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ディアンジェロ&ザ・ヴァンガード来日公演の意義とは? サマーソニック&単独公演のステージを目撃した宇野維正が考察

2015年08月22日 23:01  リアルサウンド

リアルサウンド

ディアンジェロ&ザ・ヴァンガード来日公演の様子。

 8月15日の夜は『SUMMER SONIC 2015』大阪のステージに、翌日16日の夜は『SUMMER SONIC 2015』東京のステージに、そしてその2日後の18日の夜はZepp Tokyoのステージに、ディアンジェロと彼の現在のバンドであるザ・ヴァンガードのメンバー、総勢11人が立った。ディアンジェロが日本のステージに立つのは、約20年前の業界関係者向けのコンベンションライブ以来2度目。つまり、ほとんどのオーディエンスが今回初めて「生ディエンジェロ」を体験したことになる(自分もそうだ)。その3回のステージのうち、自分は『SUMMER SONIC 2015』大阪を除く2回のステージを目撃することができた。正直、数日経った今もまだその余韻でボーッとしていて、完全にディアンジェ“ロス”状態なのだが、この歴史的なライブについて書き記しておかないわけにはいかない。


 昨年12月に約15年ぶりに突然リリースされたサードアルバム『ブラック・メサイア』。そのタイミングでもいろんな場所で強調したのだが、あの作品の本当の意義は「ディアンジェロが15年ぶりにアルバムをリリースしたこと」以上に、「その作品がちゃんと15年分進化していたこと」にあった。これは古今東西、長いブランクを経て復活したミュージシャンの作品として非常に稀有なことだ。伝説的なバンドやミュージシャンの復活を待つファンは、まず、そのバンドやミュージシャンが「往年のトップフォーム」に戻っていることを期待する。そして、その復活がめでたく実現した時、その期待は場合によっては満たされることもあるし、半分くらいしか満たされないこともあるし、残念なことに全然満たされないこともある。


 国内外問わず音楽シーンの主軸が作品よりも興行になった現在、「新作なしの復活」というのも当たり前になった。多くのバンド、ミュージシャンが新作をリリースすることなくライブだけで復活する理由は、創作意欲やクリエイティヴィティの低下ということもあるだろうけれど、最大の理由は「下手に新作をリリースすることによって自らの伝説に傷をつけたくない」という恐れだろう。しかし、ディアンジェロはまず作品において「往年のトップフォーム」を取り戻すだけでなく、それを「超えて」きたのだ。いや、「超えて」というと語弊があるかもしれないな。自分だって、『Voodoo』と『ブラック・メサイア』、どっちが好きかと訊かれたら答えに窮する。こう言い直そう。ディアンジェロは「往年のトップフォーム」とは異なる「新しいトップフォーム」に今の自分があることを、『ブラック・メサイア』で見事に証明してみせたのだ。


 その結果、今回のディアンジェロ&ザ・ヴァンガード来日公演は、いわゆる「レジェンド商売」のようなものから100万光年離れたものとなった。それは、特に単独公演のZepp Tokyoに押し寄せた超満員の2700人のオーディエンスに顕著だった。ちょうどその1ヶ月前、同じ会場で同じく超満員で行われたceroのツアーファイナルにも自分は足を運んだのだが、乱暴に言わせてもらえば、会場の外と中を見渡してみてその客層に大きな差が感じられなかった。もちろん、20年間ずっとディアンジェロの来日公演を待ち続けてきた人(自分もそうだ)もたくさんいただろう。でも、今回の単独公演に関していうなら、そんなオールドファンの熱を新規のファンの熱が凌駕していた。もし昨年末に『ブラック・メサイア』のリリースがなかったとしてもこのくらいの会場は余裕でソールドアウトになっていただろうが、客層は今回とはかなり異なったものになっていたのではないか。


 1974年生まれのディアンジェロは現在41歳。結果として15年間もアルバムのインターバルが空いてしまったし、その期間、ヒグマのように太った写真(しかも警察に逮捕された時の証明写真!)がリークしたりしてファンを心配させてきたが、よく考えたら年齢的にはミュージシャンとしてまだ脂がのりきっていて当然の歳なのである(特にソウル/ファンク/ジャズの世界では41歳なんて青二才みたいなものだ)。直近のインタビューによると、『ブラック・メサイア』をリリースした後もライブの合間に、ここ数年間の膨大なセッション音源を素材にスタジオで続編の制作に取り組んでいる(まぁ、こういう話はディアンジェロに限らず往々にして結局作品として実らなかったりするので過大な期待は禁物だが)らしいし、まさに今、ディアンジェロはそのクリエイティヴィティのピークにあると言ってもいいだろう。また、3年前のヨーロッパでの復活ツアー、アメリカでのイベント出演、『ブラック・メサイア』リリース直後の一連のライブ、そして今年6月から本格的に始まったワールドツアーと、まるでこの夏に焦点を合わせてきたかのように、徐々にステージ勘を取り戻し、新しいバンド、ザ・ヴァンガードの面々との濃密なコミュニケーションをはかってきたことも大きい。つまりだ。我々がこの夏に日本で目撃したディアンジェロは、当代きっての天才ミュージシャンの、おそらくは何度目かの「全盛期」だったのだ。孫の代まで目撃したことを自慢できるライブとは、まさにこのこと。


 巨大ステージ用に持ってきたブラック&ホワイトのバンドロゴの幕をバックに、タイトな構成の中にお約束の演出を詰め込んで、現在のディアンジェロの表現のエッセンスを見せきった約90分(後半の盛り上がりもすごかったが、前半の緊張感も今思えば貴重だった)の『SUMMER SONIC 2015』のステージ。『SUMMER SONIC 2015』におけるオーディエンスの熱狂的なリアクションにすっかり気をよくして(ああ見えてメチャクチャ繊細なディアンジェロにとって、これすごく重要なポイント)、手探りなしで初っ端から飛ばしまくっていた(ちょっと音上げすぎで低音割れてたけど)約120分のZepp Tokyoのステージ。フェイクの入れ方や各メンバーのソロのタイミングなど、中1日でここまで変化するのかと驚かされたが、いずれも甲乙つけがたい、すさまじく充実したライブを見せてくれたディアンジェロ&ザ・ヴァンガード。超プレミアとなった単独公演のチケットが入手できず、サマソニでしか見れなかったことを悔やんでいる人も大丈夫。ちゃんとサマソニのステージにも、その真髄のすべてがあったと保証します。


 多くの人が今回のディアンジェロのステージに、ジェームス・ブラウン、P FUNK、プリンスといったファンクレジェンドたちの姿を重ね合わせていた。で、それはもちろんその通りなんだけど、ジェームス・ブラウンもP FUNKもプリンスも何度も生で見ている(オヤジの自慢だと思ってスルーしても結構。でも、全部初めて見たのは中高生の頃だぜ)立場から言わせてもらうと、ディアンジェロのライブはファンクをベースにして(それは一貫して変わらない)そこにさらに「オン」されているものがすごいんだよね。これ、過去のライブに関してはライブ盤やブートレグ盤や動画からの知見を元にしているので万全の説得力は持たないかもしれないけど、初期のライブはやっぱりヒップホップ的なフックとタイム感をファンクに持ち込んだのが同時代としては圧倒的に新しかったし(いわゆるネオソウルと呼ばれていた他の面々は、ソウルのマナーはそなえていても、ディアンジェロほどファンクのマナーにどっぷりと足を踏み入れてなかった)、『Voodoo』期のライブは演出も含めてアルバムの音源以上にかなりロック的なダイナミズムに寄っていて、それが当時の黒人オーディエンスから不興を買ったこともあった。そのあたりは、今回のライブにおける「The Charade」のパフォーマンス(かつてはプリンスに比肩するファンクの革新者だったジェシー・ジョンソンが大活躍していたトリプルギターソロ、会場全体で拳を上げての合唱)を思い出してもらいたい。あれはあれでもちろんクソ最高なんだけど、今以上にブラックミュージックと白人音楽のセグメントがキツかった2000年頃にアレをアメリカのエンターテインメントのど真ん中でやるのは、かなりレフトフィールドな表現だったわけですよ。プリンスという前例がいたとしてもね(P FUNK、というかファンカデリックはエンターテイメントのど真ん中にいたことはない)。


 で、今回のディアンジェロ&ザ・ヴァンガードのライブではファンクに何が「オン」されていたかというと、これは自分よりも詳しい人が何人もいるのでドヤ顔で言うわけではないんだけど、要は「2010年代の新しいジャズの潮流」ですよね。これによって、ディアンジェロのステージは伝統芸能としてのファンクを継承するブラックミュージックファン感涙のライブを超えて(もちろんその要素もあった)、90年代後半以降のR&Bのトレンドセッターとなったスーパースターの復活ライブを超えて(もちろんその要素もあった)、2015年における最先鋭にして最上の表現となっていた。その何が感動的って、そもそも「2010年代の新しいジャズの潮流」自体が、過去にディアンジェロが撒いた種が芽を開いたものだということ。ディアンジェロから強い影響を受けてきたロバート・グラスパー率いるロバート・グラスパー・エクスペリメントでの活躍を筆頭に近年のジャズシーンにおけるキーマンとなっているドラマー、クリス・デイヴ。もともと超一流のベーシストだったけど、近年、復活ザ・フーからアデルやナイン・インチ・ネイルズまで、ますますその活動の奥行を深めている伝説のベーシスト、ピノ・パラディーノ。そのクリス・デイヴやピノ・パラディーノと近年数々のセッションを繰り広げてきたギタリスト、アイザイア・シャーキー。今回のザ・ヴァンガードのサウンドの核となっていた3人は、ディアンジェロが沈黙していた10数年の間にも独自の進化を遂げ、時にコラボレーションを重ね、今回のディアンジェロの復活を機に、まるでアベンジャーズのように集結したわけ。ライブにおける「ディアンジェロの15年分の進化」には、ディアンジェロ個人の進化だけではなく、過去のディアンジェロの音楽を支えてきた、あるいはその音楽に影響を受けてきた、超絶ミュージシャンたちの「15年分の進化」が回り回って全部詰まっていた。音楽が時代を超えて進化していくっていうのは、つまりそういうことなんだよね。ジミ・ヘンドリックスが所有していた黒いストラトを、部屋の壁に飾ったりしないで、飛行機に乗せて日本のステージ上でもギュワンギュワン弾いていたディアンジェロは、そのことを何よりもわかっている。


 先日、ディアンジェロが日本を去る際に、本人のTwitterのアカウントから「Thank you Japan for being a part of these 3 incredible shows. Hope to see you again soon. 日本の皆さん、サマソニと単独公演を観に来てくれてありがとう!またすぐに会えることを願っています」という英語と日本語によるツイートがあった(まぁ、このアカウントを管理しているのは本人ではなくマネージメントなんだけど。ディアンジェロの指は、スマホをいじるためではなく、ピアノやギターを弾くためにある)。なので、今回のどう控えめに言っても「奇跡」と呼ぶしかない来日公演を見逃した人も、期待していていいと思う。世の中には、何度でも起こる「奇跡」というものもある。きっと。(宇野維正)