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幸福な解散はある──SAKEROCKのラスト・ライブを観て

2015年06月05日 19:01  リアルサウンド

リアルサウンド

SAKEROCK『SAYONARA』(カクバリズム)

 幸福な解散。


 あるいは、理想的な解散。


 というものがあることを、僕はSAKEROCKの解散によって知った。


(参考:SAKEROCK解散に寄せてーー岡村詩野がバンドのキャリアと音楽性を振り返る


 解散してよかったとか、解散してほしかったという話ではない。そんなわけはない。もちろん悲しいし、残念だし、解散を知った時はショックだった。


 ただ、基本的に、バンドというのは解散するものだ。というのは言い過ぎだが、解散せずに活動を続けているバンドよりも、解散する、もしくは活動休止するバンドの方が圧倒的に多い。中には20年30年40年と活動を続けているバンドもいるが、それだっていつかは止まる時が来る。人はいつか死ぬんだから。


 って思いっきり極論だが、そのように、解散がバンドにとって不可避的なものであるとするならば、このたびのSAKEROCKの解散は、きわめてめずらしい、幸福な解散であり、理想的な解散だったのではないか、と思うのである。というか、そういうものがあることを教えてくれたのがSAKEROCKの解散だった、とも言える。


 バンドが解散する理由はいろいろある。売れなかったから。もしくは、売れてたけど売れなくなったから。仲が悪くなったから。ダメなメンバーがいるから。音楽的支柱になっているメンバー(多くの場合ヴォーカル)が、もうイヤんなっちゃったから。マネージメントともめたから。などなど。


 ただ、SAKEROCKの場合、そのどれにもあてはまらない。仲がいいのか悪いのかは知らないが、もし仲が悪かったとしても、それが原因だとしたら、結成15年の今ではなく、とっくの昔に解散していただろう。


 そもそも、SAKEROCKの解散の理由は、誰が見ても明らかなように、仲がいいとか悪いとか以前の問題だ。


 シンプルに言うと、


 個々のメンバーが売れすぎて、スケジュールを合わせるのが物理的に不可能になった。


 ということだ。誰かが、ではない。最後に残ったメンバー3人ともだ。3人になってから解散するまでの3人の心情とか、関係性とかは僕は知らない。知らないが、星野 源、浜野謙太、伊藤大地、それぞれの活動を見るに、「で、これ、いつSAKEROCKやるの?」という状態にどんどんなっていったのは、ご存知のとおりだ。


 そこで無理矢理スケジュールを合わせることは、星野 源に「ソロやるな!」っていうことになる。ハマケンに「在日ファンクもASA-CHANG&BLUE HATSもタレントも役者も全部禁止!」ってことになる。伊藤大地に「今オファーが来てるドラムの仕事全部断れ!」ということになる。なお僕の場合、ここ1、2年で、ステージ上の姿を最も数多く観ているミュージシャンは彼です。というくらいの仕事量です、今の伊藤大地は。週に2回観ることもめずらしくない、それくらいひっぱりだこです。


 あと、3人になった直後、池田貴史や吉田一郎などが参加して9人編成でやったライブ。すごくよかったが、あれも「今後はこの形で精力的に活動していきます! ライブもレコーディングもいっぱいやります!」という形ではないことは明らかだった。よけい難しくなるし、全員揃えるのが。


 それでもSAKEROCKを存続させるべきだった、3人の個々の仕事をやめて、あるいは減らしてSAKEROCKに集中すべきだった、と思うファンはいるだろうか。僕は思わない。まず、それぞれの活動がすばらしいから。そして、そういうふうに「外の人がほっといてくれない」才能の集合体だからこそすばらしかったのがSAKEROCKだ、と思うからだ。


 先にやめていった野村卓史と田中馨も含めて、SAKEROCKには、SAKEROCKがなくなると困るメンバーがいなかった、という言い方もできる。そんな優れたメンバーが揃うなんてこと、普通、ありえない。同じ高校で、大学のサークルで、スタジオの貼り紙で、ライブハウスで、あるいはメン募サイトで、そんな3人なり4人なり5人なりが集まるなんてこと、確率としてゼロに近いだろう。


 東京事変のように、その段階で既に日本のトップクラスだった椎名林檎と亀田誠治というミュージシャン&プロデューサーが作ったバンドでもない限り、そんなことは不可能だ。その東京事変ですら「よくあんな人たち発掘して集めたよなあ」と思うし、解散後に個々が活躍しまくっている今になってみると。


 つまり、そのゼロに近い確率のことが奇跡的に起きたのが、自由の森学園の先輩後輩同士が卒業後に結成したSAKEROCKだった、と思うのだ。


 組んだ当初から、各メンバー、それぞれいいプレイヤーではあっただろうが、今ほどではなかったと思う。で、当人たちも、まさか自分たちがそんな奇跡的なバンドだとは認識していなかっただろうと思う。


 たとえば当時の伊藤大地に「きみ、将来、細野晴臣のレコーディングで叩いたり、奥田民生と岸田繁と3人でバンド組んだりするようになるよ」と言っても信じないだろうし、ハマケンに……いや、ハマケンに「きみJBみたいなファンク・バンドのボーカルになるよ」って言ったら「なるでしょうね」とか言いそうだな。でも「きみ俳優になるよ」「映画とかドラマとかCMとか出まくることになるよ」と言ったら、驚くのではないか。


 そうやってそれぞれが、きっと自分でも予想しなかった範囲まで成長していった。いや、最初に脱退した野村卓史に関しては、ある時期から予想していたのかもしれない。だから先にやめたのかもしれない。


 じゃあ、バンドを結成した張本人=星野 源はどうなんだ、という話になる。


 周知のとおり、もともと彼は役者としての活動と音楽活動を並行して続けており、確か昔「それぞれのメンバーが外でいろんなことをやっているようなバンドがいい」みたいな発言をしていたから、そのような、「解散しても誰も困らないくらい個々のメンバーのレベルが高いバンド」を目指す気持ちも、もしかしたらあったのかもしれない。


 ただし、それがここまでうまくいってしまったことと、自分が「歌ってしまった」ことは、彼にとっても予想外だったんじゃないかと思う。


 数年前にインタビューした時、なぜSAKEROCKをインストバンドにしたのかを訊いたら、「自分の曲を歌うなんて恥ずかしいことはできなかった。だから、歌も作ってたけど、それは発表せずに家で歌うだけだった」と言っていた。


 だからインストバンドとしてSAKEROCKを始めたのだが、バンドの音楽性もポジションも充分に確立された頃、人に勧められたりして歌ってみたら(当然ソロで、ということになる)、「なんで今まで歌わなかったんだ!?」と誰もが驚くようなことになり、高く評価され、もう大変にうまくいってしまった。


 田中馨が脱退したのは、確か、ソロ星野 源の活動が本格化した直後だった。でも、あのタイミングで解散しなかったのは、バンドを続けるのが大変になってきたけどまだなんとか続けたい、という気持ちが3人の中にあったからなのだろう。


 そして星野 源はソロで成功していく。役者としても文筆業者としても活動が軌道に乗って行く。ハマケンは在日ファンクを結成して活動を始め、役者としてもタレントとしてもどんどん売れていく。伊藤大地は、さっきも書いたようにひっぱりだこ。


 もしそうならなかったら、つまり星野 源のソロがここまでうまくいかなかったら、ハマケンが在日ファンクはすぐつぶして役者としてもすぐ終わっていたら、伊藤大地に外のミュージシャンから声がかからなかったら、SAKEROCKはもっと続いたかもしれない。


 でも、不幸なことに……じゃないな。幸福なことに、そうではなかった。3人それぞれの状況が、SAKEROCKを続けることを許さなくなった。自分の才能が、自分がバンドに留まり続けることを認めなくなった、とまで言ってもいいかもしれない。


 じゃあ、実際は解散状態でも年に1回だけ東名阪ツアーをやるとか、5年に1枚だけアルバム出すとか、そういうふうにしてSAKEROCKを残せばよかったのに。


 と思う人もいるかもしれない。一理ある気もする。


 が、しかし、彼らにとってSAKEROCKは、そういう「たまにやるお楽しみ」みたいに、ゆるく存在することが許されるようなバンドではなかったのだと思う。やるなら己の中の相当大きな何かを引き換えにしないと、できないものなのだと思う。


 『SAYONARA』は星野 源プロデュースで、すべての曲を星野 源が書いている。たぶん、ここまで全部星野 源なのは初めてなのではないか。それぞれのメンバーのスケジュールを考えると、昔みたいにみんなで集まって時間をかけて曲を作ることは不可能だったから、ではないかと思う。


 それでもいいじゃん、この「完全星野仕切り」でSAKEROCKを何年かにいっぺんやればいいじゃん、とあなたは思うだろうか。やはり、僕は思わない。このアルバムは本当にすばらしいが、これはあくまでも最後だからこそできたものだ。そのような作り方が通用したのも、やめた野村卓史と田中馨が戻ってきたのも、最後だったからだ。この方法でもう1枚作ったら、たとえどんなにすばらしい内容でもそれはSAKEROCKではないし、ふたりも戻って来ないだろう。


 2015年6月2日、SAKEROCK最後のライブ、両国国技館。土俵の上の円形ステージで、“SAYONARA”のMVの後半のように向かい合って演奏し、MCで言葉を交わし合う5人は、まるで初めてリハスタに入った時のようだった。もちろん僕は彼らが初めてリハスタに入った時のことなど知らないが、でもそういうふうに思えた。それはとても、すごく、本当に、幸福な光景だった。


 客席に背を向けて、5人で顔を見合わせて、5人で演奏して、5人でしゃべってるんだから、一見「お客さんは蚊帳の外」みたいなライブだったかもしれない。でも、超満員の両国国技館に満ちていた空気は、それとは正反対のものだった。この瞬間の5人の幸福を、あの場にいた全員が(もしかしたらYouTubeの生中継で観ていた人たちも)共有していた。僕にはそう感じられた。


 にしてもSAKEROCKって、ほんとに規格外のバンドだったんだなあ、とつくづく思う。


 こんなふうに、「自分の才能がバンドに留まることを許さなくなった」例って、過去にあったっけ。BOOWY。解散後の活躍は周知のとおりだけど、そういうのとは違う気がする。ユニコーン。いや、「川西さんがやめちゃったからバンドを続ける気がなくなった」みたいなことを当時奥田民生が言っていたから、違うか。キャロル。矢沢永吉の成功っぷりやジョニー大倉の役者としての活動を見ると、解散後の方がビッグになってはいるが、この場合そもそも同じバンドだったことの方が今になってみると不思議な気がします。はっぴいえんどの「破格の才能の集結っぷり」も今思うとすごいが、あのバンドの場合、当時全然売れなかったから解散した、というのも大きいのではという気がするので、やはり異なる。


 というふうに考えていって、同じではないがちょっと近い例を、ひとつだけ思い出した。


 SUPER BUTTER DOG。バンドではできなかった武道館クラスでのワンマン、余裕で即完する人をふたりも輩出している。ハナレグミ=永積タカシとレキシ=池田貴史。前者はSAKEROCKの高校の先輩で、後者はさっき書いたように一時期SAKEROCKのサポートを務めていた。(兵庫慎司)