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丸本莉子が語るメジャーデビューにかける思い 「自分が楽しまないと、しっかり届かない」

2015年07月08日 19:51  リアルサウンド

リアルサウンド

丸本莉子(撮影=石川真魚)

 シンガーソングライターの丸本莉子が、ビクターエンタテインメントが設立した新レーベル「AndRec」より1st配信シングル『ココロ予報』でデビューした。6月10日にはハイレゾ音源での配信デビューを飾り、7月8日から通常配信がスタートしている。同レーベルのレーベル長・今井一成氏にインタビューを行い、掲載したコラム「ビクター・デジタル部門の新レーベル「AndRec」は何を目指すのか? レーベル長・今井一成氏に聞く」ではレーベルの意義やスタンスについて訊いたが、今回は丸本莉子本人にインタビュー。一聴しただけで強い印象を残す特徴のある歌声をもつ彼女が歌い始めたきっかけや、日本各地を回り音楽活動を行ってきたインディーズ時代、プロとして今作の「ココロ予報」と向き合うことで明確になった自身のアーティスト像など、じっくりと話を聴いた。


・「あの時、自分が納得するものができあがっていなかったら、私は今ここにいない」


――丸本さんはビクターエンタテインメントの新レーベル「AndRec」の第一弾アーティストとしてデビューを飾りました。1stシングル「ココロ予報」は、インディーズ時代から歌い続けてきた楽曲で、7月8日の一般配信に先駆け、6月10日よりハイレゾでの配信が始まっていますね。


丸本莉子(以下、丸本):本当にうれしいです。私は高校2年生から音楽活動をしていて、卒業後は音楽を続けながら、就職して介護の仕事をしていたんです。そんななかで、メジャーデビューは無理だろうな…と諦めかけていて。でも、いろんな方に「人生一度きりだから、東京でチャレンジしたほうがいい」と勧めていただいて、4年前に上京しました。当時はデビューなんて遠い夢でしたが、その夢がついに叶ったという気持ちです。「特徴のある声だから」と、ハイレゾという高音質で、また新しいレーベルの第一弾アーティストとしてデビューできたこともすごくうれしかったですね。やっとスタートラインに立てた、頑張ろう!という決意を新たにしています。


――「ココロ予報」という楽曲が生まれたのは、まさに上京した時なんですね。


丸本:そうなんです。上京する前に、広島のテレビ局の方から、「番組の主題歌を歌ってみないか」と声をかけていただいて。「つくってみる?」という軽い感じだったんですけど、上京して一ヶ月も経たないうちに番組のプロデューサーと音楽プロデューサーの方にお会いすることになって、お会いしたその場で「曲を聴かせて」と言われたんです。その時点では曲が全然完成していなくて、その状態のまま歌ったら、「こんなんじゃダメだから3日以内に3曲つくってきて」と。その時、プロを目指すというのは、今までのように好きなときに歌うこととは違うんだと気づきました。プロとして、どうにか曲をつくらなければと泣きながら頑張ったのですが、どうしてもサビができなかったんです。


それから3日後、プロデューサーを目の前にして即興で歌ったのが「ココロ予報」のサビです。そこで「メロディはいいね」と言ってもらえて、次は歌詞を書き直すことになりました。ノート3冊分くらいの歌詞がボツになったんですけど、今思うと初めてのチャンスだったし、どこか“主題歌”ということを意識しすぎて、カッコつけた言葉になっていたんですよね。「今のありのままの自分を書きなさい」とアドバイスをいただいて、等身大で書いたのが、今の歌詞です。“雨のち晴れ”というテーマで、「雨があがって晴れ間が見えるように、つらいことを乗り越えたら、きっと何かが開けるんだ!」と自分に言い聞かせてつくった曲です。


――初めて「プロ」として、曲づくりに向き合ったんですね。


丸本:たった3日間で、もう曲を一生つくりたくないってくらい嫌になっちゃって(笑)。曲をつくるのは大好きなのに、こんなに苦しいことなんだって思いました。上京したてでお金もないから、家具もそろっていなくて、ただただ机に向かってずっと曲を書き続けて。アルバイトもしながらだったので、つい電話でお母さんに弱音を吐いたこともありました。「いつでも帰っておいで」という優しい言葉が返ってきたことに奮起して、とにかく頑張ったんです。


――それだけ苦しい思いをした「ココロ予報」は、丸本さんにとって原点となる曲と言えるのでは?


丸本:そうですね。あの時、自分が納得するものができあがっていなかったら、私は今ここにいないと思います。これからもずっと大切な曲です。何回も負けそうになりながら今までやってきて、その時の状況は違っても、歌って自分自身が励まされてきた曲ですね。


・「聴く人に寄り添いたいという思いで歌っています」


――低音域にも広がりのある歌声がとても印象的ですが、自分の声の可能性や特徴に気づいて、歌ってみようと思ったのはいつぐらいですか?


丸本:小さいころから歌が好きで、中学二年生からギターを始めました。でも、声はずっとコンプレックスだったんですよ。お父さんからは「カエルみたいな声」と言われ続けて、自分の声を録音して初めて聴いたときは、本当にショックだったんです。学校の演劇でも一番声が目立つというか、気持ち悪いと思っていて(笑)。でも、音楽活動を始めて「いい声だよね」と言われるようになって、「人と違うからいいのかもしれない」と思えるようになって。曲づくりを始めたのも、考えてみれば、カラオケで私の声に合う曲がなかなか見つからなかったこともあったんです。失恋したときに、自分の思いをピッタリ表現できる歌がなくて(笑)。それで、ギターを弾きながらつくるようになったんですよ。


――インディーズ時代の曲も聴かせていただきましたが、丸本さんの歌には、リスナーに対するメッセージが込められていますよね。


丸本:広島で活動しているときは、恋や失恋の曲が多かったんです。でも、上京してから「地域も私も歌い歩いていく」というテーマを持つ地域活性化プロジェクト“TAN-SU”に参加して、自然と応援ソングが多くなって。けれど、私が偉そうに「頑張れ!」というのは違うな、と感じて、「私も頑張っているし、いろんな人がいろんなことを頑張っている。一緒に頑張れたらいいよね」って、寄り添っていけるような歌をつくりたいと思うようになりました。


――「ココロ予報」のメッセージも、その思いに通じるところがありそうです。


丸本:そうですね。「ココロ予報」は自分自身のことを書きながら、聴く人に寄り添いたいという思いで歌っています。実はインディーズ時代と歌詞が変わっているんですよ。当時は自分のことで精一杯で、本当に自分のことばかり歌っていたんですけど、デビューさせてもらった大切な曲なので、もっとたくさんの人が自分に置き換えて感じられるように、歌詞を作り替えたんです。これからもカッコつけずに、正直に書いていきたいと思います。


――先ほど地域活性化プロジェクトに関するお話がありましたが、全国いろいろなところでパフォーマンスされてきたんですよね。


丸本:本当にたくさんのところを回らせていただきました。埼玉県では自転車の広報キャンペーン、高知県では女子旅、広島では瀬戸内海などなど、いろんなテーマで歌わせてもらって。それぞれの地域にしかないよさがあるんですが、共通して感じたのは人のあたたかさ。故郷がたくさん増えたみたいな感覚で、音楽活動のいいエネルギーになっています。


――見ず知らずの土地に行くのは緊張もするし、最初はその人たちとどう仲良くなるか、難しい面もありそうです。


丸本:そうですね。その土地の良さを知って、それを心から楽しんで、本当にいいと思ったものをそのまま素敵ですと伝えることが大切だと思いました。そうすることで自然と打ち解けて、あたたかく迎え入れていただきました。


――丸本さんの歌を初めて聴くという方もいたと思いますが、その人たちの気持ちをつかむために苦労したこともあったのでは?


丸本:難しかったですね。特にショッピングモールはすごく大変で、心が折れそうになった時はやっぱりあって(笑)。でも、その中でも一人でも聴いてくれる人がいる限り、ちゃんと歌おうという思いで歌っていました。馴れ馴れしくするわけではないですが、こちらから聴いてくれる人に打ち解けていくことが大切だと思っていて。聴いてくださる方もはじめは「誰だこいつ」と力が入っているので、コミュニケーションをちゃんと取るようにしていました。そのためにも、選曲は客層に合わせて変えるようにしていました。それからギター一本で歌ったり、広いところだとオケを使ったり、コールアンドレスポンスをしてみたり、いろんなスタイルで歌ったんです。ライブの後にCDのサイン会もするんですが、歌を聴いて涙を流してくださる方、「初めて聴いて元気が出ました」と声をかけてくださる方。そういう方々と接することは、とても励みになります。


――特に記憶に残っているエピソードは?

丸本:テレビ局の方と一緒に被災した地域、宮城・仙台の小学校を訪れたことがありました。そこで出会った子どもが、最初はとても心の距離が遠く感じたのに、すごく打ち解けてくれて、最後は「ねえねえ、ぼくの夢聞いてよ」と話しかけてくれるまでになりました。「歩いてゆけ」という曲のミュージックビデオにも出てくる、「夢を画用紙に描こう」というプロジェクトをやったとき、最初はすごくガチガチだった子どもたちが、だんだん打ち解けていくというやり取りが一番心に残りましたね。やっぱり、まずはこちらが心を開くということが大事なんだということを学びました。


・「絶対変わっちゃいけないのは音楽が好きという気持ちと、自分自身が楽しむこと」


――「ココロ予報」のミュージックビデオは5000人のお客さんの前で歌ったんですよね。


丸本:去年もやらせていただいたんですが、今年も歌うことができました。去年は5000人に圧倒されて歌うのに精一杯でしたが、今年はみんなと一体になって楽しめた気がして、とても楽しかったです! イベントが終わった後に「すごく良かったよ」と声をかけてくださる方がいらっしゃったんですけど、私が直接歌を届けられていない人でも、誰かからCDを勧めてもらって知ってくれていた人がいて、どんどん広がっていることが実感できてました。


――今回のメジャーデビューで、さらに広がっていきそうですね。


丸本:そうですね。今回ハイレゾでもデビューできて、そのままの私をちゃんとたくさんの人に聴いてもらいたいなというのと、もっともっといろんなことを感じて、いろんな曲をつくっていきたいなと思っています。


――たくさんの人の前で歌うという経験を経て、自分にとっての音楽が変化した部分はありますか?


丸本:たくさんの人に共感してもらうにはどうしたらいいのかと、考えるようになりました。それと、絶対変わっちゃいけないのは音楽が好きという気持ちと、自分自身が楽しむこと。自分が楽しまないとみなさんにしっかり届かないと思っています。「ココロ予報」のレコーディングの時に、メジャーデビューということで力が入っちゃって、何回歌っても自分の曲に納得いかなくて。その時に、「私は何のために歌っているんだろう」って、上京当時と同じくらい落ち込んだんです。たぶん、メジャーデビューに浮かれて、またちょっとカッコつけた歌い方になっていたんですよね。それでは誰にも届かないし、情けなくてスタジオでもちょっと泣いてしまって。そんなときに、スタッフの方が「楽しまなきゃダメだよ」と言ってくれて、それで吹っ切れたんです。デビューして、さらに支えてくださる方が増えたので、そういう方々のためにも結果を出したいなとあらためて思いました。


――今後はどんな歌手になっていきたいと思っていますか?


丸本:昔から「普通に死にたくない」というのがあって(笑)。私が死んだ時、歌は生き残っている、そんな歌をつくって死にたいです。


――それぐらいの気持ちで音楽と向き合っていく、ということですね。


丸本:そうですね。それと上京したての時に、自分の目標を画用紙に書いて、それを部屋に貼っていたんです。「時間を守る」「ルーズはダメ」「ウソは付かない」と、基本的なことが並んでいたんですけど、真ん中に「武道館コンサート」って書いたものがあって。いまは、それを叶えられるアーティストになりたいです。


(リアルサウンド編集部)