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主宰tomadが語るMaltine Recordsの10年とこれから「才能ある人が音楽を続けられる環境を作りたい」

2015年08月25日 23:31  リアルサウンド

リアルサウンド

tomad(写真=竹内洋平)

 インターネットレーベル<Maltine Records>が設立10周年を記念し、8月21日に『Maltine Book』を出版した。同書籍には、tofubeats(dj newtown)やokadada、AvecAvec(Sugar’s Campaign)、kz(livetune/RE:NDZ)、Banvoxなど、現在のJ-POPシーンでも活躍中のアーティストの作品をフリーダウンロード形式で多数リリースし、トラックメイカーのあり方やレーベルの概念を変えた<Maltine Records>の歴史や、それを取り巻くネットレーベル史が凝縮されており、スタイリッシュかつ資料的価値の高い一冊に仕上がっている。今回リアルサウンドでは、同レーベルのオーナー・tomad氏を直撃。彼がレーベル設立からの10年で経験してきたことや、イベント・リリースを通して変化した価値観、日本の音楽業界への思いなどを、存分に語ってもらった。


・『周りで色々なことが起きている状況のほうが、音楽自体も“良く聞こえる”』


――まずは、2005年に<Maltine Records>を立ち上げた経緯を教えてください。


tomad:男子校に通っていた高一のとき、部活動に打ち込むことなくダラダラとネットゲームで遊んで時間を潰していたのですが、ある日同級生のSyemとDTMで音楽を作ろうかという話になり、実際作ってみたらある程度それなりに形になった。それをどうにかして世に出したいと思ったときに、海外では既にシーンが出来ていたネットレーベルを参考にして、それを真似てサイトを立ち上げてアップロードしてみたのがきっかけです。


――当時参考にしたレーベルは?


tomad:当時は有象無象のネットレーベルがたくさんありましたが、とくに<Earstroke Records>が面白かったのを覚えています。WispやDorian Conceptなども登場していた時期で、それらをネットで探して聴いているだけでも充実していました。


――リスナーとしてはどんな音楽を聴いていましたか。


tomad:J-POPは小学生時代から聴いていたし、モーニング娘。も好きでしたが、意識的に音楽を聴くようになったのは、RIP SLYMEやRHYMESTERなどの日本語ラップがチャートを賑わしていたころ。こういう音楽もあるのかと興味を持ったのがきっかけで、様々な日本語ラップなどの音楽を聴くようになっていくうちに、日本語ラップとして電気グルーヴに辿りついて、「それまで聴いていた日本語ラップとは違う」という感覚になりました。とくに初期の頃の「FLASH PAPA」などにそういう印象を抱いていましたが、知人から「これはテクノという音楽のジャンルで、他にも興味があるなら<Warp Records>のAphex Twinがオススメだよ」と聴いて、<Warp>周辺を掘り始めたので、<Maltine Records>初期はそのあたりの音楽に影響を受けていましたね。


――初期マルチネのカラーは<Warp>周辺のテクノから影響を受けたということですが、もう少しハードコアな印象があります。『どこにも属さない』というレーベルのスタンスもありながら音楽性はどんどん変化していくわけですが、どのような遍歴を辿っていったのでしょう?


tomad:初期はブレイクコアやハードコアテクノなど、エレクトロニカ系の激しい作品が多いなか、[MARU-014]でimoutoid『ADEPRESSIVE CANNOT GOTO THECEREMONY』をリリースして。スカムミュージックのなかに突然異形ポップスな曲が現れたと思ったら、[MARU-024]のdj newtown『Flying between stars(*she is a girl)』で四つ打ち要素が加わり、その流れが[MARU-050]まで続いていきました。


――[MARU-050]の『MP3 KILLED THE CD STAR?』は、レーベル初のフィジカルリリースであり、「メガミックスCD+CD-R+DLコードがパッケージされ、各曲のフルバージョンはコード入力先からDL可能」という形態も話題になりました。このあたりからレーベルを取り巻く雰囲気も変わり始めたようにみえます。


tomad:このあたりから<Maltine Records>で活躍していたアーティストたちが、他のメジャーやインディーズアーティストのリミックスワークをやるようになり、音楽でお金を稼ぐという行為が当たり前になった時期だと思います。それまではネットの中だけでグダグダワイワイやっていただけでしたが、ようやく現実に広がり始めた。


――リアルの場に出ていくといえば、『MP3 KILLED THE CD STAR?』リリース前年の2009年にレーベルとして初めてのイベント『おいッ!パーティーやんぞ!』を開催しています。イベントを打とうと思ったきっかけは?


tomad:僕が18歳になってクラブへ遊びに行ったり、DJ WILDPARTYのイベントに出演するようになったこと、あとは<Maltine Records>の音楽を聴いている人たちはどんな顔をしているのか見たくなったのがきっかけです。実際にイベントを打つことで、「こういう人たちがファンになってくれて、曲を聴いているのか」と理解し、それが次作のリリースに繋がりました。


――<Maltine Records>のイベントは、インターネットの潮流とアバンギャルドな演出を程良い形でアレンジした、tomadさんのオーガナイザーとしての“変態さ”を感じます。これらの演出に関して、明確な理想形はあるのでしょうか。


tomad:考え方として、そもそも「イベントありき」ではなかったし、“オフ会”的な感覚を大事にしたかったんです。それまでネットだけで数年間やり取りしていた人と、実際に会ったりしたらテンションが上がるじゃないですか。そういう感覚を常に意識してきました。2010年の『わくわく大運動会』ではカオスラウンジの面々が絵を描いてくれましたし、2013年の“カブチネ”こと『歌舞伎町マルチネフューチャーパーク』から、渋家の面々が演出に入るようになりました。次第に外側に広げつつ、他の分野や手段でも盛り上げようという気持ちが芽生えていましたね。


――<Maltine Records>は他の分野や手段として、イベントのほかにアパレル販売や、今回の『Maltine Book』出版など、“レーベル”という枠内には当てはまらない活動を行っています。


tomad:「音楽が中心的な存在でありながら、周りで色々なことが起きている」という状況のほうが、音楽自体も“良く聞こえる”ようになると思うんです。音を聴いて想起されるものがより具体的になるというか。だから、アートワークも作り込むし、イベントも音の世界観を膨らませるものとして機能すればいい、という考えです。


――アートワークを凝るようになったのは、『Sound Cloud』や『Bandcamp』といったサービスが広まり、「アートワークがよくないと音源がそもそも聴かれない」という判断基準が出てきたこともきっかけなのでしょうか。


tomad:[MARU-001]から[MARU-050]くらいまでは、アートワークについてそこまで考えず、とりあえず知り合いのアーティストに頼んでいたので、そこまで秩序はなかったですね。でも、次第にアートワークの重要性に気が付いてきたし、お願いできるようなデザイナーさんも周りに段々と増えたんです。とくに[MARU-101]以降は、『Sound Cloud』や『Bandcamp』のほかにも、『Tumblr』や『Twitter』など、画像ありきのSNSが増え、ネットにおいてアートワークが以前より重要になったと感じています。2011年からアメリカの若者を中心に隆盛したシーパンクは、レーベル単位で個性的なアートワークを打ち出して、それが音に反映しているような広がり方をしていて、それにも衝撃を受けました。


・『ネットレーベル自体は、これ以上大きくならないが、崩れることもない』


――2010年以降、『Red Bull Music Academy』や『BOILER ROOM』に『SPF420』、最近だと<PC MUSIC>の隆盛など、インターネットを媒介として広まった音楽が世界中へ同時代的に展開され、足並みが揃ったような感覚でした。これはシーパンクが日本で認知され始めた2012年あたりから顕在化されてきたというイメージなのですが。


tomad:僕の持論ですが、逆に日本が早すぎたのではないかと思っています。dj newtownやimoutoidが曲をリリースしたころには、ダンスミュージックとポップミュージックの要素を掛け合わせつつ、ヘッドホンで聴きやすいという、新しいジャンル感――“インターネットっぽい質感”が確立されていました。日本ではそれらの音楽が2010年ごろにネットレーベルを介して盛り上がりをみせ、一旦落ち着いたあとに、シーパンクやヴェイパーウェイヴのようなジャンルが世界中から出てきたというイメージです。日本のほうが地理的に狭いからなのか、拡散するスピードが速くて、さらにブームが収束するのも早いという。


――なるほど。シ―パンクやヴェイパーウェイヴが異端としてではなくいち潮流として受け入れられたのは、日本に土壌ができていたからなのですね。


tomad:それもあると思います。ヴェイパーウェイヴのアーティストが彼らのイメージソースとして日本の高度経済成長期のCMを使っていたように、彼らが日本も欧米も関係なくフラットに様々なイメージから影響を受けて、それをアウトプットしていることなどはとてもSNS以後の感覚だなと思いましたね。今までの欧米中心のクラブミュージックというジャンルではあり得なかった現象が起こっていて、すごく面白いと感じました。


――ただ、これらの音楽に<Maltine Records>が影響こそされても、強く引っ張られることは無かったと思うのですが。


tomad:結構引っ張られているとは思うのですが…。でも、シーパンクやヴェイパーウェイヴは全世界的というよりアメリカ的、とくに中部・テキサスあたりの音だと僕は思っていて。日本の音に彼らは寄せてはいるものの、根本の違いというのは感じていたので、そこに乗り切れなさを覚えつつ、1つの参照点として聴いていました。ただ、そのまま輸入するとクセが強すぎるので、各々のアーティストが“加工貿易“のような形で<Maltine Records>っぽいカラーに直していましたね(笑)。[MARU-110]から[MARU-130]あたりを聴き返すと、その傾向がみえると思います。


――bo enやMEISHI SMILEなど、<Maltine Records>が同時代的に世界へ出てきたアーティストのリリースに力を貸し始めたのもこのころでした。


tomad:そうですね。MEISHI SMILEは彼自身に日本の血が入っていることもあり、自分のアイデンティティーと活動する場所の折り合いのつけ方として、自分のレーベルである<Zoom Lense>を立ち上げたり、<Maltine Records>からのリリースを選んでくれたのだと思います。また、bo enは僕より日本の音楽に詳しくて、深夜に渋谷系のYouTubeリンクが送られてきては、それに朝まで付き合う、ということもしょっちゅうあります(笑)。彼らの無国籍感は面白いですよね。


――ネットレーベルに関しては、<CALMLAMP>のyamazumaさんが書かれた「ネットレーベルの亡骸に愛をこめて」というエントリで「ネットレーベルはとうに二度死んでいる」と綴ったり、最近だと<neo-mo-de records>が失敗に終わり、その一部始終をプレゼンするなど、暗い側面も見えています。


tomad:yamazumaさんのブログに関しては、過剰にネットレーベルという存在に期待されていた時期で、「バブル的な状態になってしまうのは良くない」と思っていたので、そこを突いてくれた良いエントリでした。<Maltine Records>に関して、今の立ち位置があるのは、本当に小さな積み重ねを10年やってきた結果だし、僕自身はネットレーベル自体を「これ以上大きくならないが、崩れることもない」と感じています。後者に関しても、こつこつ積み上げずにはじめから無茶な投資するところから始めたことで、身の丈に合わずに赤字を背負い込んだ、というのが失敗の要因ではないでしょうか。


・「色んな人を新たに音楽の世界へ導く役割があると思った」


――『Maltine Book』内の「日本のネットレーベルマップ」では、これまで設立された・閉じられた日本のネットレーベルが一覧となって掲載されています。表を見てもわかる通り、ネットレーベルの隆盛は2010~11年がピークでした。


tomad:この本ではもちろん全てを網羅出来ているわけではないのですが、この時期に多数のネットレーベルが出てきたことはわかります。ただ、<Maltine Records>も僕もそれらを全部把握していたわけもなく、近しいところとは繋がりつつ、他のレーベルはネットで名前こそ見ていましたが、深くチェックはしていませんでした。『Bandcamp』以降のバンドサウンドやシンガーソングライターを多くリリースしているネットレーベルは、また別の文脈でしょうし。


――その繋がりを可視化したのが『Maltine Book』内の座談会「レーベルオーナー対談 Sabacan Records/Bunkai-Kei records/TREKKIE TRAX」だといえますね。


tomad:<Sabacan Records>は、ページを一目見ただけで、自分たちがやろうとしていることに近いとわかったので、Guchonさんにリリースをお願いすべく、僕からメールしました。彼らもブレイクコアやハードコアの流れを受けているところもあるので、音楽的な共通点もあって仲良くなりました。<Bunkai-Kei records>に関しては、Go-qualiaさんとNaohiro Yakoさんが自分たちでニコニコ動画に公開していた作品を世間に広めるため、「<Maltine Records>からリリースできないか?」と持ちかけらたのですが、あまりに自分たちのレーベルカラーと異なるため、新しいレーベルを立ち上げることを提案し<Bunkai-Kei records>が誕生しました。<ALTEMA Records>もサイトを見て共通の感覚を持っていると感じたので、コンタクトをとりつつイベントも一緒に行い、友好な関係を築きました。


――「TALK LOST DECADE talks about Maltine Recoeds tomad/tofubeats/okadada/DJ WILDPARTY」では、4人で行っているイベント『LOST DECADE』と<Maltine Records>について対談しています。同レーベルを初期から支えるtofubeats/okadada/DJ WILDPARTYについて、それぞれとの出会いを聞かせてください。


tomad:dj newtownことtofubeatsに関しては、<Maltine Records>設立当初からお互いのブログを行き来しており、『mixi』で友達申請をしたことから、ネット上での会話が始まりました。彼の作品はトラックメイクも見事でしたし、なにかの機会にリリースできないかとタイミングを探していたら、2009年に『WIRE』へ参加するという話を聞いて。ヒップホップ的ではない、テクノ的な音楽を発表するときにdj newtownという名義を使いたいという話がありそれきっかけでリリースに至りました。DJ WILDPARTYに関しては、僕がブログにDJミックスをアップロードしていたときに彼から「ブレイクコア系のイベントをするので出演して欲しい」と依頼されたことから交流がスタートしました。okadadaさんはほかの2人よりもあとで、[MARU-049]『That Is My house』のコンピで公募をした時に、応募してくれたのが最初の出会いです。その時点で声をかけて“無職EP”こと[MARU-044]『The Unemployed EP』がリリースしたのですが、諸事情でコンピより先にEPが出ることになりました。


――『LOST DECADE』はその後規模を拡大させ、代官山UNITを埋めるほどになりました。彼らは<Maltine Records>に関わるアーティストのなかでも、とくに外へアクセスする意識が強かったように感じます。


tomad:個人的に表に出ようという意識は特にありませんでしたが、tofubeatsに関しては、その気持ちが強く、それにみんなが引っ張られたという部分はあるでしょうね。あと、自分たちが特別アピールしたわけでもないですが、世間から“新しい集団が出てきた”という目線で見られることが多く、スポットライトを浴びやすい状況だったというのもあります。そこから表に出ようという人もいた反面、逆にいい意味で日陰に逃げていく人もいたと思います。


――また、tomadさんは2014年の『東京』開催前に「ネットレーベルを続ける意義を感じなくなった」ことをKAI-YOUのインタビューで明かしています。


tomad:まずはネットレーベルだけが役目を担っていた「個人のアーティストが楽曲を発表しやすい」という部分が『Sound Cloud』や『Bandcamp』の登場により、魅力的に感じなくなったこと。こちらが動かなくても作品をリリースし、ファンを増やしていくことが可能になった。だからこそ、<Maltine Records>がアーティストにとっての踏み台的な役割しか果たさなくなってしまったのかも、と考えました。巣立ったアーティストがすぐにフィジカルリリースするようだと、<Maltine Records>が無料でそのアーティストの宣伝をしているだけのように感じて、寂しさも少しありました。


――そこからtomadさんはどういう考え方にシフトして立ち直ったのでしょう。


tomad:もう一度「<Maltine Records>の役目はなんだろう」と考えました。<Maltine Records>はインディーズやメジャーレーベルのように、お金をかけてCDを作成して、それを販売して採算を取るという組織ではありません。だからこそ、ファンとの交流から、アーティスト自身が本当に出したい作品を提供できるはずだ、と思いなおし、続けていく意義を感じました。また、これは『Maltine Book』出版にも繋がるのですが、僕がやっていることって、ある意味で編集の作業に近いのかなと思ったんです。流通の面でネットレーベルが持つ価値は低下しましたが、単に音楽をリリースするのではなく、イラストと音楽、それぞれのアーティストを組み合わせて彼らの可能性を広げたり、イベントを企画したりアパレルを販売してブランドを作ったり。そうすることで色んな人を新たに音楽の世界へ導く役割があると思ったし、その分野で自分はまだ戦っていけるのではないかと考えるようになりました。


――8月2日には10周年イベント『天』を開催しました。イベント後には色んな感情を出しきって喪失状態になるアーティストも多々いましたが、tomadさんはどんな心境ですか?


tomad:けっこう普通だったな、という感想です(笑)。このイベント自体はコンセプチュアルなものではなく、歴代のアーティストをオールスター的にラインナップしたので、ベタだったなというか。もちろん、古いメンバーだけを集めても同窓会的になるので、©OOL JAPANやin the blue shirt、happy machineといったニューフェイスにも出てもらい、次への可能性も見せました。最後に「ハッピーマテリアル」を掛けたのは、重すぎる雰囲気が嫌で中和したかったのと、同世代にしか理解できない高度な文脈を持ちつつ、ネット住民が一体になれる曲だったから。あと、アーティストが襲われている喪失感については、すでに『Maltine Book』の編集で<Maltine Records>の10年を振り返っていたので、僕はダメージが少なかった(笑)。


――近年はデイイベントも増え、お客さんも低年齢化しました。『東京』や『天』を見た10代のリスナーには、人生が変わってしまうくらいの衝撃を受け、“マルチネ第二世代”として作り手側に回る人もいると思います。


tomad:そうやって、マルチネを聴いて音楽を作る立場になるという人たちがいるのは、一過性のもので終わらないということでもあり、健全な“マルチネ道”的サイクルを感じられて嬉しいです。


――本の話に戻りますが、書き手として和田瑞生氏や天満屋龍楽 a.k.a.神野龍一氏、Patrick St. Michel氏、Lil $ega氏など、<Maltine Records>やネットレーベルの歴史を見てきた人物たちのほかに、日高良祐氏や上妻世海氏といった、哲学・社会学の観点で綴る人物も参加しています。


tomad:初めはもっと年上の書き手にお願いしようと思っていたのですが、同世代で同じ価値観を提示できる面々を揃えようと決めました。そのうえで2010年代に<Maltine Records>がどう存在していたかを残せればいいなと。Lil $ega氏に関しては、日高氏の「日本ネットレーベル史」と被らない内容で、シーパンク以降のネット音楽について書いて欲しいと依頼しました。彼はある意味、僕よりもディープにインターネット上で活動する音楽家たちと向き合ってきたと思っていて。<Maltine Records>のアーティストたちは、ほかのネット上で活躍する人たちに比べて、表に出たいという気持ちが強いけど、そうでないインターネットの奥底に渦巻く人たちも多く存在する。彼らと向き合えるのはLil $ega氏しかいないので、どうしても参加させたかった。


・「日本のチャートを、もっとハックして混乱させていきたい」


――<Maltine Records>からメジャーの舞台へとアーティストが羽ばたいていくことも珍しくなくなってきました。これをレーベルオーナーとしてはどう捉えますか?


tomad:メジャーになっても以前のような付き合いを続けてくれるアーティストたちにはありがたいという気持ちがありますし、とくにtofubeatsが積極的に<Maltine Records>を色々なメディアで紹介してくれるおかげで、新しいリスナーも増えました。もちろん、巣立たないよりは巣立ったほうが良いのですが、あまりにも早く巣立ってしまうので寂しいという気持ちもあります…(笑)。でも、tofubeatsは2011年あたりのタイミングでメジャーに行っていても良かったと思うんですよね。その壁があったのもまた面白かったですが。


――<Maltine Records>を聴いて育った世代が活躍し始めたことや、メジャーアーティストを多く輩出したことで、より世界進出するアーティストも増えそうです。


tomad:ここ1、2年は、ポーター・ロビンソンをはじめ、海外アーティストのリミックスに参加するなど、積極的に世界への経路を作っていて、それはある程度達成できました。ただ、海外はアーティストの数も多いですし経済の流れも激しいため、日本を空けて外だけに打って出るのは“諸刃の剣“だとも思っていて。だからこそ、最近は逆に日本へまた目を向けはじめました。


――日本のシーンで達成したい目標があるのでしょうか。


tomad:まだ日本の音楽シーンの中で、自分たちがやれることは残っていると考えています。日本のチャートにランクインする楽曲に対しては、まだまだ面白くないと思ったり不満に感じる部分も多いので、もっとハックして混乱させていきたいです。tofubeatsの躍進は嬉しい半面、まだ本来の力が発揮できてないのではと感じます。だからこそ、将来的にはdj newtownのような四つ打ちハウス曲がオリコンチャートで1位を獲る景色を見てみたいですね(笑)。


――tomadさん自身が目指すステージは?


tomad:DJや音楽の打ち込みをしているアーティストたちは、ある程度の注目を浴びてブレイクするところまでスムーズに行っても、それを続けていくのが大変なんです。なので、<Maltine Records>のカラーに合う合わないは別として、ときにレーベルの名前を前面に出さない形も取りながら、彼らを支援したい。具体的に言うと、メジャーレーベルを紹介したり、仕事を持ってくる…といったエージェント的な役割も担いたいと考えているし、これからはよりそういうことが重要になってくると思います。それと、今はなかなか音楽をお金にしにくい時代になったし、『Apple Music』などのサブスクリプション型サービスでは、曲が膨大にありすぎて、過去と現在のヒット曲を並列の状態で聴かなければいけないという状況が生まれた。これからは職業として、人生を賭けて音楽を作る人が少なくなってくるのではないかという危惧があるんです。だからこそ、僕一人では手が足りない部分もありますが、束になって才能ある人が音楽を続けられる環境を作りたいと思っています。


(取材・文=中村拓海