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『M:i5』の隠された魅力とは? アクション、テーマ、演出の特異性をひも解く

2015年08月31日 08:11  リアルサウンド

リアルサウンド

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 『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』が好調だ。日本国内だけで興行収入54億円に達した前作「ゴースト・プロトコル」をさらに超える見込みで、「シリーズ最高傑作」との声も挙がるほど観客の評価も高く、勢いを後押ししている。 この成功の理由は、トム・クルーズの人気と、彼自身によるスタントアクションへの期待が、映画ファン以外の層にまで広く浸透を続けてきた結果だろう。だが、魅力はそれだけではない。スパイの暗部を語る危険なテーマと、新監督の個性的なアクション描写、さらに現在の映画の潮流を逆行する演出など、隠された要素がまだまだ詰まっている。それらが何故作品に必要だったのか、どう作品をかたち作ったかを明らかにしていきたい。


参考:なぜ人々はスパイ映画を好むのか? 『M:i5』『キングスマン』からジャンルの魅力を探る


■偶然のなかで生まれたシリーズの面白さ


 トム・クルーズが初めて映画制作に乗り出し、自ら主演したのが『ミッション:インポッシブル』第一作だ。TVシリーズ「スパイ大作戦」をリメイクし、派手で刺激的なアクションとともに、トムが前面に出るヒーローアクションとして設定が改変され、サスペンスの鬼才ブライアン・デ・パルマ監督の演出も冴えわたり、予想を超えるヒット作となった。この一作目はシリーズ全ての基礎となっており、すでに古典的な風格すらある。その後、デ・パルマ監督は続編の企画を蹴り、『ミッション・トゥ・マーズ』という巨額のSF映画に挑戦し、興行的に惨敗してしまう。前作の監督を失った本シリーズ続編は、香港ノワール・アクションの異才ジョン・ウーに託され、その独特な美学による二丁拳銃の活劇は、作品世界を良くも悪くも異次元に運び、前作を超える大ヒットを記録した。ここで注目すべきは、作品の世界観より監督の個性の方が優先されたという点である。このような事情によって、このシリーズはその後、TVドラマ界の新鋭J・J・エイブラムス、天才アニメーション監督のブラッド・バードと、続編ごとに意外な人選で監督を交代するスタイルを確立する。その結果、極めて大衆的でありながら、それぞれの監督による演出の違いを楽しむことができる稀有なシリーズが生まれたといえるだろう。


 今回の監督クリストファー・マッカリーは、その中でも異端といえるほど強い個性を持つ監督である。細部にこだわったリアルな銃撃戦とカーチェイス、ナイフでの痛みをともなう格闘などを異様に遅いテンポで、粘着的にじっくりと撮る作風は、そのまま本作のオペラ座の足場での攻防や、ナイフの格闘戦に活かされている。これは、せわしくスピーディになっていくシリーズの流れに逆行するものだ。本作のカーチェイスでは、小回りの効かない四駆でまごつくシーンもあったが、まさにマッカリー演出を自嘲的に象徴しているように見える。しかし、このシフトダウンは、作品にリアリティと重厚感を与え、クラシカルな本格派の印象に引き戻したともいえよう。


■「ローグ・ネイション」とは何だったのか


 クリストファー・マッカリーは、サスペンス映画『ユージュアル・サスペクツ』の脚本家として知られており、本作でも単独で脚本を務めている。監督作において、犯罪や裏社会を題材にしてきた彼が、今回描こうとしたものは何だったのだろうか。「IMF(インポッシブル・ミッション・フォース)」という架空の団体名を用いて、アメリカのスパイ組織「CIA」秘密作戦部の活動を娯楽作品化したのが本シリーズである。しかし実際のCIAは、要人を殺害したり、大統領選を裏で操り権力を拡大しようとしたり、自国民の手紙すら勝手に開封し会話を盗聴するなど、正義のイメージとはかけ離れた歴史を持つ組織だ。例えば、本作冒頭の公聴会のシーンは、前作で核ミサイルが発射された事件についてIMFが追及されているが、かつて現実のCIAが、ソ連から核攻撃があったと誤認し、反撃のため軍に核兵器を撃ち返させる寸前まで行ってしまった実際の不祥事が基になっていると思われる。この荒唐無稽な脚本は、おそろしいことに実際のCIAの歴史とリンクしているのだ。


 それでは、本作で主人公イーサン・ハントの敵となる「シンジケート」とは、何を意味していたのだろう。かつて、ソ連に対抗するため、アメリカはCIAのもたらす情報と手引きによって、アフガニスタンの過激なゲリラ組織に強力な武器と資金を提供し、自分達の手先として戦わせた。それが、後にアメリカを裏切りテロ活動を行うことになる武装組織「タリバン」に成長したことは公然の事実だ。911同時多発テロ後、ブッシュ大統領は、親米でない国や武力組織を「ならず者国家(ローグ・ステイト)」と位置づけ、制限されていたCIAの権力を再び増大させ「ならず者」達に対抗させた。だが、そもそもCIAの行動が武装組織を作り、テロの原因にもなっていたのである。


 戦争に関わる国にとって、スパイ活動による情報戦や違法行為は不可欠なのかもしれない。しかしそれは、自国や世界を破壊する脅威ともなる。ならず者スパイたちの集団である、本作の「シンジケート」とは、IMF、そして現実のCIAの負の姿でもある。劇中での「ローグ・ネイション」成立をアメリカの失策であると直接的に描いていないのは、娯楽作として成立させるための配慮なのだろうが、それでも本作は挑戦的に、スパイ活動の暗部と、それによって引き起こされるリスクと責任を描いているといえるだろう。


■世界を輝かせる、ひと言の台詞


 マッカリー監督の前作『アウトロー』は異様な映画だ。『大いなる西部』や『夜の大捜査線』など、本筋に直接関係ないと思われる古い映画のあからさまなオマージュが、出し抜けに挿入される。例えば、出演者の一人が名俳優シドニー・ポワチエに似ていたという理由で、ポワチエそっくりに衣装を作り直すなど、ある種変態的な情熱が注がれている。さらに『裏窓』を想起させる演出など、ヒッチコックへのオマージュも見られ、本作におけるオペラ座の要人暗殺シーンでも『暗殺者の家』(後に『知りすぎていた男』としてリメイクされた)のクライマックスそのままの描写を行っている。このようなマッカリーのクラシック作品への情熱は何を意味するのだろうか。


 本作で、観客の多くが魅了されたのが、レベッカ・ファーガソンが演じる、謎の凄腕女性諜報員イルサだろう。ここで注目したいのは、彼女のロマンスのシーンである。巨匠エルンスト・ルビッチ監督のクラシック作品『ニノチカ』は、全く愛想の無いスパイを演じるクールな女優、グレタ・ガルボがとうとう大笑いするという演技が話題を集めた映画だ。彼女が笑うとき、観客は、自分が観ている映画の作品世界が突然変貌し、輝き出すように感じるだろう。そして、誰もが彼女に好意を持たざるを得ない。俳優の魅力を引き出し、魔法のような瞬間を作り出す。これが、優れた監督の演出の力であり、そこに魂を注ぎ込むのが、かつてのロマンス映画の価値観であった。だが本作のスパイ、イルサが、イーサンに三つの提案をするというかたちで描かれるロマンスは、ヒロインの大笑いもなく、ましてやキスシーンや抱擁があるわけでなく、ただひと言、台詞を言うだけである。それでもこのシーンには、映画を輝かせる力が備わっている。


 イルサの内面や神秘性がクローズアップされるシーンでは、オペラ座で演じられていた歌劇「トゥーランドット」の旋律が流れる。この歌劇は、氷のような心を持つトゥーランドット姫の物語である。姫は三つの謎を解いた者と婚姻すると宣言するが、ある国の王子はその謎を解くとともに、姫の心を氷解させ愛に目覚めさせる。これはイーサン・ハントが、イルサの残した謎を追い試練を乗り越える展開と重なり、また、彼女がイーサンに持ちかける三つの選択肢も、この設定が基になっているのだろう。


 本作の舞台のひとつは、モロッコの都市カサブランカである。マッカリーの出世作『ユージュアル・サスペクツ』の題名は、実は名作映画『カサブランカ』のなかに登場する警察署長の名台詞から引用された言い回しである。『カサブランカ』でイングリッド・バーグマンが演じたヒロインは、本作の「イルサ」と同名であり、マッカリー監督が意識的にオマージュを捧げていることは間違いない。そして『カサブランカ』のヒロインも、主人公に冷たく接しながら、内に熱い情熱を隠す、トゥーランドットと重なる女性なのである。それら複数のイメージを、レベッカ・ファーガソンというひとりの女優に反映させているのだ。彼女はロマンスでは無表情を装うが、瞳だけが情熱的に輝いている。これこそ、内に炎を秘めた氷の演技である。


 『カサブランカ』には派手なアクションシーンは用意されていないが、人生の苦味を表現する美しい台詞で観客の心を掴み、今もなお名作として名高い。マッカリーは、このような過去の作品の要素を再現することで、かつての映画が持っていた価値観を甦らせようとしているのだ。イルサが三つ目の選択肢として、そのひと言を発すると「トゥーランドット」の旋律が流れ、さらに本作のテーマ曲がクロスオーヴァーされる。その演出には、彼女の人間としての強さと弱さに触れたイーサンの人生の葛藤、そして悲しい運命すらをも予感させる。『誘拐犯』、『アウトロー』と、監督作で人生の苦味を味わい深く描いてきたマッカリーは、『カサブランカ』同様、人生に訪れる一度きりの輝き、人生の選択における苦い味わいを、演出と脚本を周到に準備することで、この一瞬に集約させることに成功したといえる。シリーズ作品としての義務を果たしながら、スパイ活動の矛盾を描き、さらにかつての映画の魅力を再興させた『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』は、まさに不可能と思えるアクロバティックなミッションをやり遂げた映画といえるだろう。(小野寺系(k.onodera))