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KGDRが解説する、ヒップホップ名作映画とその影響 Kダブ「『ワイルド・スタイル』には歴史的価値がある」

2015年09月12日 18:31  リアルサウンド

リアルサウンド

『ワイルド・スタイル』場面写真

 1982年に公開され、その後のヒップホップカルチャーに多大な影響を及ぼした映画『ワイルド・スタイル』が、30年余りの時を経て、7月3日にDVD作品『ワイルド・スタイル HDニューマスター 30周年記念スペシャル・エディション』として発売された。また、90年代以降の音楽シーンに大きな足跡を残してきたラッパー・Nasのドキュメンタリー映画『Nas/タイム・イズ・イルマティック』(2014年公開)のDVD作品も、6月2日に発売された。ヒップホップの歴史を語るうえで重要な両作の発売を記念し、7月5日にHMV record shop 渋谷にて、日本のヒップホップシーンを牽引してきたKGDRがトークイベントを開催。その終了後、KGDRのメンバーにインタビューを行い、改めて両作の見どころやその影響について語ってもらった。


参考:菊地成孔が見通す、音楽映画の未来「愛や希望だけじゃない、ダークサイドを描く作品が増えていく」


■Kダブ「バトルの要素があるのは、ずっと変わらないヒップホップの根幹」


ーーまずは『ワイルド・スタイル』について、それぞれどのようにしてこの映画と出会ったかを教えてください。


Kダブシャイン(以下、Kダブ):俺の場合は観たタイミングがけっこう遅くて、VHSテープ版がアメリカで発売された91~92年頃。レトロな雰囲気も感じられる映像だったので、はじめは一世代前のヒップホップ映画だと思ってそれほど関心を抱かなかったのですが、何回も観ているうちにその映像の歴史的な価値を実感していきました。ちなみに劇中の音がNASの「The Genesis」という曲でサンプリングされてますね。


ーー「一世代前のヒップホップ」と感じたのは、具体的にどんなところでしょうか。


Kダブ:服装やサウンドの傾向が、当時の自分たちが求めていたヒップホップとは異なっていたところです。ヒップホップの原点ともいうべき映画なので、そこから次第にモードが変化していったということでしょう。この映画ではパーティーラップが主流で、ファンタスティック・フォーやコールド・クラッシュが、「みんなで楽しい時間を過ごそうぜ」と盛り上げる曲が多かった。ただ、映画の中で人が出演しない、ストリートの映像だけを見せるような画面では、グランドマスター・キャズのシリアスなラップが流れたりしていて、そこは印象深かったですね。一方でバトルの要素があるのは、ずっと変わらないヒップホップの根幹だということを感じました。バスケットボールをしながらラップバトルをするシーンがあって、「俺たちはスポーツマンシップに乗っ取った上で、自分たちの優位性を誇示しながら相手と戦っているんだぞ」、というイメージでした。ちなみにバスケのシーンは18回も撮り直ししたそうです。


Zeebra:自分は当時、VHDで観ました。VHDというのはレーザーディスクと同じビデオディスクの一種で、LDとは規格が違い長方形のケースにディスクが収納されていたものです。当時はブレイクダンスに関心があったので、その延長でこの映画に辿り着いたという感じ。ハービー・ハンコックが1984年にグラミー賞を受賞して、そのときのライブパフォーマンスの中に出てきたブレイクダンスに魅せられたのが興味のきっかけで、それが放送された翌日は学校でも話題になったし、つるつるですべりのよい学校の廊下で、セーター姿でクルクルと回ったりしていました。その後に『ワイルド・スタイル』を観たので、映画館で上映されてから1年遅れくらいですね。


Kダブ:『フラッシュダンス』(1983年公開)もほぼ同じ時期に上映されたので、ブレイクダンスというものが日本で認知され出したのはこの頃。


Zeebra:ちなみに「笑っていいとも!」に『ワイルド・スタイル』のダンサーが出演し、中国語もどきのラップを披露するタモリさんと共演している動画があって、YouTubeで観ることができます。ブレイクダンスはとても特異な動きをしますよね。ロボットみたいになったり、くるくる回ってみたり、アクロバティックな動きで、見る人を魅了して、それで日本でも注目されたんだと思います。


Kダブ:はじめはロボット的な動きというか、パントマイムのような動きのダンスが流行したけれど、それらもブレイクダンスのカテゴリのひとつだと、当時のフェイズツーが語っていました。ブレイクダンスというと、どうしてもアグレッシブな動きをするものだと一般には思われがちですが、この映画の中でも、手袋をした二人組みがポーズだけ決めている場面があります。


Zeebra:自分も以前、アメリカのロック・ステディ・アニヴァーサリーでロック・ステディ・ジャパンのMCとしてライブをしたことがありますが、そこで出演していたダンサーはパワームーブよりむしろフットワークに美的感覚を求めているような印象でした。どちらかというと、パワームーブはロサンゼルスを中心としたウエストモードなんですよね。


Kダブ:なるほど。ところでやっぱり、日本のヒップホップのアーティストたちがラップやDJを始めたのは、この映画がきっかけだったのかな。


Zeebra:そうだと思いますよ。みんな、あの頃にはじめたはず。


Kダブ:DJ KRUSHさんは『ワイルド・スタイル』を見て、スクラッチをはじめたみたいだね。実は81年に『ワイルド・スタイル』が制作されて、はじめて上映されたのは日本だったんです。葛井さんという方が82年秋に開催予定の映画祭で公開しようと企画して、出演者も大勢日本に呼び寄せて30日ほど日本に滞在してもらったんですけど、彼らは東京の日本人DJたちがすぐにスクラッチするのを見て驚いたそうです。「こいつら早い!」って。


――DJ OASISさんはどのようにして本作と出会いましたか。


DJ OASIS:自分は家にあったVHSテープで『ワイルド・スタイル』をはじめて観たんですけど、そのときにまず感じたのは「この人たちは命がけですごいなあ」ということ。パーティの中にもやはりバトルっぽい場面があり、その中に身をおくということは、常に自分が一番だというプライドを持つべきものなんだという印象を受けました。ヒップホップを志す人、特にラッパーにとっては、そのことはかなり重要だと思います。


■Kダブ「当時はレコードを発表することが、あまり格好いいと思われていなかった」


Kダブ:ところで今作に出てくるラッパーは、実は音源ではあまり作品を残していないんですよね。当時はラッパーがレコードを発表するということは、あまり格好いいものとは思われていなくて、映画のようにブロックパーティーにみんなを集めて、そこでラップを見せることのほうが本流だという考え方があったようです。


Zeebra:現場でラップを披露するときは、リズム&ブルースとかジャズ、ファンクなどのレコードを2枚使ってライブしていたんですけど、ラップの音楽をレコードに収録する際にはバンドに同じフレーズを弾きなおさせていたので、ブレイクビーツの雰囲気が出せず、それほどかっこよく仕上げられなかったんじゃないかと、自分は思います。


Kダブ:ライブシーンの豆知識をいうと、グランドマスターフラッシュが行ったライブの様子は、音声の調子が悪くて使われなかったんだけど、そのあとにもう一度撮影しなおした場面が映画に使われた。


Zeebra:ダブルトラブルは、ライブのシーンなどで本気で怒っているように見えるけど、あれは撮り直しをさせられたせいなのかな。


Kダブ:彼らは当初からこの映画に出演することは決まっていたものの、シュガーヒルレコードの女性社長だったシルビア・ロビンソンが、自分の会社の契約アーティストの自由を束縛するようなタイプの人間で、彼女は映画監督に出演拒否の意向を示した。そこで怒ったダブルトラブルが自分たちの意思でグループを辞めて映画に出演したという経緯があるので、本来ならば不機嫌な様子はないと思うけれども、映画のラップのシーンでは、俺たちの自由にやらせてもらうぜ、という女社長へのメッセージのような歌詞がある。その辺の怒りがリアルに現れているのかも。


Zeebra:ちょうど83年くらいからヒップホップの映画がたくさんできて、ミュージシャンたちも出演しまくっていたけど、その先駆け的な存在が『ワイルド・スタイル』でしたね。


Kダブ:ただ、たしかに『ワイルド・スタイル』がヒップホップの黎明期、創成期の映画だとはよくいわれますが、実際にヒップホップが誕生したのは1973年くらいで、これが上映される10年くらい前なんですよ。映画に出演している人たちの演技から滲み出ている文化的・技術的なイメージを見ると、ちょうどヒップホップというカテゴリーがある程度、完成されたのがその頃だということがわかります。そこから新たに広がるきっかけとなったのがこの作品だったのでしょう。ただ、先ほども少し触れましたが、この映画に出演したミュージシャンたちがこれほど脚光を浴びたのに、そこからはまったくヒット作品を出していないのは、少しさびしく感じます。映画が発表された後からは、デフジャムレコードのようにドラムマシーンやブレイクビーツで曲作りをするような、今までとは違うスタイルが主流になり、シュガーヒルレコードのような音源は時代遅れとされたんです。


Zeebra:出演者にヒット作がないということも、この映画の資料的な価値を高めているようにも思います。『ビート・ストリート』や『フラッシュダンス』などの同時期の映画は、ハリウッドでエンターテイメントとして作られたものですが、『ワイルド・スタイル』はドキュメンタリー色も濃いです。


Kダブ:ほぼ、ドキュメンタリーといって良いと思います。実際のアーティストたちが演じていますから。32年余り経ったいま、この映画を観ると、当時のサウスブロンクスのヒップホップシーンすべてを見てまわれるような、まるで博物館を見ているような印象を受けます。その頃のサウスブロンクスは、荒れてて、貧しくて、本当に何もなくて。そこからヒップホップが育っていったことを捉えたという意味でも、歴史的な価値がある作品といえるのでは。


■Kダブ「Nasはヒップホップの正統な継承者という印象だった」


――『Nas/タイム・イズ・イルマティック』は、1994年にリリースされたNasの名盤『illmatic』を巡るドキュメンタリーで、こちらもヒップホップ史を語るうえで重要な映画といえそうです。


Zeebra:とにかく『ワイルド・スタイル』は、80年代から90年代にかけて自分たちにとってはバイブル的な存在だったんですが、Nasに関しては「同世代の中にとんでもない才能の人間が現れた」と評判でした。


Kダブ:『illmatic』がリリースされた頃、ちょうど自分たち3人はアルバム作成のためにオークランドにいて、ヒップホップの正統な継承者が現れたという印象を受けた。Nasのラッパーとしての才能を開花させたのは、ラージ・プロフェッサーというプロデューサーで、彼はほかにも様々なプロデューサーを紹介したらしく、いわばNasにとっての恩人のような存在だそう。Nasは高1くらいの年齢で学校を中退しているんだけど、ラージ・プロフェッサーが学校に彼を迎えに行き、そのままスタジオでデモテープを作ったといわれています。ほかのミュージシャンのアルバムを製作する空き時間を利用して86~87年頃からデモを作りはじめたんですが、まだNASも年齢が若かったので、デモ製作に飽きてスタジオに来なかった時期もありました。そんな紆余曲折を経て、ようやくアルバムをリリースするところまで来たんですが、一時期は「自分はこのままアルバムを出せずに終わるのかも」と心配になったこともあったようです。


Zeebra:10代の頃って本当に何が起こるかわからないから、大変だっただろうね。


Kダブ:大変だよね。ただ、Nasはデモテープを作っていた頃から、ある程度の評判を得ていたそうで。


――当時からNasの存在を意識していたということですが、ラップのスタイルなどで影響を受けた部分はありますか。


Kダブ:当時のニューヨークのヒップホップのトレンドは、すでに『ワイルド・スタイル』の時とは異なり、シリアスな作品が主流だったので、自分たちもそのトレンドを受け継いでいた。ラップにしてもリリカルな表現にこだわっていた時期でもあったので、そういった部分で共通点はあるかも。でも、直接影響を受けたという感じではない。


DJ OASIS:自分たちもヒップホップをやり始めた時期でもあったので。


Zeebra:Nasをアイドル視したことはないですね。年齢も自分たちとほぼ同じくらいですし。


Kダブ:LL・クール・Jあたりまではアイドル視していたけれど、それ以降に活躍した人たちは同世代という感覚が強いかな。たしかにセンスの良さは認めていたけれど、その時は憧れの存在というわけではなかった。


Zeebra:違いを感じたのは、アメリカでは10代でデビューできるけれど、日本ではそれは難しいというくらいで。たとえば、彼に挨拶するために廊下で待つなどということはしなかったです。


■DJ OASIS「『ワイルド・スタイル』の再リリースは、ヒップホップが定着した証拠」


――『ワイルド・スタイル』に話を戻したいと思います。KGDRとして活動するうえで、文化的な側面で影響を受けた部分を教えてください。


Zeebra:自分の場合は本当に何度も観ているので、ほとんど無意識にまでその世界観が浸透していると思います。たとえば映画内で、主人公が裏通りでいきなりホールドアップされるシーンがありますが、そういう緊張感も含めてヒップホップというか。戦闘的なイメージではないヒップホップももちろん存在しますが、アメリカのメロウなヒップホップだって、日本におけるそれと比べれば、格段にマッチョだと思います。つまり、弱い存在では普通にさえ生きていけないアメリカで、ギリギリのラインをキープしながら、彼らはインテリジェントなラップをしているという印象ですね。


Kダブ:当時のブロックパーティなどは、まわりの人間から目立ってリスペクトされるような存在でなければ、マイクを握ることはできなかったみたいで、そういう意味では勝ち上がってきた地元の人間たちの集まりでした。


Zeebra:自分の存在の強さを証明しなければいけなくて、しかもそれを証明することで、ぶっ飛ばされるならまだしも、最悪は殺されてしまうかもしれない。そういうヒリヒリした側面もヒップホップにはあると思います。


Kダブ:自分たちのヒップホップにも、そういう意味で『ワイルド・スタイル』の潜在的なエッセンスは込められてはいますが、オリジナルのものではなく、自分たちでフィルターをかけてアレンジしたものだと思います。


――なるほど、やはり根底にはバトルの精神があるのですね。そうした姿勢の中で、先ほどNasについては、同世代のためフラットな視点で捉えていたと仰っていました。文化的なところでいうと、日本のヒップホップシーンでも、アメリカのようにフラットな関係性――たとえば年上でもあまり敬語を使わないといった風習があるように思いますが、その辺りはどう捉えていますか。


Kダブ:音楽の世界においては、スポーツにおける上下関係のようなものがないほうが、より良い意思の疎通ができると思うし、瞬間的に指図しなければいけないような場面では、相手が自分より上の立場であるという意識があると遠慮して言い辛くなってしまい、グループの活動内容や曲作りのレベルが落ちてしまうという、自分なりの哲学があります。だからKGDRの活動を始めるときには、そういう上下関係はあまり厳しくない方針でやろうと提案しました。でも、自分は体育会系の感覚が染み付いているので、年上にはきちんとした態度になりますね。


Zeebra:自分だって、はじめはきちんとした上下関係を心がけてはいるんですよ。でも、だんだんとタメ口が普通になってしまう後輩、というタイプですね。(一同笑)


Kダブ:昨日までは「さん」付けだったのに、今日になったらいきなり「くん」付けになるような。


Zeebra:たぶん4~5歳上くらいまでは、そういうことが通用するのかなと。でもヒップホップシーンに入ると、たしかにそういうこともあまり気にしなくなる。


Kダブ:相手のキャラクターも関係しますね。普通に「くん」付けできる人もいれば、到底できない人もいるし。DJ KRUSHさんに、「KRUSHくん」とは言えないもん(笑)。


Zeebra:でも、ユタカくん(DJ YUTAKA)にはいえるよね。年上なのに年下のようなイメージがあるし、彼の場合はアメリカでの生活も長かったし、付き合いもすごく長いから。1学年だけの差なら先輩、後輩の意識があるけれど、3~4歳も違うと弟のような感覚で甘え口調になってしまい、そこから段々とタメ口になってしまうという。(一同笑)


Kダブ:日本人には敬語を使うことが美しいものであるという感情があるので、相手を敬うような話し方をしたいという意識もあるものの、その一方でざっくばらんな口調で話もしたいというときもあるし。日本でフラットな感覚を持つのは難しいですね。


Zeebra:いずれにしても大切なのは、根底で相手に対してリスペクトしているという感情があるかどうかということで、リスペクトの意識がないのに敬語を使ってペコペコした態度をとられるのも嫌です。


――アメリカのそうした感覚は、臨機応変に取り入れているということですね。では最後に、『ワイルド・スタイル』が発表されて30数年が経過し、その後、90年代にはNasとほぼ時を同じくしてキングギドラが世に出たわけですが、当時から比べて日本のヒップホップシーンはどう進化したと思いますか。


Kダブ:自分が思うには、日本の場合はひとつの文化が流入されて、それがある程度、世の中に浸透するのに20年くらいはかかるのではないでしょうか。ZOOではじまった日本のヒップホップダンスも、EXILEの登場の頃から一気に浸透してきたと思うし。自分たちがデビューした1995年には、他のヒップホップのグループもデビューした、いわばビッグバンのようなタイミングで、それから今年でちょうど20年目になります。自分たちも20周年記念アルバムを発売したし、若手のラッパーも増えてきていて、今まさに、ヒップホップの世界の広がりが実感できています。


Zeebra:これが10年前や20年前だったら、KOHHみたいなアーティストがメディアに取り上げられることもなかったし。以前はヒップホップアーティストが、もうひとつ上のメディアで紹介してもらおうとしたら、そのメディア向けの何かをしなければいけなかったけれど、今はその必要もなくなった。そういう意味では本当に良い時代になったのではないかと思います。


DJ OASIS:ヒップホップシーンの世界は本当に大きくなったと思うけれど、それに伴い、良い部分も悪い部分も両方増えているとも思う。上辺だけの作品が増えたりね。でも、『ワイルド・スタイル』が再リリースされること自体が、ヒップホップが定着して大きくなっているという証拠で、そういうことができているうちはまだまだシーンは大丈夫なんじゃないかな。


Zeebra:そうそう。『ワイルド・スタイル』なんて知らないよ、ということになってしまったら問題だと思いますが。


Kダブ:映画関係者たちが、ヒップホップ関連の映画をもっと上映したがっているということも、昔ではなかったことだし、以前からヒップホップを聴いていた人たちが、いろいろな業界の重要なポジションにつき始めているということも、自分たちにとって心強く感じられますね。


DJ OASIS:10年前や20年前では、ヒップホップを好んで聴いている人たちはせいぜい30歳くらいまでのひとたちだったと思いますが、今では50歳以上のひとたちにまでフィールドが広がっています。ブルーノートやビルボードのようなライブ会場でもイベントがありますし、ヒップホップは単に若者のためだけの音楽ではなくなりました。


Kダブ:『ワイルド・スタイル』を観て、『Nas/タイム・イズ・イルマティック』を観て、さらに僕ら3人が作ったファーストアルバム『空からの力』を聴くと、アメリカのヒップホップが日本に上陸する過程がイメージしやすいと思います。歴史を踏まえると、いまのヒップホップシーンもより奥深く楽しめると思うので、ぜひ色んなひとに観て聴いてほしいですね。(松田広宣)