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『テニミュ』など"2.5次元カルチャー"人気の理由は? メディア文化論から分析

2015年08月08日 07:11  リアルサウンド

リアルサウンド

ミュージカル『テニスの王子様』公式サイトより

"2.5次元"と呼ばれる、漫画・ゲームなどが原作の舞台やミュージカルが、女性を中心に人気を博している。Amazonの「舞台・エンターテイメント」ランキングでも、10位中5つが舞台『弱虫ベダル』など2.5次元関連のDVDだ(2015年8月8日現在)。人気の理由はいったいなんなのか、批評家・映画史研究者の渡邉大輔氏がメディア文化論から分析する。(リアルサウンド編集部)


参考:『ラブライブ!』映画はなぜロングヒットした? さやわかが作品の構造から分析


■「ポストSNS時代」の消費構造を象徴するコンテンツ


 近年、「2.5次元」と総称されるライブ・パフォーマンスがポップカルチャーのなかで大きな盛りあがりを見せていることはすでに広く知られています。「2.5次元」とは、「2次元で描かれた漫画・アニメ・ゲームなどの世界を、ミュージカルなどの3次元の舞台コンテンツとしてショー化したもの」のことです。


 そもそも漫画・アニメを原作(原案)とした舞台パフォーマンス自体は、1970年代なかばまでその歴史をさかのぼることができます。とはいえ、今日の文脈において2.5次元ミュージカルが注目を集めはじめるのは、いうまでもなく2003年に開始された許斐剛原作の同名大ヒット漫画を元にしたミュージカル『テニスの王子様』(以下『テニミュ』)が大きなきっかけのひとつでしょう。現在、3rdシーズンを数えるこの人気シリーズを含め、その後、2000年代末あたりから同種の公演が急速な市場的拡大を遂げてきました。観客層は10~30代の若い女性が中心ですが、すでに海外展開を視野に入れた文化施策に組みこまれ、14年にはついに「日本2.5次元ミュージカル協会」まで設立されています。


 いま、こうした「2.5次元カルチャー」がなぜ、注目されているのか。すでに市場分析はさまざまになされはじめているので、ここでは、メディア文化論の視点から、この分野の文化現象としての面白さについて、おもにふたつの視点をざっくりと提示してみたいと思います。


 まず、さしあたり指摘できるのは、今日の文化全般における「ライブ回帰」との関連でしょう。


 近年のコンテンツ批評界隈でことあるごとに指摘され続けていますが、とりわけソーシャルメディアが台頭した「Web2.0」以降の現代文化においては、あらゆるコンテンツがネットワークをかいして即座にダウンロード/ストリーミング可能となっています。そのため、パッケージされた複製コンテンツの価値が相対的に低下し、かわって一回限りの体験に紐づいた広義の「ライブ」や、それとの連動が収益的にも表現的にも有力になってきています(パッケージから体験へ)。大規模ロック・フェスなどの音楽興行から映画館のライブビューイングまで、「経験経済」に基づくライブ文化の例は現在、いくらでも挙げられますが、小劇場演劇ブームの再来のなか、ライブ・パフォーマンスの一環としての「2.5次元」に注目が集まるのも、まずはこうした文脈と無関係ではないでしょう。


 実際、この「2.5次元」という言葉が現在の用法で使われだし、定着しはじめたのは、およそ08年あたりからだとされています。また、同じ頃から2.5次元ミュージカルの舞台公演数・観客動員数も目に見えて急増しはじめるのですが、これはまさにTwitterやFacebook、YouTubeやニコニコ動画といったソーシャルメディア・動画共有サイトの台頭の時期と軌を一にしているのです。たとえば、現在のニコ動では「空耳ミュージカル」と呼ばれる『テニミュ』関連の動画が大量にアップされています。これは、『テニミュ』で歌われている本来の楽曲にまったく異なる変な歌詞(字幕)をつけて面白がるというニコ動文化では伝統的な趣向を備えた動画のことですが、ともあれ、このネット上の膨大な「空耳」動画がまた、ユーザたちに本来の舞台そのものへの関心を生みだしてもいる、というフィードバック的な連鎖反応がそこにははっきりと認められます。こうした連鎖反応は、以前指摘したように(『すばる』2月号掲載の拙論を参照ください)、たとえば昨年、大ヒットした『アナと雪の女王』(13年)にも見られました。その意味で、『テニミュ』をはじめとする2.5次元文化は文字通り「ポストSNS時代」の消費構造を象徴するコンテンツだといえるのです。


■根底にあるのは「リアリティの拡張現実性」


 さらに、ここで「2.5次元」というキーワードが意味する構造自体がかかえている特徴のほうにも少し目を向けてみます。


 2.5次元ミュージカルのもつ「2.5次元性」をめぐっては、2.5次元ミュージカルのブームと同時期に社会的に脚光を浴びた「拡張現実Augmented Reality」(AR)との構造的な類似が思いあたります。


 拡張現実とは、コンピュータや情報技術によって、通常知覚する現実空間に仮想的な不可データ(エアタグ)や環境情報をレイヤー状に重ねあわせるテクノロジーのこと。スマートフォンのGPSや、モーションセンサーを利用した現実風景へのエアタグの表示機能などが知られています。


 拡張現実技術が一般化したのは、これも2.5次元文化と同じ2000年代の後半でした。そして、この技術が同時期の文化批評の文脈からも注目されたのは、デジタル/情報環境の社会的拡大やポップカルチャーをつうじたいわゆる「まんが・アニメ的リアリズム」(大塚英志)などの浸透によって、現代人の感じるリアリティの質がレイヤー化しており、拡張現実はまさにそれを技術的に実装しているように見えるという問題意識があったからです。そうした文脈から近年のオタク文化における「聖地巡礼」などの新たな動向が分析されています。


 以上のような現代の「リアリティの拡張現実性」が、文字通り2.5次元ミュージカルの鑑賞経験の根底にもあるのは明らかでしょう。コンテンツ・ツーリズムとしての聖地巡礼が、アニメ作画(2次元)的リアリティと現実の観光(3次元)的リアリティのあわいに派生する固有の感覚を堪能する行為ならば、それはほぼそのまま2.5次元ミュージカルを鑑賞する観客のそれにも通底しているだろうと考えられます。


 これに加えて興味深いのは、2.5次元ミュージカルのもつ「拡張現実性」が、そうした少し抽象的な要素のみならず、演出上の具体的な構成要素によっても確かめられる点です。


 これもすでによく知られるように、2.5次元ミュージカルの舞台空間は、総じてセットなどの舞台装置が通常の舞台と比較してもかなり簡素に作られています。たとえば、今年の『テニミュ』3rdシーズン「青学vs不動峰」でも、舞台の床にはコートを模した大きな緑の三角形のマットが敷かれただけで、舞台上方奥にはこれもテニスコートの網を模した白い三角形のセットだけが吊るされていました。


 また、そのかわりとして、とくに近年の『テニミュ』などでは見せ場の試合シーンで高度な技術によるプロジェクション・マッピングやSEが効果的に用いられます。たとえば、『テニミュ』の試合シーンでは、いうまでもなく演劇という形式上、実際のテニスボールを舞台上で打ちあうことは不可能なために、俳優たちはラケットを振って打ちあう身振りをします。すると、かれらの動きにあわせて絶妙のタイミングでスタッフが映像による球と打球音を劇空間に挿入するのです。


 ここで俳優たちの現実の身体と映像のテニスボールは次元を超えて、等しい立場でシンクロします。つまり、『テニミュ』においては、「漫画」と「演劇」という意味での「2.5次元性」=「拡張現実性」ととともに、より具体的な、「映像とサウンド」と「現実の演技」という意味でのそれも含まれているのだといえましょう。


 しかも重要なのは、最近のデジタル技術の発達によって、「映像のテニスボール」のような、舞台の構成要素としての「モノ」が、ある側面で人間の役者の道具以上の存在に、いわばかれらと同等の関係性を取り結んでいるように見える点です。最後に短く述べると、これもまた、2.5次元文化が台頭しはじめた2000年代後半あたりから英米圏を中心に注目されている「オブジェクト指向存在論Object-Oriented Ontology」(以下、OOO)という新たな哲学的議論があります。アートや建築などの表現分野からも熱い視線を浴びているこの立場では、「モノの民主化」などといって、これまでの人間を中心とした哲学の埒外にあったモノたちを人間とともに中心に据えた捉え方を目指しています。このOOOの枠組みもまた、それがデジタルメディアの進化とも密接に関連しているように、おそらく2.5次元独特の舞台演出とも無関係ではないでしょう。


 ......ともあれ、今後もとうぶんは続くだろう2.5次元カルチャーのヒットの構造には、こうしたいくつもの興味深い背景が相互に絡まりあっているように思えます。その意味で、この盛りあがりは、2010年代という時代を考えるときにとても示唆的なのです。(渡邉大輔)