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世界水泳選手権大会開幕! 障害者になってイチから始める水泳

2015年07月26日 00:40  週刊女性PRIME

週刊女性PRIME

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7月25日より「FINA世界水泳選手権大会」が始まった。 競泳、シンクロナイズドスイミング、飛込、ハイダイビング、水球、オープンウォータースイミングの6競技75種目。世界186の国と地域から約2500名の選手が参加する。オリンピックを超える規模で2年に1度行われていて、今回もリオデジャネイロオリンピックの出場内定をかけての競技会でもある。 こう見えてボクも小学生のときから水泳を始め、平泳ぎで県で優秀な成績を収めた。広島の中学に進学したとき、それを知っていた監督から水球部にスカウトされて、それからはずっと毎日毎日練習漬けの日々だった。正月も元旦だけを除いて、氷の張っているプールでも練習した。 何であんなに一生懸命になれていたのか自分でも不思議だけれど、朝から晩まで水球をしていた。苦しいという言葉では言い表せない。 自分を追い詰めて奮い立たせる。これでもかこれでもかとランニングし、泳ぎに泳いだ。どんどん自分の身体が自分でないぐらいに鍛えられていくのも、若いボクにとっては面白かった。 腕力も脚力も、いままでの自分のものではなくなっている。挫折を何度も経験し、その壁の向こうをみるぞ、と必死にもがいた。 高校生でインターハイ、国体にも出場して大学でも水球を続けていた。オリンピックを夢見ていたこともあった。 自分の道はここにあると信じて疑わなかった。肩を壊すまでは……。 最大の挫折だった。生きていく価値も見いだせず、大学にこのまま残る意味さえわからなくなっていた。実家にも帰れず、さまよっていた。 その頃、ちょうど悪友の勧めでスポーツ新聞にコラムを書かないかと言われたのだった。大学生が交代で新聞の文化面を埋めていくのだ。 幸いボクは書くことが好きだった。予備校時代からミニコミ誌に書かせてもらっていたのだ。それがボクのドン底を救ってくれた神の手であったし、今の生業にもなっているのだから、人生わからないものだ。 そしてボクは4年前、またまたピンチを迎えたのだ。くも膜下出血。もう助からないと言われて、家族も絶望の淵にたっていたらしい。ボクは1年の入院生活を経て、自宅に帰ってきた。 左半身麻痺、短期記憶障害、言葉もうまくは出てこない。それでも4年経って、ここまで回復したのはウソのようだが、実は自分でも今もよくわからないのだ。昨日会った人のことも、行ったところも、覚えていないこともある。書いた原稿すら覚えていないことだってあるぐらいだ。 「〇〇覚えている?」と家族に聞かれるのが、怖いときがある。自分が何をしたいと言ったのか。何をしていたのか覚えていないのだから。 きっとその怖さは健常な人たちにはわからないだろう。 自分が何かわからなくなる。 ボクは家族と友人に「泳ぎたい」と言ったらしい。それも覚えていなかったが、家族と仲間たちはボクがやりたいと思ったことを実現させてくれる努力を惜しまない。それが今のボクの回復の源になっているんだと思う。「ダメでもともとやってみる」。そう妻はいつも言う。 車椅子のまま入水できるプールを探してきてくれた家族。プールに行きたいといったことも忘れちゃっているボクだったけど、「ちょっと頑張ってやってみようかな」と自分を奮い立たせる。 もちろん、身体は動かないのだから蛙が伸びたみたいに浮いているだけだ。息継ぎもできない。 ボクは自分が麻痺していることも忘れて、泳げると思い込み、プールに飛びこんだのだ。「あれ? 動かない……顔も上げられない……ブクブクブク……」。すぐに家族が引き上げてくれたが、死ぬかと思った。 本当に死ぬかと思った。 それで、「じゃ、最初に息継ぎの練習だけをしてみよう。息継ぎできなきゃ死んでしまうからね」と家族が言うので、プールのヘリにつかまって、息継ぎの練習をした。その光景をずっとハラハラして見ていたに違いない女性の監視員さんが声をかけてきた。 「水泳選手か何かだったんですか? その息継ぎちょっと違いますもんね」 家族もボクもプールサイドを見上げその監視員さんを見つめた。 ボクのなかで新しい何かが始まった。 身体が動かず、寝返りも打てないボク。大木が首の下にくっついているだけの身体と、諦めかけていたボクだったけれど、ちょっと泳いでみようかなと思っている。 そんなとき、ちょうど世界水泳選手権大会。 昔のボクは、本気で目指していたんじゃないか……。 思い出したのだ。 あんなに過酷な毎日も、一歩一歩の練習から可能になったんじゃないか……。 ちょっと夢を追ってみたくなった。 〈プロフィール〉 神足裕司(こうたり・ゆうじ) ●1957年8月10日、広島県広島市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代からライター活動を始め、1984年、渡辺和博との共著『金魂巻(キンコンカン)』がベストセラーに。コラムニストとして『恨ミシュラン』(週刊朝日)や『これは事件だ!』(週刊SPA!)などの人気連載を抱えながらテレビ、ラジオ、CM、映画など幅広い分野で活躍。2011年9月、重度くも膜下出血に倒れ、奇跡的に一命をとりとめる。現在、リハビリを続けながら執筆活動を再開。復帰後の著書に『一度、死んでみましたが』(集英社)、『父と息子の大闘病日記』(息子・祐太郎さんとの共著/扶桑社)、『生きていくための食事 神足裕司は甘いで目覚めた』(妻・明子さんとの共著/主婦の友社)がある。Twitterアカウントは@kohtari