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SMAP・中居正広はなぜテレビ界で「前例のないアイドル」となったか? 話題の研究本著者が解説

2015年08月22日 23:01  リアルサウンド

リアルサウンド

太田省一『中居正広という生き方』(青弓社)

 SMAPの中居正広をダンス、演技、笑い、結婚等多方面から考察した書籍『中居正広という生き方』(太田省一著、青弓社)が7月29日に刊行され話題を呼んでいる。同書は中居正広という人物を通して見るテレビ論、アイドル論ともいえるものだ。


 今回、著者の太田氏にインタビューを実施。同書執筆の動機、ジャニーズや「アイドル」が社会とどのような関係を積み重ねてきたのか、そしてSMAPが築いたアイドル像の未来まで、長年テレビというメディアを考察し続けてきた社会学者の視線に迫った。


・「『笑い』がかっこいいという価値観が、1980年代に培われた」


――太田さんが中居正広、あるいはSMAPに注目したきっかけは何だったのでしょう?


太田:昔から見ている人間にとっては、「アイドルが続く」ということが驚きだったんですね。アイドルの旬っていうのは何年かの間で、そのあとは下火になっていく、もしくはアイドルが「大人」への脱皮をはかるというのがパターンでした。その傾向が少なくとも1970年代にはあったし、1980年代にも松田聖子のように一生アイドルやりますという人はいたけれど、彼女はかなりアクロバティックにスキャンダルともうまく付き合っていくようなスタイルですよね。アイドルを普通に続けられるというのは、僕みたいな世代の人間からするとありえないことのように思っていたわけです。その中で、「アイドルが続く」状況を切り拓いたのはSMAPかなと。SMAPが続いている、これは素朴なことだけどすごいことです。


――そのSMAPの中でも、中居正広という人に関心が向かう点を教えて下さい。


太田:僕の関心のもうひとつは、テレビに対するものですね。バラエティ番組やテレビのMCという分野で、アイドルがそれまでやらなかったような役割を担ってきたのが中居くんです。「アイドルが続く」ということと、MCとして第一線でやるということ。この二つが僕の中でつながったんだろうと思います。


――「アイドルが続く」状況をめぐって、ご著書『中居正広という生き方』では歌番組の衰退という現象にクローズアップしています。歌番組が衰退する以前、テレビの中でのアイドルの役割はどのようなものだったのでしょう?


太田:『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)、『ザ・ベストテン』(TBS系)、『歌のトップテン』(日本テレビ系)というように、歌番組が各局のゴールデンタイムに目玉としてあったので、新曲を発表してプロモーションしてヒットするという、世の中と歌番組との密接な関係があったわけです。アイドルはそこで歌って踊る。『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)だけは例外的に残ったにせよ、1990年代にそういう環境がなくなったことでアイドルの寄って立つ基盤がなくなった。


――現在では、歌番組がなくてもバラエティに活路を見出すアイドルはいるように思いますが、当時はやはり歌番組が衰退することはアイドルにとってネガティブな環境だったのでしょうか?


太田:たとえば森口博子、山瀬まみ、井森美幸なども歌手としてデビューしたあと、歌番組がなくなる中でバラエティ番組で活躍して、いわゆるバラドルになっていくわけですよね。僕個人としてはそういう状況も楽しんでいましたが、アイドルは歌って踊ってなんぼだったという前提でみればネガティブな状況だし、世間はわりとそう見ていたでしょうね。


――『中居正広という生き方』の中では、歌番組があった時代の光GENJIが「王子様」であったのに対し、バラエティに活路を見出すSMAPは「フツーの男の子」という対照が考察されています。


太田:今でも中居くんは、光GENJIは凄かったということを繰り返し発言しています。本人たちは光GENJIのバックで踊って彼らを目の当たりにしていただけに、忸怩たる思いや不安は大きかったのではないでしょうか。だからこそ中居くんがリーダーシップをとって、アイドルとしてどうしたらいいのか、戦略を練っていくきっかけになったのだと思います。


――そんな中で、1996年に『SMAP×SMAP』の放送が始まります。同年には他にもKinKi Kidsの『LOVE LOVEあいしてる』が放送開始、ジャニーズのメンバーがテレビの中で「笑い」を先導していく契機のようにも思えます。


太田:かつてのクレージーキャッツやドリフターズのように、ミュージシャンでありながら「笑い」もできて、それによってテレビで一世を風靡するというモデルはあったのかなと。1980年代であればとんねるずがいて、お笑いの人がアイドルであり歌を歌ってヒットを飛ばすようなかたちがありました。「笑い」がかっこいいという価値観が、1980年代に培われた流れもある気がしますね。


――男性アイドルの系譜にとんねるずが当たり前に登場するのは、太田さんの議論の独特なところですね。


太田:1970年代にさかのぼれば、新御三家(郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎)は『カックラキン大放送』(日本テレビ系)で研ナオコや坂上二郎と絡んで本格的なコントをやってたわけです。あの番組が長寿番組だったということは、見ている側にもそういうものを受け入れる素地は培われていたのではないかと思います。アイドルファンだけに向けたものとしても『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京系)があった。「面白い」こともできるというかっこよさが少しずつ当たり前になっていったところに、1980年代にとんねるずがでてきて、「お笑い」の人たちが逆に「アイドル」をやったわけです。両者が交わるような状況が生まれて、どっちもやる人たちが生まれてきた。それが本格的に見えるかたちになったのは、私個人の感覚だととんねるずですね。


――そのとんねるずの石橋貴明と、1996年放送開始の『うたばん』(TBS系)で共演するのが中居正広です。


太田:今言った史観からすると、交わるべくして交わったという気がしますよね。中居くんのMCもアイドルファンのみに向けた番組ではなく、誰が見ても面白いというレベルにきた。その意味では『うたばん』は象徴かもしれないですね。


――それでも、とんねるずなど「笑い」のスペシャリストである彼らは、アイドル的なポジションから身を引いて、テレビの中で本来のフィールドに戻ることができます。アイドルの場合、そうした後ろ盾を持ちません。しかし、それでもSMAPは巨大なポップアイコンになりえた。その強さは何なのでしょう。


太田:それはアイドルと社会について考える時のポイントになる話だと思います。SMAPが出てきた時の日本社会は昭和が終わり、高度成長期からバブルという時期も終わり、冷戦構造も終わっていく。日本の繁栄や総中流意識を支えてきた構図が、一気になくなっていくわけですよね。それ以後、日本社会ってやっぱり迷ってるんだと思うんです。これからどうなるのか、何を目標にやっていけばいいのか、いまだに誰も答えを教えてはくれない。


――安定した価値観やよりどころが見えづらくなっていくわけですね。


太田:コミュニティ、共同体もなくなっていくなかで、よりどころがほしいという気持ちは強くなる気がするんですよね。そんな時に集団で、みんなで生きていくあり方を見せてくれる人たちというのは、今の日本人にとってありがたいのではないか。SMAP本人たちはそういうことは一切考えてないと思いますが、ある種の疑似コミュニティを投影できる存在としてSMAPがいるという気がしますね。


・「スキルをすごいと思ってもらうのは、ある種アイドルっぽくない」


――東日本大震災を受けて2011年3月21日の『SMAP×SMAP』の放送枠では、何の専門家でもない彼らが、みんなで「状況を受け止める」ことのみで生放送をつないだ姿があったのを思い出しました。


太田:本人たちは考えてないかもしれないけれど、どこかの時点で何か大きなものを引き受け始めたということもあると思います。今でも『SMAP×SMAP』では東日本大震災被害者への支援を呼びかけてますよね。1995年の阪神・淡路大震災のあとの『ミュージックステーション』で「がんばりましょう」を歌ったりということもありましたが、そういうポジションを引き受けるという、ある種の使命感のようなものでしょうか。本人たちが声高にそれを言うことはないけれど、自分たちのポジションとしてこの役割が必要なんだと肌で感じてやっているような感覚はあります。


――SMAPが社会にとって大きなポップアイコンを担うなかで、中居正広は率先して言葉を紡ぎ、MCとして立ち回っていく立場になるわけです。


太田:ただ、中居くんが一人でメッセージを発するということはあんまりないという気がします。中居くんは「プロフェッショナルとは?」と聞かれて、「一流の素人、一流の二流、最高の二番手」と答えていますが、この言葉がすべてに通じるところがあって。自分がどんどんリードしたり自分の技術で番組をまとめたりするのでなく、ある時はアシストに回りながらでも全体が面白くなればいいという感じがある。仕切りの技術とか、スキルをすごいと思ってもらうのは、ある種アイドルっぽくないんですよね。そうではなくて、存在そのものを認めてもらう、それがアイドルということなんだろうと思います。


――特定の専門技術よりも、人格そのものを好きになってもらうことが第一ということですね。


太田:もちろん、やっていくうちにスキルは上がっていくものだし、今の中居くんのMCは他に劣らないくらいだと思います。でも、デビューしてからどうやってここまで歩んできたか、乗り切ってきたかという生き方そのものを見せるのがアイドルなのかなと。去年の『FNS27時間テレビ』は、そういうものだったわけですよね。これまでのSMAPの歩みに区切りをつける「生前葬」から始まって、新しいステージに向かうかたちをとりながら、最後に27曲ノンストップライブをやるんだけれど、中居くんはへとへとに疲れてうまくいかない。本人にとっては悔しかったでしょうけど、ああいう姿を見せるのがアイドルなんじゃないかと。


――一方にスキルを見せる、もう一方に人格を好きになってもらうという二つの要素があったとして、後者が先行して進んでいくのがアイドルという感じでしょうか。


太田:その逆のあり方として、クレージーキャッツやドリフターズがあるかもしれないですね。彼らの場合はあくまでミュージシャンあるいはコメディアンとして人気を博したけれど、そのあとに人としてのいろんな一面を知って、人間そのものを好きになっていくというような。


――そうなると、スタートは違うかもしれませんが、SMAPも結局同じようなところに到達していくのかもしれません。


太田:結局、我々がエンターテインメントとして何を見ているのかといった時に、その人の人間的魅力、どう生きたかというところがやっぱり最終的に残るのかなと。今はメディア状況もそうなりつつあるのかもしれないですよね。TwitterにしてもInstagramにしても、インターネットというメディアはそういう側面があります。そこで何か演じているとしても、なにかしらの「人格」を出さなきゃ見てもらえないし。


――しかし、ジャニーズの場合はインターネットでオープンな発信をしないですよね。


太田:だからこそある程度、ジャニーズという独自の世界がぎりぎり守られているのかもしれないですね。テレビの中で、ジャニーズのメンバー同士でいじりあう程度に収めている。ただ、テレビでどこまで人格を見せるのか、それを試す最前線にいるのはやっぱり中居くんですよね。後輩のキャラクターをどんどんほじくり返している。『中居正広という生き方』の中で舞祭組を多く取り上げたのもそういうところからです。ジャニーズとしてどこまでやるべきなのか、そのリミットを広げようとしている点では、中居くんとジャニー(喜多川)さんは共通している感じがします。


――とはいえ、ジャニー喜多川氏と比べると、彼の表現したいフィールドや内容とは距離があります。


太田:生きてきた時代や環境の差は大きいでしょう。ジャニーさんは若い頃にアメリカにいて、戦後のアメリカ文化の影響をもろに受けた世代です。ブロードウェイやハリウッドに憧れを抱き、いかに「アメリカ」を自分たちのものとして消化するかということを考えてきた。一方、SMAPが登場したのは冷戦構造の終わりです。アメリカの影響は今でもあるけれど、アメリカがライフスタイルのお手本だった時代は終わっていた。ある意味ではアメリカの影がなくなったところに登場して、テレビをベースに生きる道を見つけた。ただ、ジャニーさんは舞台の分野で展開している独特の世界のリミットを広げようとしているし、中居くんの場合はテレビを中心にして世間との接点の最前線を探ろうとしている。そこには共通点があるように思います。


・「『アイドルが続く』ということには、好きになってくれるファンの側の成熟もある」


――SMAPは30代、40代のアイドル像を示すことに成功しました。ジャニーズの後進グループもこの流れをつないでいけるでしょうか?


太田:社会がアイドルをどのように受け入れていくのかということに、相当左右されていくのではないでしょうか。SMAPはいろんな応援の仕方ができるグループですが、熱狂的に応援したい層、ある程度距離感を持って接するのが好きな層というように受け手が分化して、グループが細分化されていくかもしれない。グループという形がずっと当たり前に続いていくかどうかもわからないですよね。


――それこそ1980年代にはソロのアイドルが多かったわけですよね。


太田:ソロのアイドルが、プロジェクト次第でその時にだけ集まるという形態になるかもしれませんしね。SMAPがすごいのは、ユニットっぽいところがあるんですよね。極端に言えば、グループじゃなくてもいいんじゃないかと思わせるところがある。普段グループとしてSMAPを見るのって『SMAP×SMAP』や特番くらいで、多くの場合はメンバー個人として活動する姿を見てるわけじゃないですか。すでにグループと個人、どちらが主かわからないようになっている。その意味ではアイドルの未来像的な部分もあるのかもしれない。ただ、先ほど話したように、人間そのものを見せるという意味では、一人だときついのかもしれません。グループがあることによって救われている部分はあるんだろうと思います。スキャンダルはSMAPにもあったわけだけれど、グループがあるからこそ、そこに帰ってきて許されるという機能があったと思うので。


――人間そのものを好きになってもらう、というアイドルの性質がここでまた鍵になるわけですね。


太田:「アイドルが続く」ということには、好きになってくれるファンの側の成熟もあるんだろうと思います。アイドルとファンがある種の距離感を持って長く付き合える関係って可能なんだなと、SMAPを見ていると実感しやすい。そういう成熟が広がっていくことによって、アイドルの活動の仕方も変わっていくかもしれないですね。


――「アイドルを好きである」ことは未成熟な嗜好として語られることも多いけれども、「人格を好きになる」と考えれば、そう単純なことではない。


太田:かつては、アイドルは思春期と切り離せないものだったわけですよね。SMAPの存在は、それを超えたということでもあるわけです。「好き」のあり方だって多様ですから、もちろん疑似恋愛的に入れ込むことだってありうる。ただ、だからといって「アイドルは恋愛しちゃダメ」みたいに変な規範になってしまうようなことがなくなればいいんだろうと思います。どういうあり方であれ、好きだという感情がないとアイドルではありません。僕も中居くんが好きだから『中居正広という生き方』という本を書いたわけですからね。


(取材・文=香月孝史)