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石田ショーキチが語る、これからの音楽活動論「お客さんと直接つながる喜びに勝るものはない」

2015年07月14日 18:00  リアルサウンド

リアルサウンド

石田ショーキチ

 石田ショーキチが、ソロ名義としては8年ぶりとなるオリジナルアルバム『Life is mine, Life is fine』を、自身が率いるレーベル・SCUDELIA AUDIO TERMINALより5月8日にリリースした。1993年にSpiral Lifeのメンバーとしてデビューし、約3年という活動期間で日本のポップミュージックシーンに確かな足跡を残した後は、Scuderia Electro、MOTORWORKSといったユニットで音楽活動を展開。その後は音楽プロデューサー・エンジニアとしても手腕を発揮し、大手レコード会社には所属せずに、独自のスタンスで音楽活動を継続してきた。約2年前、リアルサウンドにて取材をした際は、音楽業界やシーンに対して鋭い指摘を行い、大きな反響を呼んだが、さらに状況が変化した現在の様子を、石田はどう捉えているのか。(参考:デビュー20周年の鬼才・石田ショーキチ登場 Spiral Lifeと90年代の音楽シーンを振り返る)新作についてはもちろん、大手に所属せずに音楽活動を展開するメリットから、最近の邦楽ロックにおける“4つ打ちロック”の流行や、現在の音楽業界が抱える難点についてまで、大いに語ってもらった。


■「いまは本音でいかないと伝わらない」


――石田さんは2011年以降、ギター1本で全国を周るなど、その活動の方法を大きく変えました。現在、年間にどれくらいライブを行っているのですか。


石田:以前は数えるほどしかライブをやらなかったんですけど、いまは年間50~60本くらい行っています。震災のあった年から、一人でアコースティックでツアーを始めました。あの年は日本中のいろんなことが変わったように、音楽の世界にも大きな変化があったんです。震災の直後は、多くのCD作品が販売自粛でお蔵入りになってしまったり、興行関係でもライブイベントなどが軒並み自粛で開催されなくなったりして、音楽の仕事がなにもなくなった時期なんですね。しかし、それでも音楽を求めている人はいるわけで、これは自分で届けに行かなければいけないと思っていたところ、シンガーソングライターの青山陽一さんにお話を聞いたら、彼はフットワーク軽くいろんなところでライブをしていたんです。それで、彼が僕の地元でライブをするというので観に行ったら、25人も入ればいっぱいになるバーで演奏していて、一体感がすごかったんです。僕も飛び入りで弾かせてもらったのですが、お客さんも喜んで観てくれていて、すごくいいなと思って。すっかり影響されて、その夏から僕もアコースティックツアーを周りはじめました。


――実際にひとりで周ってみて、以前のツアーとはどんな違いがありましたか。


石田:かつてはどうしても大所帯な移動でした。Scudelia Electroの時代だったらメンバー3人に加えてサポートメンバーが3人も4人もいて、さらにローディー、舞台監督、PA、メーカーや事務所のスタッフと、みんなで民族大移動みたいに新幹線で移動していて、すごくコストが掛かっていたんです。でも、青山さんはギター1本で颯爽とどこにでも行く。それで僕も実際に行ってみたら、コストも掛からないから身軽に色んなところに行けるんですよ。初めて訪れる地方に行くと、「20年間待ってました」といって涙を流して喜んでくれるお客さんもいて、そういうのを体験していると「今まで俺は何のためにやってたんだ」って思っちゃって。音楽は、こうして泣いて喜んでくれる人のために演るべきじゃないのか、これが本当のスタイルじゃないかと思って、やみつきになってしまいました。それにもともと電車に乗るのが好きなので、在来線でコトコト旅していくのも楽しい。また、コストが掛からないからその分、実益も大きくて、非常に素晴らしい活動スタイルを覚えたと思っています。もちろん、バンドを連れていってライブを演るっていうのも、バランスをとりながら続けています。


――石田さんはエレクトロニック・ミュージックに傾向していた時期もあるし、バンド活動もしています。そうしたスタイルと比べてアコギ1本のプレイにはどんな利点があるといえますか。


石田:ひとりで演奏することの一番の利点は、好きなことが出来ることですね。古今東西洋邦、色んな年代の曲を思いつくままポンポンやるんです。レッド・ツェッペリンと演歌をメドレーでつないだりするんですけど、ほかに一緒にやる人がいたら、打ち合わせや稽古をしたりしないといけない。そうじゃなくて、思いつきで、例えばお客さんが「ジュリー演って」っていったらジュリーを演る。そういう自由度の高いライブがすごくやりやすいです。一方でアコースティックでも、自分のCDを聞いてくれているお客さんにとって、バンドで録音したものと遜色ないロックなグルーヴをアコギ一本で生み出さないと満足してもらえないと思っているので、しんみりした弾き語りは絶対にしないんです。いわゆる弾き語りとは線を引いて考えています。


――そういう意味で、12弦のギターはやはり効果的なのでしょうか。


石田:弦が12本貼ってあるので単純に音がデカいっていうのと、たとえば6弦と5弦にはオクターブが違う弦が張ってあるので、そこを「ベンベンべベンベン」と弾いただけでも、音に厚みがあってグルーヴが出しやすいんです。それに加えて、ほかの弦でフレーズを鳴らすなど、ひとりでもバンドアンサンブルっぽいことがやりやすい。本来はそういう用途で作られたギターじゃないんですけど、応用して使っています。ギターはリズム楽器としても使える万能な楽器なので、ちゃんとリズムやグルーヴをこれ一本で作っていかないと、ロック・ミュージシャンとしては名折れではないかと(笑)。


――今回のアルバム『Life is mine, Life is fine』では、アコースティックなアプローチというよりもむしろ非常に音圧のある作品で、メジャー感のあるバンド・サウンドが印象的でした。


石田:この歳になるとあまり小細工ができなくなるというか(笑)。太い筆で一筆書きで書くぐらいしかできなくて、自分のバンドを引き連れて、スタジオで一気に録ってみたらこういう音になりました、という感じなんです。あんまり細かいニュアンスとかは気にしなくなっていますね。良いメロディがあって、ダイナミックなグルーヴがあって、良い演奏があればそれでいいんです。ぼくはいま一緒にやってくれているバックのバンドがすごく好きで、強い絆で何年も一緒にやっているので、彼らが活き活きとプレイしてくれれば、それが一番だと思っています。


――テーマは「人生」ということで。


石田:なんかね、まとめようとすると、そんなことしかないんですよ(笑)。お客さんはシンガーソングライターとしての作品、つまり僕自身のパーソナリティを求めていますから、そうなると石田というものが、何を感じてどういうふうに生きているかを書くことになりますよね。昔はそういうことを歌にするのにすごく照れがありましたし、「音楽だけ評価してくれ、俺の人生とか関係ないから、俺の作品と俺の個人は切り離して考えてくれ」みたいに考えていました。でも、いまはそっちのほうが逆に面倒くさくなったというか。そんなに器用なことはできなくなったというか(笑)。


――ご自身はかつて渋谷系とも称されてきましたが、今作では日本の邦楽からの影響も色濃く感じました。


石田:そうですね、マイナーコードを使った曲作りなどは、とくに昭和の歌謡曲からの影響がすごく大きいと思います。筒美京平さんや都倉俊一さんの曲などは、昭和の子供の頃に肌で受けた感覚が根付いているのかもしれません。その後、思春期の頃に日本のヘビーメタルやニューウェーブの時代を経ているので、日本の音楽の坩堝みたいな感覚はあります。


――かなりエモーショナルに歌いきっているのも印象的でした。


石田:昔は感情を込めて歌ったりするのはあまりかっこよくないと思っていたし、そういう感覚は同時代に渋谷系といわれた人たちは少なからず抱いていたと思います。でも、それでは伝わらないものがどうしてもあるし、もうそんなこと言っている時代じゃない。どれだけ盛り込んでどれだけ伝えるかという時代だと思いますし、やっぱり本音でいかないと伝わらないじゃないですか。いまは薄っぺらいものは、すぐに裏を取られてバレる時代で、たとえば「1年半前のツイッターではこんなこと言ってたくせに」とかいわれて、簡単に化けの皮が剥がれる。僕らとしては、二十年以上に渡って音楽をやってきて、中には間違ったこともあっただろうけど、大方は良い音楽を作ろうと積み重ねてきたので、それを「私はこういうものです」って見せるしかないんじゃないかな。


■「四つ打ちのロックバンドが多くなったのは大歓迎です」


――前回のインタビューでは、いまの音楽シーンは大変難しい時期に入っていると指摘していましたが、あれから1年半経ったいま、現状をどう捉えていますか。


石田:サウンド面では、若い人たちのレベルは上がっていて、巧いプレイヤーが増えてきたと実感しています。YouTubeをはじめとして簡単に色んな音が手に入る時代になり、みんなが分厚いディクショナリーを持つようになったことが影響しているのでしょう。聴く側も演奏する側もみんな耳が肥えてきていて、その中で浮上してくるのはそれなりのプレイヤーですね。先日、兵庫慎司さんがリアルサウンドに『海外と日本のバンドの「ドラムの違い」とは? 元アマチュアドラマー兵庫慎司が考える』というコラムを寄稿していて、10年ほど前のエレクトリカルなテクノのムーブメントの後に、DJが作るビートのほうが面白くなっちゃって、ロックバンドのドラマーは普通のことをやっても面白くないといって切磋琢磨してきたと指摘していましたが、そういった現象はドラム以外の楽器でも起こっているんじゃないかな。みんな、いろんな音楽を聴くようになって、音楽性に幅が出てきている。


――石田さんもまさにエレクトリック・ミュージックの衝撃を受け止めた世代ですね。


石田:ダンスミュージックという意味では77年、小学4年の時に『サタデーナイトフィーバー』で衝撃を受けていますね。その後、ユーロビートの最初のムーブメントが86年や87年くらいにあって、僕もメタルから音楽を始めたのが、ディスコのDJとかをやっていた時代もありました。ダンスミュージックの持っている本能的な肉体の躍動感は、ロックとちょっと違うところにあったけれど、90年代の終わりからはだんだんと一体化してきて。それはもう本当にいい時代になったと思って、僕もScudelia Electroをはじめたんですけど、幸か不幸かScudelia Electroはダンスミュージックの方にあまり傾倒しませんでした。日本でも四つ打ちのロックバンドが多くなり、いまやJ-ROCKの一流派になっていて、すごくいい流れだと思います。昔からダンスミュージックが好きな人間にとっては大歓迎ですね。そういうものが主流化していくと、違うアプローチを取る人も同じぐらい面白い音楽を作らなければいけないので、シーンがどんどん充実していくのだろうと思います。


――一方で、音楽活動を仕事として行い、稼いでいくことが難しくなっているという問題点もありますが、その辺はどう捉えていますか。


石田:そうですね。どこかに突破口はあるんでしょうけど、いまは多くの人が模索している段階だと思います。そうした状況を受けてか、後輩のミュージシャンには現実的な人が増えている感じがしますね。「一発当ててやる」みたいなことより、ちゃんと自分の食いぶちを確保しながらどうやって音楽を続けていくかを考えている。10年ほど前に、ある出版社から「本を書かないか」というお話があって、その時に「音楽で飯を食えると思うな」というタイトルを考案していて。結局、その出版社は途中で倒産してしまったので本は出せなかったのですが、当時からそういう幻想は持たないほうが良いと思っていました。前回も話したと思うけど、僕は99年にポリスターを離れてから、レコード会社と専属契約をしていなくて、たまにレコード会社からリリースしても、それは1作ごとの制作契約にしてきました。僕らの時代は、ものすごくたくさん売るアーティストが各メーカーにいて、その人たちの利益で売れていないミュージシャンにも給料を払うことが出来ました。でも、2000年過ぎた頃からレコード会社の収益が右肩下がりになっていって、メーカー契約したからって給料をもらえるような時代じゃなくなってきた。だから自分の生活は自分できっちりと回して、その上で音楽に精進するというのが一番美しいやり方だと言い続けてまして、実際に僕がこの1年でプロデュースをしたミュージシャンは、みんな社会人としてちゃんと仕事を持ちながら、自分たちの音楽を追求しています。「死んだ僕の彼女」は2作目くらいからプロデュースを担当するようになって、鬼教師として厳しくやってきた甲斐もあってか(笑)、すごく良い作品を作るようになりましたが、ちゃんとサラリーマンとしても成功していて、それは素晴らしいことだと思います。とても尊敬しますね。


――なるほど。別の仕事を持ちながら、自主でミュージシャンとして活動する方が現実的であると。


石田:いまもメジャーメーカーとやりたいという人は多いと思うんです。とくに僕ら世代のミュージシャンはそう。でも、たとえば僕の場合、メジャーメーカーから「うちから出しませんか」という話をいただいて、電卓をはじいてみたら、自分のレーベルから出した方が全然儲かるというケースが多くて。アルバム1枚が3000円で、仮に3000枚しか売れなくても、自分で売れば900万円入るんですね。メジャーメーカーの強みとしてはプロモーション力が挙げられるけれど、メーカーから分配を受けるなら少なくとも1万枚以上売ってもらわないと割りが合わないんですけど、今の時代ですとそれはなかなか……。メジャーと組むと取材をいっぱいしてもらえるとか、テレビに出させてもらえるとか、テレビに出ている姿を見て田舎のお母ちゃんが喜ぶとか、そういうメリットはあるかもしれないけれど、なかなか売上げにはつながらず、経済的にはどの会社も厳しいのが現実ですよね。


――CD売上げの総数が減っている以上、自ら販売していったほうが得策という考え方ですね。


石田:そう。実際、5~6年前に『デトロイト・メタル・シティ』という映画の音楽をやったんですよ。サントラは10曲か11曲入ったアルバムで、僕は半分ぐらい手掛けたんですけど、それがオリコン初登場で4位くらいにランクインして。その知らせを聞いて、「久しぶりに印税がっぽりかな?」って喜んで、オリコンのホームページを見てみたら、推定売上枚数が3万1千枚とかだったんです。メジャーメーカーでその枚数では、貰える額は知れています。それでよくよく考えてみると、今オリコンの50位以下は、イニシャル何百枚なんて世界もある。CDの売上がこれだけ落ち込んでいる世の中で、売上チャートで何位になったとかの意味が薄れているのに、未だにみんながその順位に踊らされている状況はやはりおかしい。そう考えると、自分で旅を回りながらお客さんに買ってもらうと、数千枚単位でも普通に商売として成り立つしお客さんも喜んでくれるし、これはこれで全然良いと思えますよね。それを普通の流通ラインにこだわると、格段にさばけなくなるし、自分の実入りは減る。実際、メジャーにいったものの、バイトもできず、収入も少なく、ライブの遠征などでほとんど家にも帰れないような新人バンドも少なくないですよ。


■「ニルヴァーナ以降、グルーヴの捉え方が変わった」


――石田さんご自身は、シンガーソングライターとして創作をしながら、エンジニアやプロデューサーとしても活躍しています。両者のバランスはどうでしょう?


石田:プロデューサーとは半々ぐらいですね。今年で言うと、1月から北京のあるバンドのプロデュースをしていて、そのバンドが、アジアでリリースするCDを作りたいという話があって、僕にプロデュースの依頼が来ました。柔らかめのロックをやっているバンドで、本人たちはミスチルが好きだ、って言ってました。中国政府は日本をプロパガンダに使っていて、いつも悪口を言うニュース番組をやっていますし、ドラマを見ると旧日本軍が中国人に酷いことをしている時代劇をずっとやっていますが、テレビ局が正しいことを言っていないというのは人民も知っていますし、実際には多くの中国人が日本に興味を持っています。彼らはインターネットが封鎖されていて、Twitterもダメだし、Facebookもダメだし、Googleも自由に検索できないのですが、でもいろんな方法を使ってくぐり抜けて、世界中の音楽、とくに日本のことをすごく調べて勉強しています。


――すごいですね。プロデューサーとしてはいま、どんなことを求められていますか。


石田:若い頃は、その時代を反映した音を求められていたと思いますが、いまは少し違って、音楽の基礎的な部分をしっかりしてほしいという依頼が多くなった気がします。自分たちの根っこを深くしたい、ちゃんとまっすぐ伸びる方向に伸ばして欲しいみたいな感じで。結局、音楽って近道はなくて、昔は下手でもかっこ良ければいいやって言えていた部分もあったと思うんですけれど、いまは手を抜かずに丁寧にやって、その上で上手くやっていかないと表現力が上がらないということに、多くのミュージシャンが気付いているのだと思います。


――たしかに、かつての音楽シーンとは価値観が変わっているかもしれません。


石田:演奏の部分で言うと、ニルヴァーナの前と後で大きく変わった気がします。ニルヴァーナを高校生ぐらいで聴いた子たちが出てきた2000年ぐらいから、グルーヴの捉え方が自分たちが若い頃とはまるで違うなと思いました。ニルヴァーナにしても、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンにしても、90年代のオルタナ以降、ブラックミュージックを含めたミクスチャー的な躍動感のあるグルーヴが当たり前になってきた。それ以前の音楽を聴いていた日本人というのは、どうしてもメトロノームに合わせてこじんまりと演奏していた印象が強いのですが、2000年くらいからのバンドはデカいグルーヴを捉えていて、ものすごい大きなノリを当たり前に出せる子たちが普通に出てきた。僕らは分析的に後から聴いて、「これは新しいものが来た」と思いましたけど、彼らはそれを原体験としているので、ぜんぜん違いますよね。BUNGEE JUMP FESTIVALというバンドをプロデュースした時は、「こいつらの世代はとんでもない」と思いました。


■「ボーカロイドの世界は、すごく時代を象徴している」


――先ほど、情報量が圧倒的に増えたことにより、人々の耳が肥えたという話をしていましたが、制作においてはどんな変化が起こったと捉えていますか。


石田:デジタルツールが安く、手軽になったことは間違いなく制作者に大きな影響を与えたと思います。AppleのLogicというシーケンスツールが、2万円以下で手に入るような時代になって、誰もが家で手軽にデジタルレコーディングができるようになった。10年前では考えられなかったプライススケールになっていて、作る側でさえこういう状況なら、音楽を売る時も値踏みされるのはある意味必然とも言えると思います そういう状況の中でどうすれば成功できるのかは、正直よくわかりませんが、ものすごく勉強している人が抜きんでてくるのは世の常だと思います。


――たしかに、誰もが気軽に音楽制作ができる時代になりましたね。


石田:そうですね。すごく時代を象徴していると思うのはボーカロイドの世界で、誰かが作ったトラックをネットにあげると、そのトラックに対して誰かが歌を付けて、その音に誰かが映像を付けて……という流れが、利益や利害と関係ないところで、完全にシェアだけでできあがっている。それがすごいと思います。それとクラウドですね。自分がデータを持つんじゃなくて、それをどこかに置いておいて、誰もが触れられる状態にするっていうのがいまの時代のやり方で、みんなでひとつのキャラクターを弄って作品にするボーカロイドもそうだし、AppleのiTunes Matchなどはまさにクラウドの世界。僕らが若い頃は、学校帰りにレコード屋に寄って予約したレコードを受け取って、それを大事に胸に抱えて帰って、家でジャケットを鑑賞したり、傷をつかないようにA面、B面に丁寧に針を落として聴いたり、「これが俺の買ったレコードだ!」っていう自分の所有欲を満たすっていうものだった。でも、iTunes Matchは「この曲はあなたも同じのも持っていますよね? じゃあこれは一個でいいから、みんなでここにアクセスして聴けばいいじゃない」っていう考え方で、モノとして価値がそこにはまったく存在していない。音楽というものはデータでしかないという、良くも悪くもドラスティックな考え方ですよね。


――Apple Musicのような定額制のストリーミングサービスも本格的に始まりましたが、音楽家の立場でどう捉えていますか。


石田:持っていないレコード、たとえばベイ・シティ・ローラーズを全部聴きたいって思った時に、一気に聴けるので、音楽に触れ合うきっかけの間口を広めるという意味ではすごくいいと思います。ただ、自分もそうですが特に僕のお客さんの世代なんかはCDが一番売れていた時期に思春期を送っているので、CDという物体への愛着が依然強く、CDはこれからも継続して作って販売していこうと思っています。なんなら、アナログを作りたいくらい。


――なるほど、ストリーミングに関してはポジティブに捉えている側面もあると。音楽ビジネス全体の今後についてはどうでしょう。


石田:そうですね、2011年の音楽業界の状況からすると、あの時に生き残る体力があったところとそうでないところで、明暗がはっきり別れたと思っていて。残るところが残ったことはすごく大きかったと思うし、そこで「今までのビジネスではダメなんだな」という考え方がはっきり共有されたと思います。90年代の終わりから考えたら、業界全体で右肩下がりが続いていて、その中で身軽な会社が元気になるのは当然のことで。たとえばレコードをプレスするラインを自社で持っている必要はもうなくて、昔は何社もCDプレス工場をもってましたけど、多くの会社が売却してしまってあまり残ってないですよね。むしろ国内プレスで出すと、機械が古くてエラーが出るから、台湾で出したほうがちゃんと出来るという話を聞きます。


――CDをプレスするにしても、かつてのようなやり方ではなくなってきている。


石田:はい、自分が作ったものをちゃんと形にしてお客さんに届けるということは、以前よりもかなりやりやすくなっていると思います。僕自身、自分でレーベルをやって、ライブ会場で販売したり、Amazonやセブンネットショッピングをはじめとした通販でお客さんの手に届けています。これはレコーディングまで自分一人でできるという、技術的背景があるからだとも思うんですけど。


――石田さんの場合は、直接ファンに届けること自体がプロモーションになっている部分もありそうです。


石田:僕は大きなプロモーションじゃなくても別にいいと思っているので。お客さんと直接つながる喜びをすでに知っていて、それ以上のものはないと思っているから、また来年もこの人のところにCDを届けにこようって思っちゃいますよね。買ってくれる人も喜んでくれて、それを手渡しできる自分も嬉しいんだったら、それが一番いいですよ。だから今後も、しばらくはこのやり方を続けていくんじゃないかな。(取材・文=編集部)