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市川哲史が明かす『LUNATIC FEST.』の隠された物語 <V系万博>2日間を“呑み”の視点で振り返る

2015年08月06日 17:10  リアルサウンド

リアルサウンド

誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論-市川-哲史

 6月27日土曜日。《LUNATIC FEST.》の初日。


(関連:X JAPAN、BUCK-TICK、LUNA SEA……強者バンドが集結した『LUNATIC FEST.』徹底レポ


 ほぼ常在戦場モードの幕張メッセに足を踏み入れたものの、傍観者的な姿勢をいまいち崩せない私の前に現われたのは、なんとバー《レッドシューズ》の文字。決して<ドゥーガン>とか<海野>とかには続かない。


 聞けばJの発案で、出演アーティストのための「有料」ケータリング屋台として、バックヤードに出店されていたのであった。だははは。


 ……そうだよな、このフェスをいまさら客観的に論じて何の意味がある。目が醒めた私はひさしぶりに、<20年前の自分と当時の愉快な仲間たち>に向き合うことにした。


 じゃあ呑むぞ観るぞ聴くぞ。もうほっといてくれ俺を。


 その《レッドシューズ》が西麻布に登場したのは、1981年。開店当時は流行最先端の「リッチで小洒落たカフェバー(爆失笑)」だったためか、デヴィッド・ボウイにブライアン・フェリー、クラッシュにストーンズなど来日アーティストたちが顔を出すようになり、<いかにもアーバンなナイトスポット>として名を馳せるのだ。ぎゃはは。


 そして90年代の開幕あたりを境にライヴの打ち上げ二次会に利用されるなど、日本のそこそこ売れてるバンドたちも出没するようになり、96年の閉店まで音楽業界度は天井知らずで高まる一方だったと記憶している。


 なので私も誰かに何度も拉致られてるうちに、いつしか《レッドシューズ》の登場人物の一人と化した。滅びゆく脳細胞にひと鞭くれるだけで、ぽろぽろ想い出す。


 まだ宵の口、誰か(←まだらぼけ)と店内に入ろうとしたら、火消半纏姿の顔の長い外人に「アナタハ呑ンジャダメー!」といきなり羽交い締めに。その酔っ払いは、前日インタビューしたばかりのトッド・ラングレンだった。


 こんなこともあった。


 夜も更けBUCK-TICK櫻井敦司と訪ねたらすでに呑んでたYOSHIKIに遭遇、合体して呑む羽目に。やがて酔ったYOSHIKIが満面の笑みで私の頭からジントニックをかけるので、私も100%バーボンを彼の脳天から丁寧に流して破顔一笑する。愉快な仲間だ。


 ところが件のジントニックは、私と背中合わせで呑んでた隣りの席の一般OLさんをも、巻き添えで少々濡らしていたのだ。怒り心頭の彼女に謝ろうとした私を、櫻井が制する。


「……ここは俺に任せてください……」


 おお、<沈黙の魔王>が今夜は進撃するぞ。1はにかみフェロモン10ℓの流し目だぁ。


「……連れがご迷惑をおかけして……申し訳なかったです……よろしけれ――」


「ふざけないでくださいクリーニング代弁償してください!!」


 一撃で自尊心を折られ放心した魔王を、必死に慰め続けるYOSHIKIと私であった。


 いつのかは忘れたが、大晦日恒例のX東京ドームライブ終演後の話だ。


 当時のXの打ち上げはバラバラで、その年はJやSUGIZOを連れてhide+PATA主催の高円寺居酒屋貸切大会に参戦した。水道橋から移動するにも程があるが、当時PATAが住んでたマンションの近所だから仕方ない。ライブスタッフも数多く参加して目茶目茶盛り上がったのだけど、さすがに元旦なので朝7時終了。当たり前だ。


 ところが「もう一軒逝こうよー♡」と両脚にしがみついて離れぬhideとPATAに根負けした私は、タクシーで一路《レッドシューズ》へ。


 入口に獅子舞のように整列し、「あけましておめでとーございますぅ!」と怪しい呂律で寿ぎを祝う我々3人の姿に、閉店作業中だった店長は本気で泣いていた。


 元旦朝8時。《レッドシューズ》は営業を再開し、我々は日本一早い新年会に興じたものの、1時間後には店内で爆睡した。ぶち殺されなかっただけ奇跡と言えよう。


 あれから20年の歳月が流れたものの、1995年の閉店を経て2002年暮れから南青山で営業再開中の《レッドシューズ》が、《LUNATIC FEST.》に出張していたのだよ! 初日はなぜか四方を暗幕で囲まれその存在がそもそも周知されてなかったものの、2日目にはそのレゾンデートルを発揮できたのが何よりも喜ばしいではないか。


 とはいえ私がいつ見ても、あそこで呑んでたのは櫻井敦司と今井寿だったけども。年代物の調度品かきみらは。


 そんな、私のような「あの当時」を知る輩たちにはまさに《レッドシューズ》的なメモラビリアだった、今回のルナフェス。両日ともLUNA SEAがhideの楽曲をカヴァーしたとか、GLAYがLUNA SEAの「SHADE」を演ったなど、その具体的な詳細はすでにあちこちでレポートされてるようだから、そちらを参照してもらえばよろしい。


 なので私の琴線に個人的に触れた出来事に、幾つか触れておく。


 まず、東京YANKEES+PATAによる<エクスタシー野球部>復活っ――これはどうでもいいか。同じく《エクスタシー・サミット》的な匂いが漂った初日、大方の予想に反してあのX JAPANより目立ったのは、LADIES ROOMのGEORGEだった。


「アナーキー・イン・ザ・UK」に「酒と泪と男と女」という直球過ぎる選曲センスも可笑しいが、とにかく徹頭徹尾泥酔していた姿が潔い。ニコ生では、放送禁止用語曼荼羅と化して退場処分に。初日ラストのLUNA SEA「PRECIOUS…」セッション大会では、振り回そうとしたスペアの真矢銅鑼が己れの足の甲に落下。それでも酒の力を借りて愉しく暴れ続けたものの、出演者たちがステージを下りた瞬間に、「いでぇええええ」なる断末魔の咆哮がバックヤード中に轟いたのであった。


 うーん、なんだかよくわかんないけどとても《エクスタシー・サミット》だ。


 また《L.S.B.》な2日目ではやはりBUCK-TICKの、これぞ老舗の<極東ストレンジ>ライブが初見の若いリスナーのみならず、出演者やスタッフ、関係者をも威圧した。念願の共演をよりにもよってあの「ICONOCLASM」で果たしたJの至福の笑顔も、BTの特異な存在感を象徴していた。


 そういう意味では初日のDEAD ENDや2日目の<2/3ソフバ>minus(-)、D’ERLANGER、そして私が編集長時代の<音楽と人オールスターズ>としか思えない、デルジISSAY+土屋昌巳+ミッシェル・ウエノコウジ+マッドMOTOKATSU+ソフバ森岡賢というKA.F.KAなど、レジェンドたちが初心者をいとも簡単に虜にした印象が強い。


 オリジナルV系を実体験していない世代にとって、<先達>はとてつもなく新鮮だったようだ。フェス両日、先達が出演する度にその「半端なさ」がツイートされ、その名が続々とヒットワードランキングを急上昇したのが印象的だった。私の周りにいた若いスタッフたちですら、先達の音圧やら音数やら音量やら技量やらダイナミズムに、いちいち驚きいちいち感動していたのだ。あ、GEORGEに代表される常軌を逸した生態にも、か。


 我々が日常的風景として慣れきっていた<V系と呼ばれたロック>は、「俺が恰好よいと思えたらそれでいいじゃん」的な我儘な美意識が命。だから「なんでもあり!」とばかりに音楽性も世界観も詞も音も衣裳も化粧もステージも宣伝も演出も、すべてが足し算を重ねて過剰に濃くなった。つまりあの豪快にして緻密なバンドアンサンブルは、<V系と呼ばれたロック>の宿命なのだ。


 しかしあれから幾星霜、「洗練」という名の軽量ポップミュージックに慣れきった若い耳に、<V系の哀しい宿命>はどうやら<V系だけの圧倒的なスペック>として激しく突き刺さったようだ。


 思えばV系には、ドーム公演を満員にしようがアルバムを軽くミリオン売ろうが、同業者からも世間からも不当に過小評価されてきた歴史がある。当該バンドマンたちの「ネタ化必至の伝説」大量製造マシーンぶりも、拍車をかけたのだけども。しかし2015年初夏の、広義的な<V系>の範疇に属する(と思われる)バンドたちの集会により、その「鬼っ子」V系が人力ロックの醍醐味をずっと遺してきたのが明らかになったわけだ。


 うん、なんかいい気分である。


 正直な話、今回のフェス開催を最初に聞いたときはあまり必然性を感じられなかった私だ。自らの25周年に合わせてV系を総括するというアイディア自体は悪くないが、なんか後ろ向きだもの。


 ところが文字通りに手厚い<主宰者LUNA SEAの献身>が、一バンドの25周年フェスをV系万博へと昇華させた。開催前には率先してプロモーションに勤しみ、本番では出演者に礼を尽くして労を惜しまない。LUNA SEAメンバーの多彩な客演が話題になったが、これぞ気遣いとおもてなしの心の結晶だろう。


 LUNA SEA×2とLUNACY×2とX JAPANとDIR EN GREYとDEAD ENDとKA.F.KAでステージに立ち、the telephonesとcoldrainとFear,and Loathing in Las Vegasと[Alexandros]を観客から見える位置で観戦したほぼ<杉原祭り>状態のSUGIZOを、「死なないスかね?」と<一生涯好青年>TAKUROが心配していたが、これがSUGIZOなりの献身なのだから仕方ないではないか。


 《LUNATIC FESTA.》はいいフェスだった。本当に。


 それでも、これだけは言っておかなければなるまい。YOSHIKIだ。


 この男は後輩の25周年記念フェスで、新曲のコーラスを客に唄わせレコーディングしたばかりか、MCで「皆本当にどうもありがとう」となぜか泣いていた。そういえばGLAY20周年@東京ドーム公演の時もサプライズ出演したものの、MCで「皆本当にどうもありがとう」となぜか泣いていた。


 おまえじゃねぇよ。ぎゃははは。(市川哲史)