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ライブハウスには昔、テーブルとイスが当たり前にあったーー兵庫慎司が振り返るバンドと客の30年

2015年06月02日 07:31  リアルサウンド

リアルサウンド

赤坂BLITZ。

 昔、ライブハウスのフロアには、テーブルとイスが出ていた。


(参考:イベント関係者が語るライブハウス最新事情「土日に公演日が集中し、会場を押さえるのが難しい」


 ちょっとびっくりする事実だ。伝聞ではなく実体験として知っているのに、今になると信じられない、いくら30年も前のこととはいえ。


 スマホやインターネットと同じでしょ、昔はそんなものが普及するなんて考えたこともなかったでしょ、と言われそうだが、それらは世の中の技術とかが進んだからそうなったわけであって、昔はそうではなかったことにも、今はそうであることにも、納得がいく。


 しかしこの「ライブハウスにテーブルとイス」は違う。なんで昔はわざわざテーブルとイスを置いてたんだ? どう考えても非効率的なのに。


 今のライブハウスでも、ライブ終わってお客がハケたあと、テーブルとイスを出してバー営業している店、ありますよね。つまり昔は、ライブ中もあの状態で、お客はそれぞれテーブルについて、飲みながらステージを観ていたわけです。ジャズの生演奏が売りのバーのように。


 広島の高校生だった僕が地元のライブハウスに通い始めたのは1984年頃であり、当時地元でもっとも有名だったウッディストリートというハコによく行っていたのだが、店内には普通にテーブルとイスがあり、お客は相席状態でライブを観るのが普通だった。その状態で、地元の人気アマチュアバンド(奥田民生が歌っていたREADYとか、現在大物プロデューサーの島田“CHOKKAKU”直がリーダーだったNUTSとか)を観た記憶があります。


 東京のライブハウスはどうだったのか、正確なところは知らないが、当時愛読していた宝島やDollといった音楽誌の誌面から察するに、既にオールスタンディングでライブをやっていたのではないかと思う。


 ただ、広島はそういう状況だった。東京からプロのバンドがツアーで来る時は、テーブルはとっぱらわれたが、イスはあった。イスが列状に並べられ、お客さんは……席は指定だったっけ、並んだ順だったっけ、並んだ順だった気がするが、とにかくひとり1席で、そこで立ってライブを観た。要はホールと同じ。そんなふうにして、爆風スランプや有頂天を観た記憶があります。


 なお、ヤマハの最上階なんかにあるような小さなホールの場合、常にそういう状態で、予めホールにイスが整然と並べてあり、お客はそこに座って観る、というのが普通だった。


 その後、僕は1987年に(ブルーハーツもユニコーンもこの年メジャーデビュー、つまりバンドブームが本格化し始めた頃です)、進学のため広島から京都に引っ越すのだが、そこで関西のライブハウスは「テーブルとイス」「イス」「スタンディング」の3パターンがあることを知る。普段はテーブルとイス、人気あるバンドの時はイスだけ、もっと人気ある時はオールスタンディング、という。


 またそれは、ハコのカラーによる部分もあって、たとえば蔵を改造して営業していることで知られる京都の磔磔・拾得はどちらもテーブル&イスで、磔磔はオールスタンディングになることもあったが、拾得はでっかい丸テーブルがどーんといくつも置いてある上にフロアの隅は座敷になっていたりしてスタンディングにしようがない、という作りだった。同じく京都にあったどん底ハウスというパンク系のライブハウスは、空いていようが混んでいようがオールスタンディングだった。ただ、パンク系ならスタンディングなのかというと一概にそうだとも言えなくて、大阪の西成にあったエッグプラントというライブハウス、ニューエスト・モデルやメスカリン・ドライブのホームとして知られていたハコですが、そこに一度出してもらった時は(バンドやってたのです)パイプイスじゃなくて作りつけみたいなイス席になっていて、ちょっと意外だったのを憶えている。


 そして1991年、音楽雑誌の会社に入った僕は東京に移り、それこそ仕事としてライブハウスに通うことになるのだが、そこでふたつ、初めて知ったことがある。


 ひとつは、東京のライブハウスって狭い!ということだ。基本的にどこもオールスタンディングなんだけど、新宿ロフトや渋谷ラ・ママなど、雑誌とかで知っていた有名なハコに行くたびに、「あの『To-y』に出てくるロフトってこんなキャパだったの?」とびっくりしたものです(今の場所ではなく、新宿西口にあった頃のロフトです)。これは東京のライブハウスが狭いというよりも、地方のライブハウスが広いということなのだと思うが。狭いからテーブルとイスなんか置いてたら採算が合わない、ということだったのだろう。


 そしてもうひとつは、渋谷クラブクアトロや川崎クラブチッタ、渋谷ON AIRといった、大きなキャパのオールスタンディングのライブハウスが存在することだ。


 びっくりした。今思うと恥ずかしいが、「海外みたい!」と感動した。


 そうだ。オールスタンディング=海外、本物、本格的、みたいなイメージだったのだ、当時はまだ。現にクアトロもチッタもON AIRも、洋楽のバンドが来日する時に使われるハコだった。


 そして時代はどんどんオールスタンディング方向へ向かうわけだが、ここでは「なぜオールスタンディングになっていったのか」と考えるよりも、逆に「なぜそれまではなるべくテーブルとイスを置きたがったのか」という方向で考えたほうがわかりやすい。


 なぜでしょう。そのほうがキャパが限られてしまって、経済的に非効率なのに。


 そうです。オールスタンディング=危険、と思われていたからです。たとえば観客が将棋倒しになって3人が亡くなったラフィン・ノーズの日比谷野外音楽堂(1987年)。野音だったからイス席だったのに、一部の観客が自席を離れてステージ前に押し寄せたから起きた事故だったのだが、実はパンク系などのバンドのライブの場合、これに近いことが各地で起きていたのだと思う。


 僕も高校の時、2回経験している。広島の見真講堂という500人とか600人くらいのホールで、1回はARB、1回はエコーズで、どっちも後半みんな席を離れて前に詰めかけ、無法地帯になった。ライブはそのまま続いたが。


 席があっても前に詰めかけるんだから、席をなくすと大変なことになる、だからなるべくイスは置かないといけない、入りきらなくなったらイスのあるホールに移ればいい、という考え方だったのだと思う。


 それが90年代に入ったあたりから「オールスタンディング、実は危なくない」「なら、そのほうがいっぱい入れられるし本格的だからいい」ということに、徐々になっていったのではないか。リキッドルームができた時(1994年)もびっくりしたし、赤坂BLITZができた時は(1996年)、「TBSが1,500人キャパのスタンディングのライブハウスを作った!」と、業界で話題になったものです。


 同時に、それまでハードコア系のライブでしか起きないものだったモッシュやダイヴやクラウドサーフがだんだん一般化していく。言うまでもなく、これにはAIR JAM系のブレイクが大きく寄与している(それまではメジャーなバンドでモッシュが起きるの、THE MAD CAPSULE MARKET’Sくらいだった)。フロアめちゃくちゃ大暴れ、でもわかってる客がやっていれば危なくない、ということが浸透していくわけだ。


 そうだ、書いていて思い出したが、バンドブーム以前のライブハウスって、実際に怖い場所でもあったのだ。客同士がケンカしたり、バンドと客がケンカになったり、スターリンみたいに豚の頭や臓物がとびかったり(観てはいません。雑誌で得た知識です)、ハナタラシみたいに「いかなる危機に瀕しても責任を問いません」という誓約書を書かないとライブを観れなかったり(同じく雑誌からの知識)、「小僧が行くとシメられる」という噂なのでTHE MODS観たいけど怖くて行けなかったり(だから行ってないので、実際はどうだったのかわかりません)。ライブハウスが、そういうおっかない場所ではなくなったというのも大きい。


 かくして日本各地にZeppが作られ(1998年~)、日本で本格的に始まったロックフェスが、最初は会場をブロック制に区切っていたのがだんだんそうではなくなり(1998年に東京・豊洲で行われた第2回目のフジロックのグリーン・ステージの客席はまだブロック制だった)……と、時代は進化していき、現在に至るわけです。


 5月27日新木場スタジオコースト、マキシマム ザ ホルモン、ナヲちゃん妊活のためライブ活動休止前最後のツアーのファイナル。どのバンドよりも大暴れで、サークルモッシュしまくり、体当りしまくり、クラウドサーフしまくりなのに誰もケガしない超満員のフロアで、汗をだーだーかきながら、いろんなことを思い出した。


 そして5月30日、長野の山中で毎年行われているフェス、TAICO CLUBのBOREDOMSのライブ。ドラム&パーカッション数十人の中央で、目を閉じながら両手を上げ下げして指揮をとるEYEを観ながら、「この人が昔、誓約書マストのライブを……」と、しみじみした。


 というわけで、以上、思い出しつつ書いてみました。「だからなんなんだ」と言われると困るが。(兵庫慎司)