マルシャF1のテスト中に起きたマリア・デ・ビロタの事故に関する報告書の内容から、当時の状況が明らかになった。デ・ビロタは減速時にマシンをコントロールすることができないままトレーラーにクラッシュしたと記されている。
デ・ビロタは、2012年7月、マルシャで直線テストを行っていた際、走行を終えた後にチームのトランスポーター後部にクラッシュ、重傷を負った。この事故でデ・ビロタは右目を失ったが、その後、車の運転を許されるまでに回復、FIAのウィメン・イン・モータースポーツの大使を務めるなどの活動を行っていた。
しかし2013年10月、デ・ビロタがホテルで死亡しているのが発見された。死因は事故の際に負った神経の損傷の影響であるといわれている。
彼女が死亡してから約1年半後の今年5月、事故の調査を担当した安全衛生庁(HSE)は、事故に関する調査は終了し、関係者に対して一切の措置がとられないことを明らかにした。
情報公開法に基づいて得られたHSEの報告書の一部から、事故の状況が明らかになった。
2012年7月3日にダックスフォード飛行場でマルシャの直線テストが行われた。マルシャのテストドライバーだったデ・ビロタは、その前日にシート合わせを行っている。
報告書によると、デ・ビロタは前もって、ステアリングをフルロックにした状態でクラッチを操作することができないとチームに話したが、「直線テストではフルロックにする必要はないので問題ない」と言われたということだ。
走行前にレースエンジニアからの指示はあったものの、この中にはマシンを停止させる際のこと、あるいは「ピットレーンに到着した際にどのギヤをセレクトするか」についての情報は含まれていなかった。
また、問題のトレーラーは通常使用されるレース用ではなく一般的なもので、このトレーラーには「独特の」「比較的大きい」テールリフトがついていたという。
この日最初にデ・ビロタはレースエンジニアと共にサルーンカーで走行し、この時テストプログラムについて説明を受けたが、報告書によるとここでもマシン停止の手順に関しては話がなされなかったという。
その後、デ・ビロタはランウェイを無事に2回走行、ガレージエリアに戻ってきた。45km/hの速度で走行し、彼女はブレーキを踏み、マシンは減速し続けた。
エンジンの回転数は4100rpmにまで落ち、ギヤはエンゲージしている状態で、エンジンのアイドルコントロールがストールを避けるためそれ以上の減速を阻んだ。
「データの変動期が3回あり、そのひとつ目が始まっているのがここで、クルマがドライバーに『抵抗している』ことが示されている」と報告書には記されている。またデ・ビロタは「エンジンのアイドルコントロールがマシンの停止性能にどのように影響するかの情報は一切知らされていなかった」という。
デ・ビロタは、クラッチをアンロックするボタンを押したが機能しなかったと証言している。右に曲がろうとすると右フロントホイールがロックした。さらに強くブレーキを踏むと、左フロントホイールがロックした。
2速から1速にシフトダウンしようと試みたが、トルクが100Nmより大きかったためにそれができなかった。デ・ビロタはブレーキを緩めてホイールを動かした後、再度ブレーキを踏み込み、それによって左フロントが再びロックした。
クルマは空港のランウェイのエプロンからトレーラーのテールリフトの方へと向かっていったという。
デ・ビロタはトレーラーを避けられると思っていたというが、それができずに衝突した。「この時のテールリフトの位置はけがの危険性を引き起こすもので、故人(デ・ビロタ)の目の高さに突き出していた」という。また、報告書には、チームは「ドライバーのスキルと経験に頼っていた」と記されている。
デ・ビロタは元F1ドライバー、エミリオ・デ・ビロタの娘で、さまざまなカテゴリーで活動した後、2011年にロータス・ルノーGPでF1テストを行い、2012年にマルシャのテストドライバーに就任した。
デ・ビロタの家族は、HSEが調査終了を発表した後、報告書を詳しく見てから民事訴訟を起こすかどうかを検討するとのコメントを発表している。