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Sexy Zoneの新作は“キラキララ”感が足りない? 矢野利裕が音楽的見地から考察

2015年07月20日 07:10  リアルサウンド

リアルサウンド

 Sexy Zoneの新作『Cha-Cha-Cha チャンピオン』が発売された。「FIVAワールドカップバレー」の大会テーマソングである。この曲は、例によって、佐藤勝利、菊池風磨、中島健人の三人が中心となっている。体制変化後のSexy Zoneに対しては、どうしても厳しい目で見てしまう部分があるが、実際、「Cha-Cha-Cha チャンピオン」は、楽曲的にもそれほど魅力的ではないと感じる。マーチングから始まり、背後で2・3・4・2(応援のときのアレである)と拍子が打たれる本作は、ベイ・シティ・ローラーズ「Saturday Night」あたりのノリを参考に、応援歌としてのたたずまいを演出している。このへんの、複数コンセプトを音楽的に共存させるジャニーズの手腕は、毎度のことながら感服する。EDM以降のシンセサウンドへの配慮も怠っておらず、世間的な流行もしっかりと踏まえている。スポーツ大会のテーマソングとしては、申し分ないだろう。


参考:A.B.C-Zは少年隊の正統後継者となるか? ディスコティックな2ndアルバムの狙いを読む


 不満なのは、音楽的な単調さである。もっと具体的に言うと、リズムの単調さである。本作は、1曲を通してリズムがあまりにも単純に聞こえてしまう。なるほど、マーチングもEDMも、単純なリズムで人々を結びつける性格が強い。リズムに変化を与えるべきラップも、オンビート気味で、楽曲全体のリズムからズレていくものではない。これらはおそらく意図的で、応援歌としての本作は、リズムを単数的にすることで一体感を作りやすくしているのだろう。リスナーや観客が手拍子をする姿が目に浮かぶ。しかし筆者としては、ゆえに物足りない。


 好みの問題だろう、と言われそうだ。しかし一方で、ジャニーズはそのようなリズムに対するこだわりをずっと見せてきたではないか、とも思う。最近に限ったことではない。各時代の黒人音楽をモデルにしていたジャニーズの音楽は、歌謡曲の時代からずっとリズムへの関心が強かったはずなのだ。その点、馬飼野康二と船山基紀という往年のメンツが関わるカップリング曲「シーサイド・ラブ」のほうが、正統的にジャニーズ的な魅力を感じる。したがって、ぜひ聴き比べて欲しい。どちらが良い曲か、という主観的な判断とは別に、リズムのありかたや機能のしかたが、両者では異なっている。


 「シーサイド・ラブ」では、冒頭、シンプルなハウスビートの背後で、ストリングスがところどころに不規則(というほどでもないが)に挿し込まれており、さらに耳を傾けると、薄くギターがつま弾かれている。もちろん、ホーンセクションはすでに鳴り始めている。そしてほどなく、細かいビートが加わっていく。このイントロだけで、どれほど厚みのある構造になっていることか。それぞれの楽器パートが互いに意識しつつ、でもどこか無視しているような素振りで曲は進んでいく。「シーサイド・ラブ」は、そういう、バラバラさを保持しつつどこか息が合っているようなバランス感が良い。逆に言えば、「Cha-Cha-Cha チャンピオン」の手拍子的一体感には、この、良い意味でのバラバラさ、奔放さがないのだ。


 ちょっと思い悩んでしまうのは、松島聡とマリウス葉の切り離しというのは、まさにこの、バラバラ感=奔放さの切り離しだったのではないか、ということ。体制変化直後のシングル『男 never give up』を聴いたとき、ほどよく統制の取れたシンプルなリズムの曲で、ゆえに物足りないという印象を受けた。ヴォーカルについても、単純に多様さが減ったと思う。年上組の支えのうえで奔放に振る舞う年下組の存在が後景化された。この印象は、その後現在に至るまで変わっていない。体制変化とともに、サウンドも奔放さを失ったように感じるのは気のせいだろうか。うしろを向いても仕方がないが、名曲「Lady ダイヤモンド」で見せてくれた、あの奔放な「キラキララ」感を待ち望んでいるのが、正直なところだ。(矢野利裕)