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人間椅子、なぜいま絶頂期? 兵庫慎司がその特異なキャリアを紐解く

2015年07月12日 16:50  リアルサウンド

リアルサウンド

人間椅子

 JUN SKY WALKER(S)の、再始動以降初のオリジナル・フルアルバム『LOST AND FOUND』(2012年)の1曲目に、“ロックの資格”という曲が入っている。「ロックは禁煙をしてはいけない ロックは痩せてなきゃいけない ロックは長生きしてはいけない ロックは怒ってなきゃ駄目だぜ」から始まって、「ロックは×××しちゃいけない」「ロックは××じゃなきゃ駄目」が延々と積み重ねられていく歌詞だ。


(参考:人間椅子・鈴木研一が最新作を語る「ハードロックはリフが命だけど、リズムひとつで別の曲になる」


 何それ。バンドブーム世代のおっさんたちとって、ロックってそんな不自由で窮屈なものなの? と、若いロックファンは思うだろう。でも、そうなんです。そんなふうに「××しちゃいけない」や「××じゃなきゃ駄目」でがんじがらめになった、それはもう不自由で窮屈なもんなんです、ある年齢から上の世代にとってのロックって。と、激しくジュンスカに共感したので、バンドのスタッフからご依頼いただいた推薦コメントに、それをそのまま書いた記憶がある。

 思えば1990年代になる頃までは、ロックという大きなくくりに留まらず、各ジャンルにおいてもそういう掟のようなもの、ジュンスカ言うところの「資格」があったように思う。「パンクは××しちゃいけない」「ロカビリーは××じゃなきゃ駄目」というような。今になって思えば、自分でも「なんで頑なにそう思い込んでいたんだろう」という気がする。まあ前述のジュンスカの“ロックの資格”だって、そんな頭ガチガチの自分たちを笑う視点あってこその曲なんだけど(じゃなきゃこんなテーマで曲を書かないだろうし)。


 で。そんな時代に楽器を持った、そんな世代のバンドマンでありながら、「ハードロック・ヘヴィメタル」における「××しちゃいけない」「××じゃなきゃ駄目」を、ひとつひとつ覆して登場したのが、1989年に『平成名物TVイカすバンド天国』に登場した人間椅子であった。と、今になってみると思うのだ。


彼らが登場する少し前、この国のバンド好き・楽器好きの少年少女たちの間には、ジャパニーズ・ヘヴィメタルの波が押し寄せていた。1970年代後半にイギリスで勃発した80年代NWOBHM(NEW WAVE OF BRITISH HEAVY METAL)ムーヴメントが日本へも飛び火して数年後にブレイク、東京と関西を中心に一大ブームが巻き起きる。のちに海外進出もはたす(そして現在でもトップに君臨している)ラウドネス。ポップでカラフルでもっともメタル好き以外のロックファンにもリーチしやすい音楽性だった、よって売れたアースシェイカー。「全員金髪」「衣裳もド派手」「全員外人の名前」で我々の度肝を抜いた44マグナム、などなど。


 そしてそこにはやはり「ハードロックは××じゃなきゃいけない」「ヘヴィメタルは××じゃなきゃ駄目」という厳然たるルールが存在していた。ヴォーカルはキンキンにハイトーンじゃなきゃいけない。ギター・ソロは長く、かつ速くなきゃいけない。長髪じゃなきゃいけない。メイクしてなきゃいけない。レザーでトゲトゲだったりカラフルなTシャツをカットしまくっていたり等のバリエーションはあるが、総じてド派手な格好じゃなきゃいけない。悪魔のことや宇宙のことやエロなことが歌詞のテーマになってなきゃいけない。歌詞に英語が頻発しなきゃいけない、つまり日本人ぽくては駄目──というような。


 そして当時、多くのキッズは、それに盲目的にしたがっていた。なぜ。かっこいいと思ったから。ただ、すべてを素直に全肯定できたかというと、そうでもなかった。疑問に思うところもあった。たとえば歌詞の、前述のような世界観とか。「でも全体としてはかっこいいんだから従わなきゃ」ということで、それにしたがっていたのだと思う。


ただし。人間椅子の場合、そうではなかった。ハードロック・ヘヴィメタルは好きだけど、全肯定はしない。だから、好きなところを残して疑問に思うところを変えていく。ヴォーカルはハイトーンではなく普通の声で(ハイトーンで歌うのが不可能だったから、ではないと思う。なら別にヴォーカル入れればいいし)。ギターはソロよりもリフを重視、速さも求めずミドルで勝負(このあたり、彼らのルーツであるブラック・サバスのテイストだ)。歌詞は日本語にこだわりたいし、ド派手な衣裳は着たくない。でもテーマとか世界観は、悪魔とかに代わる日本ならではの何かが必要。じゃあ江戸川乱歩がいいんじゃないか。着物がいいんじゃないか。ジェネシス在籍時のピーター・ガブリエルがいいんじゃないか──と、おそらくそのように、いいところは残してそれ以外は自分たち流に変えていくことが、当時の人間椅子にとっては自然なことだったのではないかと思う。


そうして出来上がった人間椅子のスタイルは、それまでにもそれ以降にも他に例がない、とてもオリジナルなものだった。かつ、大変に個性的であったがゆえに、そしてそれまでのロックのセオリーからはみ出すような、個性的なバンドが揃った「イカ天」にとてもよくなじむものであったがゆえに、「ハードロック・ヘヴィメタルのバンドだと思ってもらえない」という弊害も生んだ。いや、弊害とは言い切れないか。だからこそ最初、ワッと人気が出たとも言えるので。のちの彼らも「イカ天」に関して否定的なコメントは一切していないし。


そして、人間椅子の「ハードロック・ヘヴィメタルをそのままやらず自分たち流に加工する」というやりかたが、実は全世界的に見ても正しいものだったことが、そのあとあきらかになる。バンドブーム/「イカ天」「ホコ天」ブームの後期頃、世界規模で爆発したグランジ/オルタナティヴ・ムーヴメント。「うるさい音を好きならこの方がいい」とリスナーが大挙してそっちへ流れ、旧態依然としたハードロック・ヘヴィメタルは時代に置いて行かれることになったからだ。そしてグランジ/オルタナティヴに続く、ミクスチャー/ヘヴィ・ロックの波によって、よりいっそう置いて行かれることになる。


 たとえば、パール・ジャムにしても、アリス・イン・チェインズにしても、あのグランジ/オルタナティヴ・ムーヴメントを代表するバンドの中には、ハードロックをルーツにしていることがあきらかな音楽性のバンドがいくつもある。ただ、それまでのハードロック・ヘヴィメタル的な手法を使わず、違う見せ方や聴かせ方をした点が新しかった。


 というのと同じことを、人間椅子はやっていたのだ、とも言える。ただし、グランジやミクスチャーと同じように、その後人間椅子がシーンを席巻したのです──とは、ならなかった。バンドブーム/「イカ天」「ホコ天」ブームが終わると、人気は下がり、露出は減り、活動するのが厳しい状況になっていく。


 しかし、それでも彼らは止まらなかった。メジャーからドロップアウトしてインディーズになり、上舘徳芳→後藤マスヒロ(サポート)→土屋巌→後藤マスヒロ(正式メンバー)→ナカジマノブとドラマーが代わり、バンドだけでは生計が成り立たないのでアルバイトをしながら、そしてそのバイト先でデビュー前の毛皮のマリーズに出会ったりしながら(和嶋慎治の出来事。双方のファンの間で有名なエピソードです)、平均1~2年に1枚のペースでアルバムをリリースし、ライブを重ねてきた。「イカ天」出身バンドで、解散も休止もせずに現在まで活動を続けているの、BEGINと人間椅子だけではないか。


なぜ続けられたのか。迷いがなかったからではないか、と推測する。人間椅子は最初からスタイルが定まっていた、つまり最初から完成していたバンドであり、自分のやりたいことを探して、試行錯誤しながら活動していくようなタイプではない。だからこそ、どんなに状況が厳しくても、バンドをやめるという選択肢はなかったのだろう。ほかにやりたいことなどないんだから。これをやるために生きているんだから。そういうシンプルな理由なのだと思う。そのシンプルさを貫き通すことがいかにすごいことであるかに思いを馳せたくなるが、とりあえずそれは置いておく。


そのように活動を続けてきた人間椅子に、2012年あたりからじわじわと変化が訪れる。同年、ももいろクローバーZのシングル『サラバ、愛しき悲しみたちよ』のカップリング曲「黒い週末」に和嶋がギターソロで参加したり。2013年には『ARABAKI ROCK FEST.13』や『OZZFEST JAPAN 2013』に招かれたり。動員もツアーのたびにアップの一途を辿り、大阪のライブハウスのスタッフに「こんなに長く活動しているバンドでこういうことは普通あり得ない。アンケートをとるとかして、ちゃんと調べたほうがいいですよ」と言われたりしながら、その動員に合わせてライブ会場のキャパを上げていき、2015年1月24日にはデビュー25周年を記念して渋谷公会堂でワンマンを行うことになる。渋公でのワンマンは20年ぶり3回目だが、チケットがソールドアウトしたのは初めてだったという。確かに考えられない、こんなに長くやっているバンドで、今がいちばん動員があるというのは。


さらに2015年5月には、旧友筋肉少女帯と合体、「筋肉少女帯人間椅子」としてシングル『地獄のアロハ』をリリース、話題になる。6月7日に渋谷公会堂で行ったワンマンは、当然のようにソールドアウト、大盛況だった。


各フェスで初めて人間椅子を観た人たちが、新しいファンになった。ももクロや筋肉少女帯とのコラボレーションによって、知られる機会が増えた。何周もして時代が追いついた。もしくは、時代に追いついた。順番が回ってきた。今だからこそ正当に評価されるようになった──どれも間違ってはいないだろうが、でも、どれも、それで納得、ということでもない気がする。


 先に記したように、人間椅子がやったことは、グランジ/オルタナティヴやミクスチャー/ヘヴィ・ロックのバンドたちがやったこととある意味同じだった、それが年月を経て正当に評価されるようになった──という話にすれば収まりがいいのかもしれないが、それも「ある」けど100%ではないだろう。だったらもっと早く評価されてもよかったわけだし。


7月1日にDVD/Blu-rayとしてリリースされた、前述の25周年ライブ『苦しみも喜びも夢なればこそ「現世は夢~バンド生活二十五周年~」渋谷公会堂公演』を観る。人間椅子はこう変化したから受け入れられたのだ、というようなわかりやすいポイントは、やはり見当たらない。25年前や15年前と同じように、やりたいことを正面から力いっぱいやっているだけだ。


 もちろん時代によって進化したり変化したりしているポイントはあるが(特に歌詞の深化は顕著)、大きくは変わらない。だから明確にはわからない、なぜこのバンドが、2015年の今、こんなにいい状況を迎えられているのか。


 ただ、人間椅子がこうして大きな規模で受け入れられるこの状況って、よくないことかいいことかといったら、もちろん、いいことだと思う。(兵庫慎司)