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今あえて「シンガー・ソングライター」と呼びたい音楽家とは? 村尾泰郎が邦洋の6作品を紹介

2015年08月04日 11:10  リアルサウンド

リアルサウンド

PIZZICATO ONE『わたくしの二十世紀』

 半世紀前ならシンガー・ソングライターは特別な存在だったが、最近ではミュージシャンが自分で曲を書いて演奏するのは当たり前に思われているかもしれない。場合によっては、プロデュースやミックスまで自分でこなすミュージシャンもいるくらいだ。そうしたミュージシャンが増えるなか、今もあえて「シンガー・ソングライター」と呼びたくなるのは、その言葉に特別な何かを感じるからだろう。その“何か”を感じさせてくれる作品を、6~7月の新作のなかから選んでみた。


 まずはLA在住のジェシカ・プラットのセカンド・アルバム『オン・ユア・オウン・ラヴ・アゲイン』。ボニー“プリンス”ビリーやスモッグが所属するインディー・レーベル、ドラッグ・シティからリリースされた本作は、デビュー作『Jessica Pratt』同様、自宅のベッドルームでレコーディングされた。ギターの弾き語りなのも前作と同じだが、今回はオルガンやクラヴィネットが淡く彩りを加えている。そんななか、彼女が爪弾くギター、紡ぎ出すメロディーは不思議な心地良さがあって、その歌は煙草の煙みたいにゆらゆらと漂いながら夜の闇に吸い込まれていくようだ。鼻にかかった歌声も魅力的で、アシッド・フォーク的な気怠さのなかに可憐な表情を覗かせて、多重録音されたハーモニーもキュート。いま一番、ナマで聴いてみたいシンガーだ。


 さらにもう一人、USインディー・シーンで注目を集めるアーティストを。エズラ・ファーマン『パーペチュアル・モーション・ピープル』は、まずジャケットに写し出されたエズラの女装姿に惹きつけられる。これは本人いわく「性的に不安定な」自分をありのままに表現したもの。彼の歌には社会から疎外されたアウトサイダーの怒りや共感に満ちているが、ドゥーワップやロカビリーなどオールディーズを独自に消化したサウンドは、エズラがリスペクトするアリエル・ピンクに通じるネジが外れたようなポップさ満載。ホーンが豪快に鳴り響くなか、エズラが噛みつくようにシャウトする。そこにはアレックス・チルトンに通じるヤサグレたアメリカーナ臭も漂っていて、次作はぜひ獄中のフィル・スペクターにプロデュースをお願いしたい。


 新人が続いたので今度はベテランを。イギリス出身のマーティン・ニューウェルは、70年代からグラム~パンク~ニュー・ウェイヴをリアルタイムで体験しながら様々なバンドを渡り歩き、90年代以降はアンディ・パートリッジ(XTC)やルイ・フィリップのプロデュースのもとで良質なソロ・アルバムを発表した。ここ数年、彼が80年代に在籍した伝説のギター・ポップ・バンド、クリーナーズ・フロム・ヴィーナスの旧作が、マック・デマルコなどが所属するブルックリンのインディー・レーベル、キャプチュアード・トラックから立て続けに再発されたが、遂にソロ名義では8年振りの新作『Teatime Assortment』を完成させた。本作は架空の映画のサウンドトラックというコンセプトで全曲宅録。何と言っても魅力的なのは熟成されたソングライティングだ。牧歌的で、メランコリックで、ヒネリが効いていてと、英国気質に満ちたいぶし銀のポップス職人ぶりを発揮。たっぷり24曲、1時間に渡って“マーティン・ニューウェル劇場”が楽しめるので、聴き始める前に紅茶のクッキーの用意をお忘れなく。


 今度はちょっと毛色の変わったシンガー・ソングライター・アルバムを、続けて2枚紹介したい。カナダ出身のモッキーは、ラップやエレクトロなど様々なアプローチを披露する一方で、ファイストやジェーン・バーキンなど様々なアーティストのプロデュースを手掛ける多才な男。新作『キー・チェンジ』は、ドラム、ベース、ギター、フルートなどほとんどの楽器を一人で演奏していて、チリー・ゴンザレスやファイストなど同郷の古くからの友人達や、フライング・ロータスやカルロス・ニーニョの作品で注目を集めるLAの新進気鋭のアレンジャー、ミゲル・アトウッド・ファーガソンなど多彩なゲストが参加している。モッキーはインストとヴォーカル曲を織り交ぜながながら、ジャジーでソウルフルなサウンドを展開。シネマティックな世界を作り出す演出力、洗練されたアレンジにプロデューサーとしてのワザを発揮しつつ、その囁くような歌声やアルバムを包み込むパーソナルなフィーリングに、シンガー・ソングライター的ロマンティシズムを感じさせる作品だ。


 そのモッキーと同じく、アルバムの世界観を強く感じさせるのが、PIZZICATO ONE『わたくしの二十世紀』だ。PIZZICATO ONEは元PIZZICATO FIVEの小西康陽のソロ・ユニットで本作は2作目となる。前作『11のとても悲しい歌』は海外のシンガーをフィーチャーした洋楽カヴァー集だったが、今作はUA、小泉今日子、西寺郷太(NONA REEVES)、YOU、甲田益也子、ムッシュかまやつなど、11人の日本人ヴォーカリストを招いたセルフ・カヴァー集だ。音数を切り詰めたアコースティックな演奏をバックに、くっきりと浮かび上がる言葉と歌声。その研ぎ澄まされたアレンジから、小西の書く歌に潜む“孤高の悲しみ”とでも呼びたくなるようなリリシズムに触れることができる。〈自分で歌っても、演奏もしていないのにシンガーソングライター・アルバム?〉とお叱りを受けるかもしれないが、すべての音、すべての歌声に〈小西康陽の魂〉が宿っていて、このアルバムを聞き終わった後に頭に浮かぶのは、スタジオで一人、頬杖をついている小西の後ろ姿。こういうシンガー・ソングライター・アルバムもある、と強くお薦めしたい。


 そして最後は、広島在住の二階堂和美の最新シングル『伝える花』。インディー時代は知る人ぞ知る存在だったのが二階堂だが、2011年に『にじみ』という傑作を発表。それが高畑勲監督の耳にとまって2013年のジブリ映画『かぐや姫の物語』の主題歌「いのちの記憶」を歌うことになり、いっきに知名度もあがった。それ以来、2年振りの新曲となる「伝える花」は、RCC中国放送が企画する「被曝70年プロジェクト 未来」のテーマ曲として書き下ろされたもの。以前、彼女は原爆の悲しみを題材に「蝉にたくして」という曲を書いているが、その曲の胸を突くような悲しみに比べると、爆心地に咲いた花にほのかな希望を見出す「伝える花」は、一輪の花が静かに風に揺れているような穏やかさがある。そして、静かな語り口のなかに、悲しみ、怒り、祈りを、繊細なニュアンスで織り込む歌声の素晴らしさ。どんな曲も自分のすべてを開放して、彼女は歌そのものになる。だからこそ、この大きなテーマを歌った曲も“お高くとまってない”のだ。とはいえ、「いのちの記憶」「伝える花」と重厚な曲が続いたので、次回は彼女のエンターテイナーとしての魅力を発揮したポップな作品を期待したいところ。歌いたくて歌いたくて仕方ない! そんな彼女の歌が聴きたくて仕方ない。


 というわけで、洋邦とりまぜて新作を紹介したが、どの作品もミュージシャンの息づかいが伝わってくるものばかり。歌を通じて歌い手と出会うこと、語り合うこと。それがシンガー・ソングライター作品を聴く楽しみであり、この6作はそんな楽しみを味あわせてくれるはずだ。(村尾泰郎)