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モーモールルギャバンが明かす活動休止の真実、そして迷いからの脱却「音楽がスポーツになってしまっていた」

2015年07月04日 17:30  リアルサウンド

リアルサウンド

モーモールルギャバン

 モーモールルギャバンが、6月24日にアルバム『シャンゼリゼ』をリリースした。同作は、2014年5月にライブ活動無期限休止を宣言し、2015年3月に再始動した同バンドの記念すべき復活アルバムだ。従来通りのサイケデリックなアプローチは健在だが、これまでのどの作品よりもアレンジは必要最小限に、ゲイリービッチェ(ボーカル・ドラム)の歌を強調したものに仕上がっている。今回、リアルサウンドではメンバー3人にインタビューを行い、活動休止期間に起こった変化やアルバムのコンセプト、バンドシーンへの問題提起などを大いに語ってもらった。


・「自分の思考回路を徹底的に断捨離しました」(ユコ)


――今回の作品を語るにあたり、外せないのは「活動休止からの復活」というトピックです。改めてライブ活動休止に至った経緯と、復活までに経験したことを教えてください。


ゲイリー・ビッチェ(以下:ゲイリー):単純に制作に専念する余裕がなくて。10年ぐらい突っ走ってきたので、このタイミングにしっかり向き合おうと思いました。


ユコ=カティ(以下:ユコ):別に深刻なミーティングがあったわけでもなく(笑)。休止前最後のツアーが終わった後は、しばらくそれぞれ自分のことをやっていました。連絡も一切取り合わない期間が4~5カ月ほどありました。


T-マルガリータ(以下:マルガリータ):僕は「一回ライブ休止に入ったからにはスパッと離れてみようかな」と思い、ベースを触らない期間がしばらくありました。


――アルバムのコンセプト・構想はどこから?


ゲイリー:活動休止してからというもの、週8ペースで飲み歩いては「俺は何をやっているんだろう」という思い、沸々と湧いてくるメロディを紡ぎ続けていて。その時期を「制作」って呼んでしまうと世の真面目なミュージシャンから怒られてしまうと思うんですが、結果的にそうなりました。


――飲み歩いたり、奔放な生活をすることであえて自分を追い込んでいた側面もありますか?


ゲイリー:僕という人間は、「楽しむ」ということに対してちょっと罪悪感を持ってしまう気質でして。ミュージシャンというのは『ドラゴンクエスト』でいえば「遊び人」で、それがいくら「勇者」や「戦士」になろうとしてもなれない。遊び人はどこまでいっても遊び人だから、そんな自分の書く詞を説得力のあるものに転換するしかないんですよ。だから欲求に忠実に生き続けつつ、世の中には何かしらの貢献をしたいと思っていて、その感情が『シャンゼリゼ』というアルバムに現れています。


――アルバム自体はキャリアの中でも一番シンプルで、変化球を入れながらも歌が前に出ており、スッと入ってくるような印象でした。これまでの作品で言うと『BeVeci Calopueno』に近いものを感じていて。制作手法は以前と変わらずゲイリーさんの弾き語りですか。


ゲイリー:最近のデモ作りではドラムも入れるようにしています。歌と歌詞に関しては、自分の書きたいものがちゃんとそのまま形にできましたが、ドラムとコード進行は、ユコさんが全部アレンジで変えたので原型が残っていません(笑)。普通はぶっ壊されるとストレスが溜まるものですが、彼女はストレスにならない形で、清々しくぶっ壊してくれました。


ユコ:そんなことないよ、守るものは守ったよ(笑)。


ゲイリー:土足で踏みにじられることが許されるのって、長くやっているバンドメンバーだけだと思います。何が相手にとっての地雷なのかを把握して「じゃあここは従おう」と判断したり、「そこのメロディは頼むから変えないで」と譲れない部分は伝えていました。これまでみたいに不毛な喧嘩がなかったぶん、作業自体はすごくスムーズで建設的に進んだ気がします。単純に年を食って大人になったし、週8で飲みながら作ったデモだからこそ、アーティスト気質を持たずに「もしよろしければ、料理していただけますか…」と謙虚に向き合えたのかなと。


――これまで通りのメッセージ性は込めつつ、結果的にちょうどいい力の良い抜け方になったと。


ゲイリー:そうですね。プロになってから、頭がガチガチに凝り固まって「あれもやんなきゃ…これもやんなきゃ…」と、積み上げることしか頭になかったので、快楽主義的な生き方は良い影響を与えたと思います。


――ユコさんは、アレンジでどのようなことを意識しましたか?


ユコ:これまでの作品でもずっとアレンジを手掛けてきましたが、休止前くらいの時期から、自分が好む音やフレーズがすごく見えづらくなっていました。自分の中に摩擦がずっとある感じで、それがすごくフラストレーションになって。私も休止中はあまり楽器に触らなかったのですが、その代わり自分の思考回路を徹底的に断捨離しました。『シャンゼリゼ』の制作に入った頃には、デモを聴いて様々なアレンジが浮かんでくるぐらいポジティブな思考回路になりましたし、アレンジはゲイリーから「ここはこうだけど、あとは好きにして」という形で託してもらったので、楽しく料理していました。私はレコーディングに入ると、現場で色んな人の意見を聞きすぎてブレてくるという悪い癖があるのですが、今回は「ブレない、ブレない」と呪文みたいに言い聞かせながらやっていました。


ゲイリー:結構ブレてたよ(笑)。ホントこの人、急かすとすぐ怒るんですよ。全然地に足はついていなかったし、いつもどおりバタバタだったよね。強いて言うなら、前作より5パーセントぐらい地に足は着いてたけど、安定のユコ=カティでしたよ。


ユコ:うそ!? まぁ…終わってしばらくしたら「そうでもなかったな」と思ったけど…。


ゲイリー:でも、先ほど「『BeVeci Calopueno』と通ずるものを感じる」と初めて言われてビックリしたのですが、この作品って実は『BeVeci Calopueno』を作った時とまったく同じ作り方に戻したものなんです。


ユコ:私もびっくりした!


ゲイリー:あの作品はメジャー1stフルアルバムだったこともあり、気合も入っていましたが、やりたいことを詰め込みすぎて、お互いの持ち味を殺してしまったという反省もあった。出来ないことをやろうとしすぎて、スベってる感覚もありつつ、我々らしい作品として愛せるアルバムになったのが『BeVeci Calopueno』だったんです。そこからプロとしてやっていくなかで、自分の詩に全然自信が持てなくなって、人の意見を取り入れたらもっと分からなくなって、曲の作り方もメロディの書き方も見失う時期があって…。でも、「好きっていう気持ちを、プロとしての消費に耐えるレベルに上げないとダメだ」ということに気づいて、必死で向き合ってきたんです。休止を通してちょっと肩の力が抜けたタイミングで『BeVeci Calopueno』と同じ作り方をしたら、自然と各々が今の自分をしっかり把握して、無理のない形で融合させることができたので、今までで一番、完成した時の達成感はありました。


ユコ:『BeVeci Calopueno』では、私の指示が2人に伝わりにくかった部分もあると思うんです。アレンジにおいてどういう意図を込めてやっているかが伝わってなかった。


ゲイリー:ユコ=カティ語が理解できるようになったのは、ここ最近の話ですよ。スタジオでも「もっとブワッとした…エッジがあって強くて…大きいやつだよ!」なんて指示されて何回も戸惑いましたし。


ユコ:関西のおばちゃんみたいだよね。「あそこをピッって入ってグーって行ったら着くから」って道案内する感じ。でも、色んなチャレンジを経たことで、言葉にせずとも個人個人の好みや刺激してはいけないポイント、向き不向きが分かるようになった。だからこそ『BeVeci Calopueno』に愛着を持ちつつも、どこかにあった「もうちょっと突き詰めたかった」という部分が形にできたように思います。


――各々が自分のできることと、要求されるレベルのバランスが取れるようになったんでしょうね。


ユコ:今までは少し背伸びしていたよね。


ゲイリー:バランスは取れるようになったけど、130点の作品を完成させる気持ちじゃないと80点のものはできないから、背伸びするのは仕方ないよ。でもそれがストレスになって、「音楽を作るってハッピーな作業なのに、なんでこんなに煮え切らない顔をしているんだろう」と考えたこともあるけど。


ユコ:そんなこともありつつ、コミュニケーションの賜物なのか、今回はいつもより平和的というか、笑いが多い現場にはなりました。音にものびのび演奏していた感じが出ていると思います。


・「ちゃんと歌うことが音楽だと改めて実感しました」(ゲイリー)


――今回の作品制作にあたり、3人は上京してきたわけですが、そのことが作品に影響している部分はありますか。


ゲイリー:デモがひと通り完成したタイミングで上京して、アレンジ作業とレコーディングは東京で行いました。影響は……個人的にはあまりないかもしれません。


ユコ:私はあるかも。関西にいた時は実家だったので、環境の変化も大きかったし、なによりそれがリフレッシュのひとつになった。「次の作品で自分の持ち味を出せなかったとか言ったら許さないぞ」というくらい自分を律していたので。


ゲイリー:ぶっちゃけると、休止前はユコ=カティとT-マルガリータにとって音楽はお仕事に、僕にとって音楽はスポーツになってしまっていましたから。今回のアルバムを通じて、音楽が音楽であることを取り戻しました。


ユコ:私もロジカルに考え過ぎて、音楽のどの辺が好きだったのかよくわからなくなって。活動休止してもライブには全然行けなくて、唯一行ったのが『SUMMER SONIC 2014』のQUEEN。その時は涙が止まりませんでしたし、「音楽が好きなんだ」という感覚をパンっと取り戻しました。


ゲイリー:僕も同じくQUEENのライブが大きかった。そもそも休止後はずっと音楽を聴けていなかったんですが、街の雑踏でイヤフォンをしてQUEENを聴き始めたら、涙が止まらなくなりました。「ヤバい恥ずかしい、帰ろう」と思って、すぐ家へ引き返すくらい泣いたんですけど、結果としてサマソニまで足を運んで、ライブもちゃんと観ました。人のライブを観てあんなに嗚咽混じりで泣いたのは、後にも先にもあれっきりでしたね。その後は気軽にcinema staffとか、友達のライブを観に行けるようになりました。


――それぞれが「音楽と向き合った」結果として、先日の復活ライブなどにはどのような影響がありましたか?


ゲイリー:さっきの「音楽がスポーツになってしまった」というのは、僕にとってはライブの盛り上がりがまさにそうで。ドラムも原曲よりアッパーで、煽るぐらいの方がライブでは盛り上がるし、お客さんもどんどんテンション上がっていくので、それに頼った方法論で進んできましたが、そこに対して「違うだろ」と思う自分もいました。「ドン、ダン、ドン、ドン」としっかり踏み込んで、体に響くドラムを叩きながらも、ちゃんと歌うことが音楽だと改めて実感しました。ライブで焦ってBPMが上がったりすると「落ち着け落ち着け、違うだろ、音楽ってそういうものじゃないだろ」と別の自分が話しかけてくれるようになって、いわば新しい視点が生まれた感じです。


――「音楽のスポーツ化」という問題は、ゲイリーさん個人ではなくシーン全体の抱える課題でもあるような気がします。


ゲイリー:やはり「盛り上がることに特化している」のかなという。それが音楽的な盛り上がりであればいいのですが、音楽がお客さんを煽って乗せて、コールさせるためのツールに成り下がっていることに関しては、自分たちにその責任の一端があると思うくらいに反省はしています。我々が出てきたことで「モーモールルギャバンがそれをやるなら、オレたち若手はそれの上を行かないと……」と思わせてしまった部分もあるでしょうし。ちゃんと音楽を大事にしないと、あの世に行ってしまった世界のレジェンドに申し訳が立たない、という気持ちで最近は演奏しています。


ユコ:「ここに音楽がないと意味はない」という思いはずっとあったのですが、それを上手いこと消化できないままステージにいて。だからライブが終わった後、変な疲れ方をしていました。それが次第にデフォルトになって、自分の中で敏感だった部分が鈍感になっていったりする感覚がありました。レコーディングの時から聴こえ方は全然違ったんですけど、復活ライブは初めて3人で演奏したときの感覚に近かったです。その感覚は自分の中では健全だなと思えるもので、いいモチベーションになっていて、ライブに対する姿勢は大きく変わりました。


・「個人的に、演奏が伴奏になるのが嫌」(ユコ)


――もともとファンが持っていた“モーモールルギャバン像”と、今の自分たちのモードをどうすり合わせていくのでしょうか。


ゲイリー:単純にテンションを落とさずに、もっと音楽的でいれば誰からも不満は出ないと思います。しんどい作業ですけど、やりがいはあるので。


ユコ:勢いで持っていっていた部分を、どんどん音楽の力で展開できるようにしていきます。


ゲイリー:今までは自分のテンションと客席の盛り上がりぐらいしか判断基準がなかったけど、そこにもう一つの視点が加わったことに気付いてくれたのか、「モーモールルギャバンがパワーアップしている」と言ってくれる方が多いので、「こういうのはちゃんと伝わるんだな」と噛みしめています。


ユコ:ちょっと安心もしましたね。私たちの変化を「元気がなくなった」と捉えられるのは寂しいなと思っていたので。


ゲイリー:ほかにも、ごちゃごちゃ考えながらライブをやっていても「モーモールルギャバンは相変わらず最高だった」って言ってくれる人もいて。変化は伝わってないけど、悪くなったと思われてなかったら、まぁいいかと(笑)。


――その点においては、昔のプレイと比較されることも少ないであろう『シャンゼリゼ』からの楽曲についてはどう捉えていますか。


ゲイリー:今回は自分の歌いたい歌をアルバムで歌えた反面、「これをどうやってライブで再現するんだろう」という悩みが生まれています。


ユコ:良くも悪くも、テンションで押しきれない曲ばかりなんですよ(笑)。自分たちでハードルを上げているところがあって。スタジオで合わせながら「誰だこれを作ったのは……ああ、私だ」という風に、自分で自分の首を絞めています。


――ゲイリーさんが歌に力を入れている部分も大きく作用しているんですね。アレンジ面でも歌を前に出すように心掛けたのでしょうか。


ユコ:私は個人的に、演奏が伴奏になるのが嫌なんですよね。3ピースの面白さって、掛け合いでせめぎ合っている部分だと思うので。だから、演奏と歌のバランスはそこまで意識的に変えていません。


ゲイリー:そう、歌はアレンジではどうにもならない。歌自体に強さがないと。だから、歌っている本人がちょっと頑張りました。でも、「クレイジーベイビー」と「紅のベッド」はあなた(ユコ)が大変だよ。


ユコ:言わないで(笑)。何も考えずに練習するから。


――復活ライブ以降も次々と日程が決まっていますが、反応はどうでしょうか?


ゲイリー:新曲は「さらば人類」しか披露していないですが、イベントライブで銀杏BOYZのTシャツを来た人が沢山握手を求めてくれたので、良かったのかなと思っています。


ユコ:私はとくに握手を求められなかったんですけど(笑)。演奏していて楽しんでくれている人や、もともと私たちのことを知らないだろう人がたくさんいて、彼らを楽しませることができたなら良かったと思います。アウェイは別に嫌いではなくて、そこでは会場を巻き込むことにエネルギーを注ぐというよりは、自分の出している音に意識を集中させていきたいです。


マルガリータ:お客さんのことより、自分たちの演奏自体を意識するようになったんですが、それでも楽しそうにしてくれているのが印象的でした。ツアーを楽しむためにもしっかり準備をして、最高の時間を過ごしたいなと思っています。


(取材・文=中村拓海)