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過酷な旅で、人生を見つめ直せるか? 女性が主人公のロード・ムービーで考える

2015年08月12日 08:40  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)2014 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved./R-15

 人はなぜ、旅に出るのか。その理由は人の数だけあると思うが、自分を見つめ直し人生をリセットするため、あるいは"自分探し"が、映画で描かれるツートップに違いない。中でも女性を主人公にしたロード・ムービーと聞くと、ロマンティックな旅をイメージする人が多いのではないだろうか。例えば、ジュリア・ロバーツ主演の『食べて、祈って、恋をして』(2010年)。35歳の人生に迷える主人公は、イタリアでおいしいものを食べて、インドで瞑想して、バリ島で素敵な男性と恋に落ちる。これはある種の理想の"自分探し"の旅かもしれないが、こんな旅のスタイルはお金と暇があってこそ。夢を見せてくれるという意味で、次のバカンスの参考にするといいかもしれない。


参考:大ヒット作ひしめく2015年夏、『ジュラシック・ワールド』一強ゾーンに突入!


 対して、この夏公開される女性の一人旅を描いた2作品は、これまでにない過酷さに驚く。『ダラス・バイヤーズクラブ』(2013年)のジャン=マルク・ヴァレ監督が、オスカー女優リース・ウィザースプーンを主演に迎えておくる『わたしに会うまでの1600キロ』(8月28日公開)。もう一本は、『英国王のスピーチ』(2010年)の製作陣が『アリス・イン・ワンダーランド』(2010年)のミア・ワシコウスカと組んだ『奇跡の2000マイル』で現在公開中だ。いずれも実話がベースで、男性でも過酷な自然を相手にわずかな軍資金でやりくりしながら、ひたすら歩き続ける女性の姿を描いたロード・ムービーだ。


 『わたしに会うまでの1600キロ』は、実在の女性シェリル・ストレイドが、たった一人で3ヶ月間、1600キロを歩くという体験をまとめたベストセラー著書の映画化。彼女が歩いた〈パシフィック・クレスト・トレイル〉はアメリカ西海岸をメキシコの国境からカナダの国境まで南北に縦断する自然歩道のことで、灼熱の渇いた砂漠から雪深い岩山まで、自然歩道なんて言葉が想起させる生易しいものではない。そこに何のトレーニングも受けずに挑んだシェリルは、かなり無謀だと言える。


 そこそこ体は丈夫そうに見えるが細っこいウィザースプーン演じるシェリルが、巨大なリュックを背負い、およそ慣れないアウトドアと過酷なミッションに挑む姿は、滑稽でもあり痛々しくもある。余計なものは沢山持ってきているのに、肝心のコンロが使えず、毎日冷たいままお粥を食べたり、すぐに靴をダメにしてしまって足を痛めたり。それでも彼女が歩くことをやめない理由は、母の死の悲しみから立ち直ることができず、優しい夫を裏切り、薬と男に溺れ、結婚生活を破綻させてしまった人生をやり直すためだ。


 雄大で過酷な自然と対峙する中で、シェリルの胸に去来する転落人生は悲惨の一言。自業自得なので自分を責めるしかなく怒りのやり場もない。だが、多くの観客は、暴力的な夫に苦しめられ、苦労して女手ひとつで2人の子供を育てあげた母ボビーを、後悔が残る形で失ってしまった喪失感の大きさに苦しむシェリルを責める気にはなれないだろう。誰もが乗り越えて当然と考えられている肉親の死。それは言うほど簡単なことではなく、人生を一変させるほどの重大事に違いないから。


 近年は"歩禅(ほぜん)"という言葉を目にすることがあるが、文明と切り離された場所でひとり黙々と歩くという行為は、まさに歩きながらの禅行だなと思う。美しい景観やダイナミックな自然に触れると、心が洗われたような気持ちになる。それだけでも旅に出る良さはあるが、人生を本気でリセットするなら、ここまでではないにしても肉体を酷使し、頭をからっぽにして徹底的に自分と向き合う一人旅もアリかもしれない。主演のウィザースプーンは自身の制作会社を率いてプロデューサーを兼ねており、母ボビー役のローラ・ダーンと共に、今年のアカデミー賞で主演女優賞、助演女優賞にそれぞれノミネートされた。


 一方こちらも過酷な大自然と格闘しながら、ただひたすら歩き続ける『奇跡の2000マイル』は、動機の点で少し異なる。1970年代、西オーストラリアに広がる砂漠を195日かけて横断した20代半ばのロビン・デビッドソンの実話に基づく本作。複雑な生い立ちも影響してか、都会の生活が嫌で自然に親しみを持ち、対人関係が苦手なロビンはオーストラリア中央部の町からインド洋に面した西海岸まで、働きながら自分で調教し、やっとの思いでゲットしたラクダ4頭と愛犬と共に旅に出る。


 途中で「ナショナル ジオグラフィック」誌の男性カメラマンが時折合流するが、最初はロビンにとっては煩わしい存在でしかない。シェリルと違って準備には時間をかけ、ひとりでいることもむしろ望ましいロビンだったが、歩き続けるうちに、さすがに過酷な自然の中で無力感を味わい、孤独に苛まれるようになる。あれほど煩わしいと思っていた他人を恋しく思う気持ち、そして胸の奥に閉まっていた家族に対する複雑な思い。ロビンが人間嫌いというわけではないことは、先住民族アボリジニと交流を持つエピソードでも明らかで、上辺だけの付き合いやお愛想が苦手なだけ。一方で、誰でもかれでも遠ざけ心に壁を作ることによって、その人の本質を見ようとはしていなかったことに気づく。ただただ日々を生き延びて前進するしかないという状況下に置かれて初めて、本当の自分というものを自覚していく過程は興味深い。


 シェリルもロビンも、一般論でいえば男性に比べれば体力という面では圧倒的に不利な中での挑戦だ。だが、自分の足でしっかりと歩いて旅をする女性は昔から存在したし、今だって男前に旅をしている女性は世界中にたくさんいる。映画のシェリルとロビンのラストシーンの表情からは、過酷な旅で得たものの大きさを読み取ることができる。もしも対処しきれないほどの難題に直面したとき、彼女たちの姿を思い出せば、そこには人生を前に進めるヒントがあるかもしれない。(今祥枝)