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BiS解散から1年、元メンバーたちの「今」は? 宗像明将が徹底追跡レポート

2015年07月08日 18:11  リアルサウンド

リアルサウンド

BiS

 2014年7月8日に横浜アリーナで開催された『BiSなりの武道館』で解散してから丸一年が経った。


(関連:BiSHはBiSの最初期と最末期が混在しているグループだーー初ライブ現場を体当たり評論


 BiSとは、実はマネージャーの渡辺淳之介と、サウンド・プロデューサーの松隈ケンタの物語だったのではないかと考えることがある。かつて、ある会社のスタジオで出会った若い2人は、渡辺淳之介のつばさレコーズ(後のBiSの所属事務所)入社を機に、本格的にタッグを組んで音源を世に送り出していくことになる。2人のコンビの長さは、薄い本がコミケで売られても不思議ではないレベルだ。


 渡辺淳之介と松隈ケンタは、そのフロントを、ソロ時代のプー・ルイ、BiS、プラニメ、そしてBiSHと変えてきただけなのではないか、とも考える。そして、それはこの1年で確信に変わった。ただそれだけのことだ。


 しかし、歴代の主演女優たちのことも忘れてはいけない。BiSの解散後、最後に残った6人のメンバーがどんな活動をこの1年間にしてきたかをまとめていきたい。話の流れ上、BiSHについても言及する。


 BiSの解散後、プー・ルイが「プールイ」に改名したことをまず記しておく。ここでは便宜上、BiS時代をプー・ルイ、解散後をプールイと表記を区別する。


 BiSの中でも、いち早くソロ・プロジェクトを始めたのはプー・ルイだった。2013年12月24日に始動を発表したバンドが、LUI◇FRONTiC◆松隈JAPAN。当初は、プー・ルイ、オプティマス松隈(松隈ケンタ)、テンペスト竹内、小原just begunから成るグループだった。


 2014年2月22日に、ファースト・ワンマンライブ『ジャポニカ学習ライブ』を下北沢SHELTERで見たが、持ち曲がないからとミニ・アルバム『JAPONiCA!!』の5曲だけを2回繰り返したのには、フロアで絶句した記憶がある。また、「落ちサビ」と呼ばれるケチャポイントで、ケチャではなくクラップを求められたことも複雑な印象を残した。初のワンマンライブなのに松隈ケンタが欠席でもあった。


 プールイは、2014年7月10日から42日間連続イベントを開催することになる。その前々日がBiS解散ライブ、前日は「元BiS」としてのライブだったので、要は休みなしで42日間連続イベントに突入したことになった。


 2014年11月19日には松隈ケンタが脱退。2015年1月11日には、「埋まらなかったら活動休止」と宣言していた渋谷CLUB QUATTROでのワンマンライブを開催し、ここでメジャー・デビュー、そしてLUI FRONTiC 赤羽JAPANへの改称を発表した。アンコールで元研究員(元BiSファンの総称)が歌ったNATURE DANGER GANGの「オレたち!」が今も耳に残っている。


 2015月3月25日に『リプミー』でメジャー・デビューしたが、一方でプールイは新ユニット「プールイ パラレル JAPAN」での活動も開始した。今年の『TOKYO IDOL FESTIVAL 2015』には、2日間のうち初日のみ、このユニットで出演するという。つまりアイドル活動も再開したということになる。


 BiS解散から1年を経て、バンドとアイドルの両方をしているのがプールイの現状だ。


 NIGO(R)と渡辺淳之介がプロデュースするユニットとして、ヒラノノゾミとファーストサマーウイカが参加したBILLIE IDLE(R)。とにかくライブをしないのでヲタが暇だ。週に2回ぐらいライブをしてほしいと懇願したい。以下、詳しく解説したい。


 メンバー募集の結果、モモセモモ、ヤスイユウヒを迎えた4人編成になったBILLIE IDLE(R)。2014年11月11日にファンクラブ「IDLE FELLAS」の募集を、なんと年会費3万円で開始したが、第1次特別会員100人の枠が即座に埋まり、BiS後の勢いを感じさせた。


 2015年1月11日には、関係者とファンクラブ第1次特別会員を対象として、渋谷club asiaでお披露目ライブ『BILLIE IDLE LAUNCH SHOW』を開催。


 2015年3月3日には『anarchy in the music scene』がiTunes Storeで配信された。これはプラスチックスを連想させるサウンドだった。この楽曲のMVはタケイグッドマンが監督。こちらも80年代テイストだ。


 2015年4月1日に発売されたデビュー・アルバム『IDLE GOSSIP』は、マスタリングを“まりん”こと砂原良徳が担当。ジャケットは爆風スランプの1984年のアルバム『よい』をイメージさせるなど、やはり80年代要素が散見される。


 2015年4月4日にはデビュー・ライブ『IDLE GOSSIP SHOW (NOT IDOL, NOT KAWAII)』をラフォーレミュージアム原宿で開催した。H2Oの「想い出がいっぱい」やTOM☆CATの「ふられ気分でRock'n' Roll」のカヴァーで騒ぐ元研究員を巡って、ライブ後にTwitterで議論が沸き起こったが、要は「NOT IDOL」の解釈をめぐる問題だった。BILLIE IDLE(R)はアイドルなのか、と。個人的には興味がない話題だ。


 それはさておき、楽曲やMV、アートワークの80年代感はやや狙いすぎだと感じていたが、ライブだとその辺りがいい感じに薄まっていた。ヤスイユウヒとモモセモモの歌も安定している。


 2015年6月6日には、同じくラフォーレミュージアム原宿でワンマンライブ『BILLIE IDLE(R) presents First Summer Days』を開催したが、花道を効果的に使ったステージングや、常に息切れした犬のようなヤスイユウヒのさらなる台頭などが見所であった。ただ、「これから制作期間に入る」「夏フェスに出るかもしれない」と話しただけで、次の現場が告知されないまさかの展開となった。そもそも東京では1月、4月、6月にしかライブがなかったのだ。贅沢は言わないので、週に2回ぐらいライブをしてくれると、ファン的にはちょうどいいのだが……。


 たった1年でもっとも激動の歴史をたどったのはカミヤサキだろう。プラニメをいずこねこの茉里(ミズタマリ)と結成し、渡辺淳之介の新会社・Wackのマネージメントのもと、T-Palette Recordsに所属するという順風満帆なスタートを切った。


 初ライブとなった2014年8月2日の『TOKYO IDOL FESTIVAL 2014』では、私はSMILE GARDENでの野外ライブを見たが、松隈ケンタによるEDMな「Plastic 2 Mercy」を繰り返し歌い、最後はプラニメがステージから客席に降りて、カミヤサキがリフトされるというBiS時代を彷彿とさせる光景となった。


 2014年9月30日には『Plastic 2 Mercy』、2015年1月6日には『UNIT』をリリース。しかし、『UNIT』の時期のプラニメのインタビューには不穏な空気があり、『UNIT』発売日にリリース・イベントへ行ったところ、メンバーとプラニメイト(プラニメのファンの総称)の間に微妙な距離のようなものがあることも感じた。


 そうしたものを一気に吹き飛ばしたのが、2015年3月22日に宮城県女川町で開催された『女川町復幸祭2015』でのライブだった。「山ステージ」にはももいろクローバーZが出演し、約7000人のファンが。それに対して、「海ステージ」のプラニメはその100分の1以下の人員だった。しかし、地元の楽曲である「サンマDEサンバ」を出囃子に登場し、最後は「Plastic 2 Mercy」でプラニメイトとともに見事な暴発を見せ、最高のライブを見せた。詳しくは、Yahoo!ニュースでの私のレポートを参照してほしい。


 しかし、それから10日も経たない2015年4月1日、ミズタマリが脱退を発表した。エイプリル・フールと思いたかったが、4月2日になっても発表が覆ることはなく、2015年5月31日に高松で開催された『IDOL LIVE CIRCUIT 2015 IDOL PARADISE SP Vol.1』をもってミズタマリは脱退。事実上の解散である。


 そして、2015年6月1日には新メンバーとしてイヌカイマアヤ、ヤママチミキ、シグサワアオ、ユメノユアの加入が発表された。同時に、プラニメが“Period of Plastic 2 Mercy” 、正式名称「POP」に改称されることも発表された。ふだんは「ピオピ」とも呼ばれる。


 お披露目は、2015年6月6日から7日にかけてBiSHと行われた熱海駅伝という異例のスタイルであった。


 ライブのお披露目は、2015年6月28日に開催された『ギュウ農フェスvol.3 羽田空港アイドルフライトだっぺ!』。全員が赤のジャージという衣装だった。「POPの赤ジャージは6800円の高いジャージ」という情報もあったが、メンバーに聞いてもわからないと言われたので謎のままである。楽曲は、執筆時点ではプラニメ時代の楽曲を新しくアレンジしたものだ。


 私は2015年7月2日にようやくPOPを見ることができたが、BiSの派生グループとしては解散後約1年を経て遂に生まれた最高のグループなのではないかと感じた。これほどフレッシュなグループは他にいなかったのではないだろうか。百戦錬磨のカミヤサキ以外のメンバーは余裕のない印象ではあったが、まだ高校生だというシグサワアオの若さと歌は非常に強力な武器だ。そもそも、高校生をメンバーにするという事例がこれまでなかったことにもやっと気付いた。


 「ユメノユアは俺が支えなきゃ……」という気持ちにまでさせてくれたPOP。はっきり言って、POPの現場が最高であることは、この原稿にすら書きたくない。なぜなら自分がおいしい思いをしたいからだ。しかし、事実なのだから書かなければならない。本音としては、みんなBiSHに目を奪われたままでいてほしいのだが。しかし、カミヤサキのもとに集う形となったPOPは、メンバーがまだぎこちない試行錯誤をしている姿も含めて、これまでのBiS派生グループにはない、新鮮にして熱いステージを見せている。


 もしあなたがBiSに乗り遅れた人だとしたら、悪いことは言わない、一刻も早くPOPを見るべきだ。


 テンテンコが完全インディーズでリリースした『Good bye, Good girl.』が、オリコン週間シングルランキングで32位まで上昇したことを知っている人は少ないかもしれない。フリーで活動しているテンテンコは、音楽的にもっとも多彩な活動をしている元BiSメンバーだろう。


 2014年7月20日の『夏の魔物前夜祭』でAndreas Dorauの「Die Welt ist schlecht」を流している動画には、「どこから掘ってきたんだ」と驚いたものだが、それはほんの序の口。


 2014年8月18日に渋谷WWWで開催された『いいにおいのする夏の無料の大感謝祭』にDJテンテンコが出演した際には、いきなりアポジー&ペリジーの「月世界旅行」を歌いだして、一気に興奮させられることになった。「月世界旅行」は、細野晴臣がプロデュースした1984年のアルバム『超時空コロダスタン旅行記』の収録曲で、戸川純が歌っている楽曲だ。テクノポップの古典アルバムだが、その中だと「真空キッス」が取りあげられることが多いだけに、テンテンコがあえて「月世界旅行」をチョイスしたことにしびれたものだ。「月世界旅行」はその後も歌われていくことになる。


 2014年9月12日には、テンテンコ主催イベント『ブタゴリラ』が渋谷THE GAMEで開催された。向井秀徳が「KIMOCHI」でテンテンコを呼びこみ、手を握りながらデュエットしたのがその日のハイライトだった。


 また、この日はテンテンコと滝沢朋恵(ふたりは中学高校が一緒である)によるユニット“フロリダ”が、なんとキララとウララの1984年のシングル「センチ・メタル・ボーイ」のカヴァーを披露して、思わず奇声を発してしまった。


 この頃、テンテンコのSoundCloudにアップされたDJミックスには、Martin Dennyの「Firecracker」も含まれていた。細野晴臣がYMOを始めるにあたって、この楽曲をシンセサイザーで演奏することを考えたエピソードは有名だ。


 また、同時期にテンテンコは、アイドルにとっての大きな収入源であるチェキをやめている。彼女がアイドルとは違う存在に移行しようとしている覚悟を実感した。


 2014年11月にはカセットテープ『カセットレボリューション vol.2』に、フロリダが「マザーマウス IN THE KITCHEN」で参加。


 そして、2014年11月22日に「Good bye, Good girl」のビデオ・クリップが公開された。90年代オマージュなサウンドに乗せて、VHS画質の映像を見ていると、90年代の東京を見ているかのような気分になる。明日庵野秀明の『ラブ&ポップ』が公開されるかのような世界だ。


 2014年11月29日には、ムーンライダーズの鈴木慶一の別バンド・Controversial Sparkとフロリダが対バンし、ムーンライダーズ人脈との接点が顕在化する。必然の流れだった。


 2014年12月17日にリリースされた、かしぶち哲郎のトリビュート・アルバム『a tribute to Tetsuroh Kashibuchi~ハバロフスクを訪ねて』でテンテンコが歌っているのは、かしぶち哲郎が岡田有希子に書き下ろしたものの、彼女の自殺により約13年世に出なかった楽曲「花のイマージュ」だ。サウンド・プロデュースは、カメラ=万年筆の佐藤優介が担当している。


 2015年1月14日には、それまで会場限定販売だった『Good bye, Good girl.』が全国流通で発売され、冒頭に書いたような好セールスを記録する。また、全国流通盤ではNATURE DANGER GANGのSEKIがカップリングの「HOT PANTS」のリミックスを担当しており、東京のインディーズシーンとの関わりもうかがわせた。


 2015年4月18日には、なりすレコードからフロリダが初の単独作品『右手左手』を7インチアナログ盤とCDのセットでリリース。B面の「パンダうさぎコアラ」はレコードの溝がループしており、CDでは71分にも及ぶ。


 2015年5月3日にはテンテンコ主催の『ブタゴリラ Vol.3』が渋谷WWWで開催された。このときはチケットの売れ行きが思わしくないということで、本人が連日USTREAMを配信。当日は、アイドルヲタこそ少ないものの盛況で、テンテンコがイベントオーガナイザーとした新たな扉を開いたことを実感させた。この日のハイライトは、七尾旅人との「Rollin' Rollin'」のコラボレーションである。


 2015年5月20日には、ラッパーの狐火のアルバム『ネオニート』に「スナック feat,テンテンコ」で参加。同時期に、禁断の多数決のTSUTAYAレンタル盤に収録されている「GOGO!!カンフーダンス feat.テンテンコ」にも参加している。


 2015年6月23日には、フロリダの初のミニ・アルバム『FLORIDA』がリリースされた。フロリダには比較的ポップな曲もあるのだか、それを見事に削ぎ落として、アブストラクトな側面を押し出した作品だ。難解ではあるが、フロリダは基本的に実験音楽なので特に問題はない。『FLORIDA』では、アイヌの輪唱を連想させる「KYO」の美しさをぜひ聴いてほしい。


 ここには書ききれなかったが、ZINE、VHSテープ、音源付き写真集の発売や、非常階段との共演、なりすレコードのソノシートへのフロリダ楽曲の収録など、あまりにも独自の道を行くテンテンコ。しかし、彼女の音楽は、80年代ニュー・ウェーヴやテクノポップを通過した人の琴線には触れるに違いない。しかも実験音楽やノイズまで飲み込んでしまうのがテンテンコなのだ。


 現在は、サクライケンタがプロデュースするMaison book girl(メゾンブックガール)で活動するコショージメグミだが、ソロでのライブ、女優活動、大森靖子のサポート(?)などもしてきた。


 2014年7月20日に新宿LOFTで開催された『ekoms presents NO ROOM FOR SQUARES!! Vol.3』では、サクライケンタとコショージメグミによる挨拶があった。それによると、コショージメグミからサクライケンタに話を持っていったのだという。


 2014年7月25日には『FUJI ROCK FESTIVAL '14』の大森靖子のステージに、いきなりコショージメグミが登場。その間に大森靖子が炊飯器のご飯を観客に配ったライブが話題になった。


 2014年9月11日には、大森靖子の「私は面白い絶対面白いたぶん」のMVが公開された。大森靖子ではなくコショージメグミがずっと画面に映っている。


 2014年9月には、コショージメグミは何回かのソロ・ライブを行っている。2014年9月20日の『りんくうにぎわいフェスタ2014』で、サクライケンタによる美しい音楽をバックにしながらポエトリー・リーディングをし、泣きはじめる姿は、YouTubeにアップされた映像越しでもインパクトがあった。それは、彼女がBiS時代には見せたこともない一面だったからだ。


 2014年10月には、舞台『DIVE@LIVE-維新-「幕末-狼kick!-」』に出演している。


 2014年11月5日には、遂にMaison book girlのメンバーが発表された。他の3人は、井上唯、宗本花音里、矢川葵。このうち、宗本花音里と矢川葵は『ミスiD』で注目を集めた存在である。


 2014年12月4日、私は初めてMaison book girlのライブを見た。SEの蝉の鳴き声が響く中、メンバーが並び、7拍の楽曲が始まる。1曲目が終わるとメンバーが一旦下がり、蝉の鳴き声とハンマービートが響き、それが止むとピアノの音色をバックにコショージメグミによる朗読がスタートした。他のメンバーもそれに加わっていく。井上陽水の「夢の中へ」のカヴァーもあった。その曲で突然ライブは終わり、周囲がざわめいていたことを覚えている。その後のMaison book girlのライブでは、コントのような小芝居も定番化していく。


 2014年12月18日には、大森靖子が出演した『MUSIC JAPAN』に、コショージメグミがNATURE DANGER GANGのユキちゃんとともに出演。


 2015年1月には、自費出版で書籍『コショージメグミ』を発売している。ソロ・ライブの音源を収めたCD-R付きだった。


 多数のライブを行い順調に見えたMaison book girlだったが、2015年3月8日に「かおりんた」こと宗本花音里が突然脱退を発表。その知らせに、私は終演後の渋谷eggmanに行き、多くは語らずに彼女とチェキを撮った。というか、宗本花音里が推しメンだったため、よく考えたらMaison book girlでは宗本花音里としかチェキを撮ったことがない。


 2015年3月27日に渋谷CHELSEA HOTELで開催された『SOLITUDE HOTEL B1』で宗本花音里は脱退した。アンコールの「my cut」でコショージメグミが「お前らのかおりんた切るぞ!」と叫んで、ハサミで宗本花音里のシャツを下着が見えるほど切りはじめた。この光景はどこかで見た覚えがある。それは、BiS階段解散ライブ(2014年5月6日)のときにセーラー服を切り刻まれたコショージメグミの姿だった。


 この日、和田輪の加入が発表された。宗本花音里のヴォーカルも収録したMaison book girlの初のCD『Black』と『White』も、2015年3月14日に2枚同時リリースされている。置き土産のようだ。


 宗本花音里脱退後のMaison book girlのライブも見ている。2015年4月12日に代官山LOOPで開催された『IDOL NEWSING LIVE1.5』でのMaison book girlのライブについては、以下の記事を読んでほしい。


 2015年7月2日のライブでは、3拍の曲でMIXを入れているヲタの姿が新鮮だった。変拍子を多用したリズム、美しく繊細なメロディー、翳りを帯びた歌詞。プロデューサーもメンバーもヲタも音楽的な試行錯誤をしている現場だ。やりがいのある現場を求めている若者に推薦したい。


 元BiSメンバーはいないが、「BiSをもう一度始める」という宣言のもとスタートしたグループなので、ここで紹介したい。もちろん前述したように、できるだけまだPOPではなく、BiSHに注目していてほしいという私個人の打算もある。


 最初期のBiSチームである、マネージャーの渡辺淳之介、サウンド・プロデューサーの松隈ケンタ、衣装の外林健太、アートディレクションの真田礼(Studio-Novel)が生んだBiSH。メンバーはセントチヒロ・チッチ、モモコグミカンパニー、ハグ・ミィ、アイナ・ジ・エンドの4人だ。


 2015年4月30日に渋谷TSUTAYA O-nestで開催された『いいにおいのするいきのいいやつらTOKYO』へのシークレット出演が事実上のお披露目であった。その模様は以下の記事でレポートしている。


 2015年6月14日の「ギュウ農フェス vol.2 羽田空港アイドルフライトだっぺ!」でのBiSHのレポートも読んでほしい。


 BiSの名を最初から挙げられてしまったために、BiSHに対してはどうしても厳しい目で見てしまう。末期BiS現場のように、ロキノンのようなノリでクラウドサーフを繰り返すフロアにも、複雑な気分にさせされる。2015年6月21日の『YATSUI FESTIVAL! 2015』でのライブも、またクラウドサーフの嵐であった。


 BiSHは、2015年5月27日にアルバム『Brand-new idol SHiT』をリリース。ここではその翌日、2015年5月28日のタワーレコード渋谷店でのリリース・イベントについて触れたい。


 この日は湘南乃風の若旦那がステージの真横でミニ・ライブを観覧しており、私は若旦那の頭越しにBiSHを見た。刺激こそ足りないが、「ほほえましい」ライブであった。


 終了後、勢いあまって握手会の鍵開け(特典会の最初の1人目になることである)をしてしまった。私はメンバーからの認知が欲しいがために、名乗りながら握手をしていったのだが、4人の最後に並んでいたセントチヒロ・チッチは、その会話を聞いていたために自らこう言ったのだ。「宗像さん、はじめまして」。


 私のBiSHの推しメンがセントチヒロ・チッチに決まった瞬間だった。


 人の心は金で買えないが、ヲタの心はレスと握り(握手)と認知で買える。そのことをBiSHとPOPのメンバーに新たになった女の子たちにも、元BiSメンバーにも、忘れずにいてほしいと切に願うばかりだ。そもそも握手会すらないBILLIE IDLE(R)には、まず接触の機会を作ってほしいのだが……。


 周囲の環境もあるだろうが、最終的に元BiSメンバーのこの1年の活動を決定づけてきたのは、当人の資質以外の何物でもないだろう。ここから先の1年はさらなる勝負が待っているはずだ。元BiSメンバーそれぞれの奮闘に期待したい。(宗像明将)