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「現代社会のアンチヒーローを描きたかった」『ナイトクローラー』監督が語るJ・ギレンホールとLA

2015年08月21日 21:11  リアルサウンド

リアルサウンド

撮影中のダン・ギルロイ監督とジェイク・ギレンホール

 傑作と呼ぶしかない映画には、観た後に完全に言葉を失って、自分の中で作品の細部を思い出しながらその悦楽に浸りたいタイプの作品と、すぐにでも誰かとその作品について語り合ったり、もし可能ならばその作り手に山ほど質問をしたくなるタイプの作品がある。間違いなく本年度屈指の傑作のひとつである『ナイトクローラー』は、完全に後者のタイプの作品だった。観る者すべてドン引き必至のジェイク・ギレンホールの怪演について、作中で象徴的に描かれる主人公が乗る赤いダッジ・チャレンジャーについて、そして大規模なLED街灯導入によって変わりゆくLAの夜景の最後の美しい煌めきを捉えたその見事な撮影について。時間の限られた国際電話でのインタビューではあったが、ダン・ギルロイ監督に訊きたいことをピンポイントですべてぶちまけてみた。


 これまで『落下の王国』『リアル・スティール』『ボーン・レガシー』などの脚本を手がけてきたダン・ギルロイ。兄のトニー・ギルロイは『ボーン』シリーズの名脚本家にして今や人気監督、双子の兄ジョン・ギルロイはハリウッドきっての腕利き映画編集者、でもって妻は本作『ナイトクローラー』でも印象的な熟女ぶりを発揮しているレネ・ルッソ。父親のフランク・D・ギルロイにいたってはトニー賞とピューリッツァー賞を受賞した名戯曲家という、とんでもない名門一家出身なわけだが、ふと気づいてみれば、主演のジェイク・ギレンホールも、そしてポール・トーマス・アンダーソンの右腕として知られる撮影監督のロバート・エルスウィット(『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』の撮影も見事でした)も、みんな生粋のLAっ子。本作『ナイトクローラー』の素晴らしさを解く鍵は、そんな「東京生まれHIPHOP育ち」ならぬ「LA生まれハリウッド育ち」の「才能ありそなヤツは大体友達」なサークルから生まれたことにあるんじゃないか。そんな自分の仮説が、おそらくは的中したんじゃないかという内容のインタビューになってます。(宇野維正)


■「ジェイクと初めて会った晩、気がついたら5時間も話し込んでいた」


ーーとにもかくにも『ナイトクローラー』は本当に見事な作品で、監督一作目にしてここまでの腕を見せつけられると、どうしてあなたが55歳(現在56歳)になるまで監督業をしてこなかったのか、それが不思議でならないのですが。


ダン・ギルロイ:理由は二つある。一つは、なにしろ自分はものを書くことが好きなんだ。一人で書斎に籠って延々と脚本を書く、その孤独な作業を心から愛していてね。だから、なかなか撮影現場にまで行って、そこで監督をしようとは思えなかった。もう一つの理由は、これまで何本も脚本を書いてきて、それを別の人間が監督をして一つの作品になった時に、自分が脚本を書いていた時に見ていたビジョンとはまったく異なるものになることが往々にしてあった。それは、興味深いことでもあったんだけど、さすがにだんだんフラストレーションがたまってきてね(笑)。一度、自分が見ていたビジョンを寸分違わず具現化してみたらどんな作品になるかってことに興味が湧いてきたんだ。それで、50歳を過ぎてから重い腰を上げて書斎の外に出て、自分の脚本を自分で監督をしてみようと思った。まぁ、ようやく気持ちの準備ができたってことだね。


ーー本作におけるジェイク・ギレンホールはまさに当たり役で、主人公に完全になりきっていましたよね。最初からジェイクを想定して書いた脚本だったのでしょうか?


ダン・ギルロイ:そういうわけじゃないけど、ジェイクはあらゆる局面においてこの作品に関わってくれたからね。この作品は私の作品であると同時に、ジェイクの作品でもある。なにしろ、彼はとにかく役者としてとんでもない才能の持ち主だからね。5年くらい前だったかな。ジェイクは「これからは商業的な作品ではなくて、パーソナルで挑戦的な作品を選んで出演していきたい」と周囲に公言するようになったんだ。『ナイトクローラー』の主人公ルイスは普通じゃない役だから、あのキャラクターを心の底からおもしろいと思ってくれて、自分自身が掘り下げてどっぷりと浸かってくれるような役者にしか務まらないと思っていた。だから、ジェイクに声をかけてみたんだ。彼が『プリズナーズ』の撮影に入っている頃に会いに行って、すぐに仲良くなったよ。『ナイトクローラー』におけるジェイクは単なる主演俳優ではなく、完全なクリエイティブ・パートナーだった。彼はプロデューサーとして、キャスティングやビジュアルのディレクションまであらゆる面でこの作品に関わってくれた。それは、彼自身が望んでいたことであり、僕も彼の才能を信じていたので一緒にやってみようと思ったんだ。


ーーあなたとジェイクは20くらい歳が違いますけど、その生い立ちにかなり共通点がありますよね。本作の舞台にもなっているLAで生まれて、映画界に深く関わっている家族で育ち、かなり若い頃から映画の世界に出入りしていた。なにか特別に共感を覚えるようなところもあったんじゃないかと、つい想像してしまうんですけど。


ダン・ギルロイ:あぁ、そういえばそうだね。私の父も二人の兄も、彼の父も母も姉も、みんな映画の世界で働いてきた人間だ。そのせいかどうかはわからないけど、彼と一緒にいるととても居心地がいいんだ。余計な社交辞令を交わさなくても最初から分かり合えている感じというかね。さっき『プリズナーズ』の撮影中に彼に会いに行ったって話をしたけど、その晩も結局気がついたら5時間以上も二人だけで話し込んでいた。初対面だというのにね(笑)。


■「最低の男がビジネスで成功する姿を描くことで社会に警鐘を鳴らしたかった」


ーーこれまで数多くの映画がいろんなタイプのルーザー(人生の敗者)を描いてきましたが、ジェイクが演じたルイスというキャラクターは、これまで映画で描かれることのなかったまったく新しいタイプのルーザーですよね。彼は現在の新自由主義的な社会が生んだ被害者ではあるけれど、その社会のことを憎むのではなく、むしろその社会を成り立たせている思想を愛していて、それと一体化したいとさえ思っている。日本においても、社会的な弱者ほど権力や資本家に対して従順だったりする傾向があるので、そこが非常に興味深かったです。


ダン・ギルロイ:脚本を練っている間は、いろんなキャラクターを試してみたけど、最終的に私はこの作品をアンチヒーロー映画にしたいと思った。イメージとしては、マーティン・スコセッシの『キング・オブ・コメディ』でロバート・デ・ニーロが演じた主人公のようなね。自分が表現したかったテーマとアイデアを実現するには、ルイスのようなアンチヒーローを描く必要があったんだ。本作の主人公は、他人に対する共感性、思いやりをまったく持っていない人間だ。でも、そういう人間だからこそビジネスの世界で勝っていく。社会的に成功していく。それは、今まさにこの世界で起こっていることの縮図なんだ。資本主義が加速していて、さらに競争が激しくなっているこの世界では、人間は間違った理由で成功してしまう。多くの観客は、作品の終わりで彼が罰せられることを期待しただろう。でも、そうじゃないところがこの作品の肝でね。君はおそらく人格面において彼のことをルーザーと呼んだけど、実際のところ、社会において彼はウィナーなんだ。あのような最低の男がビジネスで成功する姿を描くことで、私は社会に警鐘を鳴らしたかった。


ーーということは、あなたは、あの主人公がこの後もつまずくことなくずっと成功を続けていくと考えているんですか?


ダン・ギルロイ:きっと10年後に彼は巨大な多国籍企業で役員を務めていて、その役員会でも大きな発言権を持っているんじゃないかな(笑)。そして、私はこの社会に待っているそんな未来を心の底から憂いているんだ。


ーー主人公は小金を手にした途端、真っ赤なスポーツカーを買って、その車をとても大事にします。他人に対する共感性はまったく欠如しているのに、モノには異常な執着を見せる。あの赤いダッジ・チャレンジャーは、ほとんど自己愛性人格障害とも言っていいような主人公を象徴するアイテムとして描かれていますね。


ダン・ギルロイ:あの車は主人公の幼児性の象徴なんだ。私は脚本を書いている段階から、いつも何かビジュアルのキーとなるようなアイテムがないかを考える。今回の場合、その一つがあの赤いダッジ・チャレンジャーだった。細かいところでいうと、主人公の部屋の棚には恐竜のオモチャが飾ってあっただろ? あれも脚本の段階から書き込んでいたものだ。この主人公は身体は大人だけど、心は子供のままなんだ。悪い意味でね(笑)。彼はどこかで人間的に成長する機会を逸してしまった。だから、彼にとってあの赤いダッジ・チャージャーはミニカーの延長のようなもの、大きな子供の大きなオモチャなんだ。


ーー本作には二つの主人公がいて、一つはこれまで話してきたように主人公のルイスですが、もう一つは夜のLAの街だと思うんですね。ポール・トーマス・アンダーソンの『インヒアレント・ヴァイス』で1970年のLAの街の光を見事に再現していた撮影監督のロバート・エルスウィットが、この作品では現代のLAの街の光を完璧に捉えている。短期間にその2本を観たこともあって、とても興奮を覚えました。


ダン・ギルロイ:ロバートは間違いなく現代最高の撮影監督の1人だね。ナンバー1か、少なくともナンバー2だろう(笑)。結構古くからの友人なんだけど、彼とこうしてガッツリと仕事ができてとても嬉しかったよ。多くの映画監督は、LAで映画を撮るとなると、高速道路やダウンタウンや、そういうお約束の景色ばかり撮りたがる。ビルディングとアスファルト、つまり灰色のイメージだね。でも、LAで育った自分にとってーーこれはジェイクにとってもロバートにとっても同じだと思うけどーーLAというのはとても多くの緑に囲まれた街なんだ。


ーー確かに。ちょっと街の中心から出るとすぐにそういう野生的な風景が広がっていますよね。


ダン・ギルロイ:そう。LAには美しい緑があって、海があって、山もある。LAはそういう決して手なづけることができない自然の中に、人間がむりやり作った街なんだ。私が映像化したかったのはそういうLAの本当の姿だった。ちなみに自分はサンタ・モニカで、ロバートはヴェニス・ビーチ、たった5マイルしか離れていないところに暮らしていてね。ロバートとは撮影に入る前の3ヶ月間、毎晩のように連れ立って一晩中LAの街を車でロケハンをして回ったよ。しかも、その車もダッジ・チャレンジャーでね(笑)。日によって赤いダッジ・チャレンジャーを借りたり、黒いダッジ・チャレンジャーを借りたりして、車の色も含め、どんな色彩がこの作品に必要なのかを一緒に考えた。夜中3時のダイナーで、一緒に不健康な食事をとりながらね(笑)。(宇野維正)