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BRAHMAN・TOSHI-LOWが語り尽くす、言葉と格闘した20年 「あざとい考えが頭に出てくる前に、先に歌が出るような体にならないと」

2015年08月14日 17:11  リアルサウンド

リアルサウンド

BRAHMAN・TOSHI-LOW

 BRAHMANが、8月12日に初の2枚組ベストアルバム『尽未来際』をリリースした。今回リアルサウンドでは、結成以来20年間で発表してきた各楽曲やアルバムにおいてTOSHI-LOWが表現しようとしてきた「言葉」に焦点を当ててインタビューを行った。自分と現実の常識との間で矛盾を感じながら歌詞を書いてきたTOSHI-LOWは、どうその矛盾と折り合いをつけてきたのか。


茨城・水戸でバンドを始めた高校時代、パンク・ラウドシーンの大きなムーブメントを生んだAIR JAM期とそれ以降、そして東日本大震災。20年のBRAHMANの歴史を紐解くインタビューとなっている。聞き手は、「東北ライブハウス大作戦 ~繋ぐ~」の著者である石井恵梨子氏。(編集部)


・「そこに偶然あったのがバンドだった」


一一初めてオリジナルの歌詞を書いたのって、いつですか。


TOSHI-LOW:15くらいだよ。最初に組んだバンドで、すぐ。


一一何を書いたか覚えてますか。


TOSHI-LOW:うん……。“溺れる人々”みたいな。そこに自分は飲み込まれない、みたいなこと書いた。すっごい暗い歌詞。最初からそうだった。俺、バンドやるなら楽しいことを歌いたいとは思ってなくて。むしろ、モヤモヤした何かがあったからバンドに惹かれたんだと思うのね。


一一ロックバンドが、最初にその受け皿になってくれた。


TOSHI-LOW:そう。自分の中に自分でも受け止められない何かがあって、何かしなきゃいけない、何かにならなきゃいけないと思ってる時期で、そこに偶然あったのがバンドだった。俺がもっとスピード狂ならその気持ちはバイクに向かっただろうし、もっとエグいこと好きだったら半グレのチンピラになったかもしれないし。でもやっぱり、排出したいものが心にすごくあったと思う。


一一バイクかチンピラかバンド……。それっておそらく茨城・水戸の特異性ですよね。「本当にバンドとヤンキー文化が一緒だった。ヤンキーとバンドが別々でもよくなったのはTOSHI-LOWの代からじゃないかな」って、笠間コブラ会の人から聞いたことがある。


TOSHI-LOW:ほんとにそう。俺の1コ上、2コ上ぐらいまでは、族もやってバンドもやるのが普通だった。コールも切れて速弾きもできるみたいな(笑)。で、俺らの代くらいから、どっちかになっていくんだけど。でも並列に存在してるから(ヤンキーとバンドの)喧嘩もよくある。歩道橋で、何百台と族が来るところ上から狙ってションベンしてみたりさ。でも……そういうのが普通だと思ってたけど、特殊だったのか(苦笑)。


一一そうやってヤンキー文化にまみれて喧嘩も楽しめるTOSHI-LOWくんと、モヤモヤを抱えながら自分の言葉を書こうとする文学的なTOSHI-LOWくんは、今もいますよね。


TOSHI-LOW:うん、変わってないと思う。


一一周囲からは変な奴だと思われていたのかな。


TOSHI-LOW:いや? まともだと思ってたけど。でも当時ライブハウスに来てたガキ、道端に座り込んでたヤンキーの奴らでもいいんだけど、そいつらといると居心地良かったの。そこには家庭環境が良くない人も、何かしらのはずみでドロップアウトした人も多くて。まぁ俺は中の上ぐらいのドロップアウト感(笑)。まだまだ上はいるんだけど。でもやっぱり、同じ脛に傷持つみたいな部分があったと思う。相手もわかってくれてる感じがあったしね。


一一ただ、家庭環境が悪かったのかって、別にそうではないんですよね。


TOSHI-LOW:そうなんだよね。両親もいて、そんな困るほど貧乏じゃないし。当時も言われてた。「お前、ここにいなくても、家帰ればいいじゃん」って。まぁそうだよね。だから……目に見えて不幸なことがある人はいいなぁと思ってたぐらい。いっそのこと親死んでくんねぇかな、とか本気で思ってた(笑)。そういうこと言うと「なんでそんなにスレてんの」って話になるじゃない? それを説明できない。俺の心はこんなに寂しいし悲しいし、今ここにいたいと思ってるのに。


一一たぶん当時は必死ですよね。こういう理由でこういう人格になりましたとか、物事はそんな簡単じゃないんだ、っていうことが高校生には理解できない。それより自分の中に芽生えた想いを肯定してほしい。


TOSHI-LOW:そうそう。必死。でもさ、バンドでスタジオ行って横の繋がりができていくことは、自分がどこまで行っても一人なんだと思ってた感覚に反して、すごく嬉しかったこと。だけど同時に、その……茨城のヤンキーにまみれてる頭の悪い感じ、じゃない自分を頑張って作ろうとしてたの(笑)。番長なのに百点取れるみたいな。だから文学的というか、詩的なものにすごく憧れたのも事実で。


一一詩人として憧れた人っていますか。


TOSHI-LOW:萩原朔太郎が好きだった。スターリンが好きだったから、ああいうドロドロした詩を書く人が好きで。俺、もともと音楽が好きだったかっていうと全然好きじゃないし、音楽の成績とか最悪だったの。もうヘド出てくんのよ。明るい歌とか、みんな頑張りましょうみたいな歌。「ほんとかよ?」っていう思いが強くて。「なんで不幸が目に見えてんのに、みんなそれを盲目的に無視して、楽しもうとしてるんだ?」って。だから「夢を語れ」とか言われても「……なんでそんなことできんの?」って思ってた。


一一単にひねくれてたと言うこともできるけど。それは、幼い頃から死について考えていたという思考とも関係してます?


TOSHI-LOW:だと思う。なんで生まれて生きて死んでいくのか、その単純なことに答えも出ないのに、どうしてこの人たちニコニコして生きていられるんだろう、みたいなさ。「頑張れば幸せになれるよ」「……嘘じゃん! 頑張ったって幸せになれない人はなれないし、どう足掻いても人は死んでくんだ」っていうのが強かった。だから表現するんだったら、楽しい歌なんて絶対嫌だった。自分がその時思ってる本当のことを歌いたいなと思ってた。


一一ただ、それをストレートな言葉で書くことはなかったですよね。ブラフマンの最初の音源の歌詞を読んだとき、文学というか、哲学を相当寄りどころにしてる人なのかなって思ったんです。


TOSHI-LOW:まず、歌詞ってそもそも枠が決まってるじゃん。その中で、書いては消し、書いては消して、なんとか答えに近づきたい、自分でも答えを知りたいと思ってた。だから哲学ってわけじゃないけど、真理とか、そういう言葉に惹かれてたのは事実だね。意味わかってなくても、こういう言葉が自分が言いたかったことに一番近い気がする、みたいな。


一一“晴眼”なんて言葉を見つけると「これかもしれない!」って?


TOSHI-LOW:そうそうそう。「これだ! 俺これだよ!」みたいな。すぐ影響されちゃうから(笑)。背伸びしまくり。言葉をちゃんと使えてない。だから拙いんだけど、その時はその時で一生懸命だった。当時の知識とキャパシティで、なんとか詩的に、哲学的にしたいって。でもそうやって必死に並べた言葉は、のちのち意味が出てくるんだっていう……それは皮肉でもあり、人生の面白さでもあるなと思っていて。


一一うん。よく読むと変わってないし、今に繋がることを書いてますよね。たとえば「THE SAME」の“予見し 制御せんがために 知るための 行動を”っていう一節は、どういう出来事から出てきたか覚えてますか。


TOSHI-LOW:これはまぁ……自分の言ってることとやってることが違う奴がいて、結局やらないの。だから、そいつの悪口(笑)。知らない人が見たら深いこと書いてるように見えるだろうけど、ほんと「あいつよぉ」みたいな(笑)。そういうの多いのよ。抽象的な言葉を使いすぎてるけど、もともとの理由を探れば「え、そんなもんなの?」っていうことだったりする。悪くいえば妄想を膨らましてるのかもしれないし。でも被害妄想で「あいつ許せない!」って思うこと、他の人みたく「まぁまぁ」って流せないこと……たぶん、心のヒリヒリする度合いが人より強かったのは事実だと思う。それは一個、自分の才能だったんだなと思うし。


・「なんかもう終わるんだろうな、とは思ってた」


一一そういう初期を経て、1stアルバム『A MAN OF THE WORLD(以下A MAN~)』になるとメロディがくっきりしますよね。歌うこと、人に聴かせることへの意識が変わったんだと思うんだけど。


TOSHI-LOW:……どうだろうね? でも俺の中では初期のミニアルバムと『A MAN~』までは全部一緒。境界線がない。『A MAN~』以降は明確な境界線があるけど。だってまだバンドが始まって3年くらいか。


一一ブラフマンが最も多作だった時代(笑)。


TOSHI-LOW:そうそう。毎晩のようにライブ行ってたし、他の人からの影響もすごく受けた。で、『A MAN~』がメロディアスっていうのは時代への反発もあるの。3人バンド=メロディックって言われるものが多くて、それは俗に言う西海岸っぽい感じのメロディライン。俺らはそうじゃないところでメロディを付けたい。鍵盤で言うと黒鍵を使うマイナー感というか。メロディアス=西海岸じゃなくて、哀愁だってメロディアスになる。そういうことを、自分たちの武器として考え始めた時期だと思う。


一一なるほど。そしてセカンドの『A FORLORN HOPE』。はっきり境界線があると言ったけど、平たく言うと一番暗い時期ですよね。


TOSHI-LOW:これは……閉ざしてたね。そう、ほんと暗かった。


一一過去に何度も聞いたのは「突然売れて騒がれて、訳もわからずAIR JAM系と呼ばれて、こんなはずじゃないと思い出した」っていう発言ですけど。それ以外に理由ってないんですか。


TOSHI-LOW:年齢だと思う。トイズ(ファクトリー)に入ったのは99年だし、制作期も含めると25歳くらいか。そこで一回、男としての電池が切れたの。


一一男として? そういうものなの?


TOSHI-LOW:これ持論かもしれないけど、でも人に話すとわかってくれる男がけっこういる。ほら、“男は25の朝飯前まで背が伸びる”って言うけど、あれは何を表してるんだろうってずっと考えていて。たぶんね、体内に、生きてくための電池みたいなものがあるとするじゃん。そこには謎の力もいっぱいあって、それこそ10代は「俺ってすげぇ!」とか言えちゃうの。だからこういうバンドも始めるし、いろんなことで叩きのめされても平気で、手柄もないのに自信だけはあったりする。それは全部、もともとお母さんから充電された電池をもらってるからだと思うの。でも25歳になると、それが一回カラッポになるんだよね。そこからは自分で生きてく意味とか生き甲斐を見つけて、自分でチャージしていかなきゃいけない。


一一いよいよ子供じゃない。もう自家発電するしかないと。


TOSHI-LOW:そうそう。で、俺はそん時に完全に切れたの。生きてく電池……いや、男としての電池が切れて。すべてのものに対して「あれっ?」って思った。力も出ない。ほんと「何だこれ?」っていう感覚なの。青春は完全に終わってしまったし、自分が否定していた大人になってしまっている、その入り口にいる感じ? 精神的にも肉体的にも悪くなる要素が揃ってた。


一一苦しかったでしょうね、もともとの性格を考えると。


TOSHI-LOW:ははは。よく死ななかったよね、と思う。


一一それ、たぶん冗談で言ってないですよね。


TOSHI-LOW:だってリハも行けなかったもんね。状況はすごくいいはずなのに。トイズ入って、アルバム出せばオリコン2位とかになってて。なのに……何していいかわかんなかった。家から出る気もなくなってた。そこで音楽じゃないものを探そうとしてたフシもあるの。たとえば原宿(のアパレル)に入り浸ってみたりとかさ。でも自分をちゃんと捨ててないから、自分探しにもなってないんだけどね(苦笑)。


一一その中で、ブラフマン解散、という選択肢も考えましたか。


TOSHI-LOW:………なんかもう終わるんだろうな、とは思ってた。ライブやってもみんなピリピリしてたし、楽屋戻ったらテーブルガシャーン!みたいな。俺だけじゃなくてね。他のメンバーは優しいからそうしないだけで、でも納得いかない空気はみんなから出てたと思う。で、そんなの関係なくオーディエンスは興奮してて、それでこっちは逆にイライラするし。まぁ……凄かったよね。いろんなものが相反してた。


一一カラッポになった電池が、まただんだん動き出すのは?


TOSHI-LOW:いや、ずっとカラッポだったと思うよ? だけど今度は20代後半で結婚して、しかもそれは全然思い描いてなかった世界で。『FORLORN HOPE』までの景色は、求めてなかったけども、なんとなく思い描けたものではあったの。ライブハウスにあった夢として、大勢の人がワーッてなってくれる風景は考えられた。でもここから先は青写真も何もない。一回一回びっくりしながら受け入れていく必要があって。


一一ただ、拒絶はしなかったですよね。初期のTOSHI-LOWくんなら、結婚して子供ができるなんて自分でも許せなかったはずで。


TOSHI-LOW:あぁ……完全に心が弱ってたんじゃない? 反発できる力もなかった、っていうのが正解だと思う。だけどその後は普通の生活が、自分が否定してた生活が始まるわけ。やっぱり子供ができれば朝起きるようになるし、奥さんも仕事してるから面倒見るわけじゃん。したら子煩悩なわけだよ、自分が(笑)。びっくりするぐらい(笑)。


一一「いや、俺の本来の価値観は…」とか言ってられない。


TOSHI-LOW:そうなんだよ。子供可愛いしさ。だからバンドであれ他のことであれ、今まで格好つけて何かをしてたのに、全然格好つけてないところから「あぁ幸せだな」「楽しいな」っていう感情が出始めているのは事実で。今度はそこだよね。今まで用意してなかった心のスペースに、どうやってその感情を置いていけばいいのか。子供の存在だとか、家族とか、父親として生きてる自分とか。もちろん最初はうまくバランス取れないんだけど。


・「自分の死生観を考えたら、今度は生きることの答えを同じ熱量で探さなきゃいけなかった」


一一その頃のブラフマンに音楽的な変化もありますよね。『THE MIDDLE WAY』から音楽性の許容範囲が明らかに広がってる。


TOSHI-LOW:年齢とともにできることが増えたのもあると思う。今まで、やりたくてもできなかったこと、ただの物真似みたいだからやめようぜって言ってたことが。だから自分たちで変化したつもりはないの。でも、たぶん『A MAN~』とか『FORLORN~』が好きだった人で『MIDDLE WAY』を受け止めなかった人たち、多いと思う。要は90年代からあったAIR JAMの流れが消えて、完全に潮目が変わったんだなぁと思った。


一一2004年。もうAIR JAMっていう言葉に求心力はなくなっていましたね。


TOSHI-LOW:そうだね。だから俺らとしては良かった。やっぱ『MIDDLE WAY』は節目になってるんだよね。ここでバンド10年目だし。


一一『MIDDLE WAY』って言葉もそうだけど、次の『ANTINOMY』も「The only way」から始まりますよね。自分たちの“道”というものが、いよいよはっきりしてきた時期。


TOSHI-LOW:そもそも俺は、道を作るなんて言い出すことに反発してたの。『メイキング・ザ・ロード』なんて言葉、大反対だった。なんでその道の後ろを俺らが歩かにゃならんのだ、っていう(笑)。しかも、てめぇらが作ったみたいなこと言うけど、その前にも歩いてた先輩はいるじゃねぇかよって。どのバンドのアルバムタイトルかは言わないけどね(笑)。


一一ははははは!


TOSHI-LOW:けど、結局自分が歩いてきたところも道だし、これから歩いてくところも道になる。シーンがどうとか関係なく、自分たちの道っていう意味で出さざるを得なかった。ただ『MIDDLE WAY』はまだ受け止め切れてない。本当に自分で受け止めたのは『ANTINOMY』からだと思う。


一一『ANTINOMY』は、陰と陽、強さと弱さ、死と生が自分の中に両方あることを、はっきり確立したところから始まっています。


TOSHI-LOW:確立……したのかなぁ。でも、ひとつだけで成り立つわけじゃない、それを裏から支えてるものが絶対にあるはずで。それまで死だけの話をしてたはずで、そのほうが美しかったし、それで終わるはずだったんだけど。でも一進一退しながら自分の死生観を考えたら、今度は生きることの答えを同じ熱量で探さなきゃいけなかった。「ずっと死に取り憑かれてる俺は、もしかしたら生きてくことに憧れがあるんじゃないか?」って。歌詞でいえば、もう哲学書の“死”のグループに入ってる言葉探しではなくて、“生きてく”グループの中で言葉を探したし。


一一それって、自分の中でモヤが晴れていくような発見なんですか。それとも、いろいろ考えたけど認めざるを得ないな、という感じ?


TOSHI-LOW:……認めざるを得ない(苦笑)。俺、今まで発見なんかないよ? 認めざるを得ないことばっかり。それがずっと続いてる。


一一でも、生きていたい自分は確かにいたと。


TOSHI-LOW:うん。それは“強さ”って言葉ではなくて、もっと大きなものだった。“父性”かもしれないし“母性”とか“自然”でもいいんだけど。自然のたおやかさ。たおやかって、女偏に弱いって書いて“嫋やか”だよね。そういう言葉に惹かれるようになった。竹のようにしなる、いなす、とかね。今まで「そんなもん2秒でKOパンチでしょ」って言ってたのに、違うことに気付いてるわけよ。ボキッと折れて終わっちゃうだけじゃなくて、新しく紡ぎ出していくものがあるっていう……それはそれで俺の中ですごくストレスになるんだけどね。


一一認めて、受け入れても、なおストレスですか(笑)。


TOSHI-LOW:そう。はっきり倒れ切れないってわかったら、今度は続いていく未来が出てきちゃう。それが嫌で嫌で。自分で矛盾してんのはわかってるよ? 生きていかなきゃいけないし、未来を見据えなきゃいけない。じゃあ竹のようにしなって折れないものになればいい。でも、やっぱりボキッと折れて死にたい、すぐにでも、っていう(苦笑)。どっちも本音だし実感なのよ。子守りしたいし、のたれ死にたい。もう意味わかんないじゃん(笑)。それはそれでモヤーッとしてた時期なんだけど。


・「俺が抱えてた矛盾は、もう矛盾のまま矛盾なく抱えていいんだ」


一一そこにあったのが東日本大震災。語弊はあるけど、ブラフマンとTOSHI-LOWくん個人に、いい変化をもたらしましたよね。


TOSHI-LOW:まぁね。失礼な言い方かもしれないけど、救われちゃったんだよね。矛盾をどうするかずっと悩んでて、その揺れがマックスだった時期に震災があったから。「あぁ、俺がずっと思ってた死生観、俺が抱えてた矛盾は、もう矛盾のまま矛盾なく抱えていいんだ!」っていう感覚。ほんとに壊滅して誰一人生きてないんじゃないかと思える町に行って、でも東京戻れば飲み屋がやってて飯も食えて……。矛盾にケリつけなきゃいけないと思ってたけど、そうじゃなくて、これは矛盾じゃない、現実の世界にあることだって。だから俺は、すごく生きやすくなった。それこそさっき言った“発見”が初めてあったかもしれない。


一一矛盾だと思っていたものが、ありのままの現実だった。


TOSHI-LOW:そう。それは東北を行き来するなかで気づいたこと。自分が少し肯定された気がしたし、今まで自分が作ってきたものも否定しなくなった。歌詞読み返すと、俺が今ここで何すべきかもうすでに書いてある。20年前の自分が“予見し 制御せんがために 知るための 行動を”って書いてるんだから「あぁ、行動するのか。じゃあ行動しよう!」と。そこは早かったよね。


一一震災以降のTOSHI-LOWくんは、まず言葉が変わりましたよね。他人を容赦なく怒鳴りつけるぶん、同時にものすごく優しくなった。


TOSHI-LOW:……そんなに怒鳴ったっけ?


一一私、どんな本出したと思ってんのよ。(注・書籍『東北ライブハウス大作戦~繋ぐ』。被災地に作られたライブハウスのドキュメント。取材の中で最も多く出てきたのは「TOSHI-LOWから叱咤された」「怒鳴られた」という話だった)


TOSHI-LOW:ははは。そうだね。でも俺、ほんとに嫌いなものって手元に置かないから、回りにいる人が嫌いじゃないんだよね。好きだから余計苛立ったり、お節介するところから始まるわけで。それをこの言葉で言うのは一番芸がないなぁと思うけど……むちゃくちゃ愛じゃん? って思う。むしろ、それしかねぇって思うところもあるから。


一一愛。突き詰めればその言葉になるんだっていうことを、今さらっと話すことにもびっくりします。


TOSHI-LOW:うん。清志郎とか歌わされたら、もう否定しようがない(笑)。でも人生の大事なことは全部ステージで教わってるなぁと思うし、そこは反発のしようがないんだよ。理解じゃない、もう体感だよね。


一一ずっと考えてきた“死”の裏には“生”があった。では、今体感している“愛”の裏にはどんな言葉があるんですか。


TOSHI-LOW:愛の裏に? 愛の裏には……これは反対語って言葉ではないんだけど“狂気”があればいいなと思う。俺も綺麗なことばっか考えてるわけじゃないし「愛してるぜ、幸せになってくれ」なんて1ミリも思ってない。むしろ今、ムクムクと反社会的な考えが出てくるの。もっといろんなことが滅茶苦茶になっちゃえばいい。世界が『爆裂都市』みたいになればいいのに、とか思う(笑)。20周年で、映画『ブラフマン』もあって、自分のいちばん自然なところが晒されてるぶん、今の俺が何になりたいって、戸井十月(『爆裂都市』のキチガイ兄役)だもんね。それで暴れ狂いたい(笑)。


一一ははは。それって破壊衝動なんですかね。


TOSHI-LOW:あぁ、近いのかもね。でも年齢重ねちゃった今、結局人が作ったものは壊せないんだってこともわかってるから。たとえば俺が「トイズファクトリーをぶっ壊したい!」って言っても、それは人の会社じゃない? 人の作ったものの中で暴れても意味を感じないし、そこで小さなシステム壊しても、それはその時の怒りがそうさせるだけであって、自分にとって価値のあるものじゃない。だったら、自分が作ったものしか壊せない。本当に意味や価値があるっていう意味でね。


・「大きなレースが終わると思ってる」


一一ブラフマンの歴史って、けっこうそういうところがありますよね。曲が増えていろんな表情や武器が増えました、とは思わない。「この時期はこうだったけど、今はこうです」って一気に動けるし、いちいち過去を引きずらない。


TOSHI-LOW:あぁ、そう?


一一震災後の動きなんて特に象徴的だし、シングル「其限」で“伝えて”“届けて”っていう言葉を素直に書けたのも、『超克』の時のイメージから潔く離れたからだと思う。


TOSHI-LOW:あぁ……でもさ、伝えるために、伝えたいって思わないことを、しなきゃいけないんだよ、これから。


一一どういうこと?


TOSHI-LOW:人に伝えたい時に、伝えるアピールをしたら、全然伝わんない。「其限」もそうだけど、あれ、すごく人に伝わりやすい言葉を選んでるとはいえ、今まで書いたどの詞よりもパーソナル。究極、自分のことを歌ってるし、わかってもらえなくてもいいと思ってるところを書いたの。だからわかってもらえるっていう……ほんと逆説だよね。でも歌って実際そうで。カッコつけて「俺やったったぜ!」っていうライブだと、楽屋でだいたい「調子悪かった?」って言われるの(笑)。で、風邪引いてて鼻水もダラダラで声も全然出なかったっていう日には「すっげぇ良かったよ!」みたいな。そんなもんなんだよね。だから、人に伝えたいことはもちろんあるんだけども、そのために「伝えたいんです」って自分で思ってしまったら、負ける。


一一作為が入るとダメになる。狙いようがない作業だと。


TOSHI-LOW:そう。無心になるしかなくて。でさ、野球やる人って素振り千回とか一万回とか必ずやるじゃん。それは、もう何も考えなくても体がそう動くように、っていうことでしょ。今やるべきはそういうことなのかな。あざとい考えが頭に出てくる前に、先に歌が出るような体にならないと。格好いい言葉を考えようっていうんじゃなくて、ポッと口から出ることが詞になっていく。それが一番伝わるんだろうなと思ってるから。だからこれからは余計、難しい辞書を漁るわけにもいかなくなったし。


一一ははは。いよいよハードル上がってますね。


TOSHI-LOW:もう、毎日が素振りだよね。ゾッとするけどね。いつまでそれが続くのかなぁって。いつまでも続かないんだと思うんだよ。


一一どういう意味で?


TOSHI-LOW:いや、いつかは終わるわけだからね。俺、本当の意味でフル回転するのはあと何年かだと思ってるのね。もちろんそこから続けていくことはできるけど。というのは、まぁレースがあるとしてね、ほんと第4コーナー回ってるんだと思うの、今。


一一それは、自分の人生という意味ですか。それともブラフマンが?


TOSHI-LOW:自分の表現として、かな。なんとなくの感覚だけど、大きなレースが終わると思ってる。その第4コーナーなの。最後のコーナー回ってストレートに入っていく時期にいる。そのストレートがあとどれぐらい伸びるかわかんないよ? あと何年で終わっちゃうって話をしてるわけじゃなくて。でも「いや、まだ第1コーナーっすよ俺たち」って言えるような気分はまったくないの。だから、やり残したくない気持ちもすごくあるし、ほんとに最後のラストスパート、いろんな意味での勝負だろうなと思ってる。


一一その勝負、楽しんでいますか。それとも切迫感やプレッシャーが強い?


TOSHI-LOW:むっちゃ楽しんでる。楽しむも何も、もう乗ってるんだもん、このレースに。今から棄権しますっていうのは無理だし、棄権したくもないし。結局……自分で走ってるんだけど、走らされてる気もすごくする。そこに対しては反発もなくて、直感で、走ってたいんだよね。うん。前に戻っちゃうけど、フルマラソンでも全力疾走で倒れるまで走っちゃえばいい。


一一あぁ、懐かしい言葉。昔よくそうやって言ってた。


TOSHI-LOW:ね、言ってたでしょ。今、もっかい全速力出したいと思ってる自分がいる。最後、直線ラストスパートだから。そこはワクワクすんだよね。ゴールしたと思ったらまたもう1周待ってるかもしれないけどね。


(取材・文=石井恵梨子/撮影=石川真魚)