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マキタスポーツ、“エロのインフレ”が起きていた『みんな! エスパーだよ!』の現場を振り返る

2015年09月07日 22:51  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)若杉公徳/講談社 ©2015「映画 みんな!エスパーだよ!」製作委員会

 先週末公開された『映画 みんな! エスパーだよ!』。リアルサウンド映画部では、先日公開した園子温監督へのインタビューに続いて、本作における「極めつけの変態」永野輝光役を演じたマキタスポーツにも単独取材を敢行した。(参考:園子温が語る、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に負けない日本映画の戦い方


 マキタスポーツが永野役を演じるのは、テレビシリーズ以来2年ぶり。その間にも、園子温監督作品では『ラブ&ピース』にも出演。今や日本映画に欠かせないバイプレイヤーとしての地位を固めつつあるマキタスポーツだが、そんな本格的な役者としてのキャリアの原点には、2年前に初めて園子温の撮影現場で受けた洗礼があったという。今回の取材では、園子温監督への共感、園子温作品と(言うまでもなくマキタスポーツにとって芸人としての師匠でもある)北野武作品との違いについて、そして、近いうちに実現したいと本気で考えている監督業への野心まで、本音だけを大いに語ってくれた。(宇野維正)


■「園子温作品はホームに戻ってきたような感じ」


——ドラマ版に続いて、今回の『映画 みんな!エスパーだよ!』でも永野輝光という、かなりバカとエロに振り切ったキャラクターを演じられていて。最近はシリアスな役を演じられることも増えていますが、久々にあの作品の世界に戻ってみて、いかがでしたか?


マキタスポーツ:それ以前もちょこちょこやってはいましたけど、2年前のドラマ『みんな!エスパーだよ!』は役者としてのキャリアが本格的に始まったばかりのタイミングの作品で、非常に衝撃的な体験だったんですね。鈍器で頭をぶん殴られたような。あの作品で高地トレーニングを積んでいるので、他のどんな現場に行っても、どんな役がこようが、平気というか(笑)。ちょっとおかしなオジサンみたいな役はいろいろやってきましたけど、あの役は前代未聞の変態ぶりなんで。ちょっと、ホームに戻ってきたような感じがありますよね。


——2年のブランクも、ものともせず?


マキタスポーツ:それが2年の間に自分もちょっと真人間になったみたいで、どうしても最初はリミッターがかかってるような感じがあったんですよ。だから「いけない! いけない!」と。あの役は完全にリミッターを外して、ボケきらないとダメだから。


——これは自分もマキタさんと同世代だから思うんですけど、年齢的に性欲のカタマリってキャラクターを演じるのはキツくなってきてませんか?(笑)


マキタスポーツ:そう。年相応に枯れてきてるんでね。でも、「それを取り戻すためにも!」ってものでもなくて、ちょっと歌舞伎の型みたいな感じになってきてますね。早くも自己模倣の段階に入ってきている。性欲に関して言うなら、もう1年1年、実にリアルになくなってきてますから(笑)。いつだってギンギンだぜとか、嘘ですから(笑)。もともと僕は、この輝光って役をもっとダンディに演じるつもりだったんですよ。でも、テレビドラマの時、園さんに「もっと動物みたいに、もっとケダモノみたいにやってくれ」って言われて。それってもう、精神的に犯されたみたいなもので(笑)。でも、それが園さんの演出方法で、女優さんに対してもそうなんでしょうけど、僕も男ですが園さんに精神的に犯されたような気持ちでした。きっとそこから、あの園さんの作品独特のエロスが生まれるんでしょうね。


——くだらない質問で恐縮ですけど、現場にあれだけ水着の女の子や下着の女の子がいて、普通にムラムラしたりはしないんですか?


マキタスポーツ:それが、まったくしないんですよ。きっとそれは歳とかとは関係なく、あの作品の現場ではエロのインフレが起きているんですよ。


——エロのインフレ(笑)。


マキタスポーツ:麻痺しちゃって、どんどん無になっていく。水着の女の子がゲシュタルト崩壊していくような感じ(笑)。園さんの現場は日常を引きずって入っていったらダメなんですよね。そこで、ちゃんとスイッチを入れたり切ったりする必要がある。


——園子温作品には、『みんな!エスパーだよ!』のドラマと今回の映画の間に、『ラブ&ピース』にも出演していますよね。お二人とも40代になってからブレイクをしたというところに、つい共通点を見出してしまうのですが。


マキタスポーツ:園さんは、よく挫けずにやってきた人なんだなぁって思いますね。ずっと我を通してきて、それをちゃんと通しきったって。きっとご本人はまだ「通しきった」なんて思ってなくて、そういう点でもすごく見習いたいと思うんですよ。僕も、いろんなところからお仕事をもらうようになって、だんだん自信を得ていったり、人からも信用を得ていくことへの喜びもあったりするんですけど、根本的なところでは変わってないぞって思っていて。だから、自分のやりたいことを通し続けているという点で、すごく共感を覚えますね。


——なるほど。


マキタスポーツ:僕は(北野)武さんのことが大好きで、武さんの影響をものすごく受けていて、武さんの映画も大好きで、今は武さんの事務所にいるわけですけど、園さんのおもしろいところは、武さんの影響下に全然いないところなんですね。映画の作り方も全然違う、独自の文法を持っていて。武さんの表現って、ホモソーシャルなところがあるじゃないですか?


——そうですね、まさに。


マキタスポーツ:でも、園さんは女の人を綺麗に、エロく見せるところにすごくこだわりがあって。あと、武さんって、今はまた少しずつ変わってきてるようにも思うんですけど、基本、役者に期待していないじゃないですか。でも、園さんは役者に期待をしていて。それに、いい意味でいまだにアングラ臭をもっている。園さんと一緒に仕事をしていて思うのは、自分がもともと好きだったものを、ずっと抱え続けていてもいいんだってことですね。役者の仕事をしていく中で、園さんの現場で初めて「撮影っておもしろいな」って思ったんですよ。園さんって、ものすごくライブ感をもって現場を回していく方で。みんな現場では園さんの感覚、情緒に合わせて、そのライブ感についていく感じなんですね。すごくセッション的な場というか。音楽もやっている人間としては、「あ、そういうことでもいいんだ」って思えて。だから、役者の仕事だけじゃなくて、音楽の仕事でレコーディングやライブをやる時にも、園さんの現場のあの感覚というのは、ものすごく役に立ってますね。


■「一番おもしろいのは監督だろうなって、現場でいつも痛感する」


——マキタさんは、日本の音楽シーン、主にいわゆるJポップに対して、これまで非常に批評的なスタンスでご自身のネタにしてきたし、本も書かれてきました。そんなマキタさんにとって、日本映画の世界というのがどのように見えているのかってことにすごく興味があるんですけど。


マキタスポーツ:うーん、日本映画に関しては、もはや自分はその外部からというより、出ている立場からしか言えないんですけど。やっぱり映画って興行じゃないですか。今、シネコンに映画を観にきてくれるお客さんのリテラシーを踏まえて語らないと、あまり意味がないかなって思うんですよね。もちろん、そうじゃない芸術性の高い作品もあっていいし、そういう作品の場所がだんだん狭くなっていることの問題というのもあるんですけど。ただ、まずは興行なので、「売れないとしょうがないな」という思いは、その内部にいる一人の実感としてありますね。ショッピングモールのシネコンで映画を観て、観終わった後にそこのフードコートでその映画について若い子たちがワイワイ喋り合う。そういう子たちにどう響くかってことが、やっぱり重要なんだなって。そういうゾーンにある作品に関わっていたいし、そういう作品をちょっとでもおもしろいものにしたいっていうのが、今の気分ですね。


——山下敦弘監督の『苦役列車』(2012年)で新人賞を複数受賞するなどした後、きっと方向性としては、渋い役を選んでやっていく方向性もあったと勝手に思っていたんですけど、今の話を聞いて納得しました。


マキタスポーツ:うん。やっぱり映画に対しては、Jポップを構造分析したりするっていうのとは、自分の感じ方、関わり方が全然違っていたので。もっと純粋なファン目線だったっていうか。正直、数年前まで、まさかこんなに役者の仕事をすることになるなんて思っていなかったから。なんとなく、ヌルヌルとその世界に入っていって、それなりに評価もいただいて、気がついたら映画を作る側の視点で周りを見渡すようにもなっていて。映画を撮影している現場だけじゃなくて、こうして宣伝部が動いて取材を受けたりすることも含めて、作品がお客さんに届いていく流れを体験しながらおもしろいなって思うんですよね。今の自分の映画に対するスタンスとしては、作品を選ぶとかではなくて、「縁」で動いているところがあって。映画ってものすごく「縁」で成り立っている世界だから、その中に入って、いろいろ吸収していきたいって思ってますね。信用されて、お願いされたら、それに100%で応えますっていう。世の中的には「またベタなことをやって」って誹りもあるかもしれないですけど、そんなの本当にごく一部のことですから。それよりも「いっぱいお客さんが入る映画ってどういうものなんだろう?」ってことを、内側から見ていくことの方がおもしろいし、そういう作品を少しでもよりおもしろいものにできたらってことを考えてます。


——音楽では、今や実演家としてバンドを組んでフェスに出たりもしているわけですが、いつか映画もご自身で撮ってみたいという思いは?


マキタスポーツ:あります。完全にそのつもりでいろいろ考えてます。


——あぁ、やっぱりそうなんですね。


マキタスポーツ:やっぱり役者って映画の中の一部でしかないですから。映画は監督のものだって、僕は認識してますから。だったら、一番おもしろいのは監督だろうなって。それは現場に入っていつも痛感することだし。監督って、作品を作ってる時は全然寝てなかったりするのに、それでも目は輝いてますから。それって、よっぽどおもしろいってことじゃないですか。そういう姿を目の当たりにすると、いつか自分も監督をやってみたいなって思いますよね。


——その場合、シリアスの方向、コメディの方向、どっちなんでしょう?


マキタスポーツ:両方やってみたいですけど、どっちがおっかないかって言ったらコメディですよね。自分の本職でもあるし、コメディ映画でお客さんを集めるのって本当に大変だと思うから。コメディだけじゃなくて、他にいろいろオプションがないと。


——『みんな!エスパーだよ!』でいうなら、原作とドラマの知名度、園監督のネームバリュー、活きのいい役者陣、エロ、といったところですよね。


マキタスポーツ:そうそう。いきなりそんなものを作るっていうのは、実績もなにもない自分には難しいから。自分の撮りたいものを撮るというところから始めるしかないと思ってますけど、将来的にはいろんな夢がありますよ。もしちゃんと実績を積んでいくことができたら、それこそ武さんが『座頭市』でやったように、いつか古典と言われるものに自分のやり方で挑んでみたくて。


——古典ですか! へぇー!


マキタスポーツ:最近、これはどんなジャンルでも思うんですけど、自分はよく自作自演の限界について考えていて。音楽にカバーがあるように、映画にももっとカバーがあっていいんじゃないかって。カバーって解釈じゃないですか。芸って、その解釈のところに出ると思うんですよね。僕は芸が好きなので。自作自演で、全部オリジナルでやることって、本来は誰もが許されているようなことじゃないのに、今の世の中には自分を表現できるようなツールが溢れていて、表現に対する欲求ばかりが高まっていて、結局みんなそれをどう表現していいかわからないみたいなことになっていると思うんですよ。そういう、自己表現の垂れ流しみたいなものに対してすごく危機感があって。バンドをやるようになって、本当によく思うんですよ。ライブハウスに出ているバンドが、「次の曲がラストです」とかもったいつけて言うから、どんな曲をやるのかと思って見てると、誰も知らないよくわからない曲をやってる(笑)。それだったら、カバーでもいいからビートルズが聴きたいよって。だから、落語の考え方に近いかもしれませんね。古典落語に新しい世代の落語家がチャレンジするような。そっちの方が健全なような気がしていて。


■「今でも『若い時に売れておきたかったな』って思う」


——なるほどねぇ。改めて思うんですけど、今、マキタさんはものすごく充実したキャリアを送っていて。もし20代や30代でブレイクしていたら、きっと今のマキタさんとは全然違った場所にいたと思うんですね。


マキタスポーツ:そうでしょうね。


——その、「40過ぎてからのブレイクすること」の長所と短所について、最後にお訊きしておきたいんですけど。


マキタスポーツ:でも、僕は若い時に売れることに越したことはないと思うんですよ。若い時に売れていれば、それだけ失敗する機会も多かっただろうし、その失敗から学んでもう一回、もう二回とトライすることもできる。僕が40過ぎてからこうして仕事に恵まれだしたというのは、これは自分にとっての必然だったとは思うんですけど、今でも「若い時に売れておきたかったな」って思うし、今売れて良かったなっていうより、そっちの気持ちの方が大きいですね。


——あぁ、そういうものですか。


マキタスポーツ:結局、自分は憧れていたイメージ像にはなれないんですよ。これは誰にでも言えることで、ミュージシャンの人も、自分が憧れていたミュージシャンには絶対になれない。むしろ、憧れなかった人の方に、自分にとって大切な気づきのようなものがある。僕はずっと憧れていた自身のイメージになろうっていう、そういう理念、観念に縛られていて、それにはなれないということに気づくまでにすごく時間がかかったんですね。それははっきりと「悔い」として今もありますね。


——先ほど言っていた「自分にとっての必然」というのは、そういうことなんですね。


マキタスポーツ:そうです。あとは、本当につまんないことを言うようですけどーー。


——はい(笑)。


マキタスポーツ:今はもう、体力勝負です。自分のアイデアがいくらあったとしても、それに肉体が追いついていかないっていう、それが一番嫌だから。やっぱり自分の原点は「誰からも期待されていない」ってことなんですよ。誰からも期待されてないし、誰からも仕事を発注されてないのに、自分がやりたいからやるっていう。そういう時代があまりにも長かったから、その頃の「ただやりたい」というエネルギー、童貞感のようなものがなくなっていくことがすごく怖くて。ただ、「そもそも俺は何がしたいんだ?」っていう欲の部分、それはまだ自分の中に確かにあるので、あとは体力ですね。魂は肉体があってこそなので、身体のことは気にかけてますね。


——じゃあ、人知れず、身体を鍛えられていたり?


マキタスポーツ:いや、特に何もやってないです(笑)。(宇野維正)