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なぜファレルは『ミニオンズ』に参加しなかったのか? 同作プロデューサーにインタビュー

2015年07月30日 15:31  リアルサウンド

リアルサウンド

ミニオンズ

 毎月のように次から次へと記録的なヒット作が生み出されている2015年のアメリカ映画界。『怪盗グルー』シリーズ最新作にして、人気キャラクターのミニオンたちの起源と60年代ロンドンでの活躍を描いたスピンオフ作品『ミニオンズ』も世界中で特大ヒットを記録している。アメリカ国内の初日の興行収入はアニメーション作品史上歴代1位、初週の興行収入も歴代2位と、とにかく圧倒的な強さ。日本にいるとディズニー(&ピクサー)1強時代が続いているようにも見えるハリウッド・アニメーション界だが、実はまったくそんなことはないのである。この『怪盗グルー』シリーズも、作品を追うごとに日本でも興行収入を倍々ゲームで伸ばしていて、今や子供たちとその親たちだけでなく、10代~30代の女性たちもメインターゲットなのだという。そして、そんな観客層の拡大に貢献したのは、前作『怪盗グルーのミニオン危機一発』の主題歌であり、名実ともにその年のソング・オブ・イヤーとなったファレル・ウィリアムスの「HAPPY」であったことは言うまでもない。


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 さて、実は今回の『ミニオンズ』、1作目から主題歌のみならずスコアにおいても深く作品に関与してきたそのファレルが参加していないのだ。その代わり、スクリーンを彩るのは誰もが耳馴染みのある、60年代のポップソング&ロックンロール。その方向転換の理由、そして「そもそも『ミニオンズ』とは何なのか?」について、シリーズの生みの親であるプロデューサー、クリス・メレダンドリに訊いてみた。


・「本来は善なるもの、純粋なものが、悪に仕える。それがミニオンズなんだ」


――プリクエル(前日譚)というのは、実写映画ではシリーズもので役者のギャラが高くなりすぎた時に、新しい役者たちを用いてリブートする際にしばしば使われてきた手法です。今回、それを役者のギャラとは関係のないアニメーションでやったというのが、まずはおもしろいなって思ったんですけど。


クリス・メレダンドリ(以下、メレダンドリ):続編を作るか、プリクエルにするか、その決定をする前に、今回はミニオンたちが主役のスピンオフ作品を作ってみようというのが、そもそもの企画の発端だったんだ。とにかくスタッフがミニオンたちを描くのが大好きでね。で、ストーリーをいろいろと考えていったんだけど、やっぱりその中で一番おもしろくなりそうなのは、今回のように「彼らは一体どこからやって来たのか?」ということを描くことだったんだ。


――「太古の時代からずっと強いものに寄生してきた」というのが、今回の作品で描かれているミニオンたちの習性です。これは、何かのメタファーなのでしょうか?


メレダンドリ:寄生ではなく、あれは純粋な気持ちで仕えているんだ。彼らが仕えるのは力のある者で、力のある者というのはえてして悪党であったりする。悪党に仕えるのだから、必然的に悪事を働くことにもなるのだけど、彼らの「仕えたい」という気持ちはあくまでも善意からなんだ。本作のおもしろさというのは、本来は善なるもの、純粋なものが、悪に仕えるというところにある。


――それが人類の歴史でもあったと。


メレダンドリ:そこまでは言わないけれど、そういう解釈もあるだろう(笑)。


――今作ではサンドラ・ブロックやマイケル・キートンといった名優たちが声優として参加しています。ハリウッドのアニメーション作品ではもうお馴染みになりましたが、ハリウッドのトップスターが声優の仕事を積極的にする理由はなんなのでしょうか?


メレダンドリ:きっと、二つの大きな理由があると思う。一つは、彼らは映画のカメラの前に立つ前に、ヘアドレッサーやメイクアップアーティストや衣装係と何時間も準備をするのにうんざりしている(笑)。アニメーションのアフレコでは、彼らは普段着のままブースに入って、マイクの前に立って、そこで演技をして、そのまま家へと帰っていく。普段大掛かりなセットの中で仕事をしている彼らにとって、それはとてもいい刺激、いい気分転換になるんだと思う。もう一つの理由は、彼ら自身の子供たちだね。自分の子供、あるいは自分の親戚の子供たちに対して、人気のあるアニメーション作品のキャラクターの声をやっているのは最も誇れる仕事なんだ。休みの日に、彼らは子供たちと一緒にそういう作品を観るわけさ。


・「本作では『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』の照明を再現したんだ」


――今回の主要な舞台は1969年ということで、そこではビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、ドアーズ、ドノヴァンといったアーティストの有名曲が贅沢にたくさん使われていますが、ざっくりと、その選曲の基準はどういったものだったのでしょう?


メレダンドリ:映画にポップミュージックを使用するというのは、実は多くの人が考えている以上にデリケートなものなんだ。特に今作では、ポップミュージックはスコアの役割も果たしているから、なおさら大変で。できあがったシーンに合わせて、それこそ何百、何千という曲を流して、そこで一番しっくりとくる曲を選んでいく必要があるんだ。まぁ、個人的に自分もスタッフも60年代のロックンロールが大好きだったから良かったけど、この2年間は完全に60年代のロックンロール漬けになっていて、それが他の時代だったらかなりストレスになっていたんじゃないかな(笑)。


――ゲスな質問ですみませんが、ビートルズの曲を筆頭に、かなり莫大な使用料をとられたんじゃないですか?(笑)


メレダンドリ:確かに使用料は高かったよ(笑)。でも、本作において60年代のロックンロールは絶対に欠かせないものだったからね。音楽だけじゃなくて、今回の作品では60年代のあの時代の雰囲気をアニメーションで表現することを、とことん追求していったんだ。たとえば、背景を描く上でライティングの参考にするために、リチャード・レスターの映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』を穴があくほど観て、あの作品におけるライティングを再現している。60年代の映画のライティングって本当に独特で、それをここまでちゃんと再現したアニメーション作品は他にないと断言できるよ。


――でも、一つツッコミを入れさせていただくと、ビートルズの4人がアビーロードを横断するシーンがありますよね。あそこで流れるビートルズの曲は『アビーロード』の曲であったほしかったです(笑)。


メレダンドリ:そこを指摘してきたジャーナリストは、君が初めてだよ(笑)。実はこの作品には2、3ヶ所、ロックファンからツッコミの入りそうなシーンがある。それを探してみるのも、マニアックな楽しみ方かもしれないね(笑)。


――『怪盗グルー』シリーズといえば、これまでの2作品は音楽にファレル・ウィリアムスが参加していて、特に前作における「HAPPY」はその年を代表する大ヒットソングにもなりました。今回ファレルが参加していないのは、舞台が60年代だったからという理解でいいのでしょうか?


メレダンドリ:まったくその通り。ここではっきりと宣言しておくよ。ファレルとは現在も良好な関係が続いているし、今後の作品ではまた一緒に仕事をすることになるはずだよ。彼の音楽は、このシリーズにとって必要不可欠なものだからね。ただ、今回の作品は60年代が舞台だったから、作中の統一感を出すために当時のヒットソングで固めたかったんだ。ファレルは本作だけ一回お休み、と思ってもらって構わないよ。


――メレダンドリさんって、結構珍しいファミリーネームですけど、失礼ですが、何系のアメリカ人ということになるんでしょう?


メレダンドリ:僕はイタリア系の家族で生まれたニューヨーカーだよ(笑)。


——あ、やっぱりイタリア系なんですね。あなたがこれまで製作してきた作品は、たとえばディズニーの作品、あるいはピクサーの作品と比べても、明らかに違いがあると思うんですね。その違いを、ご自分ではどのように定義しているのでしょうか?


メレダンドリ:そうだね。ディズニーやピクサーがストーリーを最も大切にしているとしたら、僕が最も大切にしているのはキャラクターなんだ。


――まさにそうですね。そんなにはっきり言ってくれるとは(笑)。


メレダンドリ:僕が大切にしているのは、主人公が完璧なキャラクターではなく、欠点のあるキャラクターであることなんだ。主人公はその欠点を乗り越えようと、いろんな方法でもがくことになる。ストーリーは、その主人公の「もがき」から生まれると言ってもいい。それと、あくまでもコメディであること。コメディでありながら、登場人物たちの感情に観客がアクセスできるようにいつも心がけている。観客がアニメーションに共感をするのは、大きなストーリーよりも、実はちょっとした瞬間のキャラクターの細かい表情の変化だったりするんだよ。そういう細かい変化に気づいた時に「自分はこのキャラクターの気持ちをよく知っている」と思うんだ。そういう意味では、観客だけでなく、アニメーターを夢中にさせるような魅力のあるキャラクターであることがとても重要になってくる。実際に『ミニオンズ』を作っている人たちは、他の誰よりもミニオンたちの大ファンなんだよ。


――なるほど。そういう意味では、『ミニオンズ』って、日本で作られてきた、長年人気のあるいくつかのシリーズもののアニメーション作品と、実はかなり近い発想で作られていると言っていいかもしれませんね。


メレダンドリ:そうだね。それは常々自分もよく感じてきたことだよ(笑)。(宇野維正)