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LITTLE+細川貴英が語り合う、韻の面白さと使い方「韻はフェティシズムの世界 それをいかにポップスにしていくか」

2015年08月16日 20:31  リアルサウンド

リアルサウンド

LITTLE、細川貴英 特別対談

 8月12日にニューアルバム『アカリタイトル2』をリリースしたLITTLEと、6月2日に発表された『声に出して踏みたい韻 ヒット曲に隠された知られざる魅力』(オーム社)の著者、細川貴英氏の特別対談。「日本人の韻リテラシーを高めたい」という思いを持ち、某企業でエンジニアとして勤務しながらラッパーとしても活動する細川氏の本書では韻の仕組みやその美しさが解説され、中でも同氏はKICK THE CAN CREWやLITTLEの楽曲に含まれた韻の素晴らしさに感銘を受けたという。今回のLITTLEとの対談では、日本語ラップシーンにおける韻についての考え方の変遷から、『アカリタイトル2』収録曲にみるLITTLEの韻のテクニック、さらにはLITTLEと細川氏が考えるこれからの韻のあり方まで語ってもらった。


・「本当に考え込まれた韻というのは少なくなっている」(細川)


細川:僕が韻を人生のテーマのひとつにしようと決心したのは、まさにLITTLEさんがきっかけだったんです。KICK THE CAN CREWがメジャーデビューして日本語ラップ界を席巻していた2001~2002年頃、当時は商店街や飲食店でも「イツナロウバ」や「マルシェ」がかかっているほどの勢いだったので、三重県の田舎にいた僕たちの耳にもラップというものが届きました。中でもLITTLEさんのヴァースの韻がすごくて、ちょうどそのとき一緒にいた母親に「ちょっとお母さん、これマジすごくない?」と言ったんですけど、まったく理解されなくて(笑)。それが悔しくて韻の研究を始めたという感じです。LITTLEさんは当時、どのようにしてスタイルを確立していったのですか?


LITTLE:日本語ラップにはもちろん、以前から韻を踏むというテクニックはあったんですけど、おそらく僕らの世代から同時多発的に、長いセンテンスで踏んだりとか、トリッキーに踏んだりするのが流行ったんですよ。これまでの日本語ラップの韻を、さらに一歩進化させたスタイルという感じで、それがうまく時代ともマッチしていたのだと思います。


細川:あの時代は、いま振り返っても圧倒的に良質な韻が踏まれていましたね。今では韻以外のものを重視するようになったラッパーたちも、当時はとことん韻のルールに忠実でした。だけど、多くのリスナーがあまりそこに注意を払うことがないうちに、その時代が終わっていった印象で、少し寂しく思います。


LITTLE:そうですね、だんだんと韻に重きを置かなくなっていきましたね。Zeebraさんが12~13年ぐらい前に「きっちり韻を踏まなくても、それっぽく聴こえるほうがUSっぽくてかっこいい」みたいな提言をして、その後はシーン全体がフロウ重視になっていったように思います。


細川:当時よりもラップは一般的になっているし、フリースタイルなんかも流行っているけれど、本当に考え込まれた韻というのは少なくなっている印象です。個人的にはもっとシーン全体の“韻リテラシー”が高くなってほしいと思っています。


LITTLE:嬉しい意見ですね。いまは商業的に見て、必ずしも韻の作り込みが求められているわけではないと思うし、それこそKREVAだって違う方向性を模索している。新しいアルバムを1枚出して、韻の話をしてくるラッパーもほとんどいないです。一文字違いの韻なんかは、ダジャレっぽく聞こえかねないから、それを嫌うラッパーもいますしね。ただ、そういう韻が見つかる確率って少ないじゃないですか。母音だけを揃えるのは、かなりの確率でできるけど、濁点を1個減らしただけでまったく違う意味合いになったりする言葉はほとんどない。だから、韻は先に踏んだ者勝ちで、そういうところも面白さのひとつだと思うし、俺はやっぱり好きなんですよ。


・「ここ数年は、聞き手に韻を踏んでいることを気付かせないことに注力している」(LITTLE)


細川:僕は良質な韻の定義として、「共通している母音の文字数が多い」「同じ母音で踏み通す回数が多い」「母音のみならず子音も共通になっている」「固有名詞など汎用性のない言葉を含んでいる」「韻を構成する品詞や言語が多様である」の5つを挙げているのですが、LITTLEさんのラップはまさにそれを体現していて、だからこそオリジナリティがあるし、すごいと思います。


LITTLE:韻はクリケットみたいなもので、早い者勝ちだから、見つけたらとにかく誰よりも先に入れ込んでいこうという姿勢でやっていました。90年代くらいはラッパー同士で「この韻はすでに誰かが踏んでいるよね」みたいな会話があるほど、韻のオリジナリティも追求されていたと思います。だけど一方で、ダジャレみたいだという意見も当時からあった。まぁ、ダジャレと言われれば、そうとも言える(笑)。


細川:良質な韻の定義の「母音のみならず子音も共通になっている」を満たすと、たしかに限りなくダジャレに近いラップになります。でも、それをダジャレっぽくなく聞こえさせるためのテクニックもあって、たとえば小節をまたいだり、ふたつ以上の単語で踏むと、韻らしさが際立ちますよね。このアルバムの「Beach Sun Girl」でいうと、「イヒヒにやけてる」と「日に焼けてる」が韻を踏んでいますが、「イヒヒ」で1つの単語なのに、最初の「イヒ」は小節をまたいでいて、ラップでしか表現できないような語法になっています。そこが音楽的にも気持ちいいんですよ。


LITTLE:ありがとう、本の中でもすごく褒めてくれていたよね。でも俺、実はそこまで深く考えて作っているわけじゃなくて、感覚的にやっているというか(笑)。


細川:そうなんですか! 感覚でこれをやっているなんて、むしろ驚きです。


LITTLE:だって、もうずっと歌詞を書いているからね。別にルールを理解していなくても、自然と出てくるというか。「もっとこうした方がいいよ」っていう意見は、KREVAやROCK-Teeにもたくさん言われたし、それで裏拍から入ったほうがかっこいいとか、8小節をまたぐ時にこうすると気持ちいいとか、だんだん身に付いていった感じです。以前、雑誌『Fine』で連載していた「RHYMESTERのラップ講座」というのがあって、それでも「8小節あたりに気をつけろ」みたいなことが書いてあったし(笑)。でも、細川さんの本を読んで、「あ、俺はこうやって作っていたんだ!」っていう気持ちにはなりました。


細川:それは嬉しいですね。でも、僕はてっきりLITTLEさんもラップを理論的に考えて構築していると思っていたので、すごく意外です。これほど隙のないラップを感覚で作っていたなんて……。


LITTLE: GAKU—MCさんなんかは、ブレスの位置までシステマティックに計算していたりするので、作り方はひとそれぞれだとは思いますけどね。でも、自分の周りのラッパーは、割とラフに歌いながら決めていく感じが多いかな。個人的にかっこいいと思うのは、家で作り込んできたラップをブースで表現するときに、感覚でざくざく削っていけるタイプ。2回目のテイクを聴いたら、「え、そこを削っちゃうの?」ってくらい大胆に削ぎ落として、しかもそれが抜群にかっこよくなったりするんですよ。“てにをは”はもちろん、韻まで平気で削るひともいる。その“削り方”がかっこいいラッパーは、憧れますね。


細川:韻を削るのはかなりの勇気が必要ですね。


LITTLE:本当にそう。だから、あえて最近は、あまり韻には重きを置かないようにしている。もう本当にジジイの趣味だと思ってやっているぐらい(笑)。もともとがこういう作り方をしているから、韻は踏むんだけど、でもそこには固執しないというか。やっぱりどう聴こえるかというのも重要だし、たとえば「夢のせい」みたいなメッセージ性の強い歌を歌う時に、韻をがっちり踏んでいると、そっちに耳がいっちゃって、その世界観に入りにくい面もある。その両立が難しいんですよ。


細川:なるほど。でも、「夢のせい」は本当に、メッセージ性と韻が完全に両立している曲だと思います。あれぐらいメッセージがある中で、実はさりげなく韻が踏まれているのがすごくかっこいいです。


LITTLE:ここ数年は、聞き手に韻を踏んでいることを気付かせないことに注力しているからね。もう本当に好きな人だけが気付いてくれれば、それで良い。俺が好きで踏んでいるだけだから、わざわざアクセントにしようとは思っていない。来年の夏ぐらいに聴き直したときに、気付いてくれれば良いかなって(笑)。


・「さりげなくて、聴くほどに発見がある」(細川)


細川:韻はさりげなく踏むのがかっこいいというのは、この本でも書いていました。でも、せっかくなので、実際にこの『アカリタイトル2』での韻のすごさを読み解いてみたいと思います。


LITTLE:まあまあ恥ずかしい(笑)。


細川:そうですよね(笑)。なので、僕が解説したいと思います。僕の場合、LITTLEさんのアルバムは大体、一曲目が一番好きになるんですよ。今回の「バルバロイ」もそんな感じで、すごくキャッチーでした。KICK THE CAN CREWでもLITTLEさんから始まる曲が多かったと思いますが、このキャッチーさが一番バッターに向いているのかなって。


LITTLE:KICKの時は、たしかにそうでしたね。KICKは曲によってはあみだくじで順番を決めることもあったのですが、勝負曲のときは事務所の方に「ここはLITTLEで!」って言われたりしました。キャッチーな入りについては、意識するひととしないひとが本当に分かれるのですが、俺は少なくとも1番をもらったら、1番っぽい歌詞を書くって決めています。


細川:「バルバロイ」だと冒頭、「ランドセル」「キラキラしてる」と聴いたときに、「あれ、韻踏んでない?もしかしてLITTLEさんもう韻やめちゃった?」と不安になるのですが、それが次の「ちゃんと寝る」「抱きだしている」と、「あんおえう」「いあいあいえう」でそれぞれ踏んでいて、「あ、よかった」安心させられます(笑)。その「抱き出している」から、次の文頭の「身だしなみメイク」に繋いで、そこから「髪型チェック」に変わり、「何かが変、飽きただけ」と続いていく。とてもLITTLEさんらしい展開で、たまらないです。


LITTLE:はは、ありがとう。


細川:Unaさんとコラボしている「Beach Sun Girl」も、隠された韻が満載ですね。


LITTLE:「Beach Sun Girl」は夏らしいポップスを作ろうとした曲で、それこそ、いかに韻を踏んでいないように聴かせるかに注力した曲ですね。


細川:歌詞カードだけを読むと、韻を踏んでいるとは気付かない人の方が多いと思います。でも実は、めちゃくちゃ韻を踏んでいて。たとえば「キミ紫外線 気にしないで」は「いいいあえ」で全部踏んでいるし、「冷まさないで Summer Sunshine Day」も「ああああいえ」で、これも全部踏んでいます。そこから「Everynight&Day」と「many 大歓迎」、「海岸線、一夏の恋」と「大胆で人懐こい」、「ビーチサンダルTシャツのガール」と「気になっちゃういいヤツのはず」と続いて、さらに「目ぇ眩む 太陽が眩しい」と「手ぇ繋ぐ 最高なラブシーン」、「なみだの桟橋」と「渚のファンタジー」という感じで、最初から最後まで踏みまくりです。韻に関与していない文字がほとんどありません。さらに、韻の踏み始めは子音まで一致させて、「ここから韻が始まりますよ」というのをわかりやすく示してくれています。「冷まさないで」と「Summer Sunshine Day」だと、「さま」が一緒だったり。サビの「素直でいられる」「砂を蹴り上げる」も、字面を見るとそうは見えないですが、「うあおえいあえう」で全部母音が一緒で、出だしの「すなお」は子音まで合っています。


LITTLE:誰にも気付かれずにこのまま死んでいくと思っていたから、良かった(笑)。韻を踏むのはやっぱり印象が強いから、ストーリーのニュアンスが届かなくなる面もあると思っていて。だから気付かれないように韻を踏むんだけど、それがポップスの中でラップをやっていくことの面白さであり、難しさでもあると感じていたんですよ。でも、気付いてくれるひとがいるのは嬉しいですね、やっぱり。


細川:LITTLEさんの韻は、そこがすごくかっこいいですよね。さりげなくて、聴くほどに発見があるというか。でも僕は、もっとみんなにLITTLEさんが踏む韻のレベルの高さに気付いてほしいんです。


LITTLE:(笑)まあ、1回目はスムーズに聴いてもらって、「夏っぽいね」とか「いい曲だね」って感じてもらって、何度か聴いたところで「ガッチガチに踏んでいる!」って気付いてもらうのが一番うれしいかも。韻はフェティシズムの世界のもので、ポップスとは一番縁遠いものなんだと思うんだけど、それをいかにポップスにしていくかっていうのをひとつのテーマにしているので。いまはCDより音楽配信がメインになりつつあるけれど、歌詞カード読みながら「あぁ、ここはこういう風に踏んでいるのか」って読み解くのは、なかなか楽しい文化だと思うんですよね。欲を言えば、音の韻だけじゃなくて、ダブルミーニングやトリプルミーニングの言葉も入れているので、その謎解きの面白さも味わってほしいと思っています。


細川:そう考えると、韻っていうのはパッケージされた音楽作品の価値を、改めて気付かせてくれるものでもありますよね。アルバム全体を通すと、今作はLITTLEさんのパーソナルな一面が覗けるような作品で、固く韻を踏みながらも、リラックスして楽しめる感じも印象的でした。


LITTLE:前回の『アカリタイトル』は久しぶりに出した作品だったから、「いまの俺の実力を見せよう」という気になって、ラップ色が濃いものになったけれど、今作はわりと短いスパンで出したから、ちょっと緩やかなものにしようと思ったんですよ。「ついに俺もベテランっぽい、リラックスしたアルバムを作れるタイミングが来た」と思って、独り言みたいな、普段着の作品を意識しました。なので、聴くひとにものんびり楽しんでもらって、気になるひとには歌詞カードを読んでもらうという。そこでいろいろ発見して面白いと思ってもらえたら、もう最高ですね。


(取材・文=松田広宣/撮影=下屋敷和文)