黄泉醜女(ヨモツシコメ)は日本神話に登場するおそろしい顔をした黄泉の国の鬼女だ。
イザナギは決して見てはいけないと約束したはずなのに、腐敗して蛆にたかられ雷神に取り憑かれたイザナミの姿を見てしまい、逃げ出してしまう。怒ったイザナミがイザナギを追いかけるよう命じたのが黄泉醜女たちだ。
黄泉醜女は、足は速いが、卑しいからイザナギが投げたものが葡萄やタケノコに変わるとそれに喰いついて貪り、食べ終わると再びイザナギを追いかける。なんとか地上の近くまで辿り着いたイザナギは、桃の木から実をもぎ取って投げつける。桃の実には霊力が宿っており、怖れをなした黄泉醜女たちは退散し、イザナギは逃げ切った。
『黄泉醜女 ヨモツシコメ』(花房観音/著、扶桑社/刊)は、日本神話に出てくるこの醜い鬼女をキーワードのひとつとして、ある事件で死刑判決を受けた「春海さくら」という醜女の被告人を、作家とフリーライターが追いかけていく様子を描くミステリ小説だ。
著者自身を彷彿とさせる女流官能作家の桜川詩子は、「官能作家」として男を欲情させないといけないというプレッシャーから逃れたいと思っていた。官能小説でデビューしたがために、他のジャンルの小説を書いても「官能作家」と冠され、それどころか容姿についてネットでひどく叩かれるなど、本意でない罵詈雑言を浴びることを悩んでいた。
そんなある日、「春海さくらの本、書きませんか」と、フリーランスのライターで編集者でもある木戸アミからオファーを受ける。春海さくらは、婚活連続殺人事件で死刑判決を受けて世間を騒がせていた人物で、周囲の6人の男が不審な死を遂げていた。ブスでデブの女がどうして男たちを虜にし、金を搾取できたのか。さらに、法廷で語った春海さくらのセックス自慢が話題となっていたのだ。
この事件のノンフィクションを書くことになった42歳の詩子と36歳のアミは、さくらの周辺取材を進めることになる。さくらとセレブな料理教室で一緒になった人材派遣会社経営の島村由布子、さくらの高校の同級生で整形して容姿を変えたパートタイマーの佳田里美、被害者の男の姉で家事手伝いの高坂愛里香、さくらの母である佐藤佳代子。次第に明らかになっていくさくらの生い立ちや生き様。真相を探れば探るほど、女たちの嫉妬や優越感、承認欲求、劣等感といったドロドロした感情がまとわりついてくる。
さくらと出会い、被害者となった獣医の高坂は、「あの人は天使、女神かもしれない」と発言していた。さくらは、男からたっぷりと恩恵を受けて、東京という街で働かずに貴族のような生活をして、あげくの果てに獄中結婚もした。彼女の存在は、女として都会で必死に戦って生きてきた女性の存在を揺るがせ、信じているものをなぎ倒すものだったのだ。女たちは男に好かれるために、同性に嫌われないように、身の回りに気を使い、言動に気をつけて慎重に生きている。毎日が不安で仕方がないけれど、それでも世の中から見捨てられないようにと、この東京で必死にしがみついている。
その必死さを嘲笑う存在が「春海さくら」だったのだ。
さくらの異常な食べっぷり、複数の男を求めた欲の深さとあの容姿、そして男たちを殺していたのなら、その罪悪感の無さは鬼のようだ。さくらはまさに「黄泉醜女」なのかもしれない。そして、さくらを追う詩子もまた、自分の貪欲さも「黄泉醜女」のようだと思うのだった。
このあらすじを目にして、2009年に発覚した「婚活連続殺人事件」を思い出す人は多いだろう。なぜ、ブスでデブの女が男を虜にし、金を貢がせ、いい生活をできたのか。さくらを探る女性たちの奥深い内面を描く、ある種の恐ろしさを感じさせる一冊だ。
(新刊JP編集部)