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GLIM SPANKYが見据える、世界進出の見取り図「『こういう音もメジャーになれる』ということを証明したい」

2015年07月22日 13:10  リアルサウンド

リアルサウンド

GLIM SPANKY

 GLIM SPANKYが、7月22日に1stフルアルバム『SUNRISE JOURNEY』をリリースする。これまでヘビーなロックサウンドとパワフルな歌声で突き進んできたGLIM SPANKYにとって転換点となる、「褒めろよ」や「リアル鬼ごっこ」「サンライズジャーニー」といった間口の広い楽曲をはじめ、バラエティに富んだロックナンバーが多数収録されている一作といえる。今回のインタビューには、松尾レミと亀本寛貴の2人が登場。GLIM SPANKYのルーツや制作手法、松尾のボーカリストとしての歩みや亀本がレコーディングで得たもの、そして活動の先に見据える大きな野望について、大いに語った。


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■「日本語で世界のロックに挑戦して、ワールドワイドでメジャーなものになっていきたい」(松尾)


――GLIM SPANKYが『閃光ライオット』に出演した際は、4人組のバンドでしたよね。どのように形を変えて今の2人になったのでしょうか?


松尾レミ(以下、松尾):元々4人で結成したのは、高校に入学してすぐ、文化祭でコピーバンドをするためでした。なので、文化祭が終わった段階でギターとベースのメンバーが抜けたのですが、また同じパートをやっている亀本を含む先輩2人が加入して。この時の4人で『閃光ライオット』に出演しました。そこからメンバー脱退を経て、亀本が残り今の形になりました。


――その頃からずっと松尾さんがソングライティングを手掛けていたそうですが、2人はそれぞれどんな音楽に影響を受けたのでしょうか。


松尾:私は父がアートの個展を開いたりするような人で、家では常に音楽が流れていました。小さい頃はミュージシャンの方や詩を書いている人に会わせてもらうなど、幅広いカルチャーに触れていくなかで、音楽に興味を持ちました。音楽も海外のスタンダードなロックのほかに、フランス音楽やアフリカン・ロック、60年代アングラフォークに渋谷系など、分け隔てなく流れるような自宅だったんです。そのなかでも特に好きだったのがビートルズで。中学生の時から私はガサついた声だったので、合唱曲で高い声を歌えないことをコンプレックスに思っていたのですが、ビートルズの「Help!」を聴いたとき、ジョン・レノンの声がガサついているのにカッコよかったことに衝撃を受け、声の使い方や「自分の声はこういうジャンルで発揮できるかも」と気付けたんです。


亀本寛貴(以下、亀本):僕が最初に楽器を持ったきっかけは、小学校低学年くらいの時に母が録画していたドラマの主題歌にGLAYが起用されていたことです。その後も中学校・高校と気持ちが続くのですが、高校生の時にバンドをやりたいと思い、TSUTAYAで片っ端から洋楽のCDを借りました。ニルヴァーナ、ガンズ・アンド・ローゼズ、オアシスと、時代で区切らないようにしながら音楽を聴いていると、次第にジミ・ヘンドリックスやクリームのCDを貸してくれる友人もできて。実際に60年代や70年代のロックを聴いて、練習したり、大学のサークルで演奏するようになってから、今の音楽的なアプローチに近づいてきました。


――亀本さんは、松尾さんと組むにあたって、彼女の音楽性に寄せられた部分もあった?


亀本:最初はレミさんが聴く音楽に対して「そういうの興味ない」ってずっと言ってたんですけど…。高校生の頃には「ビートルズも聴け、歴史を辿れ!」と電話で口論になったこともありました(笑)。幸いにもアーカイブはレミさんの家に資料館レベルであったので、その後はしっかりと活用させてもらいました。ただ、リアルタイムで更新されているものは、自分でアンテナを張っていないと逃してしまうので、その感覚も重要視しています。大学生になってからは、海外のインディーミュージシャンが配信している演奏動画を観たりしていました。


松尾:そんな彼と常に一緒にバンド活動をしているので、新しい音楽を見つけたら、逐一情報共有していたんです。だからどちらかがどちらかに寄せられた、影響されたというよりは、“互いに成長していった”というほうが正しいのかもしれません。アートやファッションも感覚的に常に共有することによって、音にも「この曲は何色でこういうイメージ」と言ってもポンと返してくれるコミュニケーションができるので重要だと思っていますし、だからこそ色んな物を共有しています。


――亀本さんは松尾さんの世界観をどういうふうに汲みとっていますか。


亀本:レミさんが「こんな感じの世界観だから、こうしてくれ」と指示して動くだけなら、もっとうまい人はたくさんいると思います。だからこそ、曲の雰囲気や世界観を自分がどう感じるかを自分なりに表現するし、色んなものを共有しつつ、一人の別の感覚を持った人間として、プラスアルファのエッセンスを出せるように心掛けています。


――洋楽をルーツに持っている2人が、なぜあえて日本語ロックをやろうと思ったのでしょうか?


松尾:「日本人なので日本語で表現したい」という思いと、自分たちの音楽を世界に発信するにあたって、洋楽が好きだからってそっち寄りにしてしまったとき、私なら「じゃあ元々向こうで出てきている海外アーティストを聴くよ」って思うんです。だから海外の人に出来ないこと、つまり日本のエッセンスを打ち出していかなければいけないし、そのうえで、世界に通用するロックサウンドやワールドワイドなリズム、今の日本で流行しているものと関係ない文脈を合体させるようにはしています。


――では将来的には世界へ進出することも視野に入れている?


松尾:一番大きいことを掲げると、日本語で世界のロックに挑戦して、ワールドワイドでメジャーなものになっていきたいです。たとえば欧州では日本のビジュアル系が流行ったり、クールジャパン的なものが盛り上がっていますが、それは局地的なものだったりするわけで。もちろんそれはいいことなのですが、本当の意味で世界的なブレイクをしたい。でも、それを成し遂げるためには、まず日本を制することが先だと思うので、今のポップシーンにはないヘビーなサウンドで、「こういう音もメジャーになれるんだぜ」ということを証明したいです。


■「ブルースやブラックミュージックのリズムが『ノレる』ものだと思っていました」(亀本)


――あえてヘビーなサウンドにしているということですが、曲作りの際に、決まっている制作手法は?


松尾:私が歌詞と短い弾き語りデモを作って、亀本と一緒にブラッシュアップしていきます。あとはギターコードだけ、たとえば「#D、#A、#C」というコードを出して、私は勝手に曲を作り、亀本はリフを考えて、お互いに出来たところで合体させるという方法もありますね。


――その二つの手法はどう使い分けているのでしょうか。


亀本:メジャーに入ってからは、後者の方が多くなったかもしれません。時間制限のあるなかで同時進行していって、歌がある程度形になってきたら、自分の中で「こんな歌なんだろうな」と想像で作っていたものと照らし合わせて、色付けをしていくんです。そこから何度かやり取りしながらオケを構築し、次の曲を作り始めて…という流れが出来上がっていますね。歌詞も後でどんどん変わっていく場合があります。


――デビューミニアルバムの表題曲「焦燥」は、松尾さんが高校生の時に書いた楽曲ですが、改めてアルバムに収録されるにあたって、この曲をどう見つめ直したのですか?


松尾:この曲を作ったとき、私は美術系の大学を志望していました。でも、地元がとても田舎だったので、そんなことを言う人はいなくて。たまたま生徒会をやっていたので、街の役員さんや地元企業の社長さんと交流する機会があって、そこで自分の夢を語ることになりました。美術の話もしない田舎で「音楽で食べていく」とは言えなかったので「美術の大学に入って…」と伝えたのですが、ドッ、と笑いが起きて。その中には子供を育てる側の人間――会社のお偉いさんや小学校の先生、図書館の司書さんもいたのに、そんな人たちが若者の夢を笑うなんて、許せないと思いました。世の中には絵や音楽でご飯を食べている人が当たり前にいるのに、なんて失礼なことだと。だから「こういう心を閉ざした大人たちに届く曲を書かなければ」という気持ちで書いたのが「焦燥」で、そのメッセージ性の根幹は当時とは変わらないです。ただ、サウンドやアレンジ面はどうしても高校生の書いたものなので、今発表するにあたって、大幅に変えました。だから一度弾き語りベースのところまで壊して、プロデューサーのいしわたり淳治さんと一緒にリアレンジしました。


亀本:デビューミニアルバムの中で、淳治さんには「MIDNIGHT CIRCUS」と「焦燥」をプロデュースしていただいたのですが、「こんな風になっちゃうんだ」とか「バンドのアレンジってこういうことができるのか」と勉強させていただく機会がたくさんありました。しかも、淳治さんは無理矢理引っ張って行くタイプでもなく、僕らから何かが出てくるまでずっと付きっ切りで一緒にいてくれるので、部活の居残り練習みたいな感じで大変でしたが、その分良いものは生み出せたと思います。


――それ以外にも、亀田誠治さんや、ハマ・オカモト(OKAMOTO’S)さん、BOBOさんなど、一流の手練たちを迎えて制作を行いましたが、彼らとのセッションで得たものは?


松尾:亀田さんと一緒にやって思ったのは、「あれだけ活躍されている有名人が、自分たちよりもロックキッズなんだ」ということ。だから変に細かくアレンジして元のものを壊したりせず、ピンポイントで少しキャッチーにしてくれるんです。それを見ていて「ここを変えればキャッチーになるんだ」というポイントを学べましたし、いつまで経ってもそういう人でいたいなと思えるようになりました。


亀本:あと、いくら雑誌に「○○さんは上手い」って書いてあっても、なかなか人間って体感しないとわかりませんよね。その技術や基準を体感値で経験できたのは、自分の成長にすごく繋がったと思います。


――アルバムにはインディーズ時代からのロックナンバーのほかに、ポップな楽曲も多く収録されています。GLIM SPANKYという枠組みのなかで、“ロックさ”“ポップさ”をどう見せていこうとしているのでしょうか。


松尾:全て“ロック”という枠組みの中で、ポップスやフォーク、カントリーをやっている感覚ですね。インディーズの頃はずっと、重い曲をズドーンと表現したかったので、ノレる曲にまったく興味はありませんでした。でも、世間に自分たちの楽曲を出していくなかで、テンポの早いほうが人の心を掴める部分があるのかなと思ったり、「褒めろよ」でドラマの主題歌を書き下ろすにあたって、題材の『太鼓持ちの達人』が面白いものだったので、今までの自分の重くて暗い引き出し以外のところで楽曲を作りたいと思いました。


亀本:以前から「ノレる曲があるといいよね」ということはよく言われていたのですが、僕個人としてはブルースやブラックミュージックのリズムが「ノレる」ものだと思っていましたし、ジミ・ヘンドリックスの「ブードゥー・チャイルド」をノレる曲として捉えていたので、インディー時代の曲に対しても「この曲がダメなの?」と疑問に思っていました。でも、メジャーの舞台で色んなイベントに参加して、イケてるバンドたちの演奏と観客の反応を見て「あ、これが“ノる”ということか、これぐらい張り切る感じか」と実感しました。


――松尾さんはメジャーデビュー以降、アナログフィッシュのゲストボーカルや、CMソングへの起用など、ボーカリストとしてGLIM SPANKY以外でも活躍していますね。これらの経験は自分たちの音楽観に影響を及ぼしましたか?


松尾:ボーカリストとしての変化は、ただ思ったように歌っているだけなので、特に無いかもしれません。ただ、人の曲を歌うのは初めての経験だったので、もちろん感覚的には違う部分はありましたが。自分の曲としてカッコイイ歌を歌うことと、人の曲をカッコよく歌うという感覚は同じなので、思うがままに歌っています。


――では、アルバム自体も歌が前に出ているように感じたのですが、あえてディレクションしたというよりは、松尾さんの歌が強いからこうなったということなのでしょうか。


松尾:もちろん歌を伝えたいので、歌詞が届くものにしたいという気持ちで作っているからだと思うのですが、亀本も「焦燥」や「踊りに行こうぜ」、「MIDNIGHT CIRCUS」では、歌の後ろでガンガンギターリフを弾いているんです。でも、私も「どんな音が入ってこようと、私の歌は潰れてたまるか」と思って歌っているので(笑)、たぶんきっとそのせいなのでしょうね。


亀本:純粋に声に存在感があるのかなと感じています。だから思いっきり弾いても大丈夫ということですね。


■「良い意味で“そんなに変わらない”という部分をちゃんと持っていたい」(亀本)


――たとえば、タイアップなどの楽曲にはテーマがあるわけですが、2人があらかじめ主題が決まっているものを書くというのはメジャーに足を踏み入れてからのことだと思います。アウトプットする引き出しも違うと思いますが、どういう感覚でしょうか?


松尾:普通に曲を書く時は、日常的に思っていた怒りや幸せをそのまま書いていますが、逆に決められた中でどれだけ自分のオリジナリティを出せるか、という勝負も楽しくて。だからあまり大変とか窮屈に思うことはなく、素直に自分が思ったことを出せているという感覚です。


亀本:僕は制約の付いたもののほうがやりやすい。自分で作る時も、結果的に制約を決めて基準を定めるようにしているので、そのラインを自分で作るか、もしくは元からあるかという違いだけですね。自分たちが踏み出せなかった音楽性の幅を拡張させてくれたのは、「褒めろよ」「リアル鬼ごっこ」のおかげですし、もっと形の決まったものにも挑戦してみたいと思っています。


松尾:そうですね、この2曲を通して、2人がより成長したという実感はあります。


――タイトルトラックの「サンライズジャーニー」は、GLIM SPANKYのなかでも突出してポップな曲であり、強いメッセージの込められているものに感じました。


松尾:曲を書いたのは2014年の4月くらいで、メジャーデビュー前に『焦燥』や『大人になったら』をレコーディングしていたときでした。今までずっと、ライブハウスでお客さん一人二人の中でやり続けていた時は、自分の目の前をバスが通り過ぎていった感覚で。バスというのは大人や事務所の人の比喩なのですが、友達のバンドがどんどんデビューしていき、バスが通り過ぎていったけど、自分の乗るべきバスは来なかった。そしてやっと来た自分たちのためのバスが、今までにないくらい最高にかっこよくて、広くて、人数を詰め込められる車で。だからこのバスに乗って、お客さんやすべての人を乗せて一緒に旅に出ようという思いを込めた曲です。いまのGLIM SPANKYを表現するにはうってつけの曲だし、だからこそこの曲をアルバムのタイトルにしました。


――気負いとワクワク感が同居している素晴らしい曲ですね。亀本さんから見て、松尾さんはここ数年でどのように変化しましたか。


亀本:歌詞にしろメロディにしろ、昔は抽象的な表現が多かった。でも、最近はメッセージや感情が次第に研ぎ澄まされたものになっていますし、景色を描写したものでも、伝わり方の速度が全く違うものになっていると感じていました。


松尾:「焦燥」を書いた時は、伝えたいことはわかっていても、どこから伝えていいか、どこに焦点を当てていいのかが分からなかったのかもしれません。でも、今は同じ感情を持っていても、どこに焦点を当てて書くべきか、ということが明確になっていったから、風景も細かい描写を書けるようになったし、もっとシンプルに伝わりやすいものが出来上がっているのかなと思います。


亀本:レミさんの曲で昔から一貫して良いなと思うのは、歌詞とメロディっていうものが同時に出来上がっていて、一心同体なところ。この言葉を伝えるにはこのメロディがベストという必然性を感じるんです。


松尾:歌詞とメロディが、一緒に頭の中から降りてくるので、そういう風に聴こえるんでしょうね。あとで見返して、「わかりづらいな」と思う部分は後で違う言葉に書き直しますが、基本的には歌詞もメロディも無いと作れないです。


――これから2人は音楽シーンの中で、GLIM SPANKYらしさを持ちながら活動していくわけですが、この後はどう変化し、リスナーにどういった影響を与えていきたいですか。


亀本:今までワンマンライブを2回やって、次の場所も決まっていてと、爆発的なブレイクではないですが、緩やかな右肩上がりで進んでいる実感があります。だから今後の活動も順調に行けばいいなと思っていますし、アルバムを出しても次のアルバムに向けて一歩一歩やっていくというだけ。良い意味で“そんなに変わらない”という部分をちゃんと持っていたいですね。(中村拓海)