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星野源がエンターテイナーである理由ーー『SUN』の音楽的アプローチから読み解く

2015年06月03日 16:21  リアルサウンド

リアルサウンド

星野源

 復活を遂げて以降の星野源は、ポップスと戯れる姿が以前にも増して楽しそうだ。特に際立つのがブラック・ミュージック&ダンスミュージックの偏愛ぶりで、それは約1年前にリリースされたシングル『Crazy Crazy/桜の森』にも色濃く反映されていた。往年のディスコ・クラシックを想起させる「桜の森」もさることながら、同シングルに収められた「Night Troop」ではディアンジェロを意識したかのような、ネオソウルにアプローチしており、飽くなき向上心に驚かされたものだ。シーンの移ろいを敏感に察知しているのかもしれないが、そこに計算めいたものは微塵も感じさせない。人懐っこい自然体のキャラと、あくまで矛盾しない形で表現を拡張してみせる。その活動姿勢は理想的だと心から思う。


(参考:星野源が“大人の生き方”を語る「いまだに女の子の尻を追っかけている」


 そういった直近の動きを把握していても、今回届けられた8枚目のシングル『SUN』には実に驚かされた。キャッチーな要素がてんこ盛りで、イントロからサビに至るまでフックのオンパレード。目下の最新アルバム『Stranger』(2013年)以降のハイテンションなシングル群と比較しても、ちょっとラジカルすぎるのではないかと思うぐらいで、この極まった完成度はひとつの到達点といえるのではないか。“ディスコ・ミュージックの今日的アップデート”という観点でも、ブルーノ・マーズ「Treasure」やキンブラ「Miracle」辺りともタメを張る出色の内容で、マッシュルームヘアに統一された女子たち(みんな可愛い)と躍るMVも楽しくってしょうがない。


 “Hey J”と呼びかけるなど、「SUN」にはマイケル・ジャクソンへのリスペクトも込められているという。そういった影響面をサウンドから辿ると、真っ先に思い浮かぶのは星野の愛聴盤でもあるMJの『Off The Wall』。そこからクインシー・ジョーンズ経由でディスコを浴びるもよし、朗々と響くストリングスからフィリー・ソウルを振り返るもよし。レギュラー的存在となった若きファンク・マスター、ハマ・オカモト(OKAMOTO'S)のベースも躍動的なグルーヴに貢献しているが、現在の作風を考えれば彼のプレイはもはや欠かせないだろう。


 古典のエッセンスをうまく消化する一方で、エレクトロ調のイントロにも唸らされた。この信号音みたいなアナログ・シンセ音が再生後に鳴り響くことで、「SUN」という曲は(オマージュという名の焼き直しではなく)「同時代のポップス」としての説得力をグッと増しているのではないか。もっと正直にいえば、バンドの生演奏を軸としながら、エレクトロニックな質感も伴ったモダンで軽妙なプロダクションを耳にして、MJというよりはフレンチ・ハウスみたいだとも思ったりした。そういったハイブリッドなセンスが、「J-POPらしさ」を担保しているのだろう。アナログ・シンセの音色は曲中のアクセントとして大いに機能しているが、これはジム・オルークとの共演などでもお馴染みの石橋英子によるもの。さらに、星野の得意技である「陽気だけど少し狂った感じ」のストリングスは今回も極上に冴え渡っている。


 これまで発表してきたシングルと同様、『SUN』も「全4曲入り&特典映像満載のDVD」という通例どおりの構成となっている。カップリング曲も相変わらずユニークで、軽妙なジャジー・ブルース「Moon Sick」、本人曰く“70年代日本のフォークをヒップホップ以降の機材でアプローチ”したという、すべての楽器を自身が演奏した「いち に さん」も目を惹くが、聴いた瞬間にひっくり返ったのは最後の「マッドメン(House ver)」。星野のシングルでは“(House ver)”とつけられた宅録曲が恒例となっているのだが、この「マッドメン」はトーキング・ヘッズの名作ライブ映画「ストップ・メイキング・センス」のオープニングを飾る「サイコ・キラー」のストレートすぎるパロディときた(曲名にも笑った)。ラフでざらついたギターの鳴りから、リズムボックスの名器TR-808を用いたチープなビートまで全部一緒。白いスーツを着てヨロヨロつんのめったりする星野の姿までも目に浮かびそうだ。


 しかし、「STOP MAKING SENSE」--直訳すれば「意味づけをやめよ」、乱暴に言い換えれば「難しく考えるな」--というのは、よくよく考えると今回のシングルにもピッタリの表現かもしれない。「SUN」のミュージック・ビデオでハッピーな至福の4分間を終えたあとに全部ひっくり返す星野の一言(笑)からもふとそんなことを思った。「僕たちはいつか終わるから 躍る いま」とシリアスな言葉も織り込みながら、まるで全てを笑い飛ばすように彼は歌い踊る。本当は小難しい仕込みもたっぷりしているし、一時とんでもない状況にあったこともみんな知っているのだが、媚びたり悩んだりしているところは一切見せず、誰にでも愉しめるポップスを提供してみせるのだから、カッコいいにも程があるというもの。エンターテイナーに振り切る姿勢がまさしく太陽そのもので、彼がクレイジーキャッツやマイケル・ジャクソンに心酔する理由もそこにあるのだろう。とにかくポップを貫くというのは、一見何も考えていないようでいて、本当に偉大なことなのだ。(小熊俊哉)