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羽生結弦の地元リンク閉鎖危機、社長「経営は楽ではない」

2015年07月21日 23:30  週刊女性PRIME

週刊女性PRIME

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 ‘12年夏、東日本大震災で拠点のリンクが閉鎖したことでカナダ留学することになった羽生結弦。しかし本人は「仙台を離れたくない」と訴え、号泣。その際に阿部コーチや地元と亀裂が生まれてしまったという。 その後、阿部コーチとのわだかまりは解消されたというが、地元の羽生への応援意識は“微妙”になってしまった。 「ソチ五輪のとき、金メダル候補でありながらパブリックビューイングが、母校の東北高校でしか行われなかった。それも、“どこも企画しないので仕方なく”という感じでした。優勝後の凱旋パレードこそ盛大でしたが、ゆづクンも複雑な思いがあったと思いますよ」(地元紙記者) その世界王者に輝いたときさえも、羽生サイドと連盟サイドは冷戦を続けていた。 「オリンピックの表彰式、ご両親はどこにいたと思いますか? 一般席から大型スクリーンで見ていたんですよ。連盟が用意したチケットは家族チケットではなく一般チケットでした。ご両親の涙は、はたしてうれし涙だったのか……」(前出・スポーツ紙記者) ただ、羽生の表彰式後の言葉は、多くの海外メディアが絶賛したものだ。 「金メダリストになれたからこそ、これをスタートとして復興のためにできることがあるんじゃないかと、今は思っています」 ソチ五輪のエキシビションでは、地元・仙台への思いも。 「今回の結果は、カナダでやってきたことの集大成かもしれないが、その前の10数年間を過ごした仙台への思いもなくさないようにしなければいけない」 ‘14 年3月、羽生結弦が仙台市に優勝を報告に訪れると、2000人近い女性ファンが黄色い歓声で出迎えた羽生も報奨金を被災地に寄付することを明言。現在も復興支援に積極的だ。 ただ、復興こそ、少しずつ進んではいるものの、地元・仙台のフィギュアの環境は再び、ピンチを迎えていた。 「ゆづクンの思いが、どうも仙台の関係者にも連盟にも伝わってないような気がします。地元の仙台から荒川静香に続き、金メダリストに輝きながら、フィギュアの環境は一向に好転しないんです。再び、リンクが経営のピンチを迎えているという話も流れている」(前出の地元紙記者) 羽生が実家に戻ると訪れるのは、彼が4歳から通った『アイスリンク仙台』。現在、東北地方で唯一の24時間、通年滑走が可能なリンクだが、’04 年には経営不振から閉鎖に追い込まれている。 「’06 年にトリノ五輪で金メダルに輝いた荒川が、仙台のスケート事情の惨状を訴えたんです。すると、再開に必要な改修費1億6000万円を宮城県と仙台市、民間会社がおよそ3分の1ずつ負担。その翌年3月から、再開されました」(前出の地元紙記者) 心配されるリンクの現状について、現在アイスリンクを経営する加藤商会・加藤松彦社長が答える。 「リンクが閉鎖されるということはないですよ。もし、そういう噂があるとしたら、耐震構造の問題などで建物のリニューアル検討の話が、誤って伝わってしまったのかもしれませんね。でも、経営は楽ではない。経費節減で、何とか黒字を保っています。今度、岩手に通年で使えるリンクが県営でできるそうですが、仙台の子どもたちが通える距離ではない。もし、うちが閉鎖となれば、東北高校のスケート部も活動できなくなるだけに、これからも経営を続けていきたいと思っていますよ」 この夏も姿を見せていた羽生結弦。原点であるリンクへの思いは人一倍であろう。 「その問題だって、連盟が積極的に打開策を練るべきことでしょう。ゆづクンだけでなく、世界選手権2大会連続銅メダルの本田武史や荒川静香など、世界に通用する選手を輩出してきたリンクですよ。“絶対王者”を目指す現役の羽生を心おきなく戦わせてあげてほしいですよね。常に、選手にとってベストの環境を整えてほしい。’12 年の留学問題だって同じですよ。両親やコーチ、関係者の間に連盟が入り、最優先策を練ってくれていれば……。17歳の羽生が号泣することもなかったと思います」(前出のライター)