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山崎まさよしが語る、音楽と共に歩んだ20年「残っていく曲にするためには、“命の吹き込み”が必要」

2015年08月21日 21:11  リアルサウンド

リアルサウンド

山崎まさよし。

 デビュー20周年を迎えた山崎まさよしが、10年ぶりとなるベストアルバム『ROSE PERIOD~the BEST 2005-2015~』『UNDER THE ROSE~B-side&Rarities 2005-2015~』をリリースした。『ROSE PERIOD』には「ビー玉望遠鏡」「花火」「星空ギター」などのシングルに加え、20周年記念ソング「21世紀マン」などを収録。『UNDER THE ROSE』にはシングルのカップリング曲、アルバム未収録のCMソング、大竹しのぶとのデュエットソング「黄昏のビギン」などが収められ、2005年以降の活動が網羅された内容となっている。


 ブルース、フォーク、レゲエなどのルーツミュージックを大事にしつつ、トレンドや時代の流れに左右されない普遍的なポップソングを生み出してきた山崎。今回のインタビューでは2作のベスト盤をフックにしながら、独自の音楽観、制作のこだわりなどについてじっくりと語ってもらった。


・「まだ経験していない音楽は、自分にとって新しい」


――ベストアルバム『ROSE PERIOD~the BEST 2005-2015~』を聴かせていただき、この10年間も本当に質の高い、普遍的な楽曲を作り続けてきたんだなと改めて実感しました。どの曲にもルーツミュージックのテイストが感じられることも印象的でしたが、制作の際もそこは意識されているんですか?


山崎:それはアレンジですよね。編曲。そこでポピュラリティや普遍性を持たせるためには、誰しもが時代とともに聴いていたものがいいというか――それが僕にとってはおそらく、レゲエだったり、フォーキーなものだったりするんだと思います。あと、ルーツ的な音楽って、世界にいっぱいあるじゃないですか。それを調べるっていったらおかしいですけど、体験するのが好きなんですよね。ブラジルの音楽もそうですけど、その場所でずっと聴かれている音楽というか。アメリカのブルース、ジャズにしても、枝分かれしながらいまだにずっと続いているわけで。そういう音楽と自分の楽曲が合致させることが、まだまだおもしろいと思ってるんです。古いものを掘り下げているわけではなくて、まだ経験していない音楽は、自分にとって新しいということなんですよね。


――なるほど。確かに山崎さんの楽曲は、その時代のトレンドとは一線を画してますよね。


山崎:時代と共に新しくなるということではないですからね。まあ、そこに関しては「わからない」というのもあるんですけどね、正直。いまだったら……あの、何とかダンスミュージックみたいな。


――EDMですか?


山崎:あ、そうそう(笑)。この間もスタッフに「それ、何やねん」って話したんですけど。ロックフェスでどんなムーブメントが起きてるかとか、そういう現象的なこともよくわからないですからね。「飛び跳ねてるなー」くらいで(笑)。やっぱり、どっかしら血が通ってる音楽が好きだし、肉体性みたいな部分を表現したいというのもあって。ギターにしても、「ジャカジャーン!」って思い切り弾くのがカッコいいっていうのがありますからね、いまだに。


――この10年の間にも「ビー玉望遠鏡」「花火」など優れたポップソングを発表されてますが、ルーツミュージックの要素を取り入れる一方、「たくさんの人に聴かれる」ということも同時に意識してるんですか?


山崎:「ビー玉望遠鏡」に関しては、まず「夏の曲」というオーダーがあったんですよね。夏っぽい曲というと、やっぱり山下達郎さんのような16(ビート)のギターカッティングかな、と。そこにヴィブラスラップをカーン! と鳴らしたら、太陽の日差しみたいなイメージになるかなとか、そういうところから始まって。


――やっぱり音楽的なところがもとになってるんですね。


山崎:そうですね。一般的にそのときどきで注目される曲って、もっと激しいものだと思うんですよ。ボコーダーボイスみたいにしてみたり、エレクトロ的な音を取り入れたら、オーディオ的に人の耳を刺すだろうし。そういう時代の激しさには、あまりついて行く気持ちがないというか、しんどいんですよね。まずは自分が興味のあることをやりたいし、背伸びしたとしても、ちょっと手を伸ばせば届くくらいのところでやりたい。その範囲のなかでは、絶対に妥協しないという考え方ですね。


――派手なフックを作ってリスナーの関心を集めても、それほど意味はないと。


山崎:それでみんなが手に取ったとしても「そういう時代なんだろうな」というだけなので。あと、俺がやると何か違うんじゃうかなっていうのもあるんですよね。それよりも弾き語りのほうが山崎らしいというか……ふだん自分のことを“山崎”とは言わないですけど(笑)、山崎まさよしがいままでやってき方法で聴いてもらったほうがいいと思うんです。この前のカルテット(弦楽四重奏を加えたカルテットツアー『Yamazaki Masayoshi String Quartet“Harvest”』)もそうですよね。ああいうオーケストレーションであれば、古い曲でもより一層味わい深くなるだろうし。


――自分に合うスタイルを冷静に判断しているんでしょうね。


山崎:どうなんですかね? いま新曲を作っても、スタッフから「え、いまこんな曲が出てきたんですか?」って思われるかもしれないし、そこはわからないですけど。そういうギャップとか世間とのズレって、ずっとあるんですよ。まあ、この20年間、こちらから世間と合わせたことはない気がしますけどね。


――活動のスタンスに関して、「自分はこれでいいんだ」と確信が強まった時期はあるんですか?


山崎:10年以上前から、基本、ほぼセルフプロデュースなんですけど……たとえばライブに関して言うと、音源の再現ということをあまりしてなこなかったんですね。にも関わらず、ライブやツアーが途切れなく組めてたり、お客さんが会場に来てくれるということは「このままでいいんだ」というか、このやり方が合ってるのかなとは思いますけどね。


――山崎さんのライブのスタイルは、弾き語り、トリオ編成、オーケストラ編成の3通り。当然、CD音源を再現するということにはならないですよね。


山崎:そうですね。以前は「キーボードがいたり、シーケンスが流れてもいいんとちゃうか」って思ってたし、実際、代表曲に関してはそういうこともやってたんですよ。でも、それをやると(演奏の)方向性が自由に変えられないんですよね。拍をひとつでも間違えたら、大変なことになってしまうんで。それよりも、自由にどっちにでも行ける弾き語り、トリオのほうが魅力的だなって。あとね、だいぶ前に中村キタロー(ベース)に「キーボード入れるって、どうかな?」って聞いたら、反対されまして。「山崎は弾き語り、トリオ、オーケストラがカッコいいと思います」って敬語で書いた手紙が届いたんですよ。


――手紙! 思いがこもってますね。


山崎:そうですね(笑)。そのときに「そうか」と思って、そのままここまで来たところもあるんですよね。まあ、どうしてもピアノが欲しいときはオーダーしますけどね。どう考えてもピアノほうがいい曲もあるので。


――そうですよね(笑)。ただ、弾き語り、トリオ、オーケストラという3つのスタイルは、かなり極端ですよね。ソロのアーティストがライブをやる場合、フルバンドがメインになる場合が多いと思うのですが。


山崎:確かにすごく極端だと思います。ただね、音楽的なグレードを上げることを考えると、トリオバンドってすごく勉強しがいがあるんですよ。まず、ずっとトライアングルだから、終わりがないんですよね。アイデアもどんどん出てくるし、「今回はこうやってみよう」ってアレンジも変わっていくし。そこにもうひとりギターが加わったりすると、しんどくなると思うんですよ。ベース、打楽器、ギターだったら、明日にでもすぐにやれますから。


――当然、3人のプレイヤーの技術が高くて、音楽的なアイデアを出せることが前提ですよね。


山崎:もちろんそうだし、アイデア、引き出しに関しても、あのふたり(中村キタロー、江川ゲンタ/Dr)は「まだあるんかい!」っていうくらい持ってるんですよ。ほかの楽器を入れれば音像は安定するし、トリオには不安定材料も多いですけど、真ん中にドーンと歌があれば(音数が)スカッとしていてもいいというか。歌の行き方がアレンジを導くところもあるし。


――山崎さんの場合、歌のなかにしっかりとリズムが含まれてますからね。


山崎:歌のなかにリズムもあるし、演奏のリズムを変えたときは、歌をそっちに寄せることもあって。それはある程度、技術的なことかもしれないけど、「歌えばおそらく大丈夫」というのはありますね。僕はずっと主観的にやっているので、まわりのスタッフの評価でしかわかりませんけど、歌がしっかり真ん中にある状態で演奏が成り立っていれば、ちゃんと表現できてるんじゃないかなって思うので。違和感があるのは、大所帯のバンドにゲストで呼ばれたときかな(笑)。歌いづらくてしょうがないし、気持ちよくも何ともないっていう。


「歌は何年かけたとしても、もともとの資質を拭い去ることは出来ない」


――『ROSE PERIOD』には’93年に制作された「One more time,One more chance」のデモ音源も収録されていて。これを聴くと、デビュー前からボーカルのスタイルは出来上がっていたんだなという印象を受けます。


山崎:それはあるかもしれませんね。(ボーカリストとしての)資質というかね。たとえばギターは、1週間立て続けに弾いてたら、おそらく確実に向上する。歌は何年かけたとしても、もともとの資質を拭い去ることは出来ないんですよね。僕自身、気持ちのなかでそれ(資質)以上のものを求めていた時期もあるんですが、喉の出来事っていうのは、内臓に近い分、気持ちによって変わったり、「緊張で喉が締まる」みたいなことはいつまで経ってもあるんです。だからみなさん、ボイトレ行ったり、浅田飴を舐めたりするんだと思うんですけど(笑)。


――山崎さんはボイトレを受けたことはあるんですか?


山崎:俺、行ったことないんですよ。そういうのは自分で見つけたいほうがいいと思うんで。自分で気づいたことは忘れないし、何かが起きたとしても「またあそこに戻ればいい」って思えるけど、人に教えられたことって忘れていくような気がするんですよね。そういう小さい発見は、いまも日々ありますよ。


――『ROSE PERIOD』に収録された20周年記念ソングについても聞かせてください。オーセンティックなレゲエを取り入れたサウンドも新鮮でしたが、率直に思いを綴った歌詞が心に残りました。デビューからの20年を振り返り、そこで思ったことをそのまま歌にしたというか。


山崎:そういう歌を作らなきゃダメだと思ったんですよね。15周年のときは『HOBO‘s MUSIC』というアルバムを作ったんですけど「HOBO‘s」というくらいだから、漂ってるというか、
まだ歩いてる感じだったんですよ。いまは歩いているというより、いったん後ろを振り返っているというか。そういう集大成的な曲は、わかりやすいものがいいだろうと。すごくスペシャルである必要もないんですけどね。それはライブでやればいいし。


――山崎さん自身、この歌を作ることで「いろんなことがあるけど、こだわって進んでしくしかないんだ」ということを改めて確認したのかもしれないですね。


山崎:そうですね。この10年、特にここ5年は世の中的にもいろんなことが起きて…。震災が起きたときも、けっこう早い時期にライブをやったんですよ。(2011年)4月にサントリホールで服部隆之さんといっしょにやったんですけど、当時は「自粛しないなんて、不謹慎」と思われたところもちょっとあって。でも、いま振り返ってみても「やってよかった」と思いますからね。音楽が受け入れらない状況があったとしても、自分に出来るのはそこしかないという気持ちもあったので。


――震災後、最初のシングルは2012年の『太陽の約束』。社会の変化は曲作りにも影響を与えしたか?


山崎:うん、ありましたね。それこそ「♯9 story」(アルバム『FLOWERS』に収録された、憲法第9条をテーマにした楽曲)だったり。みんなが共通して思ってることは、動物的に察知しているところもあるだろうし、それは詞にも出てると思いますね。もちろん(現実と歌詞の)ある程度の距離感はあると思いますけど、言葉の持つ力は重要ですからね。その言葉が響くということは、その時代の周波数と共鳴してるということじゃないかなって。それは人の心かもしれないですけどね。アルバムを作るときも、いろんなシチュエーションがあって、ひとつくらいはスポッとハマるという歌が書けたらいいなって思いますね。


・「世に送り出した曲が死んでしまうのは可哀想」


――一方の『UNDER THE ROSE』にシングルのカップリング曲、アルバム未収録を中心にレアな楽曲が収められています。


山崎:「仕事やってたんですよ」ということですね(笑)。オリジナルアルバムが出ないから、「仕事してないんか?」って思われがちなんで。


――「うたたね」(ボンカレーオリジナルソング)、「心の手紙」(映画『春を背負って』主題歌)などタイアップソングも多いですね。


山崎:ほとんどはクライアント、企業からの発注なんですよね。台本を読ませてもらったり、それに関する映像も見ますし、自分のレコーディングの映像が必要なのであれば、それも協力させてもらいますし。時代のニーズには応えられないけど、企業のニーズには応えられる……わかんないですけど(笑)。ただ、そういう作り方は嫌いじゃないです。「サビと映像が合わないから、メロディを足してほしい」ということにも対応するし、「歌い出すタイミングを遅らせたい」と言われたら「じゃあ、イントロをもうちょっと伸ばします」とか。それは出来ない作業ではないというか、アレンジしてるときにもよくあることなので。


――クライアント側との共同作業にも、やりがいがあると。


山崎:そうですね。ただ、オリジナル曲のときもスタッフに聞くんですよ。「どんな歌を歌ってほしい?」って。自分から「これを歌いたい」ということはあまりないかもしれないですね。「ガットギターをスパニッシュみたいに弾きたい」とか「ハチロク(8分の6拍子)のワルツでギターをいっぱい入れたい」みたいなことはあるんですけど、基本的には「求められている」という出発点があって、それに対して俺がどう応えられるか?という……ことにしてます(笑)。まあ、「いい曲書いてください」って言われたら、ドツキますけど。「ヒット曲お願いします」も腹立ちますね。「それはスキマスイッチに頼んでください」って(笑)。


――(笑)。他者から求められることで山崎さんの創作がスタートするのは、すごく興味深いです。音に対するこだわりが強い判明、共同作業はまったく厭わないという。


山崎:「もっとこうしてほしい」というやりとりのなかでブラッシュアップすることは、すごくいいと思うんですよね。歌詞に関しても「これでいきたいと思います」とは言わないんです。「こんなの出来たけど、どう? 何か意見ある?」っていう。そこで「ここがわかりにくい」という意見があれば、書き直しますし。特に作詞・作曲はすごく大事だし、ずっと残っていく曲にするためには、アレンジ以上の“命の吹き込み”が必要だと思うんですよね。そのためにはひとりの力だけでは…。


――山崎さんを中心に、スタッフ、ミュージシャンの力を合わせながら、楽曲に生命力を与えることがもっとも重要だと。


山崎:うん、それは強く思ってますね。そういう曲が時代を超えていくんだろうし。リリースした年だけで終わってしまうと、それ以降、印税をもらえなくなるじゃないですか……何を言うてるんや、俺は(笑)。


――ははははは(笑)。


山崎:でも、せっかく作って世に送り出した曲が死んでしまうのは可哀想ですから。こちらであえて持ち上げたり、引っ張ったりしなくても、曲単体で歩いていけるというか…。モノ作りで大事なことはそこじゃないかなって。


――でも、すごく厳しいことですよね。その曲に本当に生命力があるかどうかは、ある程度の時間が経たないとわからないので。


山崎:だから、こうやって(ベストアルバムとして)曲を並べてもらえるのはありがたいですよね。曲単体では埋もれてしまったり、弾かれることもあるかもしれないけど…。


――ベストアルバムとして再びリリースすると、「この曲には本当に力があったんだな」と実感できると。


山崎:1曲1曲を聴くと、そこまでパンチ力みたいなものはないかもしれないですからね。僕ね、ベストの監修にはまったく口を出してないんですよ。ただ、ラジオのリスナーから「あの曲が入ってないですよ」っていうメールが来たので、制作のスタッフに「あれ、モレてるで」って言いましたけど(笑)。ふだんからスタッフワークだったり、文字のチェックとか映像、ビジュアルに関してはとやかく文句は言わないんです。音楽のことは「こうやらせてほしい」というのがあるので、餅は餅屋というか、あとは任せたいなっていう。そのほうが軋轢も無理もないですからね。


――20周年を迎え、ベストアルバムがリリースされると、一区切りという感覚もありますか?


山崎:ええ、ありますね。ただ、やることの手順はこれからもあまり変わらないと思います。これで20年やってきましたからね。


――山崎さんが中心となる今年のAugusta Campも楽しみです。


山崎:この会社(オフィス・オーガスタ)がイベントをはじめて、17回目になるらしいんですよ。ひとつの会社内でこれだけ続けられるのは、ただただ凄いなって思いますね。今年は出演時間がいつもより長いかもしれないし、体だけは気を付けたいなって。そのぶん、来年は涼しい部屋から中継してもらいます(笑)。(森朋之)