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【F1モナコGPの焦点】まぼろしのリード、伝統のレースは一瞬で豹変する

2015年05月26日 17:00  AUTOSPORT web

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手に入れられるはずだった勝利を逃して、それまで完璧に調和していたハミルトンの世界が、ぐにゃりと歪む
「我々はモナコGPで勝利を飾ると同時に、敗北を喫した」

 トト・ウォルフはこう表現し、チームはこれまで感じたことがないほど“ビタースウィート”な気持ちを味わっていると言った。しかし実際のところ、レース後のメルセデス・チームに勝利を祝福する甘美な空気はかすかで、過ちを悔いる苦い後味ばかりが重みを増していた。

 10位を争うマックス・フェルスタッペンとロマン・グロージャンが接触したのは、首位ルイス・ハミルトンが64周目を走行していたときのこと。トロロッソのマシンが1コーナーのバリアに激しくクラッシュした直後には、バーチャルセーフティカー(VSC)の新規則が適用された。しかし、その少しあと事故の重大性とメディカルカー出動の必要性が確認された時点で“本物の”セーフティカーが出動──この時点でピット入口より手前を走行していた数台がタイヤ交換に入った。

 冷静に見れば、メルセデスが動揺する必要はなかった。モナコで首位を走行しているのだから、セーフティカー出動によってそれまで築いたリードを失ったとしても、ハミルトンはステイアウトして慎重にタイヤ管理を行うことが可能だった。ところがチームは客観的になることができなかった。

 ハミルトンにとって難しかったのは、事故が発生した時点で2番手のニコ・ロズベルグに対して19秒以上先行していたこと。ライバルとの距離が離れた状態ではチームに判断を委ねることが必要だった。チームを惑わせたのは、VSCの適用によってハミルトンとロズベルグ、そして3番手セバスチャン・ベッテルの間隔が、いったん25秒まで開いたという事実──万全を期してハミルトンのタイヤを交換しても、首位を維持したままコースに戻れると勘違いしてしまった。

 64周終了時点での25秒のリードは、VSCによる全車一斉の強制減速によって生まれたもの。そのままVSCが続けばハミルトンの25秒リードは維持されたはずだが、本物のセーフティカーが出動すれば、従来どおり後続との間隔はどんどん詰まってしまう。65周目、セーフティカーに前を抑えられたハミルトンのリードは、ずっと小さくなっていた。現実よりもデータに集中し過ぎたチームは、もはや存在しないリードをあるがごとく勘違いし、ドライバーとチームの間で、それぞれの主軸が離れてしまっていた。

「大画面でチームがピットに出ている様子を目にしたときには、ニコがピットインしたのだと思った。後ろのマシンは見えなかったから」

「チームはステイアウトしろと言ってきたけど、僕は『このタイヤは、ものすごく温度が下がってしまうだろう』と伝えたし、彼らがオプションに交換したら僕はプライムで対抗しなきゃいけない……そこでチームはピットインを指示してきた。僕は他のみんなも同じように対応したのだと信じ切って、ピットに入った」

 初めてのVSCによる勘違いと、ドライバー/チーム間の交信における先入観のズレ、誤解。ミスは雪だるまのように膨らんで、短時間で逡巡を繰り返したメルセデスはハミルトンがラスカスに差し掛かったところでピットインを決定。手中にあった首位のポジションを失ってしまった。

 2分11秒321──セーフティカーに蓋をされたうえでタイヤ交換に入った65周目のハミルトンのラップタイムは、たとえば同じ65周終了時点でスーパーソフトに交換したダニエル・リカルドの1分59秒200より10秒以上も遅い。タイヤ交換の静止時間は4.1秒と長く、あとからピットインしてきたザウバーによっても若干はロスしたかもしれない。だが、もともとハミルトン/メルセデスに、そんなギリギリの勝負をしているという認識はなかった。状況を正しく判断すれば不要なピットインを検討する必要すらなかったのだから、最初から計算が間違っていた──。

「僕は、このレースを失ったってことじゃない?」と、ピットアウトしたハミルトンがチームに訊ねる。

「いや、“彼ら”がタイヤ温度を失えば……」

 まだまだわからないよ、というニュアンスでチームが答える。見守るファンは、すでにはっきりとメルセデスのミスを感じ取っていた。退屈に見えても、公国のレースは時にこんなふうに豹変する。

 誰もが複雑な思いで迎えた表彰セレモニーやインタビューでは、ベッテルが機転を利かせて和やかな空気を生み出した。硬い表情のままのハミルトンと、喜びを露わにしては口元を引き締めるロズベルグ。その狭間を、うまく取り持てたのはベッテル自身が幸福だから──すぐに作動温度領域以下まで冷えるタイヤには本当に苦労した。それでも、レースになれば予選よりメルセデスに接近できるという今シーズンのフェラーリを確認。終盤のセーフティカーにも冷静に対応し、スクーデリアとして優れたレースマネージメント力を発揮できた。曲がりくねった狭いコースでは集中力が何よりも大切。そのためにはマシンのドライバビリティだけでなく、ドライバーの心に寄り添って走れるチームのドライバビリティも大切なのだ。

 そして何よりも、フェルスタッペンに怪我がなかったことがうれしい。昨年ジュール・ビアンキが初めての入賞を果たしたモナコに来て、彼の故郷ニースの近くに居て、誰もがビアンキへの思いと「100%安全にはならない」スポーツの宿命を強く感じた週末だったから、若い仲間がクラッシュしたマシンから自力で脱出し、しっかりと歩き始めた様子に、みんなが胸を撫で下ろした。

 しかし、レース後の審議では次戦カナダGPでの5グリッド降格+ペナルティ2ポイントという重い罰がフェルスタッペンに科せられた。ドライバーへの警鐘を含めた裁定ではあっただろうが、フェルスタッペン自身が説明するとおり、彼はグロージャンに対して無茶なオーバーテイクを仕掛けて追突したわけではなかったし、ロータスの真後ろを走りながら何度もグロージャンのブレーキングポイントを把握しようと努めている様子は外から見ていても明らかだった。いずれにしても事故/リタイアという十分な代償を払ったドライバーに対し、次戦まで影響する大きなペナルティは重すぎる。安全向上のためには、スチュワードの判断基準が常に安定することも大切だ。フェルスタッペンはモナコを無謀に走ったドライバーではなく、モナコで活躍したドライバーだ。

 そんな17歳の先輩、自己最高の4位ゴールを飾ったダニール・クビアトはモナコGPの殊勲賞。28周目のピットイン以降、50周をソフトタイヤで走り切り、75周目に自己ベストタイムを記録した。セーフティカー出動時にはチームメイトのリカルドがスーパーソフトに交換。彼が表彰台にトライするため、クビアトはいったん4位のポジションを譲らなくてはならなかったが、つらい指示を出したチームも従った本人も、そして最終ラップでポジションを返したリカルドもスマート。4位 - 5位というシーズンベストの成績以上に、挑戦者になったレッドブルの、本物のチームプレーが爽快なモナコGPだった。

(今宮雅子)