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なぜギタリストはステージでチューニングをするのか 兵庫慎司が“積年の謎”に迫る

2015年09月13日 18:01  リアルサウンド

リアルサウンド

画像はイメージです。

 ライブ中にステージ上でミュージシャンが行う、ギターやベースのチューニング。あれ、どんな意味があるのだろうか。


 曲間でボーカルがMCをしている時に、チューニングをしているのはまだしも、客電が消えSEが流れ、ステージに登場してアンプ脇に立てられていたギターを手にし、いきなり1弦ずつチューニングを確かめ始めるギタリスト。みんながみんなそうではないが、けっこうな頻度で目撃する。その間、こっちは演奏スタートを待ってぼーっとSEを聴いていなきゃならないことになる。そもそもギターはきっちりチューニングが合った状態でそこに置かれているはずなわけで、あれ、意味あんの?


 何年か前に、その筋のプロである知人ふたりにたずねてみたことがある。ひとりは元々楽器店で働いていて、レコード会社へ転職して以降一貫して制作畑で仕事をしてきたディレクター(仮にYとします)。もうひとりはさまざまなバンドを手がけてきて、今も日々大忙しで日本中を飛び回っているベテランローディー(仮にQとします)。


 Qの答え。


「意味ないですね」


 リハが終わってそこでギターが置かれた段階でもちろんしっかりチューニングしてあるし、温度やなんかの影響でチューニングが狂ったりしないように、開場後も自分たちローディがステージに行って確認しているので、基本的に必要のない行為であると。


 これ、昔、渋谷陽一がよく書いたり言ったりしていた彼の持論なのだが、ライブの時、海外の有名ギタリストは全然チューニングを直さない、という。確かに僕もライブを観ていてそう思ったことがある。で、そういうアーティストの場合、ステージにギターを置いておかないで、ギターを持って出てくることが多い。なるほど、それなら直前まで楽屋でチューニングできますよね。


 と思ったらですね。たとえば、日本のフラワーカンパニーズというバンドの竹安堅一というギタリスト。この男、最近、ライブの時、ギターを持って出てくるようになったのだが(確か昔は違ったと思う)、それでも1曲目を始める前にステージでチューニングをするのだ。手にギターを持って、楽屋を出て、ステージの自分の立ち位置に到達するまでの間にチューニングが狂ったかもしれない、というのか。どんだけ心配性なんだ。つまりその行為も、基本的に意味がない、ということになる。


 そう考えると、曲間のMCなんかの時にチューニングをしているのも、ほんとに意味あんのか? という気がしてくる。そりゃあ弾いてるうちに多少は狂うこともあるかもしれないが、そのギタリストがチューニングをする前の曲で、「ありゃ、ギターの音、狂ってんなあ」と思った経験、僕にはほぼない。逆に、「さっきあんなに念入りにチューニングしてたくせに、曲が始まったら狂ってるじゃねえか!」と思ったことはあるが。


 たとえば奥田民生は、あんまりチューニングしない。どんどんギターを交換しながらライブをやるのでその必要がないのだと思うが、この間、9月3日Zepp DiverCity Tokyoでのサンフジンズのツアーファイナルでは、次の曲にいこうとしてギターをちょっと弾いてから「あ、ごめん、ストップ」と中断し、チューニングを直していた。これはわかる。ちゃんと目に見える形で明確な理由があって、チューニングしたわけなので。


 それにだ。そもそも前提として不思議なのが、ギターってそんなにチューニング狂う楽器なのか? いや、狂うんだろうけど、ならば、狂わないようにできないものなんだろうか。


 昔、中島らものエッセイで読んだのだが、三味線という楽器はそもそも弾いているうちにどんどん調弦が狂っていくような作りになっていて、それを直しながら弾くのも技術のうち、それができない奴はダメ、というふうに判断されるらしい。「アホか!」と、中島らもは書いていた。そんな意味ないことで優劣つけてないで、そもそも調弦が狂わんように作り直さんかい、と。


 という三味線の例ほどではないが、ギターももうちょっとなんとかならないものなんだろうか。僕が高校生の頃に、フロイド・ローズやケーラーといったヘビメタ御用達のトレモロアームが流行り始めた時、同時にギターのヘッドのすぐ下んとこで弦を締めつけるやつ……チューニングロックっていうんでしたっけ、あれが登場した時は、これでチューニング狂わなくなるのかな、と思ったら、そうでもなかったし。


 というか、じゃあ逆に、なんで外タレの大物ギタリストは、そんなにもチューニングが狂わないんだろうか。


 というこの話、実は昔、RO69という音楽サイトでやっていたブログで同じようなことを書いたのだが、当時、それを読んだ友人の音楽ライター、島田諭が以下のようなメールをくれた。


 以下、そのままコピペ。


ジェフ・ベック等のスーパーギタリストが、ライブ中にチューニングしないのは、チューニングの狂う確率が圧倒的に低いギターを使っているからです。
つまりは基本、狂わないんです。


だからチューニングの必要がない、という、おそろしく単純な理由なんです。


ペグ、ナット、ブリッジ、使用する弦。スーパーなギタリストほどこういったもの、そしてメンテナンスに気を遣います。


異常なほど気を遣います。


つまり、スーパーなギタリストほど、チューニングの狂う確率が圧倒的に低いギターを「作り出している」んです。


そのための労力は絶対に惜しまない。
エディ・ヴァン・ヘイレンが弦を鍋で煮てからギターに張る、というのは有名な話ですね。
聞けばなるほどなアイデアですが、そんなことを思いつく、そんなことをしてしまうなんて、病的としかいいようがありません。


だけど、ギターを弾くことに対し、それだけ必死だということであって、となれば、当然、いつも側にいるローディーもスーパーな存在であるわけで、そういうギタリストと、そういうローディーが一緒に、チューニングの狂う確率が圧倒的に低いギターを「作り出している」わけです。


だからスーパーなギタリストほど、メインとして使用するギターは1本か2本しかなくて、弦が切れてしまったとか、変則チューニングなど、演奏に直接的に関係する場合を除けば、ライヴ中は基本的に、ずーっと同じギターを使っています。


たとえが古くて申し訳ないけど、くだんのエディもそう、リッチー・ブラックモアもそう、マイケル・シェンカーもそう、ナイト・レンジャーのふたりもそう、アン・ルイスが大好きだったジェイク・E・リーもそう。そして、ジェフ・ベックやゲイリー・ムーアもそうです。


どうでしょう、なかなか説得力あるでしょ?


 コピペ、以上です。


 確かに説得力ある。なるほど、と思う。


 そして。つまり、逆に言うと、ライブの始まる時やMCの間にピンピンとチューニングをしている日本のギタリストたちは、そこまでの努力をしてチューニングの狂わないギターを作りだそうとしてはいない、ということになる。


 なぜ彼らはそれをしないのか。チューニングが狂ってもいいと思っているわけではないが、狂ったら直せばいい、と思っているからだろう。とまず思われるが、もうひとつは「ステージの上でチューニングしたい」からなのではないだろうか。


 前述の、1曲目をやる前にチューニングするの、意味あるの? と尋ねた時の、Yの答えはこうだった。


「あれはチューニングをしてるけど、チューニングをしてるんじゃないんだよ」


「え、じゃあなんなんですか?」


「ほら、ムエタイの選手って、試合前に神に捧げる踊りをするじゃない? あれと一緒だと思う。あれをやることによって精神を集中する、みたいな」


「へえー。でもそれ、客前でやる意味なくないですか? 楽屋でやれよ、って話じゃない?」


「いや、だってムエタイの選手もリングで踊るじゃん。誰も『控室で踊れよ!』って怒らないでしょ? リングなりステージなりっていう場に立ってるからこそ、その行為に意味がある、ってことなんじゃないかな」


 これを拡大解釈すると、曲間のMCの時にチューニングをするのも、「あれをやることで心が落ち着く」「ボーカルがしゃべっている間、手持ち無沙汰にならなくてすむ」という理由なのではないかという気がする。


 そう考えるとわかる。腑に落ちるし、そちらの事情も理解できる。できるんだけど、いざ観る側に回ると……日常的にライブというものを観るようになって30年以上経つが、いまだに慣れることができない。単に、私がすんごいせっかちな性格だからなんですが。MCもないならなくていい、どんどん曲をやってほしい、ぐらい思うタチだからなんですが。


 でも結論。チューニングの狂わないギターは存在しない。一部のスーパーギタリストは、自分で自分のギターをそのように作り替えていくが、大半のギタリストは、それをやらない。なぜ。ステージでチューニングをしたいから。


 なお、私、ギター、持っていますが弾けません。毎年正月になるたびに「今年こそはギター弾けるようになりたい」「あと、今年こそは英語しゃべれるようになりたい」と思い続けて30年以上経過、そんな奴ですので、お詳しい方からの、あるいは当事者であるギタリストからの、異論反論は大歓迎です。(兵庫慎司)