、ここでは曲名は一切出さず、MCから喚起させる曲が一曲ある以外、ほぼライヴの演出を含めて詳細は出て来ないものだと思って欲しい。つまりネタバレは無いということだが、逆に言えば、彼らのライヴをリアルに知りたい人には物足りない情報しか出て来ないことを、ご理解頂きたい。


 何しろ今回のライヴは素晴らしかった。彼らが動くと、基本はアリーナかスタジアム、もしくはドームでのものとなるので、そのスケール感は今までのツアーも大きなものだったが、今回は「Mr.Childrenのライヴの演出や仕掛け」が素晴らしかったのではなく、「Mr.Children自体が素晴らしかった」ということをまず、伝えたい。簡単に言えば、このライヴをもって如何に今、Mr.Childrenの4人と、そのバンドという生命体が脂が乗っているかがわかったということだ。


 筆者は様々な時代の彼らのライヴを見せて頂いているが、今回のスタジアムライヴの素晴らしさを、率直に「2001年のPOPSAURUS以来の素晴らしさ」だと思った。この14年の間にも彼らは様々な変化を響かせ、それをライヴでも体現して来た。例えば「”HOME” TOUR 2007 ~in the field~」などのバカでかい規模なのに「本当に近い」ライヴを見て感動したこともあった。その中で何故14年振りの素晴らしいライヴだと思ったのか? それは今の彼らと、あの頃の彼らに大きくシンクロするものがあるからである。


 14年前のツアーPOPSAURUS 2001は、『Mr.Children 1992-1995』と『Mr.Children 1996-2000』という2枚のベストアルバムのリリースに起因したツアーだった。当時の彼らはとても悩んでいた。具体的にはその前にリリースしたアルバム『Q』が、当時の彼らにとっては満足いく結果を残していなかったこと。そして21世紀へと変わる節目にシーンも何年か前から地殻変動が起こり、ロックシーンでは若い邦楽オルタナティヴバンドが登場し、スタジアムライヴなどのメガライヴをやれる新しいバンドも出て来た頃だったからだ。Mr.Childrenはその『Q』以前にバンドが混沌としていた時期もあり、このシーンの変化と共に、自分らもフェードアウトして行くのではないか?と不安に思ったし、誰よりもその予感を4人と当時のプロデューサーの小林武史が持っていたと、当時の取材で話してくれていた。


 そんな中、ベストアルバムを出すにあたって、彼らは自らのポップスとしての力と可能性を再確認し、それをさらに強めたいし、追求したいと感じた。そういう中でのツアーは「ポップという恐竜である自分らの真価を問う」ものとなり、必然的にそのツアーは4人にとって自らの真価を真っ向から問う、素晴らしいものになっていった。


 Mr.Childrenは去年の春より、今までの事務所から分社化というかたちで独立を果たした。彼らより若いスタッフと共に、4人は今まで自分達がして来なかった判断や決断をするようになった。一連のトリッキーな「まだ音源化されていない曲を、まずライヴで」というアイディアも、『REFLECTION』の具体的な内容や企画も、そしてツアーのステージデザインも、4人が1から直接ミーティングに出て判断し、バンドのプロデュースも4人で行うようになった。それは「4人だけのMr.Childrenではなく、スタッフや関連しているレコード会社やコンサートスタッフ全部含めての、一大産業としてのMr.Children」という、ビッグプロジェクト特有の考え方をメンバーが優先しなくなり、「もう一度4人の手にMr.Childrenを取り戻し、そのゼロ地点から再出発をしよう。まだ新しいことをするには遅くは無い」というイメージを持つことが出来た、極めて大事なことだったのだと思う。


 そういう新しい覚悟、そして今一度4人の絆が深まったからこそのテンションや気合いが、至る所で発揮されたライヴだった。特に桜井以外の田原、鈴木、中川の積極的なパフォーマンスやトークからも、それを色濃く感じることが出来た。Mr.Childrenは4人のバンドだーーその気概をここまでライヴで明確に見ることが出来たのは、それこそあの『Atomic Heart』以前の頃まで遡ることになるだろう。


 そんなメンバー4人のモチベーションとテンション、そして実際のプレイヤーとしての気概やコミュニケーションが増したことによって生まれたのは、Mr.Childrenがロックバンドであるという「当たり前のリアル」だった。


 今回のステージは、メンバー以外にキーボードのサニーただ1人、つまりは5人だけがステージに立ち、スタジアムライヴを行っている。しかもそのサウンド演出、例えばシーケンスなどは最小限度に留められていて、つまりはメンバーの生の肉体から鳴らされるものが前面に立って響いて来るものになっていた。そうなると、歌、ギター、ベース、ドラムというオーソドックスな4ピースバンドから掻き出されるものは、とてもスタンダードなギターロックサウンドとなり、それが力強いナンバーの選曲と、4人の織り成すグルーヴやアンサンブルから強く発信されていたのだ。


 そんな「4人だからこそ必然的にロックバンド然とする」のは、演出面でもそうだった。LED画面に出て来る映像やメッセージは、どれもこれも伝えたいことがはっきりしているものばかりで、誰もがわかる、息をのむ瞬間もあるようなハードな内容のものも多かった。


 こういった劇場型なストーリーや演出は、言ってみれば伝統的なロックライヴそのもので、U2、もっと遡れば元祖スタジアムロックライヴのオリジネイターであるピンクフロイドのそれと通じるものでもあった。


 ロックという、意味と意義に満ちた音楽のカルマや必然をどれだけ誰でもわかる形でドラマティックに演出するのか? それがスタジアムにおけるロックライヴの基礎にあるものだが、Mr.Childrenはその一番本質的なものをこの日の69000人にはっきりと浴びせかけていた。それは伝統的という言葉の意味とは裏腹に、今の時代とこの国のシーンにとっては、むしろラジカルで新しい感動のスタイルにさえ見えた。勿論、そのラジカリズムと感動は、彼らの楽曲の素晴らしさ故のものなのだが。


 日本のバンドは芸能、メディア、ポップスというシーンの中にいるという意識が、売れて行く過程の中でどんどん強くなって行くので、その過程でロックバンドのカルマのようなものが漂白されたり薄まっていったりもする。しかし、彼らは原点に立ち返ったといってもいい今回のシーズンに今一度、ロックバンドとしてのダイナミズムと強さと美しさ、さらに言えば残酷なまでのリアリティを、生々しく突きつけるライヴを敢えて行った。これこそがデビューから23年、“innocent world”でのブレイクから21年を経て、なおも最前線でメガバンドで居続ける彼らの説得力なのだと、この日のライヴであらためて強く感じさせてもらった。


「これが、みんなの足音!」


 今年の冬から春にかけてのアリーナツアーでは「これが、僕らの足音!」と告げていた桜井のMCが、「僕ら」から「みんな」に変わっていた。これは言うまでもなく、「再びここから、Mr.Childrenの新しい音楽と生き方が、みんなの生き方になるように」という願いと希望そのものが含まれているということだろう。


 音楽は、創造力が一番心に近い所でダイレクトに伝わるものなんじゃないかとずっと思っている。だからこそ、ラヴソングが国家間や言語を超えて、時に生き死にに影響を与えるようなものになるんじゃないだろうか? 例えば、胸が張り避けるような曲の直後に、多幸感溢れる曲を歌う。そこで泣いた人がすぐに涙を拭きながらこの上ない笑顔を浮かべて一緒に歌う。こういったことも全部、音楽が生み出した創造力だと思う。


 最近のライヴでは、どの曲でも盛り上がり、盛り上がらない曲は披露されている時は、盛り上がる曲を「待機」するという状況も生まれたりしているが、そういう中、笑って泣いて、鳥肌が止まらなくて震えた直後に満面の笑顔で両手を掲げて盛り上がるという今のMr.Childrenのライヴの景色は、音楽という創造力の共有を理想的な形で行っている。問答無用のベテランバンドが、現状のシーンを客観的に見つめ、そもそも音楽が持っているイメージ、創造力を喚起させるセット、演奏、ショーを披露する。天井知らずの夢だけでもなければ、ロックのダークネスだけでもない、スタジアムバンドならではの創造力が、本当に溢れている素晴らしいライヴだった。


 僕が見た日の翌日のライヴは、豪雨にまみれた、彼らのライヴ史上でも間違いなく伝説になるものとなった。「物憂げな9月の雨に打たれて 歓喜に満ちた時間を想って歌い続けた」Mr.Childrenは、今年、『REFLECTION』というアルバムと、この「Mr.Children Stadium Tour 2015 未完」というツアーをもって、再び本当に大切な音楽の鍵を握るバンドとなった。


 「未完」とあるように、今年のアクションは完結なき、始まったばかりのメッセージ、そして行動である。1日も早く次の音楽、そして次のライヴに期待したくなる一夜だった。(文=鹿野 淳(MUSICA))