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無名の新人監督による初長編作は、いかにして全米興収4400万ドルのヒットとなったか?

2015年08月15日 10:11  リアルサウンド

リアルサウンド

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 それは映画興行のちょっとした事件だった。昨秋、全米4館で封切られたハートウォーミング・コメディ『ヴィンセントが教えてくれたこと』はみるみる内に動員を伸ばし、2500館にまで上映規模を拡大。1300万ドルという低予算の作品ながら、興収4400万ドルを稼ぎ出す結果を残した。


参考:『ミニオンズ』興収40億円突破も視野に ロングヒットの背景と戦略を宣伝担当者に聞く


 数字を紐解いて気付くのは興収下落率の低さだ。これは強靭な下支え、つまり人から人への口コミ効果が働いたことを意味する。その後、批評家の絶賛も得て、本作がゴールデン・グローブ賞のコメディ/ミュージカル部門の作品賞、男優賞にノミネートを果たしたのは周知のところだろう。


 驚きなのはこれが無名のセオドア・メルフィ監督による初長編作だということ。いかにして彼はスマッシュ・ヒットを導き出したのか。その要因を3つの視点で分析してみたい。


■魅力あふれるキャスト


 まずは何を置いてもビル・マーレイだ。映画界のレジェンドとも天然記念物(この件に関しては後述する)とも言われる彼の魅力に勝るものは無い。


 70年代、TV「サタデー・ナイト・ライブ」で俳優、作家として才能を爆発させた彼。映画でも『ゴースト・バスターズ』(1984年)や『恋はデジャ・ブ』(1993年)は幅広い年齢層から愛され、『天才マックスの世界』(1998年)に始まるウェス・アンダーソン監督とのコラボや、ソフィア・コッポラ監督作『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)など、自身の持ち味を才能あふれるクリエイターに委ねることで新たなハーモニーを巻き起こし続けてきた。これらに一貫するビル・マーレイのちょっとシニカルな笑い、あるいは全てを達観し、全てを諦めてさえいるかのような表情を僕らはひたすら愛してやまない。


 そんな彼が、本作では持ち前の飄々とした空気を湛えつつも、時にワイルドに声を張り上げ、思い切り感情を露にすることを厭わない。彼のこんな演技が観られるなんて最近ではかなりレアな体験と言っていい。


 また、ヴィンセントと最高のパートナーシップを築く子役ジェイデン・リーベラーは、可愛らしさの中にどこか影を潜ませた役柄を巧みに演じきった。これには子役嫌いのマーレイも「彼のことが、どんどん好きになった」と語るほど。撮影前のジェイデンが緊張していると、マーレイが「おいで」と呼んで一緒に瞑想してリラックスする一幕もあったとか(うーん、本物のおじいちゃんと孫みたい)。かくも抜群の相性を発揮したジェイデン君には、目下、映画のオファーが殺到しているという。


■世代を超えた友情を描くストーリー


 誰の胸にも沁み渡るストーリーも観客の大きな共感を得た。主人公ヴィンセントは酒とギャンブルにおぼれ、口を開けば小汚い言葉を連発するやっかいなジイさん。そんな隣家に越してくるのが、シングルマザー(巨漢の人気コメディエンヌ、メリッサ・マッカーシーが好演!)とその幼い息子オリバーだ。


 そんなヴィンセントが、ひょんなことからシッターとしてオリバーの面倒を見ることに。そうやって破壊的なイジワル老人といじめられっ子の少年は、共に時間を過ごし、互いの人間性や世界観に影響を及ぼし合い、いつしか掛け替えのない相棒となっていく――。


 世代を超えた友情といえば、脳裏をよぎるのは名作ばかり。『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)の少年トトと映写技師のアルフレッドに始まり、『グッドウィル・ハンティング/旅立ち』(97)のランボー教授と清掃員ウィル、さらには頑固じいさんが移民の青年と心を通わせる『グラン・トリノ』(08)など、この手のジャンルはある種の魔法を帯びたかのように観客を惹き付ける。それはどんなに厳しい毎日、辛い人生を描いていても、世代のギャップがユーモアを生み、子弟関係がいつしか疑似家族のように機能し、得がたい温もりが映画全体を包み込むからだろう。


 このような幅広い観客への訴求力を活かすべく、北米の配給を担うワインスタイン・カンパニーでは大都市のみならず地方都市でも精力的に試写会を実施。こうした試みが微に入り細に入りの口コミ効果を促進させたのは言うまでもない。


■脚本と製作を兼ねたメルフィ監督の情熱、才能


 最後に勝因をもう一つ挙げるならば、製作と脚本を兼任した新人監督セオドア・メルフィの「この映画を伝えたい!」とする信念にある。


 実は、この物語の一部は彼の実体験に着想を得ている。今から7年前、彼の実兄が亡くなり、メルフィ夫妻は11歳の姪を養子として迎え入れた。結末に関わるので詳しくは書かないが、学校で出されたとある宿題に対するその子の"回答"が夫婦をたいそう感激させ、メルフィはこの想いを映画にしたいと心に誓った。こうして情熱に火がついたのだ。


 思えば、ビル・マーレイを起用すること自体、相当な困難を伴うことは誰もが知っている。彼にはエージェントやマネージャーがいない。彼と仕事がしたければ、まず唯一知られている電話番号に連絡し、留守電にメッセージを残さねばならない。メルフィは6か月にわたって受話器の向こうへ訴え続けたという。こうなるともう、ほぼ修行僧だ。


 でもその想いは確実に伝わった。彼は本作でマーレイの本気を引き出した。さらにキャンペーン嫌いの彼をトロント映画祭などの公の場にも連れ出し、パブリシティの面で大きな実りをもたらした。


 もちろん、その演出の手腕にも確かなものがある。観客を決して叙情的かつ感傷的な気分に陥らせることなく、あくまでリラックスしてクスクス笑わせながら、知らず知らずのうちに感動の芽を育てていく。まるで手品。こうして観客の得た最高の余韻が劇場の出口調査での高評価となり、すぐさま口コミに繋がっていった。当然といえば当然の結果である。


 かくしてキャスト、ストーリー、そしてメルフィの情熱がもたらした連鎖は、アメリカのみならず世界へと広がり、9月には待望の日本公開となって結実する。この物語に笑い、胸を熱くさせ、いつもとちょっと違うマーレイの本気、そして根本にあるメルフィの熱い想いに触れてもらいたい。きっと全米でのヒットにも深く納得がいくはずだ。(牛津厚信)