高い目標を掲げ、自己啓発に余念がなかったり、流行に敏感だったり――。何だか鼻につく相手を揶揄するのに使われてきた「意識高い系」という言葉。しかし、最近はちょっと風向きが変わってきているようだ。
2ちゃんねるの「意識高い系の同僚がガチでうざい」というスレッドで、興味深いやりとりがあった。同僚の「意識高い系」の行動をあげつらってネット民の共感を得ようとしたスレ主が、逆に「雑魚の嫉妬w」「意識低すぎる」と袋叩きにあっている。(文:野吟りん)
通勤中の読書に「家じゃ絶対読んでない」とケチつけるが
スレ主が「意識高い系」の理由として挙げたのは、以下の4項目だ。
(1)通勤中は読書
(2)留学が長かったらしく英語が必要な場になると出しゃばる
(3)昼食は自分で作った弁当持参
(4)帰りはジム
そして、「うざすぎて飲み会でそいつの陰口言われまくってて草生える」と笑いものに。スレ主によれば、本当の読書好きは電車の中では読まないので、「家じゃ絶対本読んでないわ」と断定。「英語もジャップ丸出しのカタカナ」で、「留学しといてあれって相当無能な証拠」と同僚をこき下ろしている。
しかし、かく言う自分も英語が話せるわけではない。弁当とジムについては、言い掛かりのようにも見える。ネット民からも、スレ主の同僚に対し、
「有能やんけ」「意識高い系じゃなくてちゃんと意識高いやん」
と称える声が上がった。さらにスレ主に対して「無能がジェラって(嫉妬して)ますねえ」など、容赦ない言葉が浴びせられている。予想外の反応に、スレ主は「いつからお前ら意識高い系肯定するようになったんや」と寂しそうだ。
率先的に動く意識高い人は「同列に見たらいかん」
ネット民のコメントを見ると、「意識高い系」と「意識高い」はハッキリ区別すべきと考えられていることが分かる。
「やたらアピールしたがる高い系と率先的に動く意識高い奴は同列に見たらいかんだろ」
「意識高い系ってスゴいレッテルだよな。中身スカスカのビックマウスも普通に努力してる人も一括してるもんな」
両者の違いは、行動が伴っているかどうかということらしい。ネット民の多くは、努力している「意識高い」人はきちんと評価すべきというのが基本。スレ主のように両者をごちゃ混ぜにして揶揄する用法は、言っている方が恥ずかしいという。
「自分より優れてる人に対して『意識高い系』とレッテル貼って優越感に浸る底辺が増えたな」
「冷めた目で見りゃ優位であると思い込んでいるカスが多すぎ。中二と高二のクソな部分を兼ね備えたカス」
中学、高校には「一生懸命はダサい」と斜に構え、周りの足を引っ張る生徒が必ずいるが、未だにそこから抜け出せないという感じだろうか。出ようとする杭を打つような様子に、「こうやって努力する人間を馬鹿にするから日本はダメなんだよ」という意見も。
「僻み、妬みに基づくレッテル張りするような意識低い奴があぶりだされて分かりやすい」
「意識高い系の意味もスライドしていくなこれは。最後はみじめな負け組の嫉妬の意になることだろう」
というコメントからすると、「意識高い系」は死語に向かいつつあるのかも知れない。
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