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『LUNATIC FEST.』が蘇らせる、90年代V系伝説 市川哲史が当時の秘話を明かす

2015年05月28日 09:51  リアルサウンド

リアルサウンド

市川哲史『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)には、LSBのオリジナル酒呑み日記を特別再録している。

 BUCK-TICKとX JAPANとGLAYとLUNA SEAが揃ってしまった「偏ってて何が悪い?」ロックフェス、《LUNATIC FEST.》がいろんな意味で面白そうだ。V系ならではのアナログ感もたまらない。


 それにしても、大風呂敷を拡げてナンボのV系なのに、拡げたまんま放置された20年以上昔の大風呂敷までわざわざ畳もうとするのだから、つくづくLUNA SEAは奇特な連中である。誰かから頼まれたわけでもないのに、その律儀さには頭が下がる。そもそも自分たちが主役の一区切りフェスなのに、最も取り扱いが面倒くさいX JAPANをわざわざ呼ぶか?


 とはいえ私、こういう<自己完結のヒロイズム>って嫌いじゃないけれども。


 前回の本コラムでも触れたが、LUNA SEAはかつての<V系遺産>をこのフェスで修復公開することで、V系シーンごとひっくるめて自らを総決算しようとしているとしか思えない。たぶん。


 だから初日は《エクスタシーサミット》だし、2日目は《L.S.B.》の様相を呈している。GLAYがいるから1999年12月23日の絢爛豪華対バン@東京ドーム《the Millennium Eve A Christmas present for the people who love live a lot》も想い出さなきゃいけないのだろうが、正直アレはどうでもいい。弾け逝くCDバブルの墓碑銘みたいな一夜だったのだから、結局のところ。


 というわけでいまや歴史の頁に埋もれていた<V系遺産>を、大きなお世話根性で紐解いてみる。


 1994年8月9日から30日まで福岡・仙台・札幌・新潟・大阪で開催された《L.S.B.》は、BUCK-TICK、LUNA SEA、SOFT BALLETの3バンドによる日本初の全国スプリット・ライヴ・ツアーである。


 しかも公演地別に、L'Arc~en~Ciel(札幌)、THE YELLOW MONKEY(福岡・大阪)、THE MAD CAPSULE MARKETS(仙台・札幌・新潟・大阪)、DIE IN CRIES(仙台・札幌)と当時注目の若手バンドがゲスト出演した、画期的なパッケージだった。


 当時の力関係としては、前年『darker than darkness-style 93-』、翌年には『Six/Nine』と商業性無視の快作を継続リリースできる、BTのアーティスト力が頭抜けていた。だから元々は、そんなBTとの共演で箔をつけたいと考えたLUNA SEAの運営サイドの発案だったように記憶している。


 実際、LUNA SEAはアルバム『MOTHER』リリース直前でまだまだブレイク前夜だったし、ラルクはメジャーデビューしたばっか。イエモンは三島由紀夫愛満載のコンセプト・アルバム『jaguar hard pain』を出すなど偏向すぎて、まだCDは全く売れず。そしてソフバはインダストリアル・テクノポップ、マッドはデジロック系ミクスチャーの、各々先駆者として活躍していながらも、村外での知名度には乏しかった。


 ロックフェスがレジャー産業化した現在が嘘のように、かつてはさまざまな垣根を越えて終結する機会が少なかった。それでもバンドブームの頃はまだ、地方プロモーターやローカル局主催のイベント、レコード会社によるショーケース・ライヴが開催されはしたものの、90年代は基本的に横の繋がりが著しく欠落したシーンだったように思う。まあ縦関係もエクスタシー軍団以外で見ることは皆無だったが。はは。


 そんな発展性のなさが嫌だった私は、『ロッキング・オンJAPAN』『音楽と人』誌上や酒席で彼らを引き合わせる、因業な仲人として長く暴走することとなる。


 ある晩BT今井寿宅で呑んでたら、Xのビデオソフトを発見。訊くと「HIDE君が面白くて好き♡」と言うので、即対談決定。以降、YOSHIKI+HIDEのBT西武ドーム公演観戦を経て、<魔王>櫻井敦司 VS <お姫様>YOSHIKI対談へと展開していった。


 またLUNA SEA・Jの<純粋BT愛>に応え、BT高松公演に連れて行き1対5対談(!)を強いたし、HIDEと今井からまだデビュー前のTHE MAD CAPSULE MARKETSを大絶賛されると、2人を後見人に任命してマッド・TAKESHI主役の座談会を催した。


 まだ松も取れぬ新年早々行なった、今井とソフバ藤井麻輝にhideを加えた<スーパーSCHAFT結成!>対談なんか、夕方5時には早や呑み会に突入。盛り上がった私とhideのケータイ呼び出し攻撃により、2軒目からJとGLAYのTAKUROが強制合流を余儀なくされ、そのまま今井宅の無限地獄酒に堕ちた。新春早々さすがに面倒くさくなった私とhideは朝4時なんとか脱出したが、逃げ遅れたTAKUROはそのまま眠りの森に迷いこみ、その日10時半集合→新潟当日ライヴにもかかわらず当然、遅刻しでかしたのだった。惨い。


 しまった、これでは話が単なる『酒呑み日記』だ(失笑)。


 最終的には、V系怪獣の渋谷系少年カツアゲ現場写真の表紙が世間を震撼させたhide VS 小山田圭吾対談まで発展したのだけど、こうしたバンド同士の交流が生まれることで、ロックがポップカルチャーとして成熟し始めたと言える。


 自分の推しV系バンド以外は無関心だったファンは外にも目を向け始め、アーティストはアーティストで自分のバンド以外の現場に参加するようになった。


 当時私は、<国産デカダンスの始祖鳥>デルジベット・ISSAYのソロアルバム『Flowers』と、<憧れの現実逃避ロック>JAPANのトリビュートアルバム『LIFE IN TOKYO』をプロデュースした。両者ともBTやX、LUNA SEAからマッドに黒夢まで、V系界隈の豪華ミュージシャンたちがこぞって参加してくれたこと自体が画期的で、特に後者は日本初のトリビュート盤で日本レコード大賞企画賞まで貰ったはずだ。たしか。


 元々洋楽畑の私が邦ロック評論を始めていちばん驚いたのは、新作のリリース日とレコーディング日程と曲作りの締切が設定されないと曲を書かないアーティストがほとんど、という表現衝動の貧困さだった。部品の納期かよ。


 ところが同じ<V系括り>でも、パンク・メタル・テクノ・ニューウェイヴ・ゴス・英・米・日など音楽的氏素性が異なる輩同士が出逢うと俄然、音作りが愉しくなるらしい。当たり前か。


 そして《L.S.B.》である。


 レーベルや事務所やイベンターの仕切りではなく、アーティスト主導で誕生した競演ライヴ・ツアーだからこそ、優秀なショーケースもしくはコンヴェンションとしても機能した。ファンの子たちがそれこそ知識や情報としてしか認知できていない<私の推しバンドの仲間たち>を、一網打尽に目撃できた有益な機会だったのである。


 ファンにとってもバンドにとっても、まさに幸福な空間と言えた。
 
最終公演の@大阪城ホール、私は仕事でもないのにBT今井からの強い要請で前日から大阪入り。これまた出演予定のないhideも当日、私を追って大阪上陸。その夜の大打ち上げの酒量は尋常ではなく、BT・LUNA SEA・ソフバ・イエモン・マッド勢揃いの賑やかな宴と化した。したたか酔ったマッド・TAKESHIが愚痴る。


「スタッフの人に聞いたんだけど、俺たちのライヴが始まったらさ、ウチのファンじゃない女の子が両手で耳を塞いでしゃがみ込んじゃって、『私にはマッド・カプセル・マーケッツはわからないーっ』て叫んでたんだって。そこまで言わんでも(敗笑)」


「ひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」


 笑いすぎだ、今井。中にはそういう奴もいるさ、TAKESHI。


 ちなみに20年後、このTAKESHIがあのBABYMETALに超デジハードポップ曲「ギミチョコ!!」を提供しようとは、世の中やっぱり面白い。


 結局、「面白ければ何でもあり、恰好よければ何でもあり」という<自由すぎる足し算>が基本原理のV系だからこそ、バンドの垣根を取っ払って面白いことを模索できたと思うのだ。合言葉は好奇心、である。


 今回の《L.S.B.》一夜限りの復活は、いろんな意味でLUNA SEAのケジメに相応しい。


 そしてもう一方の、《エクスタシーサミット》の記憶はいきなり希薄だ。だはは。


 写真集にVHSにLD(!)まで当時発売されてるのに、憶えてるのは1992年版@大阪城ホールでLUNA SEAが白装束姿でウケを狙ったとか、巨大な団旗を誰かが振り回してたとか、出演バンドの有志が合体して《サイレントいやらしーず》というバンドを名乗り、“X”を演奏したとか、どうでもいいことばかりだったりする。


 それよりも私にはたぶん1991年8月15日、YOSHIKIに誘われ無理矢理連れて行かれた《エクスタシーの納会(失笑)》の想い出のほうが、サミットよりはるかに鮮烈なのだ。


 まだ夕方5時にもかかわらず、貸し切られた目黒・鹿鳴館近所のいろはだか養老だかの座敷には、X以下エクスタシー所属全バンドがノーメイクで集結。YOSHIKIの訓示を全員が神妙に聞き終えると、野太い「ぅおっしゃあ!」の地鳴りの中、生ジョッキを砕けんばかりにぶつけ合いチアーズ――誰か替わってください。


 納会の間中、私は全バンドの丁寧な御挨拶を受け続けた。メジャーデビューしたばかりのZI:KILLに逢ったのもこの夜が初めてだ。TOKYO YANKEESやらVIRUSやらLADIES ROOMやらEX-ANSやらとにかくヤンキー臭漂う酒盛りの中、座敷の隅っこにひっそり群れ集う5人組を発見。おそろしく気配を殺し息を潜めてるので、声をかけた。


「……僕たち文系なんで、こういうノリ実は合わないんですよね(←微音量)」


 どの口がそういうこと言うかな、たぶんRYUICHIかSUGIZO。インディーズ・デビュー直後のLUNA SEAであった。


 さてこの納会の行方だが、やがて酔っ払ったYOSHIKIが上半身裸で酒や食い物が並ぶテーブル上に連続ダイブしたあげく、現在で言うところのクラウドサーフを披露。グラスや鉢や皿の破片が散乱する畳の上を、我々は土足で過ごす羽目に。最終的にYOSHIKIが自腹50数万円で弁償したものの、未来永劫出入禁止となった。


 つまり《エクスタシーサミット》と《エクスタシーの納会》は、私の中では似たようなものなのだった。


 そしてゴールデンボンバーや己龍などいまやオタク化してしまったV系が、まだまだヤンキーの天下だった時代の美しい遺産なのかもしれない。


 もはや一大歴史絵巻の《LUNATIC FEST.》、か。(市川哲史)